9月17日(水)3日目:Orgosolo-Serra Orrios (オルゴソーロとセッラ・オリオス) 

最初の宿泊所(アグリツーリズモ)から、サルジニア島で一番優雅でリッチな場所として知られるエメラルド海岸地方のOlbiaオルビア)近くのホテルへ移動しながら、この島で独特な村として知られるオルゴソーロと古代遺跡で知られるセッラ・オリオスを訪問する。これらの4ケ所は、同じ島の比較的近くにある場所とは思えないほど、全く違った雰囲気の場所であるのは面白い。

Orgosolo(オルゴソーロ)

 ヌオーロ県のコムーネ(イタリアの地方自治体の行政単位「市、町、村」)の1つである。以前は、この村は、犯罪率の高さから、人殺しの村とも言われたそうである。1901年から1950年の間は、平均2ケ月に1人の割合で、家臣家族間の争いから殺人が起こった。かっては、周囲の山の盗賊が、敵対者に対して教会の扉に死刑宣告を貼りつけたことが知られている。1969年頃から、壁画で、種々の政治闘争を表すことが始まり、世界的な問題を扱うようになってきた。2006年からは、科学祭(530日―61)を行うようになって、最初の年は「天文」をテーマにし、2007年は「水」を、2008年には「エネルギー」をテーマにしたそうである。ウイキペディアや、「Sardinia」(Lonely Planet]にこのような説明が書いてある。経緯と作者はよく分からないが、町中の壁などに絵が描かれていて観光名所になっている。ただし、我々がここに行った時は、他に観光客は見当たらず、小さなホテルはあったが、特に観光客相手の店もなく、水曜日なのに人もほとんど見かけない不思議な街であった。残念なことは、イタリア語が、全く分からないし、イタリアの戦後の政治史にも詳しくないので、絵の意味は、ほとんど分からなかった。

  家は多くあり、車は走っているが、人影がほとんどない。ロスアンジェルスは白昼でも、危険なことから、車は多く通るのにほとんど人が歩いてないが、その光景を思い出した。Orgosoloに居た時は、絵ばかり見ていて気付かなかったが、後になって不気味な町であったことを感じた。こんなに家があっても人影はまばらで、人はどこに居て、何を生業としているのか不思議である。後で、写真を見たら、ほとんど人は写っていない。もし、白昼強盗に襲われたらと後で思った。そういえば、この島で警官の姿を最後まで一度も見なかった。

 この町で、滞在した約40分の間、約90枚の壁絵の写真を撮ったが、これらは、後で、ウイキペディアに載っている絵の数に比べると、せいぜい全体の5分の1ぐらいのような気がする。そのうちの一部のみを、ここに掲載する。説明は、ある程度意味の分かるものに限る。誰が、どのように住人の許可を得て絵を描くのかは分からないままである。

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地図で見ると、Orgosoloには、ほぼ東西南北に4つの出入り口の道があるが、南からの山道を北上していたら、突如、この色を塗った石が出てきたので、近いことを知る。

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並んだ3人は、そこに書いてあるように、左から共産主義の理論的提唱者Lenin, Engels, Marxである。後方の人は、イタリアの共産党創立者だそうである。A. Gramusiなのであろうか。

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右側は、Berlusconi元首相であるが、左は分からないが、Obama大統領に似ているが。

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窓のシャッターの隙間から男性が外を眺めている。まだ引退する歳でもないので、どうして、外を眺めているのだろう(1046分)。下のドアーは開いているから、治安が悪いわけではないのだろう。

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4人の男性が、座っている。まだ60歳前後と思われるが、深刻な顔をして話し込んでいる。11時前で、働かないでいるのは、どうしてなのだろう。ここまで書いた後、他の写真を整理していて、この方達の職業が思いついた。この近くの山岳高原地帯には、多くの羊が放牧されている。それで、朝、夕に、羊を小屋から出し入れすれば、昼間は暇なのだろう(資料編、田舎風景参照)。海は遠いから、漁師ではないし、漁師なら、昼間が忙しいはずだ。羊飼いなら、別の副業もでき、村には人がいないのであろうと想像した。それにしても、この4人とも喫煙していなく、旅行中、喫煙者を見なかった気もする。

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歩いた地域で、高台になっている地点から見た、別の地域で、ここへは行かなかったが、ここにも多くの壁画があるに違いない。よく見ると、車はあるが、人影が全く見えなく不気味である。

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帰国してから、このコミューンで、女性に会っていないと思っていたが、写真を整理していたら、ここの長い階段に1人、重そうな荷物を持って昇って行かれる方を発見した。

