●9月18日(木) 4日目: Costa Smeralda(エメラルド海岸(I))(付:コルシカ島との比較)
Smeraldo(スメラルド)はイタリア語でエメラルドを意味する。この海岸は、イタリア語で「コスタ・スメラルダ」と発音するが、日本語ではエメラルド海岸と呼ばれている。そう言っても日本ではほとんど知られていないので、この語のWikipediaの日本語(訳)版はない。
セレブ御用達ビーチリゾートとして有名で、サルジニア島の北東部のオルビアを基点とする海岸をいう。1961年よりアラブの富豪アガ・ハーン4世(Prince Karim Aga Khan)によって開発された究極のリゾート・ゾーンをいう。ホテル内には専用ビーチやゴルフコース、ヨットハーバーなどあらゆる絢爛豪華な施設が整い、ヨットやプライベートジェットで訪れる大富豪も。中心地はポルト・チェルヴォ(Porto Cervo)である。もちろんパブリックビーチや手頃な値段の宿もある。
大きなビーチはなく、観光客もあまりいなく、表面的には静かな別荘地である。日本の海水浴場の現状を知らないが、海の家がある、音楽をかける、ビーチバレーをするなどは、ニース・カンヌ・サントロぺとか特に有名な海水浴場以外ではあまり一般的ではない。脱衣は、ホテルで行って近くのビーチに出るか、バスタオルを巻いて行うのが一般的である。
Pa1’
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ホテルは地図の一番下側にあり、この辺の中心地Olbiaに近い。当地区の初日(18日)に訪問した場所は●+赤下線で、2日目(19日)に訪問した3ヶ所(Baia Sardinia, Porto Cervo, Porto Rotondo)は青下線で示す。後に述べるが、Porto
RotondoにはBerlusconi元首相の豪華別荘もある。
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Pa2
Pa14
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ホテルから北に約17 kmの距離のPalauに行く。そこは、巨岩と高級別荘とブーゲンビリアなどの美しい場所であった。犬の散歩禁止(Vietato:禁じる:Pa8)の注意もある。向側にMaddalena島がある(Pa4)。この島は、東側のCaprera島と繋がっているが、それは、地図から判断すると、ここからは、手前の島(Santo Stefano島)の陰になるはずでPa4の右側遠方ではないであろう。Maddalena島では、2009年にサミットが行われることに決まっていたが、その前に、L’Aquilla(ラクイラ)で4月に、大地震があり(アッシジの被害で知られる)、そこの復興を目的に、急遽、ラクイラへ会場を変更して行われた(レンツィ首相が主催者で安倍首相が出席した)。Caprera島には、イタリア統一の父Garbaldiの家がある。Palauから西側のPorto Rafael(Pa12)まで散歩した。
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Rc1
Rc4
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次に西北方向にあるValle dell’Ericaに行く。ここも、沖合に島が多く見え、Spargi島(最高点が153 m)が見えるはずであるが、どれか分からない。ここは、黒人の物売りが周っているから、一般の旅行者が多い海岸なのであろう。
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St1
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この島のほぼ北端であり、2009年に行ったコルシカ島が見えるSanta Teresa Galluraに行く。先端の海岸には、割合勾配のある坂道を降りていく。ここは海岸が狭く、人が多いので、物売りは、屋台を構えて、海水浴必要品を販売している。なお、当地は、地図(Pa1’)が示すとおり、エメラルド海岸からは少し離れており、街には、スーパーなど店舗が多くあり、いわゆるエメラルド海岸とは雰囲気が全く異なり、庶民的なところである。北部の海岸地域ということで、ひとくくりにここに記述した。
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St2
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St3
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海岸に階段で直結する高台にある店で軽昼食を取る。店員が請求書を持ってくる。左の人は、壁のメニューを見ている。下の海岸(St5-St8)やSt4の野外テーブルには大勢人がいるが、店内で休んでいるのは我々だけである。一時でも日光浴がしたいのに、店内に入るのはもったいないと考えるのは、北欧に2年強住んでいた筆者にはよく理解できる。
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St4
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そのすぐ外のテーブルでは、飲み物などを取っている。多くの人は、日光浴が好きである。
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St5
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店先の階段の下が、砂浜になっていて、お互いに適当な間隔を空けて場所を取っている(St5, 6)。海に入っている人は数人しかいない。球技をしている人は1組しかいない。本島で見た海岸では、ここが一番人口密度が高かったが、海の家はなく、日よけ傘はあっても、チェアーは利用しても、傘を利用している人はいない。当地は、コルシカが近い以外に観光の目玉がないが、北欧など日光浴の必要な外国からの団体客用ホテルが多くあって、そこで宿泊している人たちなのであろう。St8の後方の建物群がそうで、更にSt7の階段の奥にもあるのか、人が降りてくるのが見える。日光浴が主目的なので、日避けは人気が無い(St9)。トイレ(St6)、シャワー(St7)はある。音楽など騒音も無い。国籍も分かれば、面白いのだが、多分、ドイツより北の人達だろう。
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St6
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St7
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St8
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St9
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St10
