オッセイユの洞窟(Grotte d’Osselle)フランシュ・コント地方

宿泊していたB&Bに置いてあるパンフレット類の中に、この洞窟のパンフレットがあり、フランスでは、洞窟と言えば、ラスコーの洞窟の、しかも、そのコピーぐらいしか入ったことがないので、比較的近いので、Arc-et-SenansSalins-les-Bainsの後に、多少、時間があったので、行ってみた。ブザンソンから、15 kmとのことである。着いたのが、515分ぐらい前だったが、未だ開業中で、案内方式なので、今、入っている人たちが戻るまで待てということで、切符を購入して待つ(17.5 Euro)。9月は、最後の出発が、5時と書いてあるので、ぎりぎり間に合った。売店と喫茶店も兼ねていて、脇には、ドーブ川が流れている。オッセイユの中心は、川を隔てて、向こう側であったが行く理由もないので、その売店を兼ねた入口に、いろいろな鉱物の写真と説明があったので、それを眺めていた。ここは、多分、私営の施設と思うが、一応、博物館という立場で、こういうものを展示しているのだと思う。

やがて、先の見学者が出てきて、我々の番になったが、案内者は、出てきたばかりの人で、入場者はもう1組のフランス人と我々だけで、計4名+案内人であった。お茶などを飲んだり、その辺りに居た人は、すでに見ているのか、唯、お茶だけを飲みにきたのか分からない。説明は、フランス語で、日本語でも鉱物の名前などは分からないから、フランス語は全く分からない。ただ、見事な景色を眺めて、写真を撮るだけであった。今まで、ヨーロッパで、あちこち洞窟を見て、中には、地底湖で、ボートに乗ったこともあったし(オーストリアとベルギー)、世界一長いと称するハンガリーとスロヴァキアの国境付近のものにも入ったことがあるが、洞窟は、入ってみると、素人には、どれも景色は変わらず見事だと思う。ここは、全長約2 kmあり、1 kmのところまで、案内し、そこから戻って来ることになっているので、計2 km歩くことになり、温度は、(年間)13?Cである。

当洞窟の説明は、フランス語で書いてあるパンフレットを訳してみた。<Osselleの洞窟は、その自然の美しさ、石筍、鍾乳石、色彩、地質学の現象、その歴史と先史時代の宝物として、世界で最もすばらしいものに属する。13世紀に発見され、1504年以来、訪問客が入れるようになって、この洞窟は、ギリシャのAntiparosの洞窟と共に、最も古い観光に供されている洞窟である。Gollut(1535-1595)が、次いでBucklandが、1826年に洞窟の中で、クマの完全な骨格を発見し、大英博物館に展示した(Silliman: American Journal of Sciences and Arts, 7月号、1828)。ロンドンの王立協会と古生物学の創始者のフランス人George Cuvier1769-1832)が、この洞窟を世界的に有名にした。2000-3000の熊の骨格が見つかった。>

入口にある鉱物の写真のファイルは、約50枚あったが、全部の写真を撮った。その中で、チャクラChakra)を描いた人体図がある。私は、この概念を知らなかったが、約10個の鉱物のファイルには、それがChakraと関係あるようなことが書いてある。まだ、全く理解していないが、これらの対応する鉱物(宝石類?)を持っていると、その部分の健康のお守りになるということなのだろうか。


画像をクリックすると大きくなります
Go1
Go2
Go3
Go4
Go5
Go6
Go7
Go8
Go9
Go10
Go11
Go12
Go13
Go14
Go15
Go16
Go17
Go18
Go19
Go20
Go21
Go22
Go23
Go24
Go25
Go26
Go27
Go28

