オ・ケニクスブール(Haut-Koenigsbourg)アルザス地方

リボヴィレを見て、まだ日暮れには、時間があったので、そこから10 kmあまりの山道を車で登ってきた。城は閉まっていても、中を見られなくても、外観と下の景色が見られれば十分であると思って来た。到着したのは、1845分ぐらいで、予想していたとおり閉まっていたが、工事中だったので、城の美しい姿は、見られなかった。我々以外に誰も居なかったが、城の周りを行ける範囲で周った。開館時間内に来れば、中も見られたはずだが、そう残念とは思わなかった。標高755 mなので、下界の景色は、よかったが、どこが、どの村なのか、判別できないのが、残念であった。写真を撮って、後で、判別できるかと期待したが、それも、あまりできていない。

この城に掲示してあるドイツ語による城の歴史には、大略次のように述べられている(Hk10)。

<オ・ケニクスブール城(ドイツ語:Hohkonigsburg)の建物は、多くの、波乱に富んだ歴史を証明している。城は、12世紀に建造された。15世紀には、初めて破壊され、再建され、17世紀には、新たに、破壊された。そして、それ以後、城は放置された。20世紀の初めになって、ようやく、完全に再建された。この城の形は、城の部屋の空間的な印象を伝えるとともに、再建された部分を明らかにしているだろう。> 全て、「フランス化(francisation」の進んだ戦後、昔からのドイツ語の説明を残しているのは、当然とはいえ、ある意味偉かったと思う


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案内看板。

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いろいろな角度から見た城の外観;アルザスを代表する景観として、「フランスの彩り」の写真に採用されているが、城の景観上、一番大事な先端部が工事中なのが、残念である。

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城内見学方法の4つのパターン;中に無料のもある;オーディオガイドには、日本語もあるから、日本人もある程度は訪問しているのだろう。

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城の歴史:大略は本文中。

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夕方で(1848)、天気が、悪かったが、美しい。

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下の村は、Orschwillerか?


リクヴィル(Riquewihr)アルザス地方

エギスアイムが、円形の村の中全体に、店などが、同心円状の道に2次元的に分布しているのに対し、当地は、両端が、立派な門で挟まれた1本の割合巾の狭いメイン通り(ド・ゴール将軍通り:rue du General de Gaulle)が栄え、それに直角に交わるメイン通り半分ぐらいの長さの道(第一アルメ通り:rue de la 1ere Armee)が、次に賑やかで、他の道沿いには、商店はあまり無く、全観光客の7−8割が、ド・ゴール通りに集中している十字架状的な村である。また、ある程度大きな広場がなく、「アルザスの真珠」と言われているそうであるが、他の近隣の同様の町に比べて、とびぬけているわけではないと感じた。

99日、月曜日であったが、クラシックカーのパレードの日なのか、上記のメイン通りに、並べてあり、やがて他の村へと出発していった。前年、ブルターニュ地方でも、同様のことを見たが、金持ちの年配者の趣味として流行っているのかもしれない。

村のすぐ横は、広大なブドウ畑になっている丘の斜面が、道1つ隔てて村に迫っていて、その丘に登っていくと、村の家々の屋根などがきれいに見える。

この村の後、リボヴィレに行く途中、ウナヴィル(Hunawihr)を通った。Hunawihrの読み方だが、「H」は、フランス語では、読まないことは分かっているが、次のuを「ユ」と読むのか、「ウ」と読むのか、分からないので、今度フランス人に聞いてみる。日本語の案内書には、両方の表記の仕方がある。

この村の中心街に入ったわけではないが、近くのブドウ畑で写真を撮っていたら、一部の目立たないところに、ネットを被せているブドウ畑がある。オーストラリアでも同様のことを見たことがあるが、自家用のワインは、鳥から守るのに農薬を使わずに、こうして食の安全を確保しているのであろうか。そう思ってみると、森や畑や公園が多い割には、フランスでは、水鳥以外は、あまり目にしない。ブドウには、鳥よけの薬が撒かれているのであろう。後に、ソーでは、バイオワインというものが販売されていたが、農薬を気にする人は、こういうものを購入しているのだろうか。

なお、この地域のコウノトリは激減しているので、このウナヴィルに繁殖センターを設けて保護活動をしているそうである。丁度、日本の鴇に相当している。鳥との共存は、農業従事者にとっては、特に難しい問題である。


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パンフレット:リクヴィル、ブドウの真珠。

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村の略地図。

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メイン通り。

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メイン通りを走るクラシックカー。

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クラシックカーと門。

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クラシックカーのパレード。

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Rq1’13の外側から見た門;Rq1’に写っている時計のついた塔と同じ。

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第一Armee通りから見たブドウ畑の丘。

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名物の菓子類:奥左からPave au chocolat, Pave Moka, Truffe Amande Moka,2行目 Pave au Miel, Pave au Citron, Truffe amande quetsche, Truffe amande franbaise, 3行目 Pave fleur d’oranger, Pave eclats pistaches, Delice au geranium.

