クリュニー(Cluny)ブルゴーニュ地方

クリュニーは、重要な場所であるが、ちょっとしたミスなどもあって、ほとんど見られずに終わってしまった。この日は、フランシュ-コンテ地方のB&Bから、ブルゴーニュ地方の西に属するホテルの移動日であったが、かなり南のベルゼ・ラ・ヴィル(Berze-la-Ville)にも立ち寄ろうと計画した。クリュニーの観光案内所には、12時少し過ぎに着いた。ここで、一番の見どころは、この観光所の中から上るチーズの塔Tour des Fromages)からのクリュニー修道院の全体の眺めであることは、「地球の歩き方」にも書いてあるのを、その時忘れていたというより、観光案内所から、そこに入ることが、頭に入っていなかった。それで、まず、一旦、街に出てから、ここに戻ってきたら、案内所は昼の休憩に入って閉まっていた。案内所に入った際、何故、もうすぐ閉まるから、先に、塔に上れと教えてくれなかったのか残念である。観光案内所は、空いているところは、大体は親切だが、中には、不親切で、感じの悪い人もいる。この案内嬢は、不親切と言うよりは、少し気が利かないのだろう。再度開くまで、2時間近く待つのも、時間の無駄と思い、8 kmぐらい南にあるベルゼ・ラ・ヴィルに行って、帰りにまた寄ろうと思ったが、そこも、また昼休みで、2時まで、待たねばならず、時間を要し、行先のホテルも初めてなので、6時過ぎまでには着きたいので、結局、ここには、立ち寄らずに、終わってしまった。クリュニーから、泊まるホテルまでは、直線で測っても、約110 kmある。

修道院は、他でも見ているし、中に入るつもりは、あまりなかった。聖堂は3期にわたって建設され、最後のものは、長さ187 mもあったそうであるが、フランス革命時の修道院破壊運動により、壊され、わずかに残るのみだそうである。


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クリュニーと、ベルゼ・ラ・ヴィルの位置関係;泊まるホテルは、北の地図の大分範囲外。

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街の地図;観光案内所(チーズの塔)から修道院は、すぐ前;cloitreは修道院(中庭)

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チーズの塔;右下が、iの入口。

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修道院入口。

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修道院前の広場。

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修道院前の広場、先方は、ホテル兼レストラン;観光客は少ない。

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街で売っていた、香のする石;人工なのか、自然なのか、購入してみるべきであった。


ディジョン(Dijon)ブルゴーニュ地方

 ディジョンは、ブルゴーニュ地方(Region de Bourgogne)の州都である。

ディジョンは、14-15世紀には、独立していたブルゴーニュ公国の首都であった割には小さな町であると感じた。

[ブルゴーニュ大公宮殿(Palais des Ducs et des Etats de Bourgogne)、特に美術館(Musee des Beaux-Arts]

ブルゴーニュ公国の宮殿で、17世紀にマンサールによって設計された。現在、左側(西側)が市役所で、右側(東側)は、ディジョン美術館Musee des Beaux-Arts)になっている。

 宮殿の中央にあるフィリップ善良公の塔からは、ディジョンの町が見えるそうであるが、これを見過ごしたのは、大変残念であった。

 美術館で貰ったパンフレットには、次のようなことが書いてある(仏文私訳)

 <ブルゴーニュのフィリップ善良公は、彼の公国の首府に1450年頃、彼が建立したホテルに皆様をお迎えいたします。皆様は、そこで、中世、ルネサンス期の14の最初の部屋を見られるでしょう。それらは、2008年から2013年までに、改装されました。古代から現代まで取りそろえた中で、大部分が修復された約500の傑作が、5世紀から16世紀にわたる時代にわたって展示しています。訪問コースでは、16世紀から20世紀の蒐集が続きます。修復は、2015年に再度始まり、美術館は2018年に完全に改装される予定です。>

 フランスの美術館の中で、第1級といわれるだけあって、多くのすばらしい作品がある。ディジョンは、一時は、王家と勢力を分けた豊かなブルゴーニュ公国の中心地だけあって、多くの美術品が集まっているのであろう。ここに写真を示す作品は、ある意味、勝手に、任意に選んだものに過ぎない。

[サン・ミシェル教会(Eglise St-Michel]