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約18 km先のコルシカ島のBonifacioの町が左方の高台の上に見える。2009年に行ったコルシカ島から見たサルジニア島については後に記す。上記の写真でも遠方に見えるのはコルシカ島。
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St11
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Santa Teresaから海岸に沿って西南進み、Mte Russa(Pa1’の左端の●)付近で、時刻は、16時34分。救命具が無いから、heliotherapy(日光浴)だけにせよという注意書き看板があった。
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St12
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標識の1番上には、Auditorium(録音用スタジオ)の表記と仮面の絵があるから、スタジオがあるのであろう。オリスターノで行われる仮面祭りは、この島の1つの特徴的な祭りである。下は、Tempio (Pausania) 47 km、下から2番目はcirconvallazione(環状路)。どの道を指すのか分からないが、Olbiaに向かって帰り、ホテルに18時36分に着く。
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St13’
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日本からサルジニアへの団体旅行は、まだ大変珍しいと思うが、ある宣伝では、「エメラルド海岸にゆったり2連泊」と書いてある。ヨーロッパ人が見たら冗談だろうと思うだろう。「白砂のビーチがまぶしい」と書いてありながら、岩ばかりの写真を示すのもおかしい。日本人には、砂浜が無い所に沢山人がいるのは異常に見えるかもしれないが、彼らは、海水浴ではなく日光浴に来ているので、構わない。実際、スウェーデンが砂浜が少なく、海辺が、このような状態のところが多く、また人気があり、そこで1日日光浴をしている。子供は、公園やプールサイドで日光浴をさせる。
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◆(参考)40年以上前(1972年)のSwedenからのSanta Teresaへの団体旅行パンフレット
1970-72年にスウェーデンの第2の都市イェテボリ(Goteborg)に留学していた当時の、世界各地への団体旅行の数社のパンフレットを未だ保存している。そのうちの1社SJ社のものにサルジニア旅行として、このSanta Teresaへのものを見つけたので、ここに紹介する。このパンフレットでは、行先は(主にスウェーデン語表記)、スペイン(カナリア諸島、Mallorca、太陽海岸、Ibiza)、チュニジア(サハラ砂漠等)、ポルトガル(Algarve)、イスラエル(Nathanya)、オーストリア(Gotzens/Fugen,
Bad Obladis),スイス(Andermatt/Engelberg)、イタリア(Rimini/Riccione)、Rom、Sorrento/Maiori/Capri,
Sardinien, Sicilien)、ギリシャ(Rhodos)、ユーゴスラヴィア(Dubrovnik/Budva)が記されている。他社のも含めれば、少なくともヨーロッパの主要都市、観光地には、このようなグループ旅行で安価に行ける。我々も、2年間の滞在中、パリ、ローマを含めて6−7ヶ所に行った。スウェーデン(北欧)からの団体旅行は、1週間単位で、2週間―4週間延泊も可能である。旅行社が用意するのは、基本的には、最寄の空港(我々の場合は、コペンハーゲンか、イェテボリ)から、行先のホテルまでの送迎、1週間の(原則、朝食付きで、夕食、3食付もできる)ホテル代だけである。あとは、オプショナルツアー、レンタカーなどを代金を払って申し込むことができる。費用は、季節、泊まるホテルの格によって異なり、シングルかダブルか家族部屋かなどあるが、一番普通なのは、ダブルルームの3星ホテル級である。日本からハワイへの団体旅行は、この方式を採用している。北欧人は太陽が肉体的にも精神的にも必要なので、行先は、地中海などの海辺が多く、人気がある。日本の団体旅行と根本的に違うのは、日本人は、短期間に次々と場所を変えて移動するのを好むのに対して(1ケ所に2泊でもすれば、「ゆったり、驚異の連泊(とか3連泊)」という宣伝文句さえ見られ、北欧人が見たら、逆の意味で驚異と感じるであろう。丁度、「ワイキキビーチでゆったり2連泊」と言うのと同じことである。)、ヨーロッパ人(少なくとも北欧人)には、1ケ所に、朝から晩まで、海辺で、じっとして日光浴を楽しむのが最高のヴァカンスである。
Sw1’
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1972年のスウェーデンからのサルジニア島、Santa
Teresa1週間滞在の宣伝パンフレットには、Alghero(本旅行記に記載)と当地が選ばれている。費用は、最低SKr245から(当時の換算レート1 SKr=約70円だから、18000円)と書いてある。当時、筆者は手取り、18万円給料(日本の約3倍)貰っていたから、休暇日数が取れさえすれば、費用的には、ヨーロッパの各地に旅行に行けた。当地の人口は、3000人と書いてある。(なお、よく注意して見るとSwedenのみならず、多くのヨーロッパの国は、数字の桁の表記の、[.]と[,]を、アメリカや日本などとは逆に使っている。学術的には、日本流が正しいとされているが、世界的に見ると、ヨーロッパの主流のやり方を用いている人口の方が多いそうである。)
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Sw2’
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Algheroのホテル2つと、当地のホテルの写真(一番大きい写真)が出ている。ホテルに隣接している海岸なので、何の特別な施設もないように見える。こういうところで、のんびり1週間、日光浴するのが、北欧人流のセメステル(ヴァカンスのスウェーデン語)の典型的楽しみ方のようである。
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Sw3’
