ミラノ(Milano

ミラノはロンバルディア州の州都である。2013年現在、人口130万人、近郊都市を含めて56万人で、ローマに次ぐイタリア第2の都市で、緯度は稚内とほぼ同じであるが、最寒月の平均気温は5 °Cと割合暖かい。翌年(2015)には、万博の会場となることが、決まっている。

ミラノには、1999年に、Paviaで学会があった際、ミラノから通ったことがある。その際、ドゥオーモ、サンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会にある「最後の晩餐」や、レオナルド・ダ・ヴィンチ博物館など、一番の見どころは、見たので、今回は、その時、見られなかったところを中心に、丸1日(土)、訪問した。

   ミラノから離れたところにホテルを取ったが、市内に車で入るのは大変なので、旅行前に調べてメトロ(第2線)の中央駅から8つ手前のCascina Gobbaという駅前に大駐車場があることを知りそこに停めて、そこから、地下鉄で、中心部に行った。駐車場に入るのは簡単で、土曜の為か、駐車場は空いていた。ミラノの郊外のメトロの多数の駅前には、このような駐車場があり、郊外から町の中心への通勤者の役に立てているようである。駐車料は12 Euroで、メトロは、1日券が、4.5 Euroであったが、乗車駅では、券売機の前にいた若い女性に、一人1回、計2名、3 Euro支払わされて購入した。その時は駅の職員のサービスかと思ったが、1人当たり、0.50 Euroの手数料を取った私的行為であることが分かった。こういうことは、許されるらしい。その後、Milanoの中心で、再度乗る際に、1日券を購入した。

     ミラノでは、主に、ブレラ絵画館スフォルツァ城を訪問した。途中、本を購入するために駅ビルに立ち寄った。そこにある大きな本屋は、土曜でも営業していて、相談コーナーに人(男性)を配置していて、英語も通じて、求めている本(イタリアの化学の教科書)を、本のあるところまで案内してくれ、すぐ選ぶことができた。今回の旅行では、総じて、北イタリア人のサービスは、日本人並みに良いと感じた。

   ネットで見る日本政府観光協会のURLによるミラノの情報では、予約を奨められる観光訪問先が2つあり、1つは、当然、ダ・ヴィンチ作の「最後の晩餐」(サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会)であるが、もう1つは、ブレア絵画館である。予約無しで行ったが、特に混んではいなかったが、ミラノに多くの観光施設がある中、それほど、貴重なものであるということを知る。イタリアで、5指に入る美術館というから相当なものである。

案内書では、ポルディ・ペッツォーリ美術館にある筈の絵が、当館にあったりしたので、ここに、何かの都合で、ここに移っているのか、あるいは気を利かせてコピーをここに展示しているのかと想像する。ポルディ・ペッツォーリ美術館は、前は通ったが、中には入らなかったので、よく分らない。15-18世紀のロンバルディア派の作品が中心であるが、現代美術や彫刻までもある。写真に撮ったものは、「地球の歩き方」にあるもの以外に、興味を引かれたものなどであったが、それの作者、題名などは、次に示すURLから調べたが、数が多いので、調べきれないものもあった。

これを調べていたら、秀吉によるフランシスカン宣教師の長崎における磔刑を題材にした画があることが分かり、これに気づかなかったことを残念に思う。日本史で習ったことを思いだし、日本史の参考書を調べたら次のように書いてあった:「1593(文禄2)、イスパニアの使と共にフランシスカン派(キリスト旧教であっても耶蘇会とは別の教団)の宣教師がマニラから来て伝道に従事したが、ほどへて土佐に漂着したイスパニア船の船長の言動に領土的野心を暗示するような箇所があったために、秀吉は(中略)、宣教師7人と日本人信徒19人合わせて26人を京都から長崎に送って磔刑に処した」。