リベルテ通りの突き当りにある15-16世紀の教会で、突き当りにあるので、次のサン・テチエーヌ教会が、目立たないのとは対照的である。ゴシック様式とルネサンス様式の混合が特徴で、正面のタンパンに、「最後の審判」がある。

[サン・テチエーヌ教会(Eglise St-Etienne)とリュード美術館(Musee Rude]

サン・エチエーヌ教会は、サン・ミシェル教会の右横に、広場を囲むように直角に建っている。そして、その教会のトランセプト(transept:交差廊)と内陣(choeur)が、リュード美術館になっている。見た範囲の日本の案内書には、地図上にこの教会の存在も示していないし、この美術館の記述もない。多分最近整備されたためだろう。それにしても、この教会の建物は、存在していたから、何か、元になった書物に表記がなかったためかと想像する。したがって、訪問した時は、偶然、入り、面白い彫像が並んでいるので写真を撮り、帰国してから下記のURLを見て、その内容を把握できた。しかも、教会の一部の為か、入場は無料であった。

フランソア・リュードFrancois Rude (1784-1855))は、日本ではあまり知られていないと思うが、ディジョン生まれの彫刻家で、作品を見ると、大変有能な彫刻家であることが分かり、フランスでは有名である。そのためか、多くの人が来ている。パリの凱旋門にある彫刻は、彼の作品であることを、この地で初めて知り、自分の無知を恥ずかしく思う。ここにある作品は、大部分、コピーらしいが、彫像に関しては、本物とそのコピーには違いがあるわけではないと思う。

http://mba.dijon.fr/musee/nef/histoire-l-eglise-saint-etienne

[ノートルダム教会(Eglise Notre-Dame]

この教会については、簡単なフランス語(その英訳)の説明が、ネットに出ているので、その英訳を示す。

 “A masterpiece of Gothic architecture, Dijon’s Notre Dame Church was built in the 13th century. The extraordinary facade is made of very fine, thin columns and fake gargoyles. The two symbols of Dijon are found on this church.”<私訳:ゴシック建築の傑作、ノートルダム教会は、13世紀に建てられた。異様な正面は、非常に薄い柱と見せかけのガーゴイル(怪獣の形をした雨水の落とし口)でできている。この教会にはディジョンの2つのシンボルが見られる。> そしてその1つのシンボルが、「ディジョンのフクロウLa Chouette de Dijon: The Owl of Dijon)」である。もう1つは、「時打ち人形」である。このフクロウについては、次のように書かれている。

 “Sculpted into a buttress, the Owl had to be restored (and put under video surveillance) after its shocking vandalization in 2001. Very worn, it brings good luck when you touch it with your left hand while making a wish. You can see owl friends of this Dijonnaise mascot all over the city, particularly on the ‘Owl Trail’ ”.<私訳:控え壁に彫刻されたフクロウは、2001年のショッキングな破壊行為の後、修復しなければならなかった。(そしてヴィデオの監視下に置かねばならなくなった。)もし、願い事をしながら、左手でこれを触ると、この非常に磨滅したフクロウは、幸運をもたらしてくれる。このディジョンのマスコットのフクロウの同類たちは、この町のいたるところ、特に「フクロウの道」で、見られる。>

 この意を解して、「幸福のフクロウ」と「地球の歩き方」に書いてあるが、フランス語のネットでは、「ディジョンのフクロウ」、「ノートルダム教会のフクロウ」、「2001年の後のフクロウ」などと書かれている。また、「地球の歩き方」には、右手で金製のものを触りながら左手で。。。」と書かれているが、そのようなこともフランス語の説明には、書いてないようだ。


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サン・ミッシェル教会。

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1860年頃の劇場()とサン・ミッシェル教会の絵;リュード美術館にあった絵。

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サン・ミッシェル教会()とサン・テチエンヌ教会()のパンフ。

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ナポレオン像:フランソワ・リュードFrancois Rude)作;サン・テチエンヌ教会内のリュード美術館(Dj4-6);オリジナルは郊外のFixinParc Noisotにある。

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踵についた小翼を結び直すメルクリウス(ローマ神話) =ヘルメス(ギリシャ神話)。

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ジャンヌ・ダルク像。

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オリジナルは、パリの凱旋門にあるラ・マルセイエーズ(La Marseillaise)の像。

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修復中(?)のサン・テチエンヌ教会。

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ブルゴーニュ大公宮殿:中央の塔はフィリップ善良公の塔(高さ46 m)