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Algheroのホテルの大きな写真2つと当地のホテルの写真1つが出ている。これが多分、当地の安いホテル(1972年当時:一週間、18000円、2人なら1部屋で、2倍の価格より大分割り引いた価格であろう。)ホテルからの距離はよく分からないが、海がちょっと写っていることが、彼らには、大変重要である。ここからのオプショナルツアーとして、Porto Cervoへの1日旅行(ランチ代別2500リラ=約1600円(以下、当時の換算率))、Maddalena島とガルバルディの生家見学の半日旅行(2200リラ=約1400円)、NuoroとOrgosoloの1日旅行(ランチ代別4500リラ=約2900円)、コルシカ島1日旅行(船で、片道50分;ランチ代別4400リラ=約2800円)の4つが、用意されている。サルジニアの観光に適した時期の平均気温と水温が書いてある。5月:21℃(気温)、18℃(水温)、6月:25、22、7月:28、24、8月:28、24、9月:26、23、10月:21、23である(各月の表記の最初が気温、2番目が水温である。)水温からすれば、5月下旬から、10月中旬までは、スウェーデン人にとっては、快適な海水温度である。日本なら、水温を書かずに、降雨量を書くであろうが、地中海地方は夏季は、ほとんど雨が降らない。
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●(参考)コルシカ島(フランス語では、Corseと書き、コルスと発音)
2009年6月に、Bonifacio(ボニファシオ)海峡を隔てて約13 kmに位置するコルシカ島(フランス領)を訪問し、その南端のボニファシオからボニファシオ海峡を挟んでサルジニア島を眺めたことがあるので、その時の写真を参考までに示す。
Co1’’
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コルシカ島の南端のボニファシオ(Bonifacio)から見たサルジニア島。Co2で比較的はっきり見えるのは、手前の島と思われるがどの島かは分からない。
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Co2’’
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Co3’’
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ボニファシオの周囲の遊覧船から見上げたボニファシオの町。
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Co4’’
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岩が波に浸食されて、現在では、海上にせり出した家が観光の名物になっている。これらの家々に現在、人は住んでいないと記憶するが、はっきりしない。いずれにせよ、サルジニア島とは大きく違う。
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Co5’’
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Co6’’
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◆コルシカ島との比較 コルシカ島とサルジニア島は、一番近い町どうし、すなわちBonifacioとSanta Teresaの距離は、約17 kmで、島どうしでは、13 km未満で、近いにもかかわらず、古代から、あまり交流が無かったらしいことは、遺跡の違いにも表れている。近代になって、ナポレオン1世がコルシカ島で生まれた1769年8月15日には、フランス領になっていたが、その前年までは、イタリア領であり、1980年代には、独立運動でテロも盛んに行われた。面積は、8680 km2(サ:23813 km2) で、1/3 強で、人口は、30.2万人(サ:165万人)で、約1/5だが、山岳地帯(最高峰;サ:マルモーラ山:1834 m, コ:サント山:2706 m)が大部分を占めるので、人の住む平地の人口密度はコルシカの方が大きい(サはサルジニア、コはコルシカの略)。
コルシカにあってサルジニアにないものを写真で示す。これは、あくまでも、ごく短い個人旅行の印象であって、学術的に網羅するものではない。コルシカ島と比較することにより、サルジニアの特徴が一層よくわかるので比較した。
総じて、訪問した季節が違うこともあろうが(コルシカ:6月、サルジニア:9月)、観光の見地からは、「山のコルシカ、海のサルジニア」、「若者のコルシカ、中高年のサルジニア」という印象である。「フランスのコルシカ、イタリアのサルジニア」であることは言うまでもない。
Co11’’
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Co12’’
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Co13’’
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Co14’’
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Co15’’
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Co16’’
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Co17’’
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Co18’’ |
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Co19’’ |
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Co25’’ |
Co26’’ |
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Co11’’
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基本的には、”山国”であって”海国”ではない。山登りする観光客もかなり多い。雪が多くあるのは、6月なので、9月に残っているかは分からない。Tour de Corse(コルシカのフランス語)というレースが1956年から行われている。「直線が100 mあるとコルスではない」と言われ、実際数名がレースで亡くなっている。Co13’’は、コルトにある城砦跡で、現在は、博物館。はっきり確認してはいないが、吊り橋はサルジニアには無いのではと思う。運転では、坂道で対向車に遭うと大変難しい場所も多くあるが、サルジニアは、勾配のきつい場所はほとんどない。
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Co12’’
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Co13’’
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Co14’’
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Co15’’
