チェコ共和国を訪ねて 
小宮 道子

〜中世の町並み チェスキークルムロフ〜
4、5年前から機会があったら必ず行ってみたいと思っていたその町に今年はとうとう足を踏み入れることができました。その町はチェコ共和国の首都プラハから南へおよそ200キロ、オーストリア国境まで25キロの、南ボヘミア地方の小都市チェスキークルムロフです。1992年にユネスコの世界遺産に登録され、「世界でもっとも美しい町のひとつ」と言われています。
大幅に改装中でなんとなく薄暗いプラハ本駅からチェスケーブディェヨヴィツェ経由でチェスキークルムロフまでは約4時間の列車の旅です。
チェスキークルムロフの歴史は13世紀に始まり16世紀には現在のルネッサンス都市の姿が出来上がったそうです。モルダウ川の大きくS字型に湾曲した流れに沿って造られたこの町はしっとりとした歴史を感じられます。
町の北側にはこの小さい町には不釣合いなほどの大きなクルムロフ城がそびえていて、中でも独特な色でペイントされたちょっと不気味な雰囲気が漂うひと際大きな城の塔があります。この大きな塔は町のシンボルで、あらゆるところから一望出来ます。石畳の狭い路地からも、モルダウ川に架かっている沢山の橋の上からも・・・。その塔の狭い階段を登っていくと町が一望できます。蛇行したモルダウ川の流れに、赤い屋根と白い壁の家々が並び、遠くに広がるのどかな緑の丘、なんとすばらしい景色でしょう、思わず息をのんでしまう程でした。その美しいながめにしばらく見とれてそこから動くことが出来ませんでした。

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【写真説明】
1)プラハ〜チェスケーブディェヨヴィツェの一等車内 2)チェスキークルムロフ駅 3)ユネスコ世界遺産のシンボルマーク
4)ホテル・ルージュ前の展望台からクロムロフ城を望む 5)クロムロフ城の塔 6)クロムロフ城と町並
7)チェスキークルムロフの町並@ 8)チェスキークルムロフの町並A 9)路地から見る城の塔 10)城の橋 11)城の内部
12)城の塔の一番高いところ 13)城の塔からみた町並 14)城の塔からみる、蛇行したモルダウ川@ 15)城の塔からみる町並
16)城の塔からみる、蛇行したモルダウ川A 17)城の庭園へ 18)クロムロフ城からみた町並 
19)クロムロフ城からみた、モルダウ川に架かる橋 20)庭園の入口から城の塔をのぞむ 21)城の庭園 
22)城のマスコットの熊の住居 23)マスコットの熊 24)モルダウ川をカヌーで
25)モルダウ川をボートで 26)モルダウ川岸辺のカフェ 27)モルダウ川の岸辺で

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クルムロフ城内のお堀には人気者の「熊」が4頭飼われています。この熊の先祖は古く1700年頃から飼育されているそうです。城で熊を飼っていることにも驚きましたが、もっと驚いたことは城内に熊の敷物が何枚もあったことです。これらの毛皮は先祖代々城で飼われていた熊たちのようです。このような形で保存されているのは大事に育てられていた証しなのかもしれないとしみじみ感じました。熊たちは今でもクルムロフ城のマスコットとして町の人たちをはじめ、観光客からも愛されています。
クルムロフ城の中にはバロック様式のみごとな劇場が保存されています。1766年に完成されたと言われるその劇場は、効果音から舞台の転換まで全て舞台の下で人の力によって、まるで機械仕掛けのように動かされているのです。そのみごとなまでの完成度にただ驚くばかりでした。
そして面積11万平方メートルという広大な城の庭園は、みんなの憩いの場になっていて誰でも入ることが出来るようです。公園の中には「滝の噴水」があります。この噴水はチェコ共和国で一番美しいと言われています。
モルダウ川の川沿いのカフェでのんびりとくつろいでいると、川の流れに逆らわず悠々と泳いでいるカモの親子やカヌーで遊ぶ人達が目の前を通り過ぎて行き、その光景はおだやかで微笑ましいものでした。
プラハから列車を乗り継いで訪れたこの南ボヘミアの小都市は、しばし私を中世の町にタイムスリップさせてくれました。何年も前から私の心にひっかかっていた、この美しい中世のたたずまいを残した町を訪れることが出来て喜びと感動を覚えました。