Go1

洞窟の案内パンフレット。

Go2

洞窟入口の案内表示。

Go3

切符売り場は土産物店を兼ねている。

Go4

洞窟なので、鉱物や宝石類を販売;パスツールは、近くのドール(Dole)生まれ。

Go5

入場券売り場から見た下の道路と、ドゥー川(Doubs)。

Go6

ドゥー川。

Go7

チャクラ(Chakra)の位置。

Go8

めのう; chakra de la gorge:喉。

Go9

アメジスト:chakra coronal:前頭骨。

Go10

アラゴナイト:胸、心。

Go11

アベンチュリン:胸、心。

Go12

Calcite miel :仙骨;calciteは方解石(CaCO3)、mielは蜂蜜で、色を表すのだろうか。

Go13

Calcite rouge(赤いカルサイト): Chakra de base:基部;Calcite verte(緑のカルサイト): Chakra du coeur:心。

Go14

 |

Go28

洞窟内部;Go1は、洞窟で多数発見されたクマの骨格標本。


モンベノワ(Montbenoit)フランシュ-コンテ地方

モンベノワという名称は、Benoitという隠遁者に因んで、昔付けられたそうである。そして、この隠遁者の名前は、近隣の、当時、そう呼ばれていたBenoit山から名付けられた。今回、この地を訪問したのは、「フランスの彩り」に、必見の地として、ドゥー(Doubs)川の滝が紹介されているので、そこに行く途中に立ち寄ったからである。当地は、スイスとの国境に近く、その面積は、5km2で、人口は、1999年には、219名であったのが、2008年には、365人、2011年には393人と増加している。ドゥー川は、Jura山脈に発し、この付近では、北方向に流れているが、しばらく行って、西南の方向に向きを変え、ブザンソンなどを通って、ソーヌ川に合流する。

「地球の歩き方」には、当地の説明は全くないが、ドゥー川の滝への行き方を調べているうちに、この地に、ソジェ共和国La Republique du Saugeais)という国があることを知り、面白いので、どんな所か、どんな様子なのかを知りたくて立ち寄った。ただし、この共和国に関するウイキペディアの情報では、<国連加盟国193カ国及びバチカン市国の中で、ソジェ共和国を承認する国は、今のところ未だない>と書いてある。行ってみると、特に変わったところも無く、独立国という雰囲気も全くなく、観光案内所には、若い男性と女性職員がいて、そのことに関して聞いたら、そういう存在を認めていたが、特に、説明はしてはくれなかった。男性の職員は、これから行く予定のドゥー川の滝への近づき方(車と、船で行く場合の比較と、船の場合の頻度など)などを親切に説明してくれた。観光客は、その時、誰もおらず、その女性職員が、横にある、修道院の鍵を開けて、周り方や、出口からの出方を説明してくれた。入場は、無料なのに、入場希望者ごとに、鍵を開けてくれるようで、それだけ、観光客が少ないのかもしれない。

12世紀に、ブザンソンの大司教のHumbertが建てたもので、由緒ありげな修道院である。名称は、モンベノワ修道院という。最初は、Columbanusの規則(宗規)に従い、後に、聖アウグスティヌスAugustine(354-430)の規則に従うようになったという。信者でもない自分には分からないので、ウイキペディアで調べてみたが日本語では両方とも出ていない。前者は、罪の意識を持ち、「告白」することを奨励することを大切にしたらしい。後者は、現在でも、主流の宗規らしいので、私の訳が間違っているといけないので、英語の説明をまず記す。<The Rule governs chastity, poverty, obedience, detachment from the world, the apportionment of labour, the inferiors, fraternal charity, prayer in common, fasting and abstinence proportionate to the strength of the individual, care of the sick, silence and reading during meals.> 要訳すれば、「純潔、清貧、従順、世俗からの脱離、労働の分配、弱者、友愛、協同の礼拝、個人の力に応じた断食と禁欲、病人達の看護、食事中の沈黙と読書」を、この宗規は、(大切にせよと)規定している。食事中の沈黙と読書の項以外は、交流のなかった日本の伝統的道徳規範とも、ほぼ一致していることは大変興味深い。食事中の沈黙と読書は、修道士にとっては、重要な規律だったのであろう。修道士は、食事しながら、無言で、読書していたとは、知らなかった。

