9月19() 5日目:Costa Smeralda(エメラルド海岸(II))

 前日に引き続いて、いわゆるエメラルド海岸(Costa Smeralda)の中心部Porto Cervoポルト・チェルボに行った。ついで、そこから、車で8 kmほど西に行ったBaia SardiniaBaia: bayと同じ語源の湾)に行く。そこから、南に18 kmのホテル近くに戻りPorto Rotondoを訪問する。

かくて、前日に引き続いて、いわゆる「エメラルド海岸」の主要な部分を訪問した。特出した観光の名所は無いが、のんびりと、安価に、しかし高級感も味わえる海岸地帯である。季節が遅くバカンスシーズンを過ぎているためか、例えば、コルシカ島に比べて、若者の訪問者の割合は少ない。まだ、気温、水温は十分高いのに、もうホテルは、店閉めしてしまったところや、来週から、もう一帯は、全部、店じまいと言っているところもあった。

ホテルのサービスに付いている室内温泉プール(1.5 時間)15時からの予約に間に合うように早めにホテルに戻る。プールに入った後は、ホテルの敷地内を散歩した。これらは、後の資料編「ホテル」の項に記す。

中で、Porto Cervoは、世界の超大金持ちにとって、特別、縁のあるところらしい。詳しくは、http://portocervo.exblog.jp に書いてある。この地域「エメラルド海岸」を開発したのは、1960年代の初頭、アガ・ハーン4世(イスラム教二ザール派の指導者で政治家・実業家)の指導する財政グループである。その後に続いたのが、海運王のオナシス(マリアカラスとの付き合いやケネディ未亡人と結婚などで有名)である。1980年代になると、サウジアラビアの元石油相のヤマ二や武器商人のカショーギなどアラブの富豪が続々と訪問するようになった。カショーギの「メガヨットNabila」は、007の「ネヴァーセイ・ネバーアゲイン」で使用された。2003年には、プーチンなどロシアの大富豪時代になった(プーチンは、次に述べるPorto Rotondoの話らしい)。例えば、ロシアのウォトカの2/3を販売する富豪とか、アルミニウムの大富豪なども来ている。「ヨット」というと、日本では、帆をかけた船の名称として使っているが、メガヨットというのは、大型のクルーザーのことを言い、彼らが所有するメガヨットの名前や写真が、このURLに出ている。実物は、ポルト・チェルボの項の写真で示す。夏の期間しか、仕事は無いが、マリーナの係留に4人は必要で、給料以外に、1回で、11000-3000 Euro14-42万円)のチップが払われるとのことである。

Porto Cervoでは、海水浴場(日光浴場)は、見当らなかった。ここは、大富豪から普通の金持ちまでの船関係レジャー中心の地であるらしい。

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Porto Cervoの港の上空からから見た様子;ネットから取る。

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ここに停泊しているのは、客船ではなく、個人所有の「メガヨット」に違いない。Bacarellaという名前をネットで調べたら、ケイマン諸島を母港とする船と分かる。食料などは、船に積んでくるし、大した店もないので、金を落とすのは、人件費やホテル代が(別荘が無い場合)主なのだろう。こういう人たちご一行の到着・出港の様子を一度見たいと思うが。

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Mar Ala Panamaとあるからパナマ船籍なのだろう。これも、ネットに船主は書いてない。

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石を利用した芸術作品(?)豪華船が着いているから、人はいるはずだが、そういう人は、屋内にいるのか、別荘内にいるのか、街はほとんど人影がない。

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930日に行われる催しものの宣伝である(この日は916日)Andy Warholという亡くなっているPop Artistの名前まで書いてあるが、何を行うのか分からないし、人が集まるのだろうかと思う。もう季節は終わったような雰囲気であるが。

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公園などあり、街は綺麗であるが。犬を散歩させているので、多分、船で来た別荘滞在人であろう。

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海上の方が、賑やかで、ここは、陸より海の方が賑やかなところである。

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Cs1’で、小型の船の停泊している桟橋も見に行く。

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海中には魚がいっぱいいる。そういえば、この島の旅行中釣りをしている人は全く見かけなかった。観光客は魚釣りなどに趣味を持たないのであろう。

サルジニアの災害例

 ローマが大災害(例えば火山の爆発や戦争?)に見舞われた時には、サルジニア島が避難場所になっている。ローマばかりでなく、大都市の疎開先が決まっていて、日本は、そういうことも決めていなくそれほど土地の余裕もない。なるほどサルジニアは広々として、のんびりしていて、安全な場所だという印象を持って帰ってきた。ところが、本旅行記を書いていて、当地、特に、宿泊したホテルから近いOlbiaで、20131119日に大雨による洪水で、18名が亡くなり約2700名が避難を強いられたことを知った。災害は、当地ばかりでなく島の北部一帯に広がり、2万人が被災者となり、政府は、サルジニア島に非常事態宣言を出し、2000万ユーロ(約27億円)の緊急用予算を確保、地方政府も500万ユーロの拠出を決めた。一介の短期旅行者の自分の印象は、大変いい加減なものだと知った。

