ボルツァーノ(BolzanoBozen(ドイツ語))

 ボルツァーノは、ドロミテ山塊の見学の西の起点地であり、実際、この郊外の山中にホテルを取り2泊したが、ここのホテルを起点として、行ったのは、Siusi高原だけであった。町の中を車で走ったが、道は狭く、混んでいて、町中を車で観光するような町ではないと思った。それで、シウジの帰りに時間があったので、ボルツァーノの郊外1.5 kmの所にあるロンコロ城を訪問した。入場料は大人8 Euro/人である。

城は、標高361 mの森の中にあり、入口の道路からもかなり上る。1237年に建てられて、19世紀に再建されたとのことである。建設されたのは、貴族FriedrichBernal von Wangenであったが、実際のこの城の栄光が認められるようになったのは、1385年にFranz & Niklaus Vintler兄弟が購入して、全体をフレスコ画で、装飾することを依頼してからであり、現在、中世の非宗教的フレスコ画蒐集として、世界、最大なものとなっているそうである。1893年にボルツァーノ市の所有物となり、大改修が行われ、2000年以後、一般に公開されるようになった。ヨーロッパでは割合、珍しく写真撮影が禁止されているので、フレスコ画の部分は、パンフレットにある図で示す。

上記のようにボルツァーノには、2泊したが、最初から、ここは、ドロミテ地区の観光の起点とするために泊まるのを主目的としていた。そして、そのような場合、町の中心から離れている場所を地図上で勝手に選ぶことにしていて、今回もそのようにして、町から 7 kmにあるSt Bad Isidorを選んだが、ここが山岳地帯にあることを考慮しなかった。そして、実際、大分遅れて、夜の20時を過ぎて、町からの道を登り始めて、想像してなかった山の中にあることを知る。後で知るが、ここに示すパノラマ図では、町から、約600 mの高低差を上ることになる。道は、舗装されて無い部分が多いが、一番の問題は、1車線しかない部分が多く、もし対向車が来たら、こちらは上りではあるが、バックしなければならない場合もあるだろうと一番心配であったが、夜遅く、対向車は1台しか来なかった。ホテルの項でも述べるが、ここは、上記のように特殊であったので、この項でも述べた。

ホテル自体は、きれいで、従業員も親切で、何も問題はなかった。St Isidorは、ホテルの上にある教会名から取っているのだが、Badは、イタリア語には無く、温泉は無いし、ドイツ語などの水泳という意味であろうか。上で述べたロンコロ城は、Bo9’の右側()、谷に沿って流れるTalvera川に沿ったところにある。


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ロンコロ城で得たパンフレットの表紙;イタリア語、ドイツ語、英語、ロシア語の説明あり。

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左上:イゾルデ、左下:トリスタン、右上:アーサー王から、右下:不明(筆者不勉強)。

Bo3

入口にバスの停留場があるようだが、車で走ると目立たず通り過ぎてしまう;この坂を上がる。

Bo4

道から、急な勾配を、かなり上がったところに城の入口がある。

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城は山の中腹にある。

Bo6

14-15世紀の騎士物語のフレスコ画があるが、室内は撮影禁止である;下は、何か、音楽会などの催し物に使われるべく、小さなステージがあり、椅子が並べてある。

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表の道を挟んで、道路と並行に、直接は見えないが、タルヴェラ川が流れていて、そこで釣りをしていた。

Bo9’

ホテルBad St Isidorの位置(5番)を示すパノラマ図;ボルツァーノの町は、右下にある;St Isidorという名前の教会が近くにあるので、そこから名前が取られたと思う;Badというが、温泉がある気配は無かった;この山の入口の標高が、267 mで、このホテルが、860 mなので、高度差は約600 mも上ったことになる;手前が、ほぼ北方向。

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ホテルの室外食堂テラスから見た周りの風景;右下には、プールが見える;中・北欧人は泳いだり、水辺の日光浴が好きなので、プールは、客寄せに必要設備なのであろう。

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