    (最初の部屋Iの場合) http://www.brera.beniculturali.it/Page/t04/view_html?idp=134

(最後の部屋XXXVIIIの場合)http://www.brera.beniculturali.it/Page/t04/view_html?idp=457

  スフォルツァ城Musei del Castello Sforzesco)は、妻をベンチに待たせて、場内を回っているうちに、意外と広く、方角が分からなくなり、なかなか元に戻れず、無駄に、時間を費やしたりして、場内の美術館に、荒俣宏夫妻が、本(「ヨーロッパレンタカー旅行完全ガイド」)で推薦されているダ・ヴィンチの描いた天井画を見ることをすっかり忘れてしまった。なお、この城のイタリア語名は、荒俣氏の本では、スフォルツェスコ城と訳されていて、スフォルツァ城とどちらが正しいのか、分からないが、ウイキペディアでは、両方併記されている。1999年に当地に、学会出席で来た時、私が、学会に出席中に、妻は1人で来ていて、上記、ダ・ヴィンチの天井画や、ミケランジェロの最後の未完の作品「ロンダーニのピエタ」などを見ていたそうである。ミケランジェロは、フィレンツェのアカデミア訪問の際に知ったが、途中で飽きてしまうのか、未完の作品が多いので、これも、その理由で、未完になったのかも知れない。この城と、特に境目もなく、それに隣接するセンピオーネ公園とは一体となっていて、かなり広く、当日は土曜日であるためもあってか、多くの若者が、友達と連れだって来ていた。入場料もいらないので、お金を使う必要もないので、若者には、人気なのであろう。しかし何故か子供の数は少なく、芝生で遊んでいる子供はいない。こういう公園では、子供は遊ばないというのが、こちらの習慣なのかもしれない。

   上記の荒俣夫妻の本に紹介されているダ・ヴィンチが描いた天井画を示す(Mi38’)。

   ミラノには、2つ空港があり、1つは、マルペンサ(Malpensa)国際空港で、市の北西、約46 kmとかなり遠い。成田から、ミラノに入る際に利用して、ここで車を借りて、北イタリア旅行の出発点とした。もう1つは、リナーテ空港で、市の東に位置し、バスで約、30分の距離にある。国内空港で、今回、サルジニアに渡る際に、ここから出発した。

   なお、北イタリアには、今回、訪問した場所だけでも、MilanoMeranoTiranoBellanoのように末尾に-anoが付くところが多い。この意味をイタリア語の辞書で調べたら、<<「職業」「階層」「品格」および、国家、都市、地方などの「住民」「言語」の意;名詞を形容詞化する>>と書いてある。このうちどれに相当するのかよく分からないが、「住民」なのかと想像する。発音は、<<ミラノ>>より<<ミラーノ>>に近いのではと想像するが、日本語では、何故か、<<ミラノ>>だけは、伸ばさないで発音するのが習慣のような気がする。


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ミラノ市内の今回訪問した場所を赤線で、1999年に訪問した場所を青線で示す。

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第“2線”のCascina Gobbaの駅前駐車場に車を置いて、ミラノ中心に向かうところ。

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Giovanni Bellini(14301516)(15世紀ヴェネチア派最大の画家)作:ピエタ(1460)

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A.Mantegna作:Cristo morto(死せるキリスト)

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Giovanni Berllini作:アレクサンドリアにおける聖マルコの説教。

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Arturo Martini作:Bevitore(飲む人;酒飲み(?))1928)。

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Massimo Campigli作:Donne con la chitarraWomen with guitars(1927) ;構図が面白いと思うが、無名の作品らしく、「ギターを弾く女」と調べると、フェルメールの画が出てくる。

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Modigliani作:(上)Rirayyo di Givinetta、(下)Moise Kisling

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Modigliani作:Bramante.

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修復室;当日は土曜日なので作業は行われていなかった;撮影禁止のマークは、後で写真を見て気づいた。

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Pietro Alamanno作:Polittico di Monterubbiano(モンテルッビアーノの多翼祭壇画。

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Piero della Francesca作:ウルビーノ公の聖母子と聖人の祭壇画。

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Simone Peterzano: 2人のサティロス(半人半獣の森の神)とヴィーナスとキューピッド。

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Raffaello Sanzio: Sposalizio della Vergine(聖母の婚姻)

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Caravaggio(Michelangelo Merisi): Cena in Emmaus(エマオの晩餐)