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宮殿内の美術館(Musee des Beau-Arts)のパンフレット:フィリップ善良公の画。

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パンフレットの説明:私訳は本文中にあり。

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同美術館内の概要図;4階(フランス流では3階)まである。

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歴代ブルゴーニュ公の墓;衛兵の間(Salle des Gardes):奥が、フィリップ豪胆公、手前が、ジャン無畏公とマルゲリート・バヴィエール(Marguerite Baviere)。

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嘆きのピエタ:16世紀初期の作品。

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Dijonの司教のタピスリー(1513):スイス製。

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キリストの誕生(La Nativite(1420-25):Robert Campin作。

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ブサダ(Bou-Saada:アルジェリアの町)の若い女 (1890)Louis-Ernest Barrias(1841-1905);このブロンズのコピーは、アルジェリアを何度も訪問したGustave Guillaume(1840-1887)のモンマルトルの墓にある。

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ヘラクレスとリカス: Antonio Canova(1795-1815);ヘラクレスは、美女イオレを捕虜にし、それを知った妻デヤネイラは、嫉妬し、ヘラクレスの従者リカスに毒のついた服をヘラクレスに持たせたので、ヘラクレスは、ひどく苦しみ、怒り、何も知らないリカスをエーゲ海に投げ込み、石にした;カノーヴァは心の中にある最も残酷な部分を表現した。

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眠れるヴィーナス:Dirk de Quade van Ravesteyn作。

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アダムとイヴ:Guido Reni(1575-1642)1620年頃の作;1809年ルーヴルから送付。

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海より出ずるヴィーナス(Venus anadyomede):Etienne-Jules Ramey(1796-1852)作;ヴァチカンのVenus Falconierのコピー。

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メジチ家のヴィーナス(Venus de Medicis):Antoine-Henri Bertrand作;フローレンスのウフィッツ美術館のコピー。

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へーべ(Hebe:ギリシャ神話の青春の美の女神)とジュピター(ローマ神話=ゼウス(ギリシャ神話))のワシ(作:1852-57)F. Rude作、P. Cabet完成。

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若いゼフュロス(Zephyr:ギリシャ神話の西風の神):ピエール-ポール・プリュードン(Pierre-Paul Prud’hon(1758-1823))作。

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リュード広場;Rudeは、先に示した当地出身の彫刻家。

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お祭りなのか、民族衣装の女性が、リュード広場近くに見られた(2013915())

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道案内のフクロウのマークが道路にある。

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ノートルダム教会;上方に、2列のガーゴイルが、見える。

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左手にノートルダム教会とそのジャックマール時計(フランドル豪胆公がフランドルから略奪)が見える。

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ノートルダム教会のChouette(フクロウ)通りに面する「フクロウ」は、願いをしながら、左手で触れば、幸運をもたらすそうだが、話は、通じていないらしく、右手で触っている。脇に、ヴィデオで、記録しているという注意書きが張ってある。


フラヴィニー・シュル・オズラン(Flavigny-sur-Ozerain)ブルゴーニュ地方

この村を訪問しようと思った理由は、ディジョンの西北約40 kmに位置し、フォントネーにも比較的近いことと、「フランスの最も美しい村100選(実際には、150以上ある)」の1つであることと、アニス(Anis)というドラジェdragee)に多少関心があったからである。ドラジェとは<アーモンド、ピスタチオの実を糖衣で包んだボンボンで、一般に洗礼、出産祝いには、青やピンク、結婚祝いには白のものが配られる>と仏和辞書にでている。ここの、ドラジェは、アニスの実を糖衣で包んでいると聞いていた。

吉村和敏著「フランスの美しい村全踏破の旅」講談社によれば、城壁、石畳の路地、大きな門、民家、豪邸など、中世の頃の遺構が当時のまま残る村と紹介されている。8世紀にベネディクト会が建設したサン・ピエール修道院は、18世紀に、ウルスリン会、19世紀にはドミニコ会の修道院になり、現在はドラジェの工場になっている。

「フランスの最も美しい村」は、数ヶ所周ったが、ここは、アルザスのそれと違って、観光客も極めて少なく、元修道院のドラジェの店のみが、繁盛していた。多分、住民の多くは、ブドウ栽培で生計をたてているのであろうか、地元の人の往来もほとんどない。アニスは、日本人は、あまり好まない味であると思うが、独特の味がして、周りの糖衣の為に、まずくはなかった。ディジョンから、団体バスで来るのか、店では日本語のパンフレットまであり驚いた。この村は、2001年のアカデミー賞3部門にノミネートされた映画「ショコラ」のロケ地でもある。この店以外は、まさに、時が止まった感じの村であった。