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第一次、第二次大戦戦死者の碑。

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リクヴィルの丘のブドウ畑から見た村の風景;教会は、サンタ・マルゲリート(新教)。

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ウナヴィル付近にあったネットを被せたブドウ畑。

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ウナヴィル付近の風景。

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ウナヴィル。


リボヴィレ(Ribeauville)アルザス地方

フランス語の辞書を見ると、コルマール地方にある郡庁所在地、中世からの教会、建築物を多く残しているとある。郡(arrondissement)という区割りが、県(Departement)の下位行政区分にあることを知る。「Ville」というのは、「町」で、普通に使われるが、「Ville」とeにアクサンが付いているのは珍しい。どうしてなのだろうか。リボヴィRibeauville)という名前の別の小村があるので、それと区別するためだろうか。Riquewihrとは、直線で、6 km弱しか離れていない。Riquewihrより、町や道は広く、同様に美しいと思うが、ここは「フランスの最も美しい村」にはなっていない。そういうレッテルを付けなくても、充分やっていけるからかもしれないし、郡庁所在地は、「村」ではなく、その資格が無いのかもしれない。

メインの通りは1本しかないが、道幅は、近隣の村のそれに比べてかなり広い。土産物店もそこそこある。この道を、30分強ぐらい、ぶらぶらと往復しただけだったが、それなりに楽しめた。


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メイン通りの入口。

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通りの入口に近いところには、夕方6時で遅いが、かなりの人出がある。

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アルザス名物の菓子を販売する店があったので、購入する;ブレッツェル(Bretzel)は、8の字型の堅い、塩とクミンの種をまぶしたクラッカー;クグロフは、主人の前後と(小型)、写真左隅近くに(大型)、透明の袋に入っている。Rb5:大型のものを購入(8 Euro)。

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ジャンヌダルクの家がある;後で調べると、子供などの課外活動の場所で、名前だけ借用。

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アルザス名物のコウノトリを描いた誕生祝いの本がある。

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土産物店:陶器もアルザスの名物。

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コウノトリの巣のある家が見える。

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ワイングラス販売店;コウノトリ(cigogne)という名前のものもある。

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後方に3つの城がある:左は、Sant Ulrich城、頂上は、Giersberg、右は、Haut-Ribeaupierre

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町の宣伝:16才から29才、高校3年からBACの資格を取って5年までの、女子あるいは男子に海軍が職を募集している;海軍に女性が入るのは、普通なことだそうである。


●ストラスブール(Strasbourg)アルザス地方

 ライン川の支流の1つのイル川が、西から東へ流れるが、ストラスブール旧市街の入口で、2手に別れ、また出口で交わり、旧市街は、中洲になっていて、この地域は、ストラスブールのグランディル(GrandeIle de Strasbourg:大きな島)と呼ばれ、世界遺産にも登録されている。

 ストラスブ-ルは、どの案内書にも詳しく述べられているので、多言を要しないし、実質、行ったのは、ノートルダム大聖堂と、その展望台だけであった。ドイツから近いこともあって、日本人も結構来ている。              

[ノートルダム大聖堂(Cathedrale Notre-Dame)]

 12-15世紀にかけて建造された。度重なる火災で、ゴシック様式に改修されたが、一部、ロマネスク様式も残る。ミサが終わって、人形仕掛けを見ている際、隣にいた日本人から、昨日、2020年の東京オリンピック開催が決まったと教えてもらった。人形仕掛けは、多くの人が、見ていたが、高くて、距離があるため、何かよく分からぬ間に、終わった。西側正面入り口の尖塔は、高さ142 mで、中世につくられたものとしては最高で、北の塔の329段(案内書によっては、332段)の階段を昇ると、66 mの高さから、町や、ライン川やヴォ―ジュ山脈が見渡せるそうであるが、東方に見えるはずのライン川までは、注意して見なかった。


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イル川とサン・ポール教会:町の北東の川が分岐する中洲側にある。

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ノートルダム大聖堂前広場;正面は観光案内所;その左の黒い家は、ライン地方ルネッサンス式の家で、現在、一階はレストランなどになっている。

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ノートルダム大聖堂正面。

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聖堂内部。

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バラ窓。

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天使の柱。

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天文時計:12時半に時を告げ、人形仕掛けが動き、福音書家が進み出てキリストに挨拶する。

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66 mの展望台。

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展望台から見上げた、高さ142 mの尖塔。

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展望台からの風景(南西方向);中央の尖塔は、プロテスタントのサン・トーマス教会。

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展望台からの風景(西方向);南西から西方向にボージュ山脈が見える。

