●ランスLens)ノール・パ・ド・カレー地方
[ルーヴル・ランス分館] パリのルーヴル美術館の分館が2012年12月に、ランスに開館した。2013年の9月にフランス北東部を車で旅行しようと3月の初めから計画を立て始めていたら、このニュースをどこからか聞いて、訪問しようと考え始めた。最初は、訪問する予定地、大聖堂で有名なランス(Reims)かと思い大変都合がよいと考えたが、すぐに、このランス(Lens)は全く違い、ベルギーとの国境に近いフランスの大分、北部で、当初、予定した旅行域よりかなり外れてはいるが不可能ではないことが分かり、多少、予定を変更し、無理をして、この地を訪問した。 成田を夜10時近くに出るAir Franceの便は、翌朝、4時少し前にシャルル・ド・ゴール空港に着く。ここで車を借りて、途中、コンピエーニュとピエールフォンに立寄って、ランスに着いた。新しくできた美術館なので、案内書(地球の歩き方、フランス、2013-14年版)などにも載ってなく、町についてからも、どこにあるのか分からず、2、3ケ所で聞いてようやくたどり着いた。大きな駐車場があったので、ここが、ルーヴル美術館の駐車場と思ったら、そこは、その近くのフットボール競技場のものだった。歩き出してから、しばらくして、人に聞いて分かったので、そのまま、歩き続けて、ようやく目的地に着いた。1 km以上は歩いた。行く前には、ルーヴルの分館ができたのだから、町中にポスターや道順などが、貼ってあり、容易に行けると思っていたが、そのような案内表示は一切見当たらなかった。列車で、来る人には、駅から、シャトルバスが出ていて、容易に行けるようである。 この町は、250年間にわたってヨーロッパ最大級の炭鉱町として栄えたが、1990年の閉山で、寂れて、失業率は全国平均の3倍にまでなってしまっていた。ルーヴル分館の誘致合戦があったが、このことが幸いして、経済的に苦しんでいるからこそ、というグザヴィエ・デクト館長(Xavier Dectot (1973.6.8-))の説明にもあるように、当地に決まった経緯がある。そして、また幸運が重なり、2012年には、ボタ山や炭鉱関連施設跡を合わせた景観が「ノールパドカレー炭田」の名称で世界遺産に登録された。なお、館長は、就任時には39歳という若さであった。 この建物の設計は、日本人の、妹島和世(せじまかずよ:1957-)、西沢立衛(にしざわりゅうえ:1966-)両氏の「SANAA: Sejima and Nishizawa and Association:1995年に結成」に任された。周りに高層建築がないのに調和して、基本的に、2階がない1階だけの一部屋になっていて、最長方向の長さ100 m以上、3000 m2の大部屋に年代順に作品が並べられている。分館独自の所蔵品はなく、展示品は5年の期限で本館から借りてくる。なお、日本人が設計したことは、帰国後、当館を訪問したことを話した中学時代の、後に一級建築士になった友人から聞いて知り、訪問時には全く知らなかった。もし、知っていれば、建物にも、もう少し注意を払って見てきたと思う。なお、妹島氏は女性である。それにしても、自分の無知を知ると共に、日本人の国際的な活躍を頼もしく思う。 開館から1ヶ年間は無料ということで、我々が訪問した2013年9月4日(水)は、入場料ばかりでなく、日本語で説明の聴ける音声ガイドまで無料であった。 ルーヴル美術館の素晴らしいと思うことの1つは、オルセー美術館も同様、他の多くのヨーロッパの美術館と同様、フラッシュ無の写真撮影が全く自由なことである(ルーヴル本館の場合は、撮影する場合、入場料が少し高くなるが)。こういうヨーロッパの美術館に比べると、日本の美術館は、制約がうるさく、鑑賞者をあたかも入学試験監督のような目で見ている監視員など、芸術鑑賞の雰囲気にはほど遠く感じるので、あまり行く気がしない。そして、このランスのルーヴルは、1部屋だけなので(実際は、(5年で代る)常設館と、特別館の2つに、仕切られてはいる)、最初、見まわして、どれくらいの作品を見るのかが分かり、およその時間配分が分かり、また、もう一度見てみたいと思う作品に、すぐ立ち戻れることである。こういう形式の大きな美術館は他に見たことがない。また、部屋が、明るいのもよい。 ここに展示されている個々の作品の説明をする能力も無いし、スペースもないので、数点の説明だけにした。 ■[民衆を導く自由の女神(La Liberte guidant le people)] 本美術館の目玉は、ドラクロア(Ferdinand-Victor-Eugene Delacroix(1798-1863);ロマン主義)の、この作品(1830)であるから、常設部分の大部屋の中央の一番奥に展示してある。会場で意識したわけではないが、後で見ると撮った写真の多数枚に、この絵が、主題としてのみならず、背景としても写っていたので、それらを示すことにする。それによって、この美術館全体の見学者を含めた様子や雰囲気を示すことが出来ると思う。絵の大きさ:259 cm × 325 cmの、キャンバス、油絵である。絵の意味は、ウイキペディアの説明を借りると、大略以下のようである。<女性は自由を、乳房は母性すなわち祖国というように、様々な理念を比喩で表現している。彼女が被るフリギア帽は、フランス革命の間に自由を象徴するようになっていた。女性の隣に立つマスケット銃を手にしたシルクハットの男は、ドラクロア自身であると説明されることが多い。1831年5月のサロン展に出品され、フランス政府は、革命を記念するためとして、3000フランで買い上げたが、1832年の六月暴動以後、あまりに政治的、扇動的であるという理由から、1848年の二月革命まで恒常的展示は行われなかった。1874年にルーヴル美術館に収蔵された。国外に出たのは、イギリス、アメリカ、日本に貸し出された時のみである。> この絵は、1830年の「七月革命」を題材としていて、1789年のフランス革命を題材としているものではない。 日本では、1998-99年の「日本におけるフランス年」を記念して、この絵の切手が発売された。私も購入したが、全部使ってしまったようなので、私が受けた使用済みのものをここに示す。 ここに移ってから、2013年2月には、来館者により、右隅に「AE911」と落書きされたそうであるが、表面にワニスが塗ってあるそうで、翌日には修復ができた。我々が、訪問したのは、その半年後だが、特に前面に厳重な柵を設けることもせず、自由な雰囲気は、変わらず保っているようで、この事件も、本稿を書く段階で知った。勿論、監視カメラはついていて、監視員も目立たぬように巡回しているが、最大限、観客の鑑賞雰囲気を大事にする運営方針は、日本とは大いに違って大変有難い。 ■ [ヘルマプロディートス(Hermaphrodite)](エルマフロディト:フランス語) 見ている時は、気づかなかったが、後で写真を見て、男女の区別が分からない彫像があったので、ウイキペディアで調べてみて由来の神話が分かった。彫像は、A.D.130-150の作である。 その名は、父ヘルメースと母アプロディーテーの名に由来したものである。彼はプリュギア(現トルコ)の聖山であるイデ山でニュムペーによって育てられた。15歳のとき、生まれ育った環境に退屈してリュキアやカーリアなどを旅して回った。ハリカルナッソス(現トルコ・ボドルム)近くのカーリアの森の泉で、ナーイアスのサルマキスと 出会った。サルマキスはこの少年に対する情欲にとらわれ、彼を誘惑しようと試みたが、すげなく断られた。彼女が立ち去ったのを見たヘルマプロディートスは 服を脱いで、誰もいなくなった泉へ入っていった。そのとき、木陰に隠れていたサルマキスが駆け出して泉に飛び込み彼を抱きしめ、無理やりキス をしてその胸に触れた。彼は抵抗したが、彼女はどうか自分たちを離れ離れにしないで欲しいと神々に訴え、彼女の願いは聞き届けられ、二人の体は融合して 一人の両性具有者となった。 ■ [人間の一生と世界の寿命(Vie de l’homme et vie du monde)] 作者は、L. Miradori(生誕:1600-10、死亡:1656-57推定)とその弟子たちと推測されていて、製作は、1650-1700年と推定されている。これは、よく知られたラテン語“memento mori(メメントモリ)”ということを表している。こういう絵のことを、美術用語でヴァニタス(Vanitas)と言い、17世紀にオランダなどで流行した頭蓋骨などを含んだ、死や変転という免かれがたいものを象徴した絵のことをいう。砂時計は、時の変遷を表す。骸骨は受難を表し、リンゴを食べたあとに、永遠の命を失ったアダムを意味する。罪の償いと未来への変化を勇気づけている。 「メメントモリ」(英訳:Remember you must die. 仏訳:Souviens-toi que tu vas mourir.)は、「あなたは、死ぬということを忘れてはいけない」という意味で、「木綿と森」と覚えると覚えやすい。