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ドラジェの店でもらったパンフレット;これには、1591年以来変わらぬレシピを守り続けていると書いてある。

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フラヴィニーの村の遠景。

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サン・ジュネスト教会(Eglise Saint-Genest): 13世紀に開始、16世紀完成。

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ドラジェの売店の宣伝を兼ねた村の主要な場所の表示。

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元修道院のAnis de Flavignyの入口;あまり観光客のいない村で、ここだけは、多い。

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商品の展示;試食無料(gratuite)の表示あり。

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村の一風景;9月の午後5時代だが(日の入り8時過ぎ)、人通りは、ほとんどない。


フォントネー(Fontenay)ブルゴーニュ地方

フォントネ―という地名の場所(村など)は、フランスに6つある。当地は、Fontenay(Abbaye de)と書かれ、7番目であり、さらに、Fontenay-の後に、en-, aux-, de-, le-, les-, pres-, sur-などついたところが、22ヶ所ある。フォントネーのラテン名であるフォンタネトムは、泉に泳ぐという意味だそうなので、水に縁のあるところは多いから、この名前が多くなるのは当然だろう。しかし、Fontenayとフランス語の辞書を引くと、当地が出てくるから、7つの中では一番有名であることは確かである。当地の近くには、ブルゴーニュ・カナルという水路がある。他に、Fontenay-aux-Rosesは、パリ郊外にあって、原子力研究センターがあるので、有名である。

[フォントネー修道院(Abbaye de Fontenay]

 シトー会は、クレルヴォ―の司教、聖ベルナールが、1098年に創設した修道会である。彼は、当時、栄華を極めていたクリュニー派(910年に始まる)の華美な生活を嫌い、俗世間から離れた地を求めて、ここに1118年に修道院を設立した。現存する最古のシトー派修道院である。

以前に、シトー派のプロヴァンスの3姉妹といわれる修道院(ル・トロネ、シルヴァカーヌ、セナンク)を訪問しているので、その雰囲気は、大体、予想がついてはいた。セナンクが1148年、ル・トロネとシルヴァカーヌが、1160年頃の創立らしいので、これらよりも古い創立になる。

 広い敷地に、そびえ立つ尖塔もなく、内部も何の装飾もなく、柱頭彫刻もなく、極めてシンプルな感じがする。ただし、パンフレットによれば、柱頭はうっすらと刻まれた(水葉)が見られるらしい。世界遺産ではあるが、訪れる人も極めて少ない。この広い構内で、見学中(240分―4時)、見かけた見学者は、10人以下であった。昔、200人以上の僧が修行していたそうであるが、食事は11回で、農作業をする以外は、祈りと瞑想の毎日を暮していたというから、想像に絶する大変さであったと思う。夏は、まだ良いとしても、冬の寒さは、多少、台所などの温風が回されていたとはいえ、大変であったろう。獄室があり、修道院長がすべての裁判権をもっていたと書かれているが、どういうことが、罪になったのだろうか。俗人として、容易に想像できることだが、ここの生活に耐えられなくなって、脱退や逃走はできたのであろうか。いずれにせよ、信仰の深さには鬼気迫るものがある。

 パンフレットは、日本語のもあったので、それとフランス語のものを貰った。構内の図はフランス語のものが分かりやすいので、フランス語のものを主に、また、日本語の説明と比較できるように、建物の両表記番号を示した。

日本語パンフレット

番号    名称       

フランス語パンフレット

番号    名称

修道院付属教会

Eglise

寝室

Dortoir

回廊

Cloitre

教会参事会室

Salle du chapitre

修道僧部屋

Scriptorium

暖炉室

10

Chauffoir

看護室

11

Infermie

鍛冶場

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Forge

獄室

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仏(フランス語版)には記載がないのは、理由あってのことなのか。

