●ヌフ・ブリザック(Neuf-Brisach)アルザス地方
コルマールから13 km、ライン川まで、4 kmぐらいで、従ってドイツとの国境近い。ヴォ―バンの設計した要塞都市で、見事に八角形をしており、中の道路は、碁盤目のようになっており、中心に広場がある。こんなに、形状が美しくできた都市を他に知らない。それで、ヴォ―バンの防衛施設群の1つとして世界遺産にもなっている。
観光案内所を訪れ、この都市の全景をポスターなどで見るが、どこに行けば見えるのかと聞いたら、空からでなければ見られないから、そこにあるポスターをあげると言ってくれた。驚いたことに、町に、ほとんど観光客がいないので、案内所も大変親切である。場内の半分と、場外を半周した。ここに限らないが、地元の人もあまり見えないし、店も少ない。一体どうやって生業を立てているのだろうかと思う。城の外は、畑が広がっているので、農業が主な職業かと想像する。世界遺産で、こんなに観光客の少ないところもそうはないだろう。
● [ヴォ―バン:Vauban(1633-1707)--Sebastien Le
Prestre、後にLord von
Vauban(Vaubanの領主)と言われる]
ヴォーバン領主セバスティアン・ル・プレストルは、フランス国王ルイ14世に仕えた17世紀に活躍したフランスの軍人、建設技術者、建築家、
都市計画家。軍隊技術者の中でもっとも有名な人物として知られる。150の戦場の要塞を建設あるいは修理し、53の城塞包囲攻撃を指揮したといわれる。
彼は、Morvanの中心の、現在St-Leger Vaubanとして知られるSaint-Leger de Foucheretで生まれた。18歳の時に士官学校生となり、22歳で、王の技術軍団に受け入れられた。ルイ14世の多くの戦役の全てに参加した。そこでは、特に要塞の攻囲戦で、才能を発揮した。後に、彼が造城を行う際に、そこで得ていた経験を生かした。この貢献を認めて、王は1678年に、彼(45歳)を、造城の長官にした。以後、王の領地の全ての境界の要塞化の仕事に従事し、10余の防護システム、要塞、要塞化した町を造った。
1699年に造られた当地は、彼の最後の仕事となった。国の不屈の役人として1703年には、元帥に昇進した。彼の軍事方面の経歴以外に、生来、好奇心が強く、世界主義的であり、多くのこと、例えば、都市の建設(Neuf-Brisach)、建築、運河、農業、植民地、政治、宗教に関心を持っていた。これに関しては、St-Leger Vaubanの「Amis de la Maison Vauban」(Yonne県)やBazochesのXauban城(Nievre県)を訪問すると詳細が分かるそうである。ドイツのフライブルグ郊外都市にさえ、Vaubanというところがある。
なお、当地にヴォ―バン博物館があったが、誰も入っていないように見えた。
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観光案内所で得た要塞町を上空から見たポスター。
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要塞都市の平面図。
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ヴォ―バンの説明;一部の訳文は本文中にある。
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中央広場から見たヴォ―バン博物館方向を見る。
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ヴォーバン博物館。
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城内に入る入口。
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中央広場。
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中央広場。
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城の内堀;左が城内。
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