チンギス・ハーンの国の今
野口正二郎(当社



近くて遠い国、モンゴルにやっと足を踏み入れることになった。
国土は日本の約4倍、人口は約300万人、まだ一般には知られていないことが多い国だ。
近年では、大相撲の横綱に朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜を輩出しており、日本の国技への
貢献度は大きい。白鵬は立派な横綱として尊敬に値する人物で、大横綱として相撲界に名を
残すことになるであろう。日馬富士、鶴竜も良い力士である。
旅行中に春場所の終盤となり、鶴竜が優勝して横綱に昇進した。
モンゴル出身の力士の活躍は、当分続きそうである。



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ハーブホテル





1・2)朝食 3)通りの向こう側にあったモニュメント 4)フロント 5)外観


3月下旬、成田空港より、MIATモンゴル航空(MO)にて、モンゴルの首都ウランバートルへ。
約5時間のフライトでチンギス・ハーン国際空港に到着する。機内では、モンゴルの人が多く、
座席の上の棚は、手荷物で満杯状態であった。外国人用のイミグレーションは、空いており、
早く通ることができた。しかし預けたスーツケースが出てくるのは遅かった。
税関の外に出るとガイドのボーギさんが出迎えてくれて、ひと安心。
個人で海外旅行をして、国際空港からホテルまでの移動を自分で行う場合には、常に不安がある。
送迎の車に乗って、夜路を20分走り、ウランバートル駅に近いハーブホテルにチェックインする。
住宅地にある3星クラスの簡素なホテルで、ロビーは狭い。402号室が用意されていた。
室はやや広いが、照明は暗く、白いカーテンを通して、長く大きな公団住宅?と中庭が見える。
TV,冷蔵庫(ミニバー)、トイレにシャワーという設備だ。入り口のドアの脇に、ハンガーが4つあり、
コート、ジャケット、ズボンを掛けるが、すべってよく落ちる。
夜の9時にホテルに着いたので、ミニバーより、タイガービールと、ナッツ缶を空け、飲み食いして、
簡素なベッドで寝る。暖房が入っているようだが、薄い掛け布団で、夜中に目覚めることあり。
モンゴルとタイは友好関係にあり、タイガービールが売られているのかと思っていたが、ネット検索で
調べると、シンガーポールとオランダの合弁会社が、シンガポールを拠点に東南アジアで販売し、
飲まれているビール、とのことであった。
このホテルは、室の掃除をしていなかったり、ミニバーの精算が杜撰で、サービスがいまいちといえる。

翌朝8時に、2階の食堂へ降りて行く。先客が2〜3人おり、欧米系の男性1人と、中国人かアジア系の
男性2人。ブッフェの鉄製の容器を空けて覗くと何も入っておらず、ウエイトレスが席に座れと合図する。
ブッフェの容器は、夕食用で、朝食はサーブ形式のようだ。英語があまり通じないようなので、
先客の様子を見ると、パン2枚と飲み物を飲んでいる。そのうち、私にもパン2枚と紅茶がサーブされた。
パンにバターとジャムをぬって食べ終わる頃に、もう一皿現れる。ウインナーにオムレツ、野菜とご飯が
小盛りの一皿で、こちらは美味しくいただいた。


