●モンベノワ(Montbenoit)フランシュ-コンテ地方
モンベノワという名称は、Benoitという隠遁者に因んで、昔付けられたそうである。そして、この隠遁者の名前は、近隣の、当時、そう呼ばれていたBenoit山から名付けられた。今回、この地を訪問したのは、「フランスの彩り」に、必見の地として、ドゥー(Doubs)川の滝が紹介されているので、そこに行く途中に立ち寄ったからである。当地は、スイスとの国境に近く、その面積は、5km2で、人口は、1999年には、219名であったのが、2008年には、365人、2011年には393人と増加している。ドゥー川は、Jura山脈に発し、この付近では、北方向に流れているが、しばらく行って、西南の方向に向きを変え、ブザンソンなどを通って、ソーヌ川に合流する。
「地球の歩き方」には、当地の説明は全くないが、ドゥー川の滝への行き方を調べているうちに、この地に、ソジェ共和国(La Republique du Saugeais)という国があることを知り、面白いので、どんな所か、どんな様子なのかを知りたくて立ち寄った。ただし、この共和国に関するウイキペディアの情報では、<国連加盟国193カ国及びバチカン市国の中で、ソジェ共和国を承認する国は、今のところ未だない>と書いてある。行ってみると、特に変わったところも無く、独立国という雰囲気も全くなく、観光案内所には、若い男性と女性職員がいて、そのことに関して聞いたら、そういう存在を認めていたが、特に、説明はしてはくれなかった。男性の職員は、これから行く予定のドゥー川の滝への近づき方(車と、船で行く場合の比較と、船の場合の頻度など)などを親切に説明してくれた。観光客は、その時、誰もおらず、その女性職員が、横にある、修道院の鍵を開けて、周り方や、出口からの出方を説明してくれた。入場は、無料なのに、入場希望者ごとに、鍵を開けてくれるようで、それだけ、観光客が少ないのかもしれない。
12世紀に、ブザンソンの大司教のHumbertが建てたもので、由緒ありげな修道院である。名称は、モンベノワ修道院という。最初は、Columbanusの規則(宗規)に従い、後に、聖アウグスティヌス(Augustine(354-430))の規則に従うようになったという。信者でもない自分には分からないので、ウイキペディアで調べてみたが日本語では両方とも出ていない。前者は、罪の意識を持ち、「告白」することを奨励することを大切にしたらしい。後者は、現在でも、主流の宗規らしいので、私の訳が間違っているといけないので、英語の説明をまず記す。<The Rule governs chastity, poverty, obedience, detachment from the
world, the apportionment of labour, the inferiors, fraternal charity, prayer in
common, fasting and abstinence proportionate to the strength of the individual,
care of the sick, silence and reading during meals.> 要訳すれば、「純潔、清貧、従順、世俗からの脱離、労働の分配、弱者、友愛、協同の礼拝、個人の力に応じた断食と禁欲、病人達の看護、食事中の沈黙と読書」を、この宗規は、(大切にせよと)規定している。食事中の沈黙と読書の項以外は、交流のなかった日本の伝統的道徳規範とも、ほぼ一致していることは大変興味深い。食事中の沈黙と読書は、修道士にとっては、重要な規律だったのであろう。修道士は、食事しながら、無言で、読書していたとは、知らなかった。
ソジェ共和国に関しては、村の掲示板に以下のような説明があった。
<1947年、ドゥーの知事(Le prefet)が、当時、ジョージ・プルシェ(Georges
Pourchet)夫妻所有の「修道院の宿坊(Auberge de l’Abbaye)」に行った。宿主は、知事に尋ねた。「貴方は、ソジェに入る通行許可書を持っておられますか?」
知事は、微笑み、Pourchet氏は、「ソジェは、XII世紀以来、小さな自治領(territoire)です」と、知事に説明した。
知事は、面白がって、Pourchet氏を、“ソジェ共和国”の大統領(president)に任命した。このことは、本事になり、11のコミューンからなるこの小さな領域を昇格させる実行に移される。
1972年には、Gabrielle Pourchet夫人は、夫の死を受け継いで、2005年に亡くなるまで、ソジェの為に、次のようなことを実行した;切手の発行、お札の発行,….ソジェ国歌をつくるまでになった。その娘、Georgette Bertin-Pourchet氏は、2名の税官吏、1名の首相、1名の事務局長(Secretaire
General)、12名の大使、300名以上の市民を、母から受け継いでいる。>
国旗の説明:<左上:司教の杖、すなわち大修道院長の権力、右上:騎士の兜、すなわち、ジュ―渓谷の諸侯の保護、左下:ソジェの樅の木、右下:牧草地を流れるドゥー川>を表している。どこまで、フランスが公式に認めているのか分からないが、観光振興目的の手段と考えているのだろう。しかし、案内所では、ほとんど説明してくれなかった。上記の文はその時、読まずに、ただ、写真に撮っただけだったので、内容は分からなかったが、もし分かっていれば、せめて、お札と切手は購入したかったと残念に思う。言い出した、初代大統領のPourchet氏が、ホテルの主で、フランスも少なくとも、公式に、承認しないとは言ってしていないから、観光促進を意図した村起こし事業なのだろう。しかし、9月の土曜の昼間なのに、観光客や、村民の人影は、ほとんど見られない。当地は、日本人はほとんど行かないようで、ネットで、日本人による旅行記は、まだ無い。
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Montbenoitの位置;近くに、日本の方に、おなじみのような所はない;ドゥー滝見物の船の発着所は載っているが、滝は、さらに北にある;Joux城もある。
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村の中心、観光案内所の隣にある「モンベノワ修道院」。
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修道院入口;?(まぐさ)には、ラテン語で、‘Vos estis lux mundi’(あなたは、この世の光である:マタイによる福音書第5章)と書いてある。
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修道院中庭。
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修道院内教会。
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修道院の右隣の、観光案内所;遠くに見える土産物屋の看板は「オ・シャレ(Au chalet):「山小屋あるいは、山小屋風別荘」というのも面白い;日本でも、通用する店名ではある。
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観光案内所の右隣の、村役場;この大きな建物に、何人勤務しているのだろうか。
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ソジェ共和国の成り立ちの説明。
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ソジェ共和国の旗。
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‘Auberge de l’Abbaye’と、あるから、ソジェ共和国大統領家の経営するホテルで、大統領も、住んでいるのであろう;この建物も、修道院、観光案内所、村役場と同じ広場にある。ここに入れば、切手などを購入出来たのだろうか。
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