新緑の奥飛騨と白川郷(旧遠山家民俗館)
野口 正二郎(当社)





岐阜県白川村出身の中谷克彦氏と共に、2016年5月下旬、新緑の季節に白川郷を訪ねた。
上野から中谷氏の車に3人が同乗し4人旅。まずは中央自動車道を通り、奥飛騨温泉郷へ向かう。
新穂高温泉の新穂高ロープウエーに乗って、しらかば平駅より西穂高口駅へ。
2階建の大型ゴンドラで標高約2,200メートルに登ると、北アルプスの絶景が待っていた。
まだ雪の残った山々が連なり、正面には笠ヶ岳(2,898m)抜戸岳(2,813m)、
右手には槍ヶ岳(3,180m)や奥穂高岳(3,190m)が見える。好天で幸いであった。
駅の周辺の遊歩道を散策すると、小さい水芭蕉が咲いていた。
山道に入るとすぐに雪道となり、軽装の我々は引き返すこととなる。
展望台は風が吹くと、さすがに寒い。気温は10度とのこと。
帰路の途中、渓流沿いの露天風呂「新穂高の湯」に入浴後、新平湯温泉の民宿「甚九郎」
にチェックイン。お風呂はややぬるいが、内湯、露天風呂とあり良い。囲炉裏の室での夕食。
隣りで、イギリス人の若い男性3人が夕食を取っていた。女将さんに訊ねると3泊されるとのこと。
民宿の料理は、シニア世代には丁度良く、お酒もほどほどにいただいた。
民宿は、おだやかな中年(シニア?)ご夫妻のもてなしで心安らかに滞在することができた。

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★写真説明
1・2)ロープウェイ・西穂高山口の展望台にて 3)新穂高の湯 4・5・6)新平湯温泉・民宿「甚九郎」にて

翌日は、朝食後早々にチェックアウトして、白川郷を目指す。
高山から有料道路、荘川ICで下りて、御母衣(みぼろ)湖の湖岸を走ると、荘川桜が現れる。
桜の大木が2本、新緑の葉をたたえ湖を見下ろしている。有名な桜の花は既に散っており残念だが、
人がいないので、ゆっくり見ることができた。御母衣ダム建設の折に、湖底に沈む旧荘川村の
二つのお寺から樹齢450年ともいわれる古木を電源開発(株)が移転し、現在まで守ってきた。
その御母衣(みほろ)ダム・発電所のダムサイドパークでは、大塚雅人資料館長と中谷氏の
親戚の中谷剛司氏が土曜日に出勤いただき、館長自ら説明して下さった。
ロックフルダムという岩と粘土状の土で作られた珍しいダムと思っていたら、調べてみると
日本各地に300か所位はあるようで、勉強不足であった。
その中でも大型のダムで、高さ131m、貯水容量370,000(1000立方メートル)、
1957年に着工、1961年完成の古いダムである。
特別に発電所の内部を見学することができた。ダム左岸直下210mに設置され、
2台の発電機で21.5万キロワットの電力を作る。この日は稼働しておらず、そのコントロールは
名古屋かどこか、別の事務所で行っており、いちいち発電所にこなくても可能となっている。
日本のダムは、土を盛ってつくるアースダムが50%、コンクリートダムが40%、ロックフルダムが10%
ということで、全国に約3,000のダムがある。原子力発電所が止まっても、水力発電等でなんとか
日本の電力をまかなっていることになる。

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★写真説明
7)新緑の荘川桜 8・9・10・11・12)御母衣ダム見学 13・14・15・16・17・18)旧遠山家民俗館

