【米国ドライブ事故顛末記】
                右京山 紫朗 

. 米国インデイアナポリス市を訪問、空港でレンタカーをした。
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日間の国際大会のイベントには、この車であちらこちらを移動することが出来た。帰国の前日に、インデイ500で有名な「インデイアナポリス・モータースピードウエイ・博物館」を見学。博物館には、歴代のレースカーやトロフィーが飾ってある。3ドル払うと、(トラックツアー)と言って、バスで4kmのレース場を一周して見せてくれる。その日は頑張って、北東に車で1時間のフェアモントという町に行く。ここは、かの映画スター、ジェームス・デイーンが生まれたところである。記念館には、彼の短い映画スターの思い出がぎっしり詰まっていた。高校生の時に見た「エデンの東」は大変印象的で、忘れることは出来ない。記念館の係員のお薦めで、1マイル離れたジェームス・デイーンのお墓に寄ってみた。町の墓地に、花に囲まれた綺麗なデイーンのお墓があった。墓の手前の小さな岩には、訪れたファンのサインがびっしりと書かれていた。24才で亡くなったジェームス・デイーンは、若いまま記憶に残って行くが、生きていれば72歳になっている。

 帰国の日は、生憎雨であった。午前9時過ぎにホテルを出発して空港に向う。5日間レンタカーをして慣れてきたので、空港までの道は楽勝のはずであった。その気の緩みで、環状線からエアポート・エキスプレス・ハイウエイに入りところを、
うっかり日本流に左側通行に入るつもりで曲がってしまった。すぐに気がつたので、軌道修正すべく別の陸橋を走らせ、反対側の車線にはいるように向かう。
そしてエアポート・エキスプレス・ハイウエイへの方向案内が右にあるの見た。
 
私は、その近くにある駐車場に入る道を、空港への道と勘違いしてしまって、急ブレーキを踏み右折しようとした。そこへ運悪く車間距離を取らずに走ってきたやや大型の車が衝突した。
 
その車は、ハンドルを左に切ったので、今度は前から来た乗用車と正面衝突してしまった。
 
一瞬どうなったか分からなかったが、すぐに交通事故を起こしたと分かった。午前935分頃であった。12:00発の便に間に合わないかなと脳裏をよぎった。
 
我々の車は、左後方をぶつけられ損傷するも、トランクは開け閉めができ、走行可能のようであった。幸いに私と同乗者は体に怪我はなかった。衝突してきた車は、男の子を連れた中年の男性であった。男性は肘に打撲を負ったのか、片手で肘を押さえ子供と一緒に近くのガソリンスタンドに通報に行った。反対車線の対向車は、正面衝突でかなりの損傷を負ったが、若い男性ドライバーは無事であった。重大な怪我人がでなかったことが、不幸中の幸いであった。

パトカー2台、救急車2台、清掃車3台がすぐにやって来た。追突した車の男性が、事故の事情を説明する。警察官は、交通事故が日常多いのか事務的に処理してくれる。我々が国際大会の参加者と認識していたのかも知れない。怒られたり、お咎めを受けることはなく、全員平静に対応してくれて良かった。1時間くらいで手続も終わり、道路もきれいに清掃されていた。事故の車で空港に行き、レンタカー会社にレポートを提出する。係りの女性は不親切。それでも、お金を使うことは一切なく済んだ。
何とか12時発の便には間に合ったが、その便が遅れてしまい、ミネアポリスでの乗り換えが出来なくなる。結局は航空会社の負担で、ミネアポリス1泊となってしまった。この日は、ついていない1日だった。

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