ブレーシャ(Brescia)    世界遺産

 ミラノの東81 kmに位置し、ロンバルディア州ではミラノに次ぐ第2の都市で、周辺地域を含み約19万人の人口を擁する。ローマ時代には、ブリクシア(Brixia)と呼ばれていて、アルプス以北との交易で栄えた歴史をもち、古代から中世にかけての遺跡や建造物が多く残っている。イタリア有数の工業都市の中心で、機械工業や製鉄業が盛んで、金属加工と武器製造の伝統を有している。

 訪問当日は、コモ湖の北に位置するホテルからイゼオ湖の南端に位置するホテルへの移動の途中、Crespi d’Addaの次に立ち寄った。そして次にシルミオーネにも行ったので、当地では、世界遺産のサンタ・ジュリア修道院(現在、博物館)を見学しただけで、2時間強居たのみであった。

 当地のサン・サルヴァトーレとサンタ・ジュリアの修道院建造物群を含む計7つのうちの1つの記念建造物(The monumental area with the monastic complex of San Salvators?Santa Giulia)として2011に世界遺産に登録された。正式な登録名は、「ロンゴバルド人及びロンゴバルド王国」で、英語とフランス語で書かれることになっており、それぞれ、Longobards in Italy. Places of the power (568-774 A.D.). Les Lombards en Italie. Lieux de pouvoir (568-774 apres J.C.)となっている。次の要件を満たしたと見なされ登録された:■(2ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。■現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。■顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの。

 ロンゴバルト人も、その王国も消滅しているのに、それが世界遺産となるのは、ちょっとおかしいと思うが、当地の例でも分るが、それらが残した遺産と解釈すべきものらしい。ロンゴバルド人はゲルマン系で、首長アルボイーノに率いられて、568年にイタリアに侵入し、北イタリアにロンゴバルド国を建設し、キリスト教に改宗したが、領土を巡る争いが絶えず、774年にカール大帝によって滅ぼされた。

そして、当地の建造物についての説明では次のように述べている:「ブレーシアの構成資産はロンゴバルドの修道院建築を伝えるものとして選定された。サン・サルヴァトーレとサンタ・ジュリアの修道院は、ロンゴバルド最後の王デジデーリオの妻アンサによって建てられ、現在は博物館になっている。世界遺産登録面積は、3.75 ha、緩衝地域(Buffer zone)は84.13 haである。」緩衝地域の意味はよく分からない。

高校で習った世界史の参考書2つを見たら、ゲルマン民族の移動表に7民族のうちの1つとしてライン・エルベ川の間の地域から当地に移動してきた部族として載っていたから、学生時には覚えたと思う。少なくとも、ゲルマン族の大移動は、中世史では、大変重要な出来事として習ったことはよく覚えている。但し、2つの教科書とも、「ロンバルド」(フランス語)となっていたが、最近は外国語由来の名称は英語に統一するように決まっているらしいから、「ロンゴバルド」になったのであろう。外国人と話す機会が多くなった今日、英語の発音(あるいはそれに近い音片仮名表記)で覚えていることは良いことと思う。中国人や地名などを日本人間だけにしか通じない音で読むように覚えるのは、大変無駄なことと私は以前から思っている。

 当地の建物などの説明は、私は全く分からないので、帰国後、他の方が書かれたネットの情報などを読ませていただいた。例えば、

http://fumiemve.exblog.jp/13708459/

          http://www.beach.jp/circleboard/ae30240/topic/1100200288420

 これらを拝見して、下調べもろくにしないで、見て分かるわけがないと思った。まず、この博物館は、サンタ・ジュリア、サン・サルヴァトーレ、サンタ・マリア・イン・ソラリオ教会、それに各教会の修道院が含まれているそうで、広大な面積に加えて、展示が地下、1階、2階に及び、その数も膨大で、1日かけても見られないそうで、(多分、2011年に世界遺産になる前と拝察するが)日本人の見学者を、ここで見たことがないと書かれている。

 それに、当地が栄えたのは大きく分けて、3つ(4つあるいは5つ)の時代があるそうである:(1)ローマ帝国時代、(2)中世 その1、上記ロンゴバルド公国(7世紀)、その2自治都市(12-13世紀)、その3、ロンバルディア同盟の1員の時代、(3)ヴェネチア支配下の時代(14261797)。ここでは、(2)のその2が、世界遺産の対象であるが、その他はどうなるのかも分からない。よく下調べをして行って、なおかつ説明員の説明を聞かねば、よく分からないと思った。


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ブレーシアの位置:ベルガモの東南東、約46 km、ヴェローナの西北西、約61 km、ヴェニスの西、約181 km

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市内の地図;訪問したのは、結局、サンタ・ジュリア博物館とそのごく周辺のみであった。

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地球の歩き方に、大きく載っている「翼を持つ勝利の女神」:BC3世紀のギリシャの像で、1世紀に翼が付けられたと、Bresciaの英語版Wikipediaに説明が出ている。

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地下にあるが、元、個人の家の地下の発掘現場であろう。

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Bs4と同じ邸宅の持ち物であろう:大きな壺に、ライオンと戦っている人間が模様になっているから、ローマ帝国時代のものであろう;それにしては、保存度が良い。

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この2つのものは、同時刻に撮っているから、同じ時代(領主時代(1038-1426))のものであろうが壁画の傷み具合が異なるのには理由があろう;観客の少なさも分かる。

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この部分は少なくとも、世界遺産の対象のロンゴバルト芸術のサン・サルヴァトーレ教会

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前の写真は、この右端の部分;縦長の長方形に半円のアブシスのついた2列のアーチ(この右側に、対称的に同様な回廊がある)で区切られた3廊式になっている;例えば、Bs9の一番左の柱頭の透かし模様はビザンチン様式である(上記URLの1番目に書いてある)。

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Bs4とは違う場所の地下で、サン・サルヴァトーレ教会の地下か?

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地球の歩き方に出ている「デジデーリオ王の十字架」;上述のように、この王はロンゴバルドの最後の王である。

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地球の歩き方の読者(東京 ミーシャ ’12)の情報:「ほの暗いサンタ・マリア・イン・ソラリオ小礼拝堂(ロマネスク様式)では天井の夜空のような星空と内部を埋め尽くすフレスコ画に圧倒されました。」とあるのは、この光景に違いないと、帰国後、写真を整理していて思う。

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サン・サルヴァトーレ教会。

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カピトリーノ神殿(Tempro Capitoline):紀元73年に、ヴェスパシアーノ帝が建設;神殿入口にコリント式の6本の円柱(一部破壊)がある;Bs2’の、博物館横の、(33)に相当。