ウランバートル駅


6)ウランバートル駅 7)列車を待つご婦人


今回のモンゴルモニターツアーは、オプションで2日目が市内観光、3日目がテレルジ観光を用意されていた。
市内観光はひとりで歩き回れそうなので、自由行動とした。自分の足で歩くと、街の様子から、大きさまで
良く分かる。「地球の歩き方・モンゴル」を持って、まずはウランバートル駅をめざす。うっかり方向を間違え、
モンゴルの人々に訊ねるが、英語が全然通じない。24年前に自由主義に変わり、外国語として英語も
勉強しているそうだが、実際に話す機会がないのか、普通の人々は英語を理解しないようだ。
私が滞在して、声をかけた人達、バスの女車掌さん、デパートのフードコートの店員さん等、ほとんど通じない。
日本でも同様と言われれば、そうかもしれないが。私のへたな英語でも通じると、とても助かるのだが、
そうはゆかず、不便であった。
ウランバートル駅は欧州式で、自由にホームへ入れるようになっている。この線路が、中国・北京やロシア・
イルクーツク、またモスクワまで繋がっており、数日間をかけて、ゆっくり鉄道の旅を楽しむことができる。
昔は、シベリア鉄道で欧州に行くのが最安値ということで、日本の若者達は、新潟からハバロフスクまで
ソ連客船、そこからソ連の鉄道で、モスクワに行き、それぞれヨーロッパ各地を巡る旅を体験することが
できたのである。今は時間がかかるので、ゆとりのある人の優雅な鉄道旅行と言えるかもしれない。
ウランバートル駅は欧州と同様に、町の中心ではなくて、やや外れにある。
駅の正面の通りを北へまっすぐに歩き、平和大通りに突き当たる。右に曲がり、平和大通りを歩く。
歩道は、舗装されていないところも多く、靴は砂ほこりで汚れてしまう。インフラ整備がまだまだ必要と実感する。
道路に信号が少なく、人々は信号のない横断歩道を車を避けながら、うまく歩いて渡る。
地元の人と一緒に渡るのが、一番安全である。車社会のようで結構車が多く、時々渋滞することもある。
「ガンダン寺」は、ザナバザル通りという、参道の坂道を歩いてゆくと突き当たる。中に入ると、事務所の人に
呼び止められ、入場券3ドルを払う。まだ両替えをしていないので、米ドル払いとなった。
モンゴル仏教はチベット仏教から来ており、お寺のあちらこちらにマニ車が多数設置されており、信者は
マニ車を回しながらお参りをする。私もマニ車を回しながら、世界平和を祈念する。
このお寺は、鳩を大切にしており、沢山の鳩が、境内のあちこちに群れをなしている。
えさを売る人が何人もいて、人々はえさを買って、鳩に与えているからだ。
入場券を払ったので、おおいばり?で、読経中の建物や、金色の大きな観音像のある観音堂を拝観する。
私も一応仏教徒であるが、日本では冠婚葬祭、特に葬祭に関わりが多く、たまに墓参りするくらいである。
東南アジア諸国や、スリランカ等の人々は、よくお寺詣でをして、お祈りをされている。
習慣、文化の違いということか。ガンダン寺から、街を見下ろすと、その遠方にやや雪の残った山々を望む。


ガンダン寺


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市内中心部
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8)カラフルなマニ車 9)金色の観音像 10)観音堂前の鳩とエサ 11)寺の下の凍った川
12)ブルースカイホテルとトロリーバス 13)政府宮殿とスフバートル広場 14)モンゴル国立博物館
15)何かの優勝を祝う若者達 16)スフバートル広場に集う人々 17)オペラ劇場 


ノミンデパートの手前の銀行で、米ドルからモンゴルのお金、トゥグリクに両替えする。米ドルが良い。
100米ドル現金が、176,500トゥグリクになった。日本で米ドルを両替した時は、1ドル104.44円と
円安であった。それから計算すると、100トゥグリクが、6円ということになる。これはガイドブックの記載と
珍しく同じであった。これで計算すると、ガンダン寺の入場券は、3,500トゥグリクで、210円だが、
言われた通り米ドルで払ったので、313円になり、100円の損となった。米ドルで両替して、現地通貨の
支払が得になる。ちなみに、デパートのフードコートでの昼食、肉の入った麺とジュース1杯で390円、
国立博物館の入場券が300円、市内のバス代が30円、アイリッシュパブでタイガービールとサーモンの
サラダで1,430円、ガソリン代12リットル1,200円、最後の夕食、日本食の回転ずし「なごみ」で、
お皿7枚(サラダの皿含む)とみそ汁、チンギスハーンビール1杯で2,300円。3日目のオプションの
ドライバーさんにチップ、通しのガイドさんのチップを含めて、ほぼ全て176,500トゥグリクで賄った。
お土産を全然買わないので、経済的であった。


ザイサン・トルゴイの丘
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18)丘から、街を望む 19・20・21)戦争時の絵 22)凍ったトゥール川