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Olbiaで、洪水によってひっくり返った車(ネットで見る当時のAFPニュース)。


Baia Sardinia(バイア サルジニア)

  Baiaというのは湾という意味なので、サルジニア湾という意味である。ここは、地図で分かるように、いわゆるエメラルド海岸に属するので、観光客は多いところである。海を見ていたら、珍しく泳いでいる2人を見つけた。曇っていて寒そうなので、水温はどのくらいなのかと持参の温度計を海中の砂に刺して測ってみた。ヨーロッパ人(特に北欧人)は日本人とは違って、低温(20°C以下)でも平気で泳ぐので、どのくらいの温度か知りたかったが、意外に高く、23°Cぐらいだったと思う。

水温を測っていることが契機に、そばにいた老夫婦に、どちらからともなく声をかけあったら、イギリス人だというので、丁度、終わったはずのScotland独立運動の(スコットランドの)国民投票の結果が気になっていたので聞いた。独立が否決されたというので、それは良かったとお祝いの言葉を述べたら、やはりイギリス人としては、大変嬉しい結果であったようだ。その時の様子は次のように報道されていたことを、帰国して詳細を知った。

2014918日、世論調査では賛成と反対が拮抗した状態で投票が始まったが、賛成票は32あるカウンシルのうち最大都市グラスゴーを始めとする4つのカウンシルで反対を上回ったものの、それ以外のカウンシルでは反対が上回った。最終的に、スコットランド全体では反対票が55%となり、独立は否決された。自治政府のサモンド首相は敗北を認め、スコットランドの人々は現時点で独立をしない決定をした。」

この後、この旅行記を書いている2016623()のイギリスのEUからの脱退の可否の国民投票では、残留賛成が、16,141,241(48.11%)、脱退賛成が、17,410,742(51.89%)で脱退が決まった。スコットランドは残留派が多かったので、スコットランドが再度、独立の国民投票をするという動きがある。このときの会話を今回思い出した。「イギリスは、大航海時代から大後悔時代へ」とテレビうまいことを言っていた。


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ほとんど人影のない道で、沖を見ていたら、曇っているのに沖に向かって泳いでいる2人がいる。

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そこの海辺に行くのに、木戸を開けて客人が休んでいるホテルの庭を通って下に降りていった。

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海水温はどのくらいかと思って持参している温度計を海水中の砂に刺して測っていたら、ここにいる老夫婦から、温度を聞かれた。

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上記のような会話をしているうちに泳いでいたご婦人2人が帰ってきた。このご夫婦は、崖の上の友達と合図をしているところ。このホテルは、イギリスからの団体客を引き受けているらしい。

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帰りながら海を見たら、先ほどは気付かなかったが、まだ2名が泳いでいる。

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また階段を上がって道に出ていると別のホテルに出会う。

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そのホテルの庭も、道路から、柵無で自由に入れる。今季の営業を最近終了したらしくまだ、設備が残っているが、これは、ベンチ、椅子、ベッドの一種なのだろうか、初めて見る。

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この辺も奇岩が多く、庭には、こういう岩があった。

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道端にもこのような岩があった。

Porto Rotondo

 Baia Sardiniaに続いてホテルに近いPorto Rotondoに移動する。本稿を書いていて、当地が有名なイタリア元首相のBerlusconi氏の豪華別荘があったところだと知った。

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Porto Rotondoの船の停泊場所。

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停泊中の船上では、ゆっくり昼食を取っている人達もいる(1225分)。

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この円柱は、船に港の位置を知らせるためにあるのだろう。給油所に英語でも注意書きがあり、After each fueling air engine room before re-starting.とある。最初意味がよく分からなかったが、airというのが「排気せよ」という動詞と分かれば、「給油したら、動かす前にエンジン室を排気せよ」という注意なのだろう。

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当地には、大きなレストランもなく、喫茶店も、ほとんどなく、自分の船や別荘で食事するのであろう。港に続く舗道には洒落た模様もついている。乳母車を押している人もいるので、ここは高級別荘地で、船で遊ぶ人が多いのであろう。

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豪華船のショーケースが道にある。この付近の船であろうか。Yachtは、日本語の「ヨット」ではなく豪華クルーザーのことである。個人所有の船のみならず、営業用のものも含まれているようだ。

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サルジニアで唯一見た観光案内所:1221分だが、開いていたが、1時―3時は多分閉まっているのであろう。来週いっぱいで、多くのホテルは閉まると言っていたし、現に閉まっていたところもあった。まだ十分暖かいが、10月から、来春(5月中旬?)まで、全部閉まるようだ。

