La1’
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Falzarego峠(2105 m)と、そこからロープウェイで上ったLagazuoi(2762
m)を中心として見える地図;Lagazuoiから右下にあるPelmo(3168
m)までの直線距離は15.8 km。
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La2’
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同じ地図を、模式的、立体的に示したもの。
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La3’
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現地にあった案内図。
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La4’
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Lagazuoiから、1周された方の地図を引用させていただく:(lagazuoiにnが入っているが)
http://www.eonet.ne.jp/~miejinta-wwwalk/y1_grande_langazuoi.htm 地図にRif. Lagazuoiとあるのは、Rifugio(避難小屋)の略で、ゴンドラの駅のすぐ脇にある;我々は、ゴンドラを降りて北西方向のPiccoloに行き、その辺を歩いて、周囲の山々を眺めた。
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La5
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南周りでFalzaregoに着いて駐車したら、寄付を集める男性が来て、証明書などや、それまでに寄付した人のサインしたノートを見せるので、騙されても少額なので寄付する;アフリカの子供にというような内容と思ったが、はっきり覚えていない;背景にある山は後に出てくる。
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La6
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駐車場の片隅にあった第1次世界大戦の屋外要塞博物館の広告;イタリア語が出来ないので行かなかった;この地域は第1次世界大戦で、イタリアがオーストリアと戦闘を行ない、その時の塹壕が岩山にある。
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La7
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Falzarego峠の一角にあるが、何の碑なのか、分からない(1925.8.15建立)
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La8
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Falzarego峠にある1軒だけの大きな土産物店。
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La9
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その店の前には、ドロマイト鉱石の売り物があった;奥にあるのは他の鉱物と思う。
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La10
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峠の駐車場から、ゴンドラの終点のLagazuoiを見る;その左の頂上がLagazuoi Piccolo。
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La11
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少し離れたところから見た山とゴンドラの終点;下の右側の車道はコルチナへの道。
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La12
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ゴンドラの乗り口;Funivia,Seilbahnはそれぞれ、イタリア語、ドイツ語の「ロープウェイ」
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La13
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ゴンドラ内;日曜の11時8分。
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La14
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ゴンドラから下を見る。
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La15
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終点から見た下の風景。
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La16
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終点の駅の至近距離に避難小屋があり休憩所を兼ねる;当面の行先Piccoloは、一旦下って右手に行く。
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La17
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トレッキングに出るなら左の斜面を降りる;Piccoloに行くには右側の道を手前に上る。
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La18
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La17を少し左に移すと、手前左にZimmes
de Fanes、その奥の3つの山はTofaneの3山:右からTofane di Rozes(3243 m)、Tofane di
Mezzo(3244 m)、Tofane di
Dentro(3236 m);更に遠方はSella山塊か。
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La19
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La17でPiccoloを目指す;右手山の頂上にある十字架がLagazuoi de Piccoloの頂上。
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La20
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上に登らないで真っ直ぐ行くと、すぐ崖になり北西方向の山々が見える;右手崖上に十字架が見える。
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La21
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十字架のあるところがLagazuoi
de Piccolo(2762 m)で、多くの人が、記念写真を撮っている。
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La22
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La23
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邪魔しないように、その横で、持参している三脚で自分達の写真を撮る;西方向なので、後方はSella山塊か。
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La24
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東方向のLa18と同じ、Tofane 3山を見る;筋が見えるが、これはledgeと言われ、アフリカ大陸がヨーロッパに衝突した際の造山作用の際に生じたと言われる;La25は、Tofane di Rozesで、Li26は、Tofane di Dentro;何か細工したような跡にも見える。
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La25
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La26
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La27
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Tofaneの手前にはFanesが連なり、Fanesの前後は平坦になっている;La4’の赤線のトレイルは、ほとんど平坦なのであろう;La30には、英語でも、Austrian
mountain troop pathと書いてある(troopはtropと間違っている)から、この先に第1次世界大戦の塹壕跡があるのであろう。
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La28
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La29
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La30
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La31’
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La31’は、ネットから取った写真(手前、赤破線付)で、La32’(これも別のネットから引用)において、Piccolo(2762 m)付近から、横に頂きをもつSass
de Stria(2477 m)を上部から見ている;一方、これはロープウェイの下(Falzarego峠:2105 m))から見るとLa33のように全く違った姿を見せる;La33の山はLa5の背景に写っているものと同じである;このLa31’の赤線付の山を自分が写したのはLa34である;La31’の右にある尾根は、La35に相当し、これは、Piccoloと地続きで独立した山ではない;La32’の青線(Ma)の方向に、次のLa36,37で示すMarmoladaがある(La31’の中央遠方の↓:その右の小さな矢印を示したのはGran Vernel (3210 m));La35では、右隙には、3-4つの異なる種類の岩が近接して存在していて、白い岩の上に赤い斑点があるのも面白い。
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La32’
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La33
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La34
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La35
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La36
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雪渓の見えるのが狭義のドロミテ地区で一番高いMarmolada(3343 m)で、大規模な万年雪があるのはドロミテ地区で、この山だけである;最高峰までの直線距離は、丁度16 kmである;この山は特徴ある形をしていなく、Pordoi峠などからは、距離は近いが高低差がありすぎ、あまりはっきり見られない。
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La37
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La38
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La36, 37でMarmoladaの雲のかかっている左側の部分が岩の間に見える。
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La39
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正面は北方向のPiz
Lavarela(3055 m)と思われる。
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La40
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La39の右手にある頂上が雲にかかっているのはCol
Bechei (2794 m)と思われる。
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La41
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Lagazuoi Piccolo付近からの帰り道で見るLagazuoi避難小屋(=ケーブル駅のすぐ横)。
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La42
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ロープウェイ駅の横にある休憩所-展望台に戻ると多くの人が軽食を取ったりしていた。
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La43
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その一角では犬が大人しく景色を見ている;犬にも鑑賞能力があるのだろうか。
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La44
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正面の雲に隠れた山は南西方向16 km先のPelmo(3168 km);その線上、手前の山は5 km先のNuvolau(2574 m);この16 km先は丁度、上記のMarmoladaへの距離に等しい;NuvolauはSanta Luciaの項で、よりはっきり示す。
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La45
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La46
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La44, 45と同じ方向の拡大していない写真;左のぎざぎざした山は次に述べるCroda da Lago;上記の Permoとその手前のNuvolauのやや右の(8 km)の距離にあり、右側に2段に下がっているのは8 km先のCernera (2657 m)である;右手、遠方に頂上は雲がかかっている山はPermoよりやや遠距離(17 km)で、ほぼ南方向
にあるCivetta(3220 m)。
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La47
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南東約9 km先のCroda da Lago (2715 m);その前の右上がりの台地もこの一環;左端はロープウェイの線。
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La48
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LagazuoiからFalzarego峠に下りてCortina d’Ampezzoに行く途中からのCortina方向の眺め。
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La49
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帰りにFalzarego峠に鉱物を購入するために立ち寄ったが(18:11)、La49のように、店はすでに閉まっていて、無人の広場の反対側にある小さな教会(La50)だけが開いていたので中に入ったら、ドロミテの絵はがき(0.5 Euro/枚)を無人販売していたので数枚購入した。
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La50
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La51
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La52’
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La6に示されている戦争博物館はLa32’の北西に2 km行ったところにあり、それをLagazuoiの山から撮ったこの写真がネットに出ていた。
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La53’
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壕はあちこちに残っていて、これはLagazuoiから歩いて下に下りる途中にあるもので、ネットで紹介されていた;同種のものが多くネット上で紹介されている。
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