ヴェローナ(Verona)  世界遺産

 ヴェネト州に属する人口252千人(201211日)を有する都市で、ヴェローナ県の首都であるが、州都は観光地として圧倒的に有名な、東に105 km離れたヴェネチア(26万1千人:201211日)に譲っている。ヴェローナは町全体が世界遺産に指定されている。

ヴェローナには、85 kmほど西に離れたイゼオ湖に近いホテルから、翌日はサルディニア島に移動する北イタリア地区の最後の観光日に、車で行った。大都市なので、予め主な観光場所に近い駐車場を調べて行ったが、2014914日は日曜日で、この町でお祭りのパレードが行われていて、あちこち道の規制が行われていたので、それをしばらく見てから駐車場に着いた。

地図に示すように、町をアディジェ川が蛇行しながら北から南に流れている。観光場所はジュリエッタの家やランベルティの塔なので、そこに近い川の左岸のNuovo橋に近いところにある地下駐車場に車を留めて、この橋を渡って町に入った。

  当地が有名なのは、シェークスピアの「ロミオとジュリエットRomeo and Juliet)」の舞台になったかららしい。しかし、シェークスピアはヴェローナに来たこともなく、ギリシャ神話の「ピュラモスとティペス」が元と言われているが、1530にルイジ・ダ・ポルトが書いた同種の話(ヴェローナを舞台にした「ロメオとジウリエッタ」)からヒントを得て作られたという。ヴェローナには敵対するモンターギュ家(皇帝派)とキャピュレット家(教皇派)があり、その家の子であるロミオとジュリエットが恋に落ち、その恋は悲劇をもたらすという話である。ジュリエットの家の中庭は大変な人ごみであった。

  その後、近くのエルベ広場にあるランベルティの塔(84 m)から近隣の風景を見たが、天気がよく眺望はすばらしかった。

 当地のアレーナは、AD 30年ごろまでに完成したそうで、イタリアで3番目に大きく、その当時の文化・技術水準の高さに改めて驚く。1971年にローマのコロセウム(BC 70年、長形188 m、高さ48.56 m4階造り、約5万人収容)を初めて見たときの感動ほどではないが、久しぶりに、その時の衝撃を思い出した。なお、同時期、日本ではAD 57年に北九州の奴国が後漢の光武帝から金の印綬を授かったという初めてのはっきりした記録が残っている程度の時代で、弥生式文化の時代であった。アレーナは最初は人間対人間の闘技が主流であったそうで、2世紀ごろから人間対猛獣の競技が多く催されていたそうである。また、中世は何ら定期的な催し物はなされず、1278年には、200人の異教徒を火刑に処したという記録があり、アルコ―ブは、商人や娼婦などに占拠されていたらしい。アレーナ(Arena)はラテン語で「砂」のことで、恐ろしくも、流れた血を吸収するのに使われたことに由来するらしい。

 駐車場に戻って、少し離れたところにあるサン・ゼーノ・マッジョレ―教会へ行く;そこが、この町では、アレーナと並ぶ代表的建造物だと書かれていることにもよる。結局、中にまで入ったヴェローナの教会は、ここだけであった。なお、フランスの教会は入場料は原則無料であるが、イタリアは有料のところも多い。

 ヴェローナは、町全体が世界遺産になっているだけあって、教会は、その1つだけでも、1つの町の観光資源になりそうなものが、いくつあるか分からない。主なところを見て歩くだけで2-3日は必要である。その他の観光場所も併せて、全体をランベルティの塔から見まわし、中でも、観光客の多い(大衆受けしている)ところだけを1日で見たが、周囲の高台、例えばサンピエトロ城などからも見てみたかった。観光客も多く、今回の旅行で訪問した中では、ミラノに次いで大都市であるが、治安は良さそうで乞食や浮浪者も目にしなかった。


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ヴェローナの観光地図:ブルーガイド「わがまま歩きイタリア」参照。