ソジェ共和国に関しては、村の掲示板に以下のような説明があった。

1947年、ドゥーの知事(Le prefet)が、当時、ジョージ・プルシェ(Georges Pourchet)夫妻所有の「修道院の宿坊(Auberge de l’Abbaye)」に行った。宿主は、知事に尋ねた。「貴方は、ソジェに入る通行許可書を持っておられますか?」

知事は、微笑み、Pourchet氏は、「ソジェは、XII世紀以来、小さな自治領(territoire)です」と、知事に説明した。

知事は、面白がって、Pourchet氏を、“ソジェ共和国”の大統領president)に任命した。このことは、本事になり、11のコミューンからなるこの小さな領域を昇格させる実行に移される。

1972年には、Gabrielle Pourchet夫人は、夫の死を受け継いで、2005年に亡くなるまで、ソジェの為に、次のようなことを実行した;切手の発行、お札の発行,….ソジェ国歌をつくるまでになった。その娘、Georgette Bertin-Pourchet氏は、2名の税官吏、1名の首相、1名の事務局長(Secretaire General)、12名の大使、300名以上の市民を、母から受け継いでいる。>

国旗の説明:<左上:司教の杖、すなわち大修道院長の権力、右上:騎士の兜、すなわち、ジュ―渓谷の諸侯の保護、左下:ソジェの樅の木、右下:牧草地を流れるドゥー川>を表している。どこまで、フランスが公式に認めているのか分からないが、観光振興目的の手段と考えているのだろう。しかし、案内所では、ほとんど説明してくれなかった。上記の文はその時、読まずに、ただ、写真に撮っただけだったので、内容は分からなかったが、もし分かっていれば、せめて、お札と切手は購入したかったと残念に思う。言い出した、初代大統領のPourchet氏が、ホテルの主で、フランスも少なくとも、公式に、承認しないとは言ってしていないから、観光促進を意図した村起こし事業なのだろう。しかし、9月の土曜の昼間なのに、観光客や、村民の人影は、ほとんど見られない。当地は、日本人はほとんど行かないようで、ネットで、日本人による旅行記は、まだ無い。


Mb1
Mb2
Mb3
Mb4
Mb5
Mb6
Mb7
Mb8
Mb9
Mb10
Mb11
Mb12

Mb1

Montbenoitの位置;近くに、日本の方に、おなじみのような所はない;ドゥー滝見物の船の発着所は載っているが、滝は、さらに北にある;Joux城もある。

Mb2

村の中心、観光案内所の隣にある「モンベノワ修道院」。

Mb3

修道院入口;?(まぐさ)には、ラテン語で、‘Vos estis lux mundi’(あなたは、この世の光である:マタイによる福音書第5章)と書いてある。

Mb4

修道院中庭。

Mb5

修道院内教会。

Mb6

Mb7

Mb8

修道院の右隣の、観光案内所;遠くに見える土産物屋の看板は「オ・シャレ(Au chalet):「山小屋あるいは、山小屋風別荘」というのも面白い;日本でも、通用する店名ではある。

Mb9

観光案内所の右隣の、村役場;この大きな建物に、何人勤務しているのだろうか。

Mb10

ソジェ共和国の成り立ちの説明。

Mb11

ソジェ共和国の旗。

Mb12

‘Auberge de l’Abbaye’と、あるから、ソジェ共和国大統領家の経営するホテルで、大統領も、住んでいるのであろう;この建物も、修道院、観光案内所、村役場と同じ広場にある。ここに入れば、切手などを購入出来たのだろうか。


ロンシャン(Ronchamp)フランシュ・コンテ地方

[ロンシャン礼拝堂(La Chapelle de Ronchamp]

 ロンシャンには、近代建築の父と呼ばれるスイス生まれのル・コルビュジェLe Corbusier: 1887-1965)が丘の上に建てたロンシャン礼拝堂がある。別の言い方をすれば、これ以外に、わざわざ見に来るようなものは無い。礼拝堂の正式の名前は、ノートルダム・デュ・オーNotre-Dame du Haut)で、オー(Haut)は、高所を意味する。最寄の駅から約2 kmあるそうで、タクシーなしで訪問するのは大変だが、日本でも有名なので日本人が、3名は、訪問していた。我々は、ロレーヌ地方のホテルから、フランシュ・コンテ地方のB&Bへの移動中立ち寄った。ロレーヌのホテルの南方、直線距離で約70 kmの距離にある。

