ベルガモ(Bergamo

 ミラノの北東約40 kmに位置し、人口11万5千人(2012年)コムーネである。ベルガモの起源はケルト系民族によって建てられ、BC49年ローマの支配下になり最盛期には1万人が住んだ。中世は、ブレーシアの項で述べるロンゴバルド王国の支配下になり、8世紀後半フランク王国のカール大帝により征服された。11世紀以後、自治都市となりロンバルディア同盟の一員として、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世を撃退した。話は飛んでルネサンス期には1428--1798年にヴェネツィア共和国の支配下に入り、この時期にヴェネチア人は、現在も残るアルタ地区を要塞化した。

1797年フランス共和国のナポレオンに征服される。1815年のウイーン会議では、オーストリア帝国領となった。その後、第2次イタリア独立戦争中の1859年、ガリバルディによって解放された。1861年にイタリア統一がなり、イタリア王国が成立するとベルガモはその一部となった。このように目まぐるしく支配者や所属国が変ってきた。第2次世界大戦では、大きな戦災を被らなかった数少ない都市であった。

 ベルガモは、アルタとバッサに分かれているが、城壁に囲まれたチッタアルタCitta Alta)の市の塔に上って辺りを見回した;チッタは英語のcityに相当。アルタバッサは、それぞれ、高い、低いという意味である。高台の城塞都市なので、駐車場に辿り着くのに勾配のある細い町の道を抜けて行くのに苦労した。いろいろ歴史的価値のある都市であるが、世界遺産には登録されていない。それとは無関係に多くの観光客がきていて、しかも、多くの人は観光するというより、買い物をしたり、レストランやバーでコーヒーなどを飲みながら、ゆっくりおしゃべりしているのが好きなようである。


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旧市街にあったチッタ・アルタの観光案内図:塔(20)から主に、見まわした。

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旧市街の拡大した地図:が上記の塔を指す;(わがまま歩き「イタリア」ブルーガイドを参照)。

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商店街を歩いていたら、生のPorcini19 Euro/kg)があった;外見は松茸に似ている。

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ナポレオンか誰の恰好の真似か分からないが、この仕事が成り立つほど観光客が多いことを知る。

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SfoglieSpumone;日本でどの程度知られているお菓子なのか分からない。

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Cannoli:カンノーロ。

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ピッツァ(Pizza)販売店。

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洒落た外観のレストランと思って後で調べたら、Albergoはホテルなので、ホテルとレストランで、名前の”Agnello d’Oro”(アニエッロ・ドーロ:金の子羊)は、Agnello di Dio (神の子羊:キリスト)をもじっているらしい;上の方には棒が1本立っていて、その周りに、XII, I, II, III, IVと数字があり、その下に壁に針金が結びつけてあり、その影の方向で時刻を表すらしい;この写真を撮ったのは午後4時(1554分)で、その方向に影がある;ネットで調べたら、この写真もご自慢らしく110 622円で、評判は、4/5点で悪くない;マスターは才気のある人なのだろう:Be2’の右端のアンダーラインのある「アニェ・・」の字が見えるホテル。

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サンタ・マリア・マッジョーレ教会:ロンバルディア・ロマネスク様式の傑作;Be14の左側の2人の聖人とその上に3人の聖人のいる小さな入り口があり、奥にクーポラとその左に尖塔のある建物。

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コッレオーニ礼拝堂; 1470-76年に建てられたロンバルディア・ルネッサンスの傑作;15世紀にこの街を支配した傭兵隊長バルトロメオ・コッレオーニの墓として建った;Be14の上記教会の右側に隣接する建物。

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アルタの中心のヴェッキア広場を見下ろす「市の塔」(Torre Civica)は、無料なのにもかかわらず、ほとんど誰も上って来ないので、ゆっくりと360°見渡せる;これは南東のドゥオーモ(キューポラのある建物)方向の風景;キューポラの先端はA.D.303年に断首された当市の守護聖人のSan Alessandrroの金の彫像(1851年、C. Braggi);遠方の低い部分は、「チッタ・バッサ」地域。

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下に見えるピンク色敷物のある広場(Be15)は、中心のヴェッキア広場;その広場で、半分だけ見えている噴水は1780年に造られたバロック式のContariniの噴水という;ヴェネチアから、当市の執政長官として送られたAlvise Contariniによるもの;やや遠方の塔は、Gombitoの塔(1150)

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この「市の塔」には、主な建物などに名称を書いた説明板がある;下に見えるヴェッキア広場には、ピンクの敷物は無い;上記のContariniの噴水は、全部が写っている。

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南方向:中央下はコッレニーオ礼拝堂;その左が、Be9, Be10で述べたサンタ・マリア・マッジョーレ教会。

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ヴェッキア広場;正面は図書館;ピンク色の敷物は、以前は無く、中世のイメージとマッチしないとも感じるが、広場を明るく現代風にして、むしろ良いと思う;右手は喫茶店で、この広場が当地では一番人気がある。

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ヴェッキア広場;Be16の反対方向から撮る;正面の古い建物はラジョーネ宮

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ヴェッキア広場;正面右手の塔が「市の塔」で、Be13などを撮った。

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この広場に面した手前ラジョーネ宮があり、その一階、通り道の地面上にある:北緯45o42’11’’、東経9 o39’46’’、その反対側に、高度:アドリア海面上360.85 mと書いてある。

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上のメッセージは分かり易いが、これは良く分からない; Giu:6月、Ore()11 1/4Luglio:7月、時12と書いてあり、そこにあるマークも不明。

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Be12に示したドゥオーモの内部。

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