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山岳道路が多く、観光客」の車が多いので、飼育されている(?)動物が道路を占領していて、我々、観光客にとっては、珍しいので、餌などやる。ますます横暴になっていて餌を奪い取って危険でもある。サルジニアは羊が人間より多いと言われるが、高速道路もあり、道路は広く、牛は見たが、羊は見たことさえなかった。
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Co16’’
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歴史的に有名な場所がある:コロンブスの生まれた場所;<<(Dans)ce lieu est ne en
1436, Christophe Colomb, immortalise par la decouverte du
nouveau monde lors que Calvi
faisait partie de la nation genoise, mort a Valladolid (Espagne) le 20 mai
1506.>> と書かれている。ただし( )の部分は、草に隠れて見えないので推測:Calviがジェノヴァの領土だった時の新大陸の発見によって不滅の名を後世に残すことになったコロンブスは、1436年 にこの場所で生まれ、1506年5月20日にスペインのヴァラドリッドで亡くなった。(本当はジェネバで生まれ、生まれた年度は1451年という説が多いが確定されてはいないらしい。上記にもあるように、この島もジェノヴァであった。)
ここに併記されているCristofanu Culombu というのは、コルシカ言語の、コロンブスの名前。
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Co17’’
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Co18’’
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ナポレオン(I世)の生家がアジャクシオにある。ナポレオンは、この家で、1769年8月15日に生まれた。国有、歴史モニュメントと書いてある。中は、見学できた。
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Co19
’’
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アジャクシオの海岸に面した目立つところにナポレオンの銅像が立っている。前面の銅板には次のようなことがフランス語で書いてある。(ナポレオンやコルシカを強調するために、通常の文章とは語の順序が違う。)「NapoleonI世とその同志たちJoseph LucienとLouis Jeromeを記念して、Napolen III皇帝の統治下で、この記念碑が建立されたことは、コルシカ島の慶びとするところであり、これは、Napoleon Jerome 皇子の世話で、ボランティアの寄付金の援助により1865年5月15日に落成した。」
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Co20
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サン・テクジュペリの碑がある:<<La Corse rappelle que
d’ici l’ecrivain aviateur de Saint Expupery s’envola le 31. 7. 1944 pour sa
derniere mission de guerre.>> 彼が1944年7月31日に戦争の最後のミッションにここから出発したことをコルシカ島は、思い起こす。バスティア・ポレッタ空港建物入口には、この碑がある。
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Co21’’
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サルジニア島にも鉄道はあるが、あまり使われてないように思える。一方、コルシカ島では、アジャクシオを中心に主都市を結んでいて、山地なので、車(や船)の移動は大変なので、観光者も、シーズン中は、おおいに利用しているようである。
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Co22’’
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フランスに属しているので、第一、第二次大戦のみならず、インドシナ、アルジェリア戦争の犠牲者慰霊塔がコルシカの各村で見られる一方、サルジニアには、周った範囲では、見当たらない。
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Co23’’
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アジャクシオの墓地であるが、南端のボニファシオでも同様のものを見たが、一般人の代々の墓が、こんなに大きいところは、世界の他では見たことが無い。
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Co24’’
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黒人の観光客は、コルシカでも珍しいが、フランス領なので、いるのだろう。サルジニアでは、黒人は、海岸での物売りに沢山見かけたが。一般に両島とも有色人種の観光客は、ほとんどいない。それにしても、黒人が一般にそうなのだろうが、8頭身以上で、脚の長さが大分違う。
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Co25’
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いずれもアジャクシオの海岸沿いの主通り(規模は全く違うが、ニースで言えば、Promenade des Anglais: イギリス人通りに相当)のすぐ下の幅の狭い海岸の、道から眺めた風景だが、若い人が多いせいか、サルジニアは、海岸が多く、アジャクシオに相当するカリアリでも、街が海岸から離れているし、多くの人が歩く散歩道が、海岸に平行している所は無い。つまり、コルシカは、山が海に迫っているので、海岸と、道路がごく近くに平行しているところが多い。なお、コルシカのビーチには監視員はいないことに気づく。この風景は珍しいことではなく、前に書いたコルシカ旅行記「裸者と死者のコルシカ」には、別の同様な風景を掲載した。
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Co26’’
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