ミャンマー鉄道の青い雲
(本文・滑志田隆、写真・野口正二郎)    
日付 旅  程
2019年
1/25(金)
ヤンゴン空港集合。シャン族揚げ物料理会食
1/26(土) パゴー観光。チャイカッウイン僧院、
シュエタリャウン寝釈迦など見学。ヤンゴン水上レストランにて民族舞踊
1/27(日) アウンサン博物館、チャウデッチー寝釈迦、
マーケット見学、ヤンゴンインターナショナルホテル経営者・小野寺紘毅氏と会食
1/28(月) 鉄道省機関車修理部門エンジニア
会見、インセン駅より市内循環列車体験乗車、空港にて解散。

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★写真説明(パゴー)
1)チャイカッウィン僧院の托鉢 2)シュエタリャウン寝釈迦にて 3)チャイプーン・パヤーにて
 日本旅行作家協会の鉄道研究会企画「ミャンマーの社会発展と鉄道の役割」を考えるツアーに参加した。
熱帯の明るい太陽の下、日本から渡った機関車や客車が、民主化への道を歩む街を走り抜け、二毛作の
水田地帯やチーク材で名高い森林地帯の物資輸送を支えている。カメラを向ける私たちに向けられた笑顔は
若々しく、新国家建設への希望に満ちていた。
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★写真説明(ヤンゴン)
4)シュエダゴン・パヤーの菩提樹にて 5)シュエダゴン・パヤーにて 6)アウンサン将軍博物館にて

首都ヤンゴンの西郊のインセン。樹林に囲まれた広大な敷地にある国営鉄道局の機関車修理工場を見学した。
若い労働者たちが作業の火花を散らせていた。全国5844キロの鉄道を走り回り、経済発展を支える機関車
たちがメンテナンスされ、輸送現場に戻っていく。鉄道局が保有する機関車は計408台。
そのすべてがディーゼルエンジンであり、蒸気機関車はゼロ。
先進国から導入した70年代、80年代に製造の中古品だが、部品交換を続け大切に使用している。
日本からは液体式タイプ(DHL)の107台が提供され、ミャンマー鉄道の1bの軌道に合わせた修理が
自力で施された。平均最大速度は60`だが、40`未満で走行するのが普通。面会した幹部技術職員らは
「日本の鉄道のように300`台で走る鉄道に育成するのが夢だ」と語った。

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★写真説明(ヤンゴン)
7〜13)インセン駅にて 14)ヤンゴン環状線のマップ

インセン駅のホームで二十数匹の犬たちが出迎えるディーゼルカーは日本製だった。
「新潟鉄工」や「KAWASAKI」などの刻印が残る。先頭車の行き先表示や客車の側面にも「美濃太田・多治見」
の文字があり、JR東海で使用されていたものだと判る。私たちは市内循環(45`)の機関車に乗り込んだ。
日中の一時間に平均4本のダイヤで約8万人が利用する。駅間は平均500b。
料金は200チャット(日本円換算で18円)。列車の中では果物や菓子、ウズラの卵が売られ、乗客たちは
にぎやかに談笑していた。

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★写真説明(ヤンゴン)
15、16)インセン整備工場の幹部と会合 17〜19)インセン整備工場の見学

かつてはビルマと呼ばれたこの国は日本の1・8倍の面積を持ち、天然資源にも恵まれる。
しかし、長い間、政治的な混乱が続いた。戦後に国旗が七回も変わったことがそれを象徴する。
ミャンマー経済界で30年間活動するホテル経営者・小野寺紘毅氏は「この国の最大の課題は政治的な安定だ」
と力説した。

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★写真説明(ヤンゴン)
20〜22)インセンより日本製の車輛に乗車 23)ヤンゴン中央駅下車

1988年の騒乱の際、立ち上がった学生や市民が掲げた最大の要求は複数政党制による選挙であった。
90年選挙でNLD(国民民主連盟)が圧勝したが軍事政権は政権移譲しなかった。
08年新憲法、11年新政府大統領選出。以来、民主化の歩みはまだ「踊り場」の苦難の途次にある。
15年総選挙で国家最高顧問となったアウン・サン・スーチーさんの指導力を世界が見守る。

 30年ぶりの少数民族フェスティバルが市郊外のサッカー場で開かれていた。
「軍事政権下では考えられなかったイベント」とか。カレン、シャン、カチンなど辺境地の少数民族が楽器や
織物を展示しており、自由経済化の波を楽しんでいるように見えた。

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★写真説明(ヤンゴン)
24〜26)ミャンマー少数民族フェスティバルの会場

 山口洋一著『歴史物語ミャンマー』によれば、ミャンマーの総人口の68%はビルマ族だが、全部数えると
135の民族が入り乱れている。モン、ラカインなど有力な民族は80年代以降も反政府の武力闘争を続けた。
英国統治の後遺症ともいわれ、民主化の行方にとって民族対立の解消は最大の課題だ。

 鉄道の車窓の景色のごとく、あっという間に過ぎた4日間。ミャンマーの人々の服装が印象的だった。
清楚にしてデザイン豊富。約8割の人々が伝統衣装のロンジーをまとう。江戸小紋を思わせる精緻な文様に
二千年の歴史がある。着用を試みたが、花弁様の結び目を作ることができなかった。