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Grulio Cesare Procaccini作:罪を悔いたマグダラのマリア。

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Tanzio da Varallo (Antonio d’Errico)作:Il martiro dei frati francescani a Nagasaki(長崎におけるフランシスカン派の磔刑);現物を見過ごしたので、ネットのコピーを取った。

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El GrecoDomenikos Theotocopoulos)作:黙想中の聖フランチェスコ。

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A.Van Dyck:貴婦人の肖像画。

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Giovanni Segantini作:春の牧場。

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Antonio del Pollaiuolo:若い貴婦人の肖像;これは、Poldi-Pezzoli美術館にあるはずなので、此処にあるのは、コピーなのであろう。

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これは、Brera絵画館にあったものであるが、その元になっているのは、Michelangeloが描いた「クレオパトラ」の素描で、それは、上記のPoldi-Pezzoli美術館にあると思われるが、その辺の事情は、ちょっと調べたが、分からない;ただし、顔の表情などは、Mi21の方が、クレオパトラのイメージとして優れているように感じる。

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前を通ったPoldi-Pezzoli美術館の入口;そこにあるシルエットは、M21のものである。

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路面電車。

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中央駅は、1931年に開業、1日に500本の列車が、発着する;治安は悪いと言われるが、あまり感じなかった;駅ビルにある本屋の展示本の中に、村上春樹の「1Q84」のイタリア語訳本があり、 海外でも、よく売れているという話は聞くが、イタリア語にも訳されて販売されている。

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駅ビル内のアーケード;天井はガラス張りになっている。

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駅ビル壁に備え付けになっている当市の写真展示館(Palazzo della regione)の広告。

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駅内アーケードなので、重い荷物を運べるように、ベルト式傾斜エスカレーターがある。

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地下鉄内風景;スマホをやっている人は、日本より、わずかに、少ないようである。

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スフォルツア城入口。

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城の入口を入ったところから入口を見る。

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市内見物ツアー一行なのか、場内の説明をしている。

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城内は、センピオーネ公園に繋がっていて、土曜日でもあって、多くの市民、特に若者の憩いの場になっている;城の中庭や公園は入場無料である。

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城内は、センピオーネ公園に繋がっていて、土曜日でもあって、多くの市民、特に若者の憩いの場になっている;城の中庭や公園は入場無料である。

18時過ぎに、城を後にする;撮影時187分。

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ダ・ヴィンチが描き、20世紀まで忘れられていた天井に描かれたフレスコ画。

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1999年に、最後の晩餐を見に行ったとき(サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会のドメニコ修道院);予約して行ったが、予約しない人は、右側に並んでいるが、50人以下であったと思うが、どれくらい待たねばならないか分からない。

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12515分の見学方式は、現在と変わらない;フラッシュ無の写真撮影は自由であり、今はカメラの性能が良くなったから、よりよく撮れる;この反対側にも絵があるが誰も見てない。

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12515分の見学方式は、現在と変わらない;フラッシュ無の写真撮影は自由であり、今はカメラの性能が良くなったから、よりよく撮れる;この反対側にも絵があるが誰も見てない。

ミラノのドゥオーモは、ゴシック様式で、高さ108.5 m、奥行き157 mである;1386年から、1887年に尖塔が完成し、500年を要したそうで、大変、見事で、屋上も歩ける。

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ミラノのドゥオーモは、ゴシック様式で、高さ108.5 m、奥行き157 mである;1386年から、1887年に尖塔が完成し、500年を要したそうで、大変、見事で、屋上も歩ける。

レオナルド・ダ・ヴィンチ記念博物館の入場券は、当時はリラが使われていたが、20021月から、ユーロになり、10 Liraは、円に換算すると1リラ=1.932627円なので、入場料は、約20円ということなのか;ダ・ヴィンチの才能に驚くと共に、見学者の少なさを残念に思った。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ記念博物館の入場券は、当時はリラが使われていたが、20021月から、ユーロになり、10 Liraは、円に換算すると1リラ=1.932627円なので、入場料は、約20円ということなのか;ダ・ヴィンチの才能に驚くと共に、見学者の少なさを残念に思った。