翌日は、宮城県の被災地をめざす。
景勝地の松島は、湾内に点在する島々が津波をブロックして被害が少なかったようで、
車窓から見たところでは、海岸脇のお店は普通の状況に戻っているようであった。
バスで来た観光客が遊覧船の乗船をするため並んでいる。
往時の賑わいではないようだが、徐々に活気が戻ってきているようである。
一度、東北自動車道に入り、一関インターを下りて東に向かう。
気仙沼市役所に着いたのは、お昼ころであった。
下重会長、小谷副会長、中村専務理事が、菅原茂市長を表敬訪問し、寄付金を贈呈する。
その間に我々は、市の観光課主幹兼係長畠山幹司氏の案内で、市の南にある震災時大きな
火災に見舞われた鹿折地区の漁港を視察する。
気仙沼市には、菅原姓、畠山姓が多いようだ。
2年前に50数名で訪問した際に案内していただいた市商工会議所の副会頭は菅原昭彦氏、
パーテイに出席された副市長が菅原務氏、高桑半島でカキ、ホタテ、ホヤの養殖場を見せて
いただいたのが畠山重篤氏。その際にいただいた生カキとお酒は美味しく、皆で堪能した。
畠山重篤氏は、「森は海の恋人」の運動を展開し、海に流れ込む川の周辺の山々に植林を行い、
日本全国で講演し、著書も数冊だれている。前回2冊買い求めてサインをいただいた。
今回の大震災と大津波で養殖場は壊滅的な被害を受けたが、畠山氏とご家族は裏山に逃げて
助かり、復興に向けて活動中。仙台におられたお母様が亡くなられて、悲しいことである。
鹿折地区に入ると被災したままの状況で、あちこちに瓦礫が積まれ、また壊れかけた
建物が残っている。大きな船がまだ街の中に置かれたままであった。
震災後、間もなく7ケ月となろうとしているが、復興はこれからというところであった。
気仙沼駅の周辺は、港の街から坂を上がったところにあり、無事であった。市役所本庁舎も
坂の上にあり、すぐ下まで水が来たが被災を免れて、不幸中の幸いであった。
坂を下りて街へ入ると、あちこちに被災した建物が散在する。空き地になっているところは、
海にながされたか、火事で焼失したのであろう。
テレビのニュースで見た火の海となった気仙沼市は、まだ目に焼き付いている、すさまじい
光景であった。海岸に近い酒造会社「男山」の本店は、流されてきた船が当り、1階と2階が
飛散して、3階部分を残すのみ。この建物は、昭和6年に建てられた木筋コンクリートの
洋風建築で国登録有形文化財に登録されていたものである。
幸いに酒造工場は、すこし高い場所にあり、難をのがれて現在営業中。我々は社長の
菅原昭彦氏の案内で内部を見学し、原酒を試飲させていただくことができた。
畠山係長の話によると、気仙沼は震度が6弱。震災前の人口が74,247人のうち、
約3,500人が減少した。全壊の家が約8,536軒、死亡者は1,026人、不明者は383人、
仮設住宅は3,451棟、207人が避難所生活をされている。水産市場近くは、地盤が70cmも
下がり、満潮時には冠水するので、土地を1.8m上げる予定とのことである。
今年の10月7日より、来年の8月末まで、銀座の元東芝ビルに気仙沼市のアンテナショップ
を設けるとのことで、是非皆様が訪問して、物産を購入して支援していただきたいと思う。
また、けせんぬま観光ガイドコース10コースを設けて、被災地を含む魚市場、内湾、安波山、
岩井崎、大島、唐桑半島の各コースや、文化財、徳仙丈散策、伝説探訪、鹿折金山跡の
コースを用意して待っております。
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