私の友人で建築を専攻し、竹中工務店に勤務していた人がいるが、この辺鄙な所に来ていたと聞いた。建築の専門家にとってはメッカ的存在なのだろう。フランスでは、原則、教会の入場料は無料であるが、ここは、入場料がいる。言い換えれば、ランスのフジタの礼拝堂同様、信仰の対象というよりも、むしろ芸術作品としての観光の対象であろう。

 彼の功績は、鉄筋コンクリートを利用し、装飾のない平滑な壁面処理、合理性を信条としたモダニズムであると言われる。従来の、石積みレンガ積に代えて、スラブ(鉄筋コンクリート製の厚い床板)、それを支える柱、階段のみが、建築の主要要素だとするドミノシステムを考案した。住宅を大量生産するために考案されたもので、後に鉄筋コンクリートの構造をプレハブ化するシステムとして具体化された。この礼拝堂は、晩年の1955年に完成されたもので、彼の代表作の1つとされ、造形を特に強調し、それまで主張してきたモダニズム建築からかけ離れたところが注目される点だそうである。

 彼は、フランス、インド、スイスなどで活躍したが、国立西洋美術館の基本設計も行っている。すなわち、195511月に8日間、来日し(生涯、来日はこの時のみ)、56年に基本設計案、57年に実施設計案を日本に送る。実施設計は、弟子の、前川國男、板倉準三、吉阪隆正が担当した。彼の作品一覧を並べたポスターの最左端の下から3番目が、この美術館である。

 人里離れて丘の上に建っているので、教会自体も映えて見えるし、神々しい感じもするし、周囲の景色もよい。フランスでは白壁の教会は、他に、ほとんどない。残念ながら、曇っていたが、これが晴れていれば、教会を含めて、さらに素晴らしい景色が見渡せただろう。


Rc1
Rc2
Rc3
Rc4
Rc5
Rc6
Rc7
Rc8
Rc9
Rc10

Rc1

ロンシャン礼拝堂外観;屋根が舟の形状をしているのは、ノアの方舟をイメージしていると思われる。

Rc2

Rc3

Rc4

Rc5

Rc6

礼拝堂。

Rc7

Rc8

Rc7の外側。

Rc9

資料展示室にあるル・コルビュジェの作品一覧;左端の下から3番目が国立西洋美術館。

Rc10

礼拝堂のある丘から、下を眺めた風景。


ドゥー川の滝(Saut du Doubs)フランシュ・コンテ地方

ドゥー川の水源は、ジュラ山脈西側のフランシュ・コンテ地方、ドゥー県のMouthe付近に源を発し、北東に進み、フランスとスイスの国境を40 kmにわたって形成する。モンベリアル近郊で、進路を南西に変え、Verdun-sur-le-Doubsで、ソーヌ川に合流する全長453 kmの川で、途中、ブザンソンなどを通る。