日本人の、昔から好む言葉で言えば、「人生無常」に相当するのだろう。日本人には、骸骨はあまりに、刺激的で、生々しくて、好まれず、絵画の題材となっているのを余り見ないが、ヨーロッパでは、セザンヌなどの画家のアトリエにも、人体デッサンの参考にするため骸骨を置いているところが、多くあるくらいである。レオナルド・ダ・ヴィンチは、人体の解剖にまで立ち会って、人体を勉強したという話はよく知られている。骸骨寺(教会)さえあるし、骸骨を並べている地下墓地は、多い。私も、日本人なので、髑髏のある絵は好まない。 Ll3にある絵も同じ、テーマの絵であり、この美術館にあるはずであるが、見過ごしてしまった。また、絵のガラスが反射してか、人影が写ってしまっている。目で見る際も同様である。展示の専門家でないから分からないが、こういうことは、大ルーヴルなら、採光とか、反射しない特殊なガラスを使うなど工夫して防げないものだろうかと思う。 ■ [春(Le printemps)] 真似絵で有名な、イタリアのジュゼッペ・アルチンボルド(Giuseppe Arcimboldo(1527-93))の代表作(1573)である。こういう技法を、フランス語で、マニエリスム(manierisme)という。「真似絵」という語は、この言葉に由来している。マニエリスムとは、辞書によれば、<ルネサンス様式とバロック様式の間(1530-1600)のイタリアを中心とした過度に技巧的な美術様式>をいう。結構、古い様式であるが、現在でも、新鮮で、関心を引く面白い技法である。アルチンボルトは、画家の息子として生まれ、ウイーンでフェルディナンド1世の宮廷画家となり、後にその息子のマクシミリアン2世や孫のルドルフ2世にも仕えた。彼は、非凡な才能の持ち主で、噴水、回転木馬なども発明した。真似絵は、精神錯乱から生まれという説もあるらしいが、謎や、パズル、風変りなものに魅了されていたルネサンス期を反映しているもので、そのような説は、否定されている。 この絵は、大部屋の奥にある細かく仕切ったいくつかのドアのない部屋の1つにある。ここも、どういう角度からみても、ガラスの反射で、全体を同時に反射なしでは、見られない。 ドラクロアの絵と並んで、ここのもう1つの目玉は、一説によれば、レオナルド・ダ・ヴィンチの「聖アンナと聖母子」であるそうだが、それは、残念ながら見逃してしまった。これらの絵は、以前にパリのルーブルで見ているに違いないのだが、ドラクロアとアルチンボルドの絵ぐらいしか覚えていない。 この美術館を見学中、くしゃみが10回ぐらい出て、止まらなくなった。生まれて初めての経験で、このあと、2-3日間、時々、症状がでたが、その後は収まった。新しい建物の壁から、何かが出ていてそれによるアレルギーが起こったのではないかと思っている。いずれにせよ、大したことではないが、音楽会でなくて良かった。 パリのルーヴルは、あまりに作品が多いので、1つ1つの作品に集中できないが、ここは、1つの部屋に並べてあり、作品数も適当で、落ち着いて見られ、今後、地域振興に役立つことを期待したい。 なお、ランス(Lens)に行くことを計画している段階で、LensもReimsも、片仮名表記では、同じ「ランス」になってしまい、英語などを習う際の、日本人の一番不得意とする「L」音と「R」音の区別が、いつまでたってもつかないのは、日本語の片仮名表記に区別が無いのも一つの原因と考え、これを、タイプの活字システムを変えることなく区別する方法として、「L」音には、「’」をつけて、La, Li, Lu, Le, Lo音は、それぞれ、「ラ’」、「リ’」、「ル’」、「レ’」、「ロ’」と表して、区別することを考えた。そうすれば、Lensは「ラ’ンス」と書け、Reims「ランス」と区別できるし、オラ’ンド大統領の来日する6月ごろ、生まれて初めて、新聞に投書したが、没になった。ドレミの歌などは、ひどいもので、「Reはレモンのレ、Laはラッパのラ」と子供に全く逆に教えていて、誰も異を唱えないあり様である。投書した時は、まだ、東京オリンピック・パラリンピックは、決まっていなかったが、決まったら、英語の重要性が、世間で改めて言われるようになったが、LとR音を区別しようという声は一向に聞かれない。これを機に、東京オリ’ンピック、パラリ'ンピックと表記して、常に、LとRの違いを意識するところから始めたらどうかと思うのだが。
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