ノミンデパートのフードコートで昼食後、国立博物館を見学する。その前は、政府宮殿とスフバートル広場で
街の中心と言える場所。人々が集まって、何か催しを行っていた。街中にも所々雪が残っている。
広場を横切り、文化宮殿、オペラ劇場を横目に、ウランバートルホテルを見学に入る。まだ時間があるので
ザイサン・トルゴイを目指して、ガイドブックの通り、バヤンゴルホテル前のバス停より、7番のバスに乗る。
女性車掌さんより切符を買い、ガイドブックを見せて、ここで下してほしいと頼む。意志は通じたようで、
折り返し地点を過ぎ、ソウル何とか大学というところで下車、ザイサン・トルゴイの丘を登る。
裏山から登ると、視界が開けて、山側やウランバートル市街地が良く見える。
この丘に「トルガ」といわれる生命を具現するモニュメントと、それを鉄筋コンクリートの輪が囲んでいる。
輪の内側には、ソ連兵士をたたえ、モンゴル軍と共に大日本帝国とナチスドイツに戦勝した絵が描かれている。
日本人にとっては、嬉しいところではない。街側に行くと、コンクリートの階段があり、その階段にチャレンジ
すると、かなりの数の階段を下りることになった。下りて左手に行くと、黄金に輝くの大仏の立像がある。
トゥール川の橋を歩いて渡ると、川は凍っており、若い人達が何人か、氷上で遊んでいた。
この頃、天気は暖かく10度くらいであったが、本来はまだ寒いようである。
ナイラムダル公園は再開発の真っ最中で、何ができるのか、内部には入れず、その先の日本大使館を
外から眺め、また中心部の一角を散策した。
アイリッフパブでビールとサラダを注文して、時間を費やしてから、その前の国立ドラマ劇場へ行ったが、
この時期はまだ観光シーズンでなくて、モンゴルの音楽や民族芸能のショーは開催されておらず、諦めて
とぼとぼとホテルに帰った次第である。


チンギス・ハーン像テーマパーク
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テレルジにて
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アリヤバル寺院
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ツーリストキャンプで昼食
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23・24)チンギスハーンの像 25)草原地帯(冬にて草はない) 26)ギネス登録の大きなブーツ
27)岩山とゲル 28)亀石
29)入口にてガイドさんと 30)全景 31)境内の一部 32)本堂内 33)本堂からの風景
34)レストランへ 35)パンとサラダと麺 36)パオ


3日目のテレルジ日帰り観光は、ガイドとドライバーが専属で付いた。午前9時にホテルを出発する。
ガイドのボーギさんから、色々な説明を受けながらテレルジに向かう。
人口約300万人のうち、130万人がウランバートルに住んでいる。ウランバートルの60%がゲルに
住んでいるそうで、町外れにでると、ゲルの家が多くみられる。ゲルとは、遊牧民の移動式住居である。
モンゴルは、昔100%が遊牧民であったが、今は30%になっているそうだ。
女性ガイドのボーギさんは、落ち着いた良いガイドさんだ。訊ねてみると、元国立大学のロシア語の先生で、
1990年の自由主義移行にともない、ロシア語の仕事も減り、独学で勉強して、10年前より日本語ガイドを
されている。政治形態の変更により、生活の変化が起きる。現状では、豊かさの実感はないそうだ。
腰を痛めて療養中の夫と、大学を卒業する娘と、高校を卒業する息子の4人家族。都市では、子供は2〜3人
のようである。モンゴルでは基本的には、姓がなく名前のみ、父の名前をくっつけることもあるそうだ。
 
