国際連合ライオンズデーに参加して

当社 野口 正二郎
3月11日(金)は、東日本大震災から、丁度5年になるが、3月11日(金)・12日(土)に
ニューヨークの国連本部等に於いて、第38回国連ライオンズデーの行事が開催された。
友人のH氏に誘われて、始めて参加することにした。
今期は国連の70周年、またライオンズクラブ国際協会の会長が日本より2人目の
山田實紘国際会長(岐阜県・美濃賀茂ライオンズクラブ所属)ということで、良い機会になった。
ライオンズクラブは国連より古く、1917年にシカゴで誕生し、来年で100周年を迎えることになる


日本航空を利用して、ライオンズクラブ指定の高級ホテル、グランド・ハイアットに泊まるよりも、
ジャルパック・ニューヨーク・フリー4泊6日のほうが安く、空港・ホテル間の送迎も付くので、パック旅行にした。
久しぶりのニューヨークにて、1日早く出て、9日(水)日航の夕方便で成田空港から出発する。
72時間前にウエッブチェックインして通路側を確保したが、実動12時間の飛行はお尻が痛くなり、
エコノミークラスはややきついが、我慢であった。
機内食は、フードスタイリストの飯島奈美さんプロデュースということで、夕食は(チラシスシ)、
2回目の食事は(スープストック)をいただいた。良い食事である。
機内では日本映画を見る。「母と暮らせば」(吉永小百合、二宮和也、黒木華・出演、
山田洋次監督)は、長崎に原爆が投下された終戦時のお話、もうひとつは「東京タワー・オカンとボクと、
時々オトン」(オダギリジョー、樹木希林、小林薫・出演、松岡錠司監督)で、リリ−・フランキーの
母との思い出話、2本とも心に沁みる作品であった。長時間のフライトで、素敵な映画との出会い
は嬉しいことである。

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 ★写真説明
 
1〜3)ロジャー・スミスホテルの外観、フロント、客室 )ホテルの朝食を食べられるカフェ

ニューヨークのJ・F・ケネディ空港は夕方着で、入国手続は早く済むが、税関で荷物が出るのに
時間がかかる。ジャルパックの係員が出迎えて、ニューヨークの夜景見ながらホテルへ直行した。
道路状態が悪くドライバー・ガイドの声が聞こえなかったり、所々が渋滞で、やや車酔いになる。
4組8人のお客のうち、3組6人が、ミッドタウンにあるロジャー・スミスホテルであった。
このホテルは、レキシントン・アベニューに面しており、国連やグランド・ハイアットまで徒歩10分以内の所。
ロビーは狭いが、リンゴやヨーグルト、それにグラノーラ?が置いてあり、自由に食べ放題で有難い。
パックツアーなので朝食付だが、ホテルのブロックの裏側にあるカフェ・バジルで10種類の軽食から選択と
飲み物がいただけるようになっている。イングリッシュ・マフィン、フレンチ・トースト、クロワッサンなど日変わりで
食べてみた。ホテルの室へ持ち帰りもできるので便利である。
部屋は5階で、割合に広く、バスタブもあり諸設備が整っている。ダブルベッドが2台あり幸いであった。
しかし通りに面しており、夜間も車の音が聞こえて、やや問題であった。時差と騒音で寝不足気味?



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 ★写真説明
 
5〜8)ワン・ワールド・トレードセンターと展望台からの眺め 9〜10)グランド・ゼロの2つのプールには被害者の名前が記されている
 11)グランド・セントラル駅はビルの1階にホームがある 12)セントラルパーク内、子供達の遊び場 

