JTWO・秋の山形県蔵王温泉と、宮城県気仙沼市を再訪する
     (風評被害県)     (震災被害地)
 

当社 野口 正二郎  

 恒例となっている、日本旅行作家協会(JTWO・下重暁子会長)の秋の旅行例会は、
2年前に訪問した宮城県気仙沼市へお見舞いを兼ねて行くことになった。
宿泊は、隣接県で風評被害の出ている山形県の蔵王温泉と決まった。
 
 仙台まで新幹線で行き、バスで仙台空港の復興を見届けてから、山形市の山寺へ向かう。
天気は、生憎の曇り空、小雨まじり。10月初旬、山は紅葉が少し始まり、道端ではコスモスの
花がやさしく迎えてくれる。
時間がないことと天気も悪いので、1,500段の山寺への登山は中止となった。
初めての人には残念なことだが、是非機会をつくってチャレンジし、絶景を眺めてほしい。
ここまで来ましたよと、山寺をバックに全員で記念撮影。蔵王温泉をめざす。
美術館「わらべの里」は、今晩の宿となる、たかみやグループが所蔵する江戸時代からの
藩主が使用した豪華な品々や、移築した江戸、明治時代の建物を見ることができる。
当主、岡崎彌平治氏は、代々の名を引き継ぎ、ホテル経営等を行っている。
当主が自ら案内をされて、気さくな人柄である。

 宿泊は、「瑠璃倶楽リゾート」。樹氷で有名な蔵王スキー場のリゾートホテルで、目の前には
緑の山肌が見えるが、リフトとともに、これからのスキー客の利用を待っているところだ。
このホテルの設計は、丹下健三氏であるという。
緑の木々に囲まれた気持ちの良い環境である。
夕食の前に、山形県観光経済交流局長・渡邉修氏のレクチャーがあり、山形県の風評被害と
その回復のための努力の状況をお話しされた。福島県・宮城県等よりの被災民を約12,000人
受け入れている状況でもある。観光客の早期回復、フルーツ王国の物産の購入回復が望まれる。
山形県副知事・高橋節氏の出席のもと、レストランで懇親パーテイが開催された。
上品な芋煮もあり、米沢牛もあり、味に肥えたメンバーも満足の夕食。
美味しい懐石料理のコ−スであった。
 

震災後(2011年10月初旬)
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山寺を背景に きれいなお花 わらべの里の美術品
瑠璃倶楽リゾートのお室 室の露天風呂 ホテルの目の前のスキー場 セミナー風景
レストランにてパーティー 岡崎彌平治社長を囲んで



 翌日は、宮城県の被災地をめざす。
景勝地の松島は、湾内に点在する島々が津波をブロックして被害が少なかったようで、
車窓から見たところでは、海岸脇のお店は普通の状況に戻っているようであった。
バスで来た観光客が遊覧船の乗船をするため並んでいる。
往時の賑わいではないようだが、徐々に活気が戻ってきているようである。
 
 一度、東北自動車道に入り、一関インターを下りて東に向かう。
気仙沼市役所に着いたのは、お昼ころであった。
下重会長、小谷副会長、中村専務理事が、菅原茂市長を表敬訪問し、寄付金を贈呈する。
その間に我々は、市の観光課主幹兼係長畠山幹司氏の案内で、市の南にある震災時大きな
火災に見舞われた鹿折地区の漁港を視察する。
気仙沼市には、菅原姓、畠山姓が多いようだ。
2年前に50数名で訪問した際に案内していただいた市商工会議所の副会頭は菅原昭彦氏、
パーテイに出席された副市長が菅原務氏、高桑半島でカキ、ホタテ、ホヤの養殖場を見せて
いただいたのが畠山重篤氏。その際にいただいた生カキとお酒は美味しく、皆で堪能した。
畠山重篤氏は、「森は海の恋人」の運動を展開し、海に流れ込む川の周辺の山々に植林を行い、
日本全国で講演し、著書も数冊だれている。前回2冊買い求めてサインをいただいた。
今回の大震災と大津波で養殖場は壊滅的な被害を受けたが、畠山氏とご家族は裏山に逃げて
助かり、復興に向けて活動中。仙台におられたお母様が亡くなられて、悲しいことである。
 