ナライハの町を通り過ぎると、1時間でチンギス・ハーン像テーマパークに到着。10時開門にて、1番乗り。
草原に銀色のチンギス・ハーン像がまぶしく光っている。モンゴルで一番有名なチンギス・ハーンで、村おこし。
ウランバートルに近い土地に、内外の観光客を呼び寄せる計画で、周囲に沢山のゲルキャンプを建造中であった。
エレベーターで上り、馬の頭の所まで行くことができる。チンギス・ハーン像のお顔を真近に見、そして草原や
丘を眺める。モンゴルらしい風景である。
テレルジに入ってゆくと、面白い形状の岩山群が現れる。まずは亀石見学だ。その近くで乗馬を楽しむ人々を見た。
4WD車は、亀石の先の未舗装の悪路を走ってアリヤバル寺に到着する。山奥の寺院で、普段は僧侶が住んで
いない。社会主義の時代に仏教寺院は壊されてしまったが、自由主義になり復活することができた。
長い坂道を登り、つり橋を渡り、108段の石段を上がると、本堂がある。きれいな空気を吸いながら、山や谷の
景色を楽しむことができた。旅行は体力勝負である。
テンゲロッジ・ツーリストキャンプのレストランで昼食をとる。私より少し若いと思われる男性ドライバーは、良く食べる。
ビールを注文し、サラダ、羊肉の入った麺、パオと呼ばれる牛肉の入った餃子のようなもの、3品をいただいた。
どれも美味しく、少し残したが手頃な昼食である。欧州からの団体客が入り、小部屋での束の間の昼食だった。
私からの特別注文で、テレルジの奥にあるモンゴル唯一の5星ホテル、テレルジホテルへ行ってもらった。
50室くらいのホテルであるが、ロビーは綺麗になっている。残念ながら、責任者が不在で客室見学はできなかった。
帰路に、放牧民・ダマさんの家を訪問する。アラレをお土産に持参した。7人家族で、奥様がかたいパンと白い
乾燥したステイックや、野菜のおかずをごちそうしてくれた。昼食後でもあり食べられず、会話もあまり弾まず、
ガイドさんに促され、早めに失礼した。間もなくゲルを移動するようだが、10kmくらいとのことで、遠距離ではないが
生活用具一式を持って移動は大変であろう。それが放牧民の生活、習慣ということか。


テレルジホテル
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遊牧民宅訪問
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37)入口 38)ロビー 39)道路を渡る羊群 40)牧童
41)室内 42)奥様と 43)ゲルの前で 44)主人と奥様とお孫さん
45)回転寿司レストランにて夕食 46)24時間営業の銀行 47)空港のモンゴル航空機


帰国の日、朝6時にロビーへ降りて行くと、フロントの男女は、ロビーのソファで仮寝しており、起きてきた。
お客様がチェックアウトする時間には、きちんと起きていてほしいものでる。
6時半にガイドさんと車が出迎えにきて、無事空港に行き、チェックインし、モンゴル航空に乗った。
かくして、モンゴルの旅は、実質、中2日間で、あっという間の旅行であった。
モンゴルの人は、悪気はないのだろうが無愛想の人が多いと感じた。まだ素朴、純朴な人々が多いと思う。

私が旅行する10〜7日前に、ウランバートル市内のどこかで、北朝鮮拉致被害者の横田めぐみさんのご両親、
横田滋氏(81才)と早紀江さん(78才)が、孫のキム・ヘギョン(ウンギョン)さん家族と、やっと面会された。
第三国ということで、モンゴル政府の世話で実現することができた。一歩前進。本当に早期解決が望まれる。
 
1972年2月に、日本との外交関係が樹立され、日本よりの多額のODAが供与されている。ウランバートル市内の
橋や道路が日本の援助で、しっかりできている、とガイドさんが言っていた。対日感情は非常に良い。
日本人に対しては、30日間以内の滞在は、ビザ免除になっている。
現在、中国、韓国と国際関係は不良にて、モンゴルとの友好関係は大事にしたい。
 
ウイキペデイアによると、近隣の諸国との関係は、ロシアと長年の友好関係にある。鉄道等のインフラ整備に
貢献したり、ウランバートルの高層アパート、都市インフラのシステムの原型はロシアからきている。
中国とも関係は深いが、国民のなかに反中国の感情は強いようである。
韓国とは、経済的な結びつきが強く、モンゴルからの出稼ぎ労働者が韓国に多くいる。ウランバートルにも韓国人は
多い。カラオケ店を多く見かけたが、韓国人が経営する売春目的のカラオケバーが多く、問題になっているようだ。