10日(木)は、観光の1日。ジャルパック・ニューヨーク・トロリーという無料の車でブルックリンのダンボと
ウィリアムスバークを自由に観光する案もあったが、当初の計画通りグランド・ゼロとメトロポリタン美術館を
地下鉄で巡ることにした。数十年ぶりにて、お上りさんのようで、グランド・セントラル駅で人に訊ねながら、
10ドルで9ドルの地下鉄券を買って、乗り込んだ。乗車1回が2ドル50セントなので、3回は利用可能。
グランド・ゼロは、ウィキペディアによると爆心地を意味する言葉だそうだ。2001年9月11日にツインの
ワールド・トレード・センターがテロにより、多数の被害者をだし、消滅してから14年と6ヶ月になる。
30年前に妻と一緒に展望室へ上った建物は、ワン・ワールド・トレード・センターとして一昨年秋復活していた。
早速、高速エレベーターで102階に上がると、マンハッタンも含め、360度の展望が開けている。高層ビル群が
小さく見える。天気も良い。恐ろしく、忌まわしい9・11のテロ事件がうそのようである。
地上に戻ると、そこは慰霊のための記念公園(ワールドトレードセンター・メモリアル)になっており、2つの四角い
記念プールがあり、水が中央に落ち込むようになっている。プールの囲いには、被災者の名前が刻みこまれており、
ところどころ花が差し込まれて、メモリアルとなっている。
プールの水が流れ落ちる様は、亡くなった人々、その家族、友人達の止まることのない涙なのか、設計者に
訊いてみたいところだ。隣接の4WTC(フォー・ワールド・トレード・センター)は、日本人の槇文彦氏が設計され、
2012年11月に完成。元々のツインのWTCは、日系人のミノル・ヤマサキ氏の設計で、1972年(ノースタワー)
1973年(サウスタワー)2棟が完成した。28年から29年間、ニューヨークの象徴のひとつで人気を集めていた。
去年11月のパリのテロ、今年3月のベルギー・ブラッセルでのテロと、テロが拡大する一方で悩ましい。

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 ★写真説明
 
13〜19)メトロポリタン美術館の入口と内部の展示物、ピカソやバルテュスの絵もあった

メトロポリタン美術館は、地下鉄77番街駅が近い。セントラルパークの中ほどの5THアベニューに面しており、
ゆっくり歩くと10分かかる。入場券は、シニア割引に寄付を付けて、20ドル支払う。日本語の館内地図あり。
右手から入るとエジプト美術がある。写真はフラッシュ無でOKとのことで、取り始める。右奥にアメリカ美術、
そこを抜けるとアメリカ美術カフェがあり、七面鳥のサンドイッチを食べる。ボリュームがあり美味だった。
中世美術、ヨーロッパ彫刻・装飾美術、近現代美術など見て回ると、左足がやや痛みだしたので、諦めて
1階のギリシャ・ローマの展示は素通りして、地下の出口から出た。ピカソやバルテュス等のヨーロッパの著名な画家
の絵、アメリカのノーマン・ロックウエルの絵等が真近に見られて幸いであった。もし又来られたら、アジア美術もある
2階を是非とも見学してみたいものだ。
夕食は、ジャルパックで貰った近くのお勧めレストランを頼りに、シーフード・レストランに行ったが混んでいたので、
和食のうどん(UDON WEST)という店に入った。うなぎの寝床のように、間口は狭く奥行が長い店で、若い
お客様達で賑わっていた。アジア系の経営のようだ。かきあげうどん、お刺身とビール特大ジョッキを注文し、
満足の夕食となった。ビジネス街で手頃なレストランが多くある。
翌日の昼食も国連に近い日本そば店(SOBA TOTTO)にて、そぼろ重ともりそばセット、ビールをいただいた。
こちらは日本人の経営で、日本人スタッフも多く、味は間違いなく美味しい。やはり奥に長い店だった。
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 ★写真説明
 
20〜25)国連見学ツアーにて、日本語ガイド付で回る 26)国連に近い日本ソバ店で昼食、そぼろ重とモリソバ(16ドル)

金曜日は、グランド・ハイアットに集合して、一緒に歩いて国連へ行った。日本から約30人の参加であった。
例年より多い。山田国際会長も参加されるので、シカゴ本部より2名の日本人女性スタッフが世話係で来られた。
国連に入る際、警備が厳しいと知らされていたが、ライオンズクラブなのか、空港施設の手続より簡単であった。
お昼から1時間、2組に分かれて日本語ガイドさんの説明で、会議場を主に回る。
地下に国連グッズのショップと軽食、飲み物のコーナーがある。
見学の中で、国連は各国の意見交換、調整の場であるという説明が、印象的であった。
国連安全保障理事会の常任理事国(米、英、仏、ロシア、中国)の力が強く、1か国でも反対があれば、議事は
通らないということだ。日本は、非常任理事国10か国に入っており、任期2年となっている。
その日の午後4時より、グランド・ハイアットにて歓迎レセプション、午後6時、同ホテルのマンハッタン・ボールルーム
にて記念夕食会に参加した。どちらもアメリカンスタイルで、歓迎レセプションはお酒を飲みながら(ただし2杯目より
自費)各国参加者のフリートーキング、夕食会は着席で、長い挨拶は無くて、バンドが入り時々ダンスタイム。
日本のライオンズクラブにありがちな長い挨拶がないのは、大歓迎である。
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 ★写真説明
 ウェルカムレセプションにて
 