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展望台からの風景(東北方向);遠方の対の尖塔は、St1のサン・ポール教会。

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展望台からの風景(東北方向);欧州議会が見える。

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国立劇場;大聖堂から駐車した場所へ戻る時にある。


ヌフ・ブリザック(Neuf-Brisach)アルザス地方

コルマールから13 km、ライン川まで、4 kmぐらいで、従ってドイツとの国境近い。ヴォ―バンの設計した要塞都市で、見事に八角形をしており、中の道路は、碁盤目のようになっており、中心に広場がある。こんなに、形状が美しくできた都市を他に知らない。それで、ヴォ―バンの防衛施設群の1つとして世界遺産にもなっている。

観光案内所を訪れ、この都市の全景をポスターなどで見るが、どこに行けば見えるのかと聞いたら、空からでなければ見られないから、そこにあるポスターをあげると言ってくれた。驚いたことに、町に、ほとんど観光客がいないので、案内所も大変親切である。場内の半分と、場外を半周した。ここに限らないが、地元の人もあまり見えないし、店も少ない。一体どうやって生業を立てているのだろうかと思う。城の外は、畑が広がっているので、農業が主な職業かと想像する。世界遺産で、こんなに観光客の少ないところもそうはないだろう。

 [ヴォ―バンVauban1633-1707--Sebastien Le Prestre、後にLord von VaubanVaubanの領主)と言われる]

ヴォーバン領主セバスティアン・ル・プレストルは、フランス国王ルイ14に仕えた17世紀に活躍したフランスの軍人、建設技術者、建築家、 都市計画家。軍隊技術者の中でもっとも有名な人物として知られる。150の戦場の要塞を建設あるいは修理し、53の城塞包囲攻撃を指揮したといわれる。

彼は、Morvanの中心の、現在St-Leger Vaubanとして知られるSaint-Leger de Foucheretで生まれた。18歳の時に士官学校生となり、22歳で、王の技術軍団に受け入れられた。ルイ14世の多くの戦役の全てに参加した。そこでは、特に要塞の攻囲戦で、才能を発揮した。後に、彼が造城を行う際に、そこで得ていた経験を生かした。この貢献を認めて、王は1678年に、彼(45)を、造城の長官にした。以後、王の領地の全ての境界の要塞化の仕事に従事し、10余の防護システム、要塞、要塞化した町を造った。

1699年に造られた当地は、彼の最後の仕事となった。国の不屈の役人として1703年には、元帥に昇進した。彼の軍事方面の経歴以外に、生来、好奇心が強く、世界主義的であり、多くのこと、例えば、都市の建設(Neuf-Brisach)、建築、運河、農業、植民地、政治、宗教に関心を持っていた。これに関しては、St-Leger Vaubanの「Amis de la Maison Vauban」(Yonne県)やBazochesのXauban城(Nievre県)を訪問すると詳細が分かるそうである。ドイツのフライブルグ郊外都市にさえ、Vaubanというところがある。

なお、当地にヴォ―バン博物館があったが、誰も入っていないように見えた。


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観光案内所で得た要塞町を上空から見たポスター。

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要塞都市の平面図。

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ヴォ―バンの説明;一部の訳文は本文中にある。

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中央広場から見たヴォ―バン博物館方向を見る。

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ヴォーバン博物館。

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城内に入る入口。

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中央広場。

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中央広場。

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城の内堀;左が城内。


国境のライン川(Rhin)アルザス地方

日本では、ライン川と名前が定着しているが、フランス語では、Rhinと書き、「ラン」と発音する。ヌフ・ブリザックは、ドイツとの国境となっているライン川の橋から約4 kmの距離にある。対岸のドイツ側には、ブライザッハ・アム・マインがある。

ライン川は、国境の橋付近で中洲があり、そこは、休憩用の小さな公園になっているが、ほとんど人はいない。その手前のフランス側を流れる川は、ダムになっていてフランスの電力会社EDFが、水力発電を行っている。ドイツ側が、より幅の広い本流になっている。国境には、検問所は、全くないが、フランスからドイツ側に入る部分に監視カメラらしき装置がある。勿論、両方向の車が、監視できるが。

フライブルグへの往き帰りに、ここを通る。その間の時間間隔は、1220-1530分の約3時間で、その間、ドイツ側に居たことになる。生憎、この日も天気が悪く、その分、自分の印象も変わっているのだろう。


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看板にあった地図:○ ライン川国境;は、ColmarNeuf BrisachFreiburgに。

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国境付近:検問所は無いが、監視カメラのボックスが見える。

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発電用ダム;左が上流で、向こう側がフランス側。

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右手が上流;向こう側がドイツ;よく確かめなかったが、船の通行は、可能なのだろうか?

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上流側から下流を見る;向こう側はドイツ。

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中洲の公園;道の前方はフランス側。