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この観光案内所では、(避暑地によくある)「閉店大セール」で、衣類を売っていたので、上に着るシャツを購入したが、あまり安価にはなっていなかった。これだけ家が建っているのに、商店はほとんどない。別荘に滞在している人は、自分の船に食料など必要なものを積んでくるから、当地で買い物の必要があまりないのであろう。

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クルーザー停泊用の桟橋とは違う場所だが、この港からは、コルシカ行のフェリーが運航している。車も運べるから、フランス本土(例えばニース)からイタリア本土aサルジニアaコルシカのような旅行も楽しめるのであろう。ここでは、「Sardinia」という表記が使われている。Sardinia Reginaは、「サルジニアの女王」を意味し、母港はジェノヴァとあるから、イタリア船籍である。

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高台から見た港の景色:海中にも岩石があるので、航行には注意が必要だろう。周囲の家はホテルや別荘なのだろう。

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当地のVerlusconi(ベルルスコーニが、正しいが、べルスコーニにとも書かれる)元首相の別荘(Villa Certosa:チェルトーサ):赤枠内の120ヘクタールの敷地に3つの邸宅、7つのプールがある。ギリシャ風円形競技場、数千本のオリーブ、ヤシ、サボテンがある。海の神のモザイク画を施した秘密の洞窟、海に通じるトンネルもあるそうである。他にミラノにも別荘を有する。我々が散策したのは、左上の湾の周辺のみで、この別荘のことは知らなかったから、近くにも行かなかった。なお、Certosaとは、(カルトゥジオ修道会の)修道院という意味だそうで、意味の落差が面白い。

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プーチン大統領、英国のブレア首相、米国のブッシュ大統領(息子)などを招いたこともある。別荘には相応しくない服装をしているのはロシア大統領のためなのか。それにしても、個人所有で、こんな別荘を持てるとは驚く。

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スペインのEl Pais紙に、このような写真をスクープされて以来(2009)、スキャンダルが発覚して、夫人とも不倫が原因で離婚したそうである。パパラッチ(paparazzo:「追っかけフリーカメラマン」の複数)はイタリアが本家なのかと思ったら、スペインに先を越された。建設業と放送事業で財を成し、後者についてはイタリアのメディア王と呼ばれるほどの権勢を誇り、政権獲得、維持に利用したといわれる。サミットを3回主催した世界で、唯一の首脳でもある。2011年現在で、資産約78億ドルで、世界第118位だとウイキペディアに書いてある。元々音楽も好きで、オーナーとなったACミランの応援歌も作曲している。スキャンダルまみれでいながら政界に何回か復帰できたのは、多くのテレビ局を抑え、人気のあるサッカーチームACミランのオーナーとなり、政策以外で民衆の心を掴む術をよく心得ていたからと思う。こういう政治家は大変恐ろしい。もし、米国大統領にでも、こういう人がなったら、世界中が混乱に巻き込まれるだろう。ところで、この旅行記を書いている際(2016年7月)、中国の企業がACミランを買収したというニュースが出て、本田圭佑選手さえ、インタヴュアーから初めて聞いて驚いていた。ACミランは、1フットボールチームではなく、イタリアの1部とも考えられ、イタリア国の一部が中国に買収されたとも考えられ、これは大変なことになったと感じる。少なくとも、中国人観光客がイタリアにも大挙して訪問するようになるだろう。

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2015810日のネットの報道では、この別荘もアラブの王族に売買した(3.5億ポンド=455億円(1ポンド=130円として計算;イギリスのEU脱退決定後の換算率)。意外に安い気もする。この別称のスキャンダルは、ネットにいっぱい載っている。

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Porto Rotondoからホテルに帰る途中、OlbiaGolfo Aranci(港:約16 km)を結ぶ貨物用と思われる列車の線路と道が平行する部分がある。平行して走る電線が、1つの電柱で、3相から2相になっている。送電のことは素人だが、3相から2相にするのは、何の為かと不思議に思う。日本では、そういうことに注意を払う余裕は無いが。

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この項は、Porto Rotondoより、滞在しているホテルのOlbia地区のことあるが、件数が少ないので、一番近い本項で述べる。ホテルに帰る途中、道路のすぐ近くで、このようなモニュメントに出会った。

柵の外から写真を撮ったが、下にA. Gugulimo Marconiマルコーニ)と書いてある。Gugulielmo -el-が抜けているのは、この国の関係者の大らかさを表しているのであろう。言うまでもなく、無線通信装置の発明を行い1909年にノーベル物理学者を受けた。我が国でも、遅くとも中学時代に習うと思う。顔の上側には、La Colonna di Luce「光の柱」と書かれている。イギリスでの実験は、知られているが、ボローニャの生まれで、サルジニアとの関係は明らかでないが、当地とイタリア本土間で実験したのかもしれない。