10

スガン回廊

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-10の中庭に面した回廊であろう。

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修道院長宿舎

Logis abbatial

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鳩小屋と犬小屋

Pigeonnier

仏には、犬小屋の記載なし。

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外国人教会とパン焼き場

Boulangerie

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門番部屋とホテル

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Hotellerie

門番部屋は、仏-1となっている。

[]日本語の説明にある“Ingang””De grote tuin”は、オランダ語でそれぞれ、「入口」と「大庭園」のようである。何故、ここに、オランダ語が表記されているかは、想像するに、ブルゴーニュ公国は、オランダ地方も支配権にあったというので、そのためであろう。


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入場の際にもらった日本語パンフレット。

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内部案内図(修道院内のもの);距離のスケールも示されている。

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パンフレットの説明:Ft1, 2の裏面にある。

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フランス語版パンフレットの、修道院の建物の説明。

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フォントネの聖母像;ここでの、唯一つの像か(?)

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修道院内の教会。

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シュヴェ(後陣)壁の彫刻。

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教会。

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寝室。

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回廊。

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正面の裏側の庭から見た参事会室+修道僧部屋(1)と寝室(2)の建物。

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Ft13の小池を逆側から見た風景。

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Ft13の反対方向建物出口から見た遠景。

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参事会室:聖ブノアの戒律の1章を朗読し、共同体に関する日常時の議論決定を行う。

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水車。

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水車の回転が、伝えられ、それがカムによって棒の端の下方運動を行う。

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上記の下方運動で上がった槌が、重力で落ちて仕事をする。

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鍛冶場の横の水路。

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鳩小屋:丸い屋根の建物。その左が、犬小屋なのだろう。


シャリテ・シュル・ロワール(La Charite-sur-Loire)ブルゴーニュ地方

地名に、ここのように定冠詞が付くところが、時々ある。例えば、今回の旅行で訪問したLe Creusotなどは、その一例である。冠詞がつくことに、どういう意味があるのか、よく知らない。なお、Chariteとは、英語のcharityと同じで、神の愛、恵み、愛徳を意味する、大変良い名前である。

「フランスの彩り」の中の、ブルゴーニュ地方の「必見の観光スポット」に当地が入っていたのが主な理由で、訪問した。ただし、そこに、当地は世界遺産と書いてあるが、これは、案内所で、聞いたら、間違いだと言っていた。しかし、後で良く調べたら、サンチャゴ・コンポステーラへの巡礼の道として入っていることが、分かった。なお、「地球の歩き方」には当地は入っていないし、ウイキペディアにも日本語版は無い。

シャリテの見どころは、ロマネスク教会と、ロワール川にかかる橋だそうである。主な見どころの教会のあるところは、古い街にあり、駐車するスペースが見当たらないので、橋を渡ったところで、駐車させて、歩いて、教会のある旧市街へ戻った。駐車したところも新しい街はある。ロワール川もこの付近になると、川巾が広くなり、流れも速く、親しみ易い感じよりは、天気も悪かったので、ちょっと恐ろしい感じさえした。この橋は、ロワール川を越える要所で、車は結構通っていて、戦時中、爆破されてしまったというので、ずいぶん不便であったろうと思う。

街は「花3つ」印(Ville Fleurie3つ花)がついていて、緑の多さを示す。「花3つ」までは、地方で決められ、フランスで、何百とあるので、特に、観光客を引き付ける要素にはなっていないと思うし、私もほとんど気にしていないが、「花4つ」は国が決めるので、価値が高いと思う。これは、「フランスの美しい村」と違って、村(Village)でも、町(Ville)でも、申請できる。しかし、この町で、花や緑が、特に美しいとは感じなかった。ロワール川べりの木が、対象なのだろうか。

サンチャゴコンポステーラの巡礼の道の1つとして、世界遺産となっているが、巡礼の道と感じさせるのは、古い旅籠(Auberge)があったくらいであった。巡礼の道であることが目玉のVezelayとは、大分違って、観光客はほとんどいないようだった。

ここのノートルダム教会は、他の教会では、類を見たことがないが、壁に、14個の聖書の文句が貼ってある。興味があるので、全部を、写真に撮って、後で、調べてみた。私は、信者でも何でもなく、唯キリスト教文化に、興味を持っているだけである。ここで、ちょっと驚いたのは、出典が結構間違っていることである。フランス人の信者の方は、結構鷹揚だと、感心する。本質的なことではないが、友人のプロテスタントの信者の方のお話では、ドイツでは、あり得ないことだそうだ。日本でもあり得ないだろうし、間違っていたら、すぐ誰かが、注意するだろう。しっかり、調べた訳ではないが、少なくとも、以下の赤字のところは、違うと思うのだが。訳は、フランス語の勉強に訳したもので、権威のあるものではなく、間違っているところもあると思うし、意味が良く分からないのもある。順序は不同。