日本の観光書類には出ていないが、スイスとの国境に、ドゥー川の滝がある。「標高差27 m目もくらむ滝がある。」と観光パンフレットに書いてある。日本には、いくつも滝があるし、アイスランドでは、いろいろな形の滝をいくつも見てきたが、フランスで滝と名乗るほどの滝は、見たことがないので、どんなものかと行ってみることにした。手前のモンベノワ(Montbenoitの観光案内所で、聞いたところ、船で行く方法と、車で行って、2 kmほど歩いて行く方法があるが、船で行った方が、近くで滝を見られるというので、船で行けば、ナイアガラの滝のように、船が、そのまま滝壺近くまで行くのかと思った。しかし、これは違っていて、結局、どちらで行っても、最後は、陸からしか近づけないことが、行って見て分かった。毎時ごとに出るというので、16時発の船に乗る積りで行く。途中、川べりの道を通るが、川の向こう側の崖の地層が、露わになっているところがあり、ちょっと面白いので、車を停めて、200 mほど歩いて眺める。車はほとんど通らない。船の発着所は、土産もの売り場にもなっているが、そこで、16時発の運航を確かめて切符を購入する。出発まで、30分近く時間があったので、町を歩いてみる。今まで走ってきた道からは想像できない町があって意外であった。先方に見える教会まで行ってみようと歩いたが、往復するのは、無理と分かり、時間までに帰って、ボートに乗り込む。数組しかいないので、これで営業が成り立つのか心配しながら、デッキで待ったが、放送があり、乗り込む団体のバスが遅れているから待つように言われ、結局、出発は1時間近く遅れて午後2時に出発したが、バスが2台来たので、ほぼ、満員になる。

行きは、曇っていたが、雨は降っていなかったので、船の甲板の席に出て、辺りの景色を見る。川はスイスとの国境を船の進行方向に流れていて、右手がスイス、左手がフランスになる。最初は平たんな眺めであったが、そのうち、両岸とも、岩も壁の上に森林がある風景になる。約1時間で、目的地に着き、そこから徒歩で、10分弱歩いて滝を見る。最初は、滝から遠くの高台の見晴台から、眺めるが、最初から、落差は27 mと分かっていて、感動するような滝ではない。右手に行くと、より近く見られるが、自分は1人で、左手から川の岸辺に降りて、正面から眺めて写真を撮る。妻は、普通のコースで、右手の道から、滝に近づく。

モンベノワの案内所では、「船で行った方が、近くで見られる」と言ったと解したが、滝自体は、車で行き、歩いても、同じ場所に来れるから、「船で行った方が、歩かないで見られる」という積りだったと分かった。川の流れる方向をよく頭に入れておけば、上流から船で行って滝が見られるわけがないのだが、奥地に行くので、途中で、車から降りて川の流れを見ているにも関わらず

上流に向かって船が航行するものと勘違いしていた。実際、ドゥブ川は、地図(Sd1’)で示すように、変則的な流れをしている。

帰路の船は、同じコースを戻るが、雨が、降りだしたので、皆、上の甲板から下の客室に移動した。雨が降っても、牛は構わず、草を食べていた。


Sd1
Sd2
Sd3
Sd4
Sd5
Sd6
Sd7
Sd8
Sd9
Sd10
Sd11
Sd12
Sd13
Sd14
Sd15
Sd16
Sd17
Sd18
Sd19

Sd1

ドゥー(Doubs)川;乗船場(2: Villers-le-Lac)から滝(3: Saut du Doubs)まで約5 km

Sd2

滝に向かう途中の、ドゥー川の船乗り場(Villers-le-Lac)の手前;地層が面白いので、車を停めて、歩いて眺める;川は車の進行方向に流れているから、滝は、この下流にある。

Sd3

Sd4

船乗り場の街(ビレー・ル・ラーク:Villers-le-Lac);突如として、街がある。

Sd5

船乗り場。

Sd6

乗船切符売り場。

Sd7’

乗船券を購入する際に得たパンフレット;左下と右上の赤線が、それぞれ、出発、到着点。

Sd8

乗船場。

Sd9

フランス側(川の左岸)の風景。

Sd10

右側の岩にスイスの国旗が見える;前の船は違う場所から出発している。

Sd11

左側は、フランス。

Sd12

滝の見物用高台;傘をさしている人もいるから、小雨模様だったのだろう。

Sd13

高台から見た滝。

Sd14

川岸近くから見た滝。

Sd15

より近くから見た滝。

Sd16

下船場所と同じところで、帰りの船を待つ。

Sd17

スイス側の家(ホテル兼レストラン?)。

Sd18

雨が降り出す;右側がフランス側。

Sd19

フランス側では牛が牧草を食べている;茶と白模様なので、ガーンジー(Guernsey)種か。