〜華麗なるプラハ〜
ヨーロッパの国々とは異なった独特の雰囲気をもつチェコ共和国は、周りの国々からの侵略を繰り返されても自国の言葉や文化を守り続けてきました。ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロックそしてアールヌーヴォーとそれぞれの時代の建築物が今なおしっかりと保存、維持されていることは大きな驚きです。そのチェコ共和国の首都であるプラハは、「百塔の都」と呼ばれ、町の中心にスメタナの交響詩「我が祖国」で有名なモルダウ川がゆったりと流れています。
プラハには「王の道」と呼ばれる約2500mにおよぶ歴史的な道があります。これは13世紀から400年に渡って時代が替わるたびに歴代の王の戴冠パレードを行ってきた道で、かつての城壁の門だった火薬塔から旧市街広場を経てカレル橋を渡り、プラハ城へと続く道でした。石畳の狭いこの歴史的な道は、今では周囲に土産店が立ち並ぶにぎやかな通りとなっています。ちょうど中間地点にあるカレル橋は、ゴシック様式でとても美しく、以前初めて訪れた時の興奮が今また昨日のように鮮明に覚えていることにびっくりしました。橋の左右の欄干に並ぶ15体ずつの聖人像には目を奪われます。現在は車の乗り入れが禁止されているため、土産物を売る人や似顔絵書きや音楽演奏や人形劇などの人が集まり橋の上は一日中にぎやかです。その上、夜間にはプラハ城と共にライトアップされます。
モルダウ川の西岸の小高い丘の上にそびえるプラハ城の華やかな美しさと壮大な宮殿には目を見張るものがあります。東岸からプラハ城を見ると真っ先に教会の2本の尖塔が目に入ります。これは聖ヴィート大聖堂と呼ばれる迫力ある建物です。この大聖堂の中のステンドグラスにはチェコのアールヌーヴォーを代表する画家のアルフォンス・ムハの作品があります。ムハの名前は日本では「ミュシャ」の方がなじみが深いかもしれません。ミュシャの作品は、かわいらしくそして気品のある女性をモチーフにした作品がほとんどで、私は以前からミュシャの描く女性が好きでした。

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【写真説明】
28)ヴァーツラフ広場、正面は国立博物館 29)市民会館 30)ティーン教会とヤン・フス像 31)天文時計 
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スグラフィット装飾 33)カレル橋@ 34)カレル橋A 35)カレル橋B
36)カレル橋C 37)聖ヴィート大聖堂 38)ミュシャによるステンドグラス 34)プラハ本駅


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プラハを訪れたすべての旅行者が必ず訪れると言われている旧市街広場の天文時計は、15世紀に作られたとは思えないほど見ごたえのある素晴らしいからくり時計です。観光客は時報の鐘が鳴り、からくりが動き始めるのを見るまで、広場を散策してフスの像を眺めたり、周囲のボヘミヤグラスのお店を訪れたり、お茶をしたりして待っています。時報が近づくと集まってくる人々の数はびっくりするほどで、皆我先に時計を目の前で見ようと子供のようです。この時間は周辺のお店は人っ子一人いなくなってしまうほどです。
以前訪れた時に私は、天文時計はもちろんですが、その横に建っているスグラフィット装飾が施されている建物がとても印象的でした。スグラフィット装飾とは木炭で黒く塗った壁面に石灰で白く装飾を施したもので、モノトーンの装飾が素朴で、それを眺めていると穏やかな気持ちになり、ずっと見ていても飽きないほどです。しかし、この建物の話はどこのガイドブックにもその詳細は書かれていなく、そのせいか、観光客もまばらですが、私にとっては天文時計に並ぶ観光スポットで、今回も飽きもせず、長い時間眺めていました。
ヴァーツラフ広場は、「広場」というより「大通り」といった感じの広場で、両側には様々なお店が並び、毎日夜中まで地元の人はもちろん、旅行者までもが集まるプラハで最も賑やかな繁華街です。しかしここは今から40年前の1968年8月21日の深夜、ソ連軍が侵略した「プラハの春」事件で有名な場所でもあります。以前住んでいた豪州メルボルンの大学の日本語科の教授がチェコ共和国出身の方で、この事件の話をしていらっしゃったのをよく覚えています。その事件がここで起きたのだと思うと、今のこのにぎやかさに時代の流れを感じました。
今回で2度目の旅行となるチェコ共和国を知れば知るほど、15年前まで同じ国だった隣国スロヴァキア共和国にも興味が沸き、一度は訪れてみたいと思っていましたが、何年か前に念願かなって訪れることができました。スロヴァキア共和国は、日本ではなじみの少ない国かもしれませんが、素朴で古き良きヨーロッパと言った感じがする国で、農地が多く昔からブドウの栽培が盛んでワインの産地として有名だそうです。チェコ共和国とはあまりにも対照的な国で、この2つの国がつい最近まで同じ国だったことが不思議なくらいです。
プラハの華やかさと時代の重みをしみじみと感じ、そしてまたいつの日か訪れたいと思いました。



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