27)パキスタンから来た青少年・人権擁護活動家 サイド・ムハムード・カズミ青年達と
 
28)国連ライオンズデーの議長を務めた アル・ブランデル元国際会長と 29)プエルトリコのカルロス・ジャスティンラノ元国際理事夫妻と

 記念夕食会にて
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)山田實紘国際会長を囲んで 
31)ダンスを楽しむ山田国際会長、その後で踊るブランデル元国際会長夫妻 

土曜日が、本番の国連ライオンズデー総会である。日本グループは、午前8時に集合させられたが、開始は10時。
座席への誘導が遅れたので、多くの日本人は横の席に座っていた。我々3人は、中央の机のない席に座り、時々
場内カメラに写る。この日は特別に日本語通訳が入り、イヤホンで聴くことができた。約750人の参加であった。
アル・ブランデル元国際会長が議長を務め、ジョークを交えながら司会・進行を行う。
女性歌手の歌、国連事務総長の代わりに次長の挨拶、ニューヨーク州の役人の挨拶に続き、山田實紘国際会長、
吉川元偉・国連特命全権大使の挨拶があった。国連担当のライオンズクラブ元国際理事の紹介やお話、
カーター・センター理事のお話、パキスタンから来た若い人権擁護活動家・サイード・ムハムード・カズミ氏の基調演説
があり、午前の部は終了となった。4階?の国連代表食堂でチキンのランチをいただいて、午後の会議に参加する。
今年の平和作文コンテストの受賞者の発表、南アメリカのMR.JOEL GREEK。
今年の平和ポスターコンテストの受賞者の発表、中国大連のMISS YUMO ZHU。大連のライオンズクラブの
人達と一緒に参加されており、英語と中国語でしっかり挨拶をされていた。
今年のテーマは、「ジェンダーの平等と平和」ということで、ニロファ・バクティアー元国際理事がモデレーターとなり、
6名でパネルディスカッションを行った。正直なところ自分の身近な問題ではないと思うが、日本でも外国でも、
様々な問題が起こっていることは承知している。
或る人が、「人間は矛盾だらけである」と言ったが、まさにその通りで、自分や自国、自分の宗教が一番ということで、
様々な問題が世界中に渦巻いている。人間の大きな欲望が無くならないかぎり、この混沌とした世は続くであろう。
どこの国でも安心して旅行ができる時代がくることを願うものである。
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 ★写真説明
 国連ライオンズでー総会にて
 
)国連前にて筆者 )中国・大連の会員の皆様と )山田会長、ブランデル議長、日本の会員と
 
35)会の前に議長席で、日本グループ 36)クリスティーナ・ガラッチ国連広報担当事務次長の歓迎あいさつ
 
 37〜39
)ニューヨーク日系アメリカライオンズクラブとの交流夕食会(ペキンダックハウス)、山田国際会長も来られてごあいさつ
 
40)昔のパンナムビル   41)ロックフェラーセンターのアイススケート場 

最後の夕食は、ニューヨーク日系アメリカ・ライオンズクラブの人達が、中華レストランで夕食会を開催して下さった。
5年前の東日本大震災の際は、ニューヨークで街頭募金活動を行い、2か月で33万ドルを集められたというお話も
お聞きした。ニューヨークには、北海道や東北の県人会もあり、3月11日には追悼のミサが行われたようだ。
食べきれない程の中華料理をいただき、日本人同士の交流を持つことができた。
翌日3月13日(日)は夏時間に変わる日であったが、無事に起床して、ケネディ空港に行き、午前9時過ぎの
日航便で帰途についた。




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