Lo1’
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Oristanoから東北に延びる道路が二股になる付近の赤印の位置にNuraghe Losaがある。Bosa付近の宿から、カリアリ付近の宿に移動する途中に寄る。
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Lo2
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説明の看板:AD1-2世紀のローマ帝国時代の火葬埋葬所とある。
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Lo3
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Lo2の一部の拡大。
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Lo4
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入場券以外にもいろいろ販売している。購入する人は、ほぼ、ここの観光者に限られる。
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Lo5
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BC1500頃にできた。中央の塔は尖塔が崩れ落ちたが、今は、13 mの高さがある。
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Lo6
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天空への穴がある。
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Lo7
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Nuragheの中で外に出てみると、他の出口から出た人が見える。
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Lo8
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広い敷地の見学者の通る道付近にある先ほどの店(Lo4)の宣伝看板。
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Lo9
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Nuraghe本体の横にある円形の石の跡;何に使われたか聞き漏らした。
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Lo10
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見る角度によって違う形になる。
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Lo11
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入場者グループの退場。Lo2から、ここまで約45分。
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Lo12
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Nuraghe
Losaの位置を示す近くにあった看板。近辺の観光施設などとの位置関係が分かる。Baruminiとあるのは、次に行くSardegna MiniやNuraghe Nuraxiのある場所。
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Mi1
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サルジニア・ミニアチュアの入口;入場料は1人10 Euro。Lo11から、20分しか経過していない。
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Mi2
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入口の近くに高台があって、そこから園内が一望できる。
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Mi3
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園内の運河を周遊するミニボートだが、入場者が少なく何の知らせもなく運航中止。
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Mi4
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Sassariで見た大聖堂。以下、訪問した場所の写真番号は、ボールドの赤字で書く。
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Mi5
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AlgheroのMura(城壁)とある;訪問したところだが、小さいため、このようには感じられない。
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Mi6
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SaccargiaのSantissima Trinita教会;色合いが現物とちょっと違いように感じる。
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Mi7
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Oristanoのドゥオーモ;Oristanoの近くまで行ったが、訪問しなかった。
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Mi8
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Fordongianusの公共浴場;AD1世紀のForum Traianiと呼ばれる「ローマ風呂」である。Oristanoの近くにあるが、全く知らず行けなかった。今回のサルジニア旅行で、見過ごした一番残念な場所である。入場料を取って、観光客を入れているが、浴槽(大プール)に入れるのかは分からない。Mi9’にFordongianusの場所を示す; Nurhaghe Losaを訪問したので、場所的にも時間的にも訪問できる場所であった。
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Mi9’
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Mi10
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Nuraghe Santu Antine:9月20日の項に書いてあるように訪問した。
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Mi11
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Sa Accoveccadaのドルメン。巨石文化時代の墓で、第3ミレニアムの最後(BC3000年代の後半と解釈すなわちBC3000年に近いと解釈)の建設で、高さ2.7 m、長さ5 m、幅2.5 m、屋根は18t ある。地中海域での最大のドルメンである。場所をMi12’に示すが、十分訪問できたのに、下調べ不足で見逃したのは残念であった。
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Mi12’
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Mi13
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Rocca dell’Orso 「Bear Rock :熊の岩」という意味。熊というより龍に似ているという評論もあるが、この写真を見る限り、両者とも似ていない。場所は、Palauにあるが、気づかず見なかったが(入場料:2 Euro)付近には、いろいろな巨石があった。18日のPa1の写真のようなものであろう。
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Mi14
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Palauの沖にあるI. Caprera(カプレラ島)は、イタリア独立の父であるGaribaldiの家と墓があることは知っていたが、島にわざわざ渡るのも難儀なので行かなかった。
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Mi15
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Scorcio di Porto Cerbo :辞書を引いても Scorcioという意味が良くわからないが, 英訳に
foreshorteningとあるので、ポルト・チェルボの一端という意味であろう。18日に書いたように当地はエメラルド海岸の代表地である。ここにある建物は、何の建物かは分からない。
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Mi16
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Arzachena(アルツアケーナ)のCoddu Ecchju(意味は不明):同島で一番重要なtombe dei
giganti だそうで、説明は、Serra OrriosのSo11’に記した。
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Mi17
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Nuoro(Orgosoloの北十数キロの町)で、8月29日に行われる収穫祭Sagra del
Redentore(解放者)の像:この像は、1901年に、法王LeoXIII世の呼びかけでキリスト教の19世紀を象徴して建てられたものの1つである。
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Mi18
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Orgosoloの壁絵:サルジニアで、最も特徴のある町の1つである。
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Mi19
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本島で一番高い山のla Marmora (1834 m):Gennargentu(ジェンナルジェントウ山脈)。最初の宿泊地から、直線距離で、22 kmで、途中に遮る高さの山はないので、見えたはずだが、認定はできなかった。資料編の田舎風景で述べるように、移動中に、大分、近くから、見たと推察している。夏季に降水量が少ない地中海領域で高山があることは、人が住むうえで大変重要である。高い山のないマルタ島は、昔は人が住めなく、今でも水は輸入していると聞いた。
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Mi20
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この直後に行く、すぐ近くの本島唯一の世界遺産のヌラーゲSu Nuraxi(スー・ヌラージ)で、Barumini(バルーミニ)は当地の名前である。これができたのは、Bc1500年ぐらいである。Acとあるのは、イタリア語avanti
Cristo(before Christ紀元前)を意味する。
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Mi21
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カリアリで訪問するNostra Signora
di Bonaria大聖堂(AD.1704年)建立。
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Mi22
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Nora(25日の地図Sp1’上、Pulaの先)にあるAdoriano(Hadrianus帝)がAD 138年に建てた古代劇場。
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Mi23
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サルジニア島は観光関係の施設などが主と思っていたが、いわゆる「サイエンスパーク」Polarisというものがあり、企業などの参加した研究所が島中で、4か所あり、ここがそのセンターであることをこのミニアチュア―から知った。Mi24’は、そこのホームページにある地図である。
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Mi24’
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Mi25
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S. Pietro島;サルジニアの西南に位置する島;サルジニアでは、一番西にある。
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Mi26
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これから行くことになるカリアリの大聖堂。
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Mi27
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付近にあったアグリツーリズモの案内看板:ドイツ人の旅行者が多いので、ドイツ語で書いてある。
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