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サンピエトロ城から南西方向を見た風景:手前を流れるのがアディジェ川、中央手前の塔はサンタナスターシア教会、その左に見える塔は実際に上ったランベルティの塔:コロンナ由美「シネマで散歩、イタリアの旅:第13回ロミオとジュリエット」Screen+plus, Vol.45(2014)の写真。

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祭りのパレード;Ve3Ve4を写した時刻は、それぞれ、12時、128分と記録されているから、その程度の速さで行進している;Ve4の旗には、PovolaroというVeronaから北東60 kmにある村からの参加なので、Verona県全体から参加していると思われる。

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駐車場のすぐ脇にある河岸から川越に町を見る;塔は後に上るランベルティの塔

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町中に入るNuovo橋から見る上流方向:左に見えるのがサンタナスターシア教会。

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ジュリエットの家の中庭への入口;奥にジュリエットの銅像が見える。

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ジュリエットの家のバルコニーで写真を撮る新婚のカップル。

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ジュリエットの銅像の右胸に触ると幸せな結婚ができるとのことで、右胸が光っている;ここで、ジュリエットの胸に手を当てる人も見物客も特に若い女性が男性よりずっと多く、やはり女性の方が愛に熱心なことが分かる。

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同じ中庭に、鍵を購入して、名前を記入して結びつけると2人の愛は成就するという西洋版絵馬がある;昔、壁に落書きされて困っていたスペースを改良したものであろう。

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中庭側から見た出口;アーチの上にあるのはキャピュレット(Capulet)家のシンボルマークの帽子(イタリア語でCappello)。

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ジュリエットの家から近いエルベ広場;かっては野菜だけ売られていたので、この名前がある;ローマ時代には、フォロ・ロマーノがあった;エルベ広場の奥にあるのは(ヴェニスの)サンマルコの獅子;当地が以前ヴェニスの支配下になったことがある;その右は、マッツァンティ家で、壁のフレスコ画は16世紀のもの;この家は3星ホテルになっているようである。

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エルベ広場に隣接する15世紀にできた84 mランベルティの塔:ヴェローナで一番高い。

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塔に歩いて上ったら、「地球の歩き方」を読んでいる方がおられるので声をかけたら、大学院の学生さんで翌日から当地の大学で開かれる学会で発表する為に、指導教官と来られているとのことで、若いのに発表前でも観光されている余裕にも大変感心する。

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塔からの眺め:サン・フェルモ・マッジョーレ教会、下の橋はNavi橋、橋を渡って一番左の煙突が2本見える建物がポンペイ宮殿、奥に見えるドームなど大きな建物群は墓地関係のもの。

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北東方向に、サンタナスターシア教会(Ve2’, Ve6にもある);訪問しなかったが、お奨めの場所という記述がある;その先の木立のなかにあるのはサンピエトロ城:(Ve2’)。

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中央に見える白い塔はドゥオーモ;その左下のドームはサン・ジョルジョ・イン・ブライダ教会;その先の山頂にある緑の屋根の建物はSantuario Madonna Di Loudes教会である;地球の歩き方にも出ていないが、この付近にもホテルなどはあり、この付近からの眺めは良いだろう。

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塔から南西方向の眺め:右手前のこげ茶色の尖塔をもつ長細い教会はサンテウフェミア教会;その先の橋の手前の、橋の3つの半円形の最左端の水色と重なる小さなこげ茶の尖塔をもつのが、サンロレンツォ教会;その橋はスカーラ(Scaligero)橋、そのすぐ左にほとんど黒色の2つの建物がカステルヴェッキオ(私立美術館)で、ここはスカラ家が要塞兼居城としていた。

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Ve21と重なっている部分があるが、少し南にずらすと分かり難いが、アレーナが左の金網の下から3番目と4番目の横方向のネットの間に見える:ここからの直線距離で、約500 m;遠くの工事用クレーンの下に、ドゥオーモの白い塔が見える;4つのアーチの右手の尖塔はサン・フェルモ・マッジョーレ教会。