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Bienheureux ceux qui ont cru sans avoir vu.                                    (LXX)

見ないで信じた人たちは幸いである。                     JnXX 29

Ne vous posez pas en juge, et vous ne serez pas juges.                           (L VI37)

ひとを審くな、そうすればあなたたちも審かれない。

Venez a moi, vous tous qui peinez sous le fardeau.                              (Mt II 28)

重荷を負っている人たちは、私の下に来なさい。               MtI 28

Les derniers seront les premiers et les premiert seront les derniers.             (L XIII 30)

後の人が先になり、先の人が後になるであろう。

Heureux ceux qui ont faim et soif de la justice, ils seront rassasies.                (Mt V6)

義に飢え乾く人は幸いである、彼らは満たされるであろう。

La ou est votre tresor la aussi est votre coeur.                                  (L XII34)

貴方たちの宝のあるところには、貴方たちの心もある。

Le sabat est fait pour l’homme et non l’homme pour le sabbat.                    (M II27)

安息日は人のために設けられたもので、人が安息日のためにあるのではない。

Tout ce que vous voulez que les homes fassent pour vous faites le pour eux.     (Mt VII 31)

何事につけ、人にしてもらいたいと思うことを、人にもしてあげなさい。    

Si vous saluez seulement vos freres, que faites-vous d’extraordinaire ?           (Mt VI47)

自分の兄弟にだけ挨拶をしたからといって、何か特別なことをしたことになるだろうか。

Mt V47

Confiance. Ta foi t’a sauve.                                                    (Mt V6)

安心しなさい。あなたの信仰があなたを救った。                 (Mt IX22)

La Bonne Nouvelle est annoncee aux pauvres.                                  (Mt XI5)

貧しい者には、福音が告げられている。                      

Pourquoi transgressez vous le commandement de Dieu au nom de votre tradition. (Mt XV3)

なぜまたあなたたちは、自分たちの習わしのために神の掟にそむくのか。

Quiconque aime est ne de Dieu et connait Dieu.                                 (Jn I 47)

愛する人はみな、神から生まれた者で、神を知っている。         (ヨハネの第一の手紙IV)

Rendez a Cesar ce qui est a Cesar et a Dieu ce qui est a Dieu.                (Mt XXII 21)

シーザーのものはシーザーに、神のものは神に返しなさい。

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 ノートルダム教会に続いて、すぐ横にある由緒あるノートルダム騎士修道院(L’eglise prieurale abbatiale Notre-Dame)を見たが、中には入れなかった。


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La Charite付近の地図;N 151を東から、来て、旧市街は、スペースがないので、ロワール川を越えて、駐車し、そこから、徒歩で、橋を渡り、旧市街に戻る;川は北へ流れる。

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古い街の、ロワール川対岸で、車を停める;そこから歩く途中の橋のたもと。

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新市街から、旧市街に歩く途中(往き帰り両方)の、ロワール川と橋の、前後・左右の風景;ロワール川は、北に流れているから、流れが左方向なら、新市街a旧市街方向に撮った写真で、右方向なら、旧市街a新市街に撮った写真である。

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橋からみた旧市街;ノートルダム教会の尖塔が見える;分かりづらいが流れは左方向。

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巡礼者が泊まる旅籠(Auberge)であろう;Loireの‘L’の字が、分かりづらい。

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ノートルダム教会内部。

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新約聖書の文句が、掲げられている。

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「見ないで信じた人」の出典がLXXと記されている:これなら単に70で、L XXならルカによる福音書の20章で、いずれも正しくない。

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マタイによる福音書Mt II 28と書いてあるが、これは、11 28で、Mt XI 28が正しい。

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有名であるが、意味は難しい:政治と宗教は、別の水準のことで、混同してはいけないという政教分離のことを説いているという説が多いが、いろいろ解釈があるそうである。

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修道院;外見が美しいが、中には入れなかった。

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庭にあった、遺跡。

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修道院の一部なのか、よく分からない。

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街の店;ショウウインドウが鏡になっているが、中の展示物は見える。

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宣伝のためのマネキンや鉢を道路に出している;許可されているのかどうかは知らない。