●カモニカ渓谷(Valcamonica) 世界遺産
ドロミテ地区の観光の実質上の初日は、ミラノ国際空港近くのホテルからドロミテ地区の入口のボルツァーノのホテルへの移動から始まった。最初に1泊した空港の近くのホテルから、ドロミテ地区の玄関口のボルツァーノまでは、距離は相当あるが、高速道路を行けば割合早くに着ける。しかし、高速道路を北上して行っては、ほとんど観光できないので、その西側にあるカモニカ渓谷をイゼオ湖からエドロ(Edolo)まで42号に沿って北上する。この地域はカモニカ渓谷と言われ、そこにある岩画は1979年にイタリア最初の世界遺産に登録された。 この渓谷には「地球の歩き方」によれば、氷河の浸食によってできた滑らかで大きな岩の表面に、農耕、航行、戦い、魔力、文字などの線刻画14万点が描かれていて、BC8000年頃の石器時代からBC16年のローマ侵略までの歴史が刻まれているそうである。 ウイキペディアの日本語版には次のような記述がある。「ヴァルカモニカの岩絵群は、イタリア北部のアルプスの山麓にある世界遺産登録物件。イタリア初の世界遺産登録を果たしたものである。以下の規準を満たしたと見なされ、登録がなされた:■(3)現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。■(6)顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。 行く前は、世界遺産となっているので、行けば、その辺に案内表示がいっぱいあり、観光客もそこそこ来ていて容易に見られるものと思っていた。それに、地球の歩き方にも数行の説明しかないので、ウイキペディアで調べた以外はせず、予習が杜撰であった。そして地図を見ると「…テルメ」という場所もいくつかある。イタリアの「テルメ」は、必ずしも温泉ではなく、単なる「冷泉」である場合も多いので、この点に関しては、あまり期待はしなかった。しかし、「テルメ」と称するところでは何の案内板もないので、一つも見つけられず、温泉か冷泉か、あるいは単なる地名として残っているのかも確かめることはできなかった。 確かに世界遺産の岩絵を実際に見られたのはNedroというところで、これも、なかなか場所が分からず、地元の人に2, 3回聞いてようやく行きつけた。案内板はあるのだが、地図や、そこからどれくらいの距離かも書いていない。車では行けない、歩かねばならない距離が1 km以上はあり、妻は長距離歩くのが苦手なので、自分1人で小走りに走って見てきた。帰る途中、ここに来る1人に道を聞かれた以外に人には遇わなかった。今まで、岩絵はアルタミラとラスコー(これらは、いずれも、保護のため精巧な複製洞窟しか見られないが)の洞窟内に描いたものの他にスウェーデンのTanumのものと、ノルウェーの北限に近いAltaの岩絵を見たが、それらには比べられないほど小規模のものであった。Tanumのものは、1970年代に留学していたイェテボリー(Goteborg)の北、約150 kmのところにあり、これが岩絵を見た最初であるが、大変見事であるばかりでなく、柵もしていなく、いたずらしようと思えばできる、日本では考えられない展示に衝撃を受けたが、後に世界遺産に認定されたので(1994)、現状は知らない。 もう一か所、岩絵のあるところを見つけてたどり着いたら、午後1時で閉鎖ということで、中に入れてもらえず残念であった。 自分を含めて日本人ほど、世界遺産のレッテルを観光の対象として有難がる国民は他にいないのではないかと思った。 カモニカ渓谷の終わりのエドロに着いたら、その先の観光予定地が無かったので、ボルツァーノは近いと錯覚して、旅行していたが、ここに来て、ホテルまでは、まだまだ遠いことが分かった。 |
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●カモニカ渓谷からボルツアーノへの道 カモニカ渓谷の北端の町エドロ(Ca19’)に着いた16時過ぎには、ボルツアーノの郊外のホテルに18時には、着かないことに気づき始めた。それで、夕食は取れない公算が高くなったと思い、ちょうどこの町にあったスーパーで夕食などを購入した。そして、SS42を東に進みながら、どこかのガソリン・スタンドで給油を兼ねて、ホテルに電話してもらおうと思いながら走った。イタリアでも、スタンドの多くは、特にこの山岳地帯ではガソリン・スタンドは多くあっても、無人のところが多く、フラヴィアノ(Ca19’)の近くのVia Dei Canacciというところに有人のESSOのスタンドがあったので、そこで、ホテルに遅れる旨の電話をかけてもらいホテルの了承を得て、気が大変楽になった。電話代はいらないと言ってが、2 Euro渡した。それでも、その時(17時10分)は、1時間遅れの、19時ぐらいには着けると思っていた。ガソリンは山岳地帯なので、他より少々高め(1.81 Euro/L)であったが、25 Euro補給した。この地帯のことは、全く調べていなかったが、周りの山の景色は素晴らしく、リフトやロープウェイもあちこちに見えたし、ホテルもあったので、スキーシーズンには結構観光客が来るのだろうと想像した。しかし、急いでいたので車を止めて写真を撮る余裕はなく、エドロからホテルに着くまでの4時間にわたって、私は写真は1枚も撮れなかったが、妻が助手席で、ところどころで撮っていた。帰国して調べたら、Adamello(3539 m)という山があり、その一帯は国立公園にもなっている。そして、この山は、ボルツァーノの東に位置する“本家”ドロミテ東側の一番高いMarmorda(3343 m)より高いのである。また、地図Ca19’に示すDolomiti di Brenta地区(Cima Tosa:3173 m, CimaBrenta:3150 mなどがある)は、ドロミテの世界遺産の“飛び地”として、認定されている(ドロミテの概要の項の図Do2参照)。しかし、地図もまだ持っていなくGPSを頼りに走っていたので、周りがどういうところか分からないまま走っていて、ここに飛び地があることも知らなかった。我が国では、“本家”ドロミテと比べて、西側地区は交通の便が悪いためか、ほとんど紹介されていない。例えば、大森久雄氏の旅行記で、Monna di Camiglioなどのすばらしい紹介が拝見できるが、同様なご感想をお持ちである: http://www.hon-s.co.jp/hirata/oomori17.html SS43を走ったことは確かであるが、GPSが古くなったのか、ボルツァーノに向かう高速道路A22に出る近くから、GPSに出ていないところ(GPS上、全く道のない新道)を走っていて、A22への入り口が分からず、A22を超えて東側に出ても、ホテルが東側にあるためか、入口が少ないためかA22に戻るように示されず、またボルツアーノの市内に入ってからホテルまでは、再度山道を登らねばならず、結局、真っ暗な山道をライトを上向きにしてかなり上って、20時20分に着いた。途中、電話したお蔭で、ホテル側も心配していなかった。GPSに載ってない新道も通ったが、いずれにせよGPSのお蔭で無事着けた。これが無ければ、途中、山中など、聞く人もいないから、絶対着けなかったであろう。 なお、地図 (Ca19’)の左上にあるボルミオ(Bormio)やソンダロ(Sondalo)は、後日、北側のStelvio峠から南のTirano方向へ移動する際に通ることになる。 |
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