 鹿折地区に入ると被災したままの状況で、あちこちに瓦礫が積まれ、また壊れかけた
建物が残っている。大きな船がまだ街の中に置かれたままであった。   
震災後、間もなく7ケ月となろうとしているが、復興はこれからというところであった。
 
 気仙沼駅の周辺は、港の街から坂を上がったところにあり、無事であった。市役所本庁舎も
坂の上にあり、すぐ下まで水が来たが被災を免れて、不幸中の幸いであった。
坂を下りて街へ入ると、あちこちに被災した建物が散在する。空き地になっているところは、
海にながされたか、火事で焼失したのであろう。
テレビのニュースで見た火の海となった気仙沼市は、まだ目に焼き付いている、すさまじい
光景であった。海岸に近い酒造会社「男山」の本店は、流されてきた船が当り、1階と2階が
飛散して、3階部分を残すのみ。この建物は、昭和6年に建てられた木筋コンクリートの
洋風建築で国登録有形文化財に登録されていたものである。
幸いに酒造工場は、すこし高い場所にあり、難をのがれて現在営業中。我々は社長の
菅原昭彦氏の案内で内部を見学し、原酒を試飲させていただくことができた。
 
 畠山係長の話によると、気仙沼は震度が6弱。震災前の人口が74,247人のうち、
約3,500人が減少した。全壊の家が約8,536軒、死亡者は1,026人、不明者は383人、
仮設住宅は3,451棟、207人が避難所生活をされている。水産市場近くは、地盤が70cmも
下がり、満潮時には冠水するので、土地を1.8m上げる予定とのことである。

 今年の10月7日より、来年の8月末まで、銀座の元東芝ビルに気仙沼市のアンテナショップ
を設けるとのことで、是非皆様が訪問して、物産を購入して支援していただきたいと思う。
また、けせんぬま観光ガイドコース10コースを設けて、被災地を含む魚市場、内湾、安波山、
岩井崎、大島、唐桑半島の各コースや、文化財、徳仙丈散策、伝説探訪、鹿折金山跡の
コースを用意して待っております。
 

震災後(2011年10月初旬)
陸に残された船
(第18共徳丸)
気仙沼市役所 港の被災地 「男山」本店の3階部分 復興中
気仙沼プラザホテル
の昼食
水産市場の風景 一部冠水 男山酒造にて



 水産市場の近くの丘にある気仙沼プラザホテルは、幸いに営業を再開しており、我々は昼食に
さんまとお刺身の食事をいただくことができた。私は、昼食後一時離団して、駅近くに住んでいる
親戚を訪ねた。数年前にやや高いところにある家を買って住んでいたので、奥様は危険な思い
はされなかったようである。
ご主人は、港近くの会社におり、建物の3階に逃れたが、12〜13mの高さのある室にまで
水が来て、腰まで浸かったそうである。いったん泳いで逃げようとしたが、回りには火の手が
あがっており、会社で一晩明かし、翌日歩いて帰宅されたとのこと。ご家族はあきらめていた
ので、びっくりされたそうだ。

 私も、当時数日間は親戚と連絡が取れない状況で消息不明、生存が確認できたとの連絡に
安堵した。ご主人は私と同じ年代、やむを得ず社員の多くを一度解雇して、事業の再開に
取り組んでいるところ。ちょうど自宅で、その商談の大事な話をされているところへお邪魔して
しまった。奥様より色々お話を聞きしたが、いくつも持っている家・建物、大きな水産物冷蔵庫
の倉庫も被害にあい大変なことである。

 市から県、県から国へと復興の案はでているが、なかなか決定されず、被災地の復旧は
時間がかかりそうである。
 
気仙沼市、そして被災された各県、多くの人々の早期復興を願わずにはいられない。


震災前の気仙沼(2009年10月初旬頃)
ホテル一景閣での夕食
魚市場にて
気仙沼湾全景 畠山重篤氏のカキ養殖場
生ガキ試食



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