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アレーナ(砂;円形闘技場)の外観の一部;コロッセオに次ぐ、遅くともAD30年頃に建設され、3世紀に城壁内の現在地に移された;長さ約139 m、巾110 m、中央平たん部3200 m2、観客席は44段で、約25000人(ウイキペディア;「地球の歩き方」では、18000人)の収容が可能、高くそびえる4つのアーチはアーラと呼ばれ、3階構造であったが、1117年の地震で崩壊し、現在、Ve24にあるようになっていて、注意すればVe22で見られる。

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現在は、夏には野外オペラが上演されるが、当日はミュージカルの練習が行われていた;ここには15時半頃までしかいなかったが、夜から上演が行われるのであろう。

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アレーナの周囲の廊下も見学ができるようになっている。

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アレーナの外側は、レンガと赤い切石(ヴェローナ産)の2層になった72のアーチが取り巻く。

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アレーナの外はブラ広場で、その正面には市庁舎がある;入口はギリシャ神殿のようで、18世紀のネオ・クラシック様式をしている。

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アレーナの後、駐車場に戻るべく、両側に店舗の並ぶ賑やかなマッツィーニ通りを戻る:マッツィ―ニ(Giuseppe Mazzini:1805.6.22-1872.3.10)は、カヴ―ル(Conte de Cavour)、ガリバルディ(Giuseppe Garibaldi)と並ぶイタリア統一3傑の1人である。

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途中に通貨交換店があり、ドル、ポンドに次いで円がある;ドイツなどの近隣の国はユーロを使っているが、それ以外では円が3番目なので、日本人も多いということか;交換率1Euro=152.427円と極めて悪い(成田:140.19円)。

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イタリアは、Gelatoの種類が豊富で美味しい:買うついでに種類を調べてみたが、ここには次の16種類があった:Caffe, Cocco, Pistacchio,Fragola(イチゴ), Bacio(キスという意味だが、ペルージャ産のチョコの商標名), LimoneCroccantino al rhum(ラム酒入りアーモンド), Vaniglia, Cioccolato, Amarena(スミノミザクラの実と汁), Stracciatella(粉チョコ入り), Nocciola(ヘーゼルナッツ), Fior di latte(極上ミルク);2, 3,4種類、それぞれ、3.0, 4.0, 4.5 Euroとある;何を注文したか覚えていないが、美味しかったことは間違いない。

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一旦、ジュリエットの家近くまで戻り、そこからサン・フェルモ・マッジョーレ教会の前を通り、中には入らずNavi橋を渡り対岸に出て、駐車場に戻る;教会には入らなかった:Ve18に、ランヴェルティの塔から見た写真がある。

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橋を渡って川べりの住宅街で見つけ、戦没者慰霊でもなさそうで、後で調べた;ベルサリエリ(Bersaglieri)はイタリア陸軍における歩兵科の1つで、1836618日にA. L.マルモラ将軍の提案により、サルディニャ王国のピエモンテ(本土のピエモンテ州、イタリア独立運動発祥地)で基になる部隊が創設される;主な役割は偵察・先遣任務など軽歩兵特有の任務が始まりで、日本語では狙撃隊員、狙撃兵と訳される;マルモラの十戒は、一口に言えば、祖国思いの右翼的思想と行動であろう;それにしてもイタリアの社会事情に無知なのを反省する。

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サン・ゼーノ・マッジョーレ教会;右が11-12世紀の鐘楼、左が、修道院の塔;イタリア・ロマネスクの傑作と言われる;バラ窓は「運命の車輪」と呼ばれる。

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内陣と主祭壇。

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マンテーニャ作の「聖母と諸聖人」。

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正面扉にあるニコロによる新旧聖書から題材を取った青銅製のレリーフ。

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AD380年に亡くなった笑うサン・ゼーノの像。

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修道院中庭。