今回の目的のひとつは、中谷氏の祖母の生家であった「旧遠山家民俗館」を、見学すること。
修復工事が数か月遅れてしまい、7月から一般見学が可能になる予定であるが、中谷氏のコネで
白川村役場の担当者、松本さんが出迎えて、館内を案内していただいた。
1820年代のもので、白川郷の代表的な合掌造り、国指定の重要文化財になっている。
NHKで、日本全国の民家を描いて回った向井潤吉画伯の番組があり、旧遠山家の絵も紹介されていた。
1階は住居、2〜4階は養蚕用に使われていた。現在は、2階には農工具や養蚕、昔の生活用品が
展示されている。昔は大家族制で何十人もの人が、1軒の中で生活していた。
珍しいことに、昔は人尿を貯めて、火薬の原料となる焔硝を作っていた。建物の中に巨大な桶が2つあり、
用をたすようになっている。昔は辺境の地であったので、軍事機密を保つには良い場所であったようだ。
家の前に白山神社があり、急階段を登ってみると、枝葉が邪魔であるが上より全景を見ることができる。

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★写真説明
19・20)白川郷の散策 21・22・23)展望台より 24・25・26・27)民宿「かがやき」にて

午後、萩町城跡展望台に行くと、眼下に白川郷の全景が見渡せて、大感動。「和田家」が手前の中心
にあり、奥のほうに合掌造りの民家が散在する。新緑の季節、美しい日本の農村風景が広がっている。
昼間は観光客、特に中国の人が多く、写真を撮るのに賑わっていた。翌日の朝6時前に行くと、人が
おらず景色を独占してみることができた。中谷氏が午前中にもう1回展望台に連れていってくれたので、
合計3回行き、沢山の写真を撮ることができた。東京に戻ってから、4つ切りサイズで、6枚焼き回しした。

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★写真説明
28・29・30・31)どぶろく祭りの明善寺と庫裡 32・33・34・35)3回目の展望台より

村を散策して、明善寺の庫裡や和田家の内部を見学、昔の生活を偲ぶ。日曜日で人出は多い。
平成7年(1995年)に白川郷萩町合掌集落世界文化遺産に登録されると、約1,900人の村に
年間約100万人の観光客が来るようになった。近年交通網が整備されると、昔は山深い里であった
白川郷が簡単に立ち寄れることになり、昼間観光して、別の都市へ行き宿泊するケースが多くなった。
私達は、中谷氏の親戚・富安ゆかりさんが経営する民宿「かやぶき」に泊まり、夕食時は、いとこの倉嘉宏
白川村教育委員会・教育長を囲みながら、飛騨牛や、魚、山菜ををいただき、お酒も飲みながら歓談し、
1泊2日滞在することができた。
欧米人は、2〜3泊の連泊をする人が多いようで、我々も見習いたいことである。

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★写真説明
36・37)山中で水芭蕉との出合い 38)であい橋を渡って合掌造りの村へ 39)外国からのカップル 40)茅の貯蔵 41・42)和田家の外観

中谷氏の車で、自由自在に白川村と周辺を動き回った。富山県五箇山の合掌集落に足をのばし、
村上家で、団体客が(こきりこ民謡)などを鑑賞するのを外から聞いた。鳩谷ダムの放水を遠方から見たり、
山の中に入り、水芭蕉の群生を近くでみることができて、幸運であった。
10月中旬には「どぶろく祭り」があり、紅葉を見ながら、お祭りとどぶろくを楽しむのも良い。
11月は、消火訓練の為に一斉放水があり人気の行事となっており、冬は雪景色の合掌集落を見るのも
一興である。欲を言えば、観光客の少ない時に、ゆっくり村内を歩いてみたいものだ。

どぶろく祭りは、一緒に行った、壺阪氏が以前取られたビデオがあり、お祭り1日の模様が見られます。
約5年前に撮った「白川八幡宮のどぶろく祭(10分)」の映像です。

https://youtu.be/HohkXOvMNqE


4層の大きな合掌造りの民家が現在までどのように受け継がれてきたかというと、村人100〜200人が
集まり、「結(ゆい)」という心のつながりによる、茅葺屋根の協同葺き替え作業をずっと行ってきたからである。
この「結」の精神は、沖縄にも根強く残っていると、沖縄の知人から聞いたことがあった。
今回、中谷氏の親戚のお宅にも寄らせていただいたが、親戚つき合いは広く、深く、長いものと実感した。



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