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小ホテル-レストランの表示あるが、客がいる気配はない。“Cucina Typica e Camere a Pezzi Modier”と書いてあるものと推察する。「(イタリア)典型的料理とダブル(ベッド)の部屋」と辞書を見て訳してみる。Pezziの意味は、はっきり分からないが。

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島のあちこちで見られるサルジニアの旗を、島の形の上に配した図である。島が、独自の旗を持っているのは珍しいと思うが、現在のものは、1999年から正式に「紋章(Flag)」と認められた。

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異様な看板が壁にかかっていた。雰囲気から、葬儀社のものと想像できたが、後で辞書を調べたらやはりそうであった。競争相手もいない孤立した町でどうしてこのようなものが必要なのか考えてみたが、やはり、電話番号を示すことが、いざというときの利用者へのサービスなのだろう;一般に労働者の生活を厳守するこの国でも、対応は24時間であることを知る。Onoranze Funebri(葬儀)は、Mattino(午前)9:00-12:30時と、Pomeriggio(午後)は、水曜と木曜の17:00-19:00時と書いてある。通夜に当たるものは無いらしい。多分、土葬なので、火葬の時間制約はないようだ。

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Orgosoloの東側出口にも、出口であることを示す絵が石の上に描かれている。

Serra Orrios(セッラ・オリオス)

 Orgosolo1110分に出て、46号から38号を通って、1144分にSerra Orriosに着く。Orgosoloとは、全く違う雰囲気の場所である。当地が、この島の地らしく、Orgosoloが、古代を感じさせない全く異質な場所と言えよう。Serraは、温床あるいは、山脈、渓谷の意味があるが、Orriosは辞書に無く、意味は分からない。

So1’ So2’ So3 So4 So5
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So1’

Orgosoloから北東に約33 km行ったところにSerra Orriosという遺跡がある。Dorgaliの西北11kmに位置する。入場券販売所(So3)は(So2)の入口を入った左側にある。園内は、上から見た写真が分かり易いので、入場券を掲載する。入場料は、券にあるように、2.50 Euro/人である。シニア割引は、この島には無かったと記憶する。

So2’

So3

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入口近くにある立て看板にあるここの鳥瞰図。

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このような馬蹄形をしたものは、当地への巡礼者が回るためのものと解釈されている。So1’の図で数えてみると50数個は分かるが、実際は約70個あるそうである。他からの巡礼者と住民のためのものとに分かれているそうである。入場券にはイタリア語で書かれているので、はっきりは分からない

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ここを出て、北に進み、十字路を直進し、Serra Orriosから、北へ3 kmぐらい行った先にGiant’s Tombと呼ばれる墓があり、その入口は、写真のように、寂れた様相で、閉鎖されているのかと思ったら、扉の鍵はかかってなく中に入れ、管理人もいなく、入場料も取られない。その遺跡の名称は、「SA ENA E THOMES」であることは、So1’からも確認できる。中には標識もなく途中で道が別れ、筆者は右に行き斜面を登り、妻は左に行ったら、結局、左に行く平坦な道が正しかった。

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右側の斜面を登って行くと、この写真のような遺跡らしきものがあり、惑わされて先に行くが、無いので戻ってきた。地図(So1’)を見るとそこには、Crastacane(307 m)という山がある。

So10

Tomba di gigante(giant’s romb): 先に辿り着いて戻って来た妻に遇いようやく目的地に着く。このように無駄な時間を費やす。これが次のSo11’とは別物だとは、旅行記を書くまで気づかなかった。形式は全く同じだが、石の形は全く違う。どちらの方が有名なのか分からないが、後に述べる「サルジニア・ミニアチュア」では、So11’のものが紹介されている。中央の巨石の高さは、3.65 m、幅は、2.10 mである。

So11’

筆者がサルジニアに行くと掛かりつけの歯科医に云ったら、以前に米国滞在中に、この島に来られてその際に購入した「エメラルド海岸」と題した本を貸して下さった。そこに出ている図に、ここから直線で約100 km離れたArzachenaのものを掲げているのは、見なかったが、BC3500年ごろshelterとして使われたそうである。So10のものとよく似ているが、石の形など同じではない。似たようなものがあったのであろう。

So12

So10の巨石の裏の下側は、地下の穴のトンネルが掘られている。

So13

So14

So15

門を出て、道を直進すると、消えかけたアグリツーリズモの宣伝とこの看板がある。近くにあるNuoroには立ち寄らなかった。