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人吉市温泉観光協会のお招きで、日本旅行作家協会(JTWO・兼高かおる会長)
の会員と関係者約50名が、9月末の2日間熊本県人吉市を訪れた。
早朝の日航で鹿児島空港に降り立つと、人吉市のバスが2台出迎えてくれて、
山田収観光振興課長の案内で人吉市へ向う。
飛行機で行くと熊本空港より、鹿児島空港のほうがずっと近い。
えびのICにて休憩を取って、約1時間で市内のうなぎやさんに到着する。
どういう訳か、隣同士に2軒のうなぎやさんがあり、2班に別れ、我々は
「しらいし」で昼食となる。
うな重は、うなぎの身とご飯と甘いたれが別々に出てくるので、自分で
ご飯の上に乗せて、たれを掛けていただく。土地によって作法が違う。
昼食後、球磨川の鮎釣りを見たり市内を散策しながら、JR人吉駅に集う。
一部の会員は、JR表木山駅で、鉄道に乗り、吉松駅より、肥薩線
いさぶろう・しんぺい号でレトロな観光列車の旅を楽しみながら人吉に向った。
午後1時に、駅前の人吉城をイメージした「からくり時計」が動き出し、
我々を歓迎してくれた。
相良の殿様が町に遊びに行くストーリーになっているそうだ。
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午後の視察は、今年6月9日に国宝になった「青井阿蘇神社」を参拝する。
1610年(慶長15年)から足掛け4年を掛けて造られた建造物で、趣のある茅葺の
楼門、拝殿等が歴史を感じさせる。茅葺の社寺建築では全国で始めての国宝と
なっている。田中信孝市長自ら、説明を行い、市の学芸員の男性が
補足説明をしてくれた。全員御祓いを受けて、公式参拝をした。
人吉といえば名物・球磨焼酎。ふかの蔵(深野酒造)では、焼酎づくりのお話を聞き、
お楽しみの試飲で、球磨焼酎・彩葉(世界酒類コンテスト・モンドセレクションで
2年連続の金賞受賞)等、数種類の焼酎を少しずつ嗜んだ。
事故米の問題で焼酎業界も風評被害を受け大変な状況、何とか頑張ってほしいと思う。
永国寺は、幽霊寺として有名で、本堂内に実底超真和尚が描いた幽霊の掛け軸が
見られる。庫裡、書院の間には色々展示がされており、見学させていただいた。
展示物と共に、池が配置された綺麗な庭が印象的であった。
また西郷隆盛ゆかりの寺でもある。
人吉城歴史館では、相良清兵衛屋敷の地下遺構を見学する。水が貯まった
地下室が、どういう目的で造られたかは不明で、推測するしかないが、幕府に
知れたことにより、お咎めを受けたとのこと。670年続いた相良家の重臣の
歴史のひとコマである。
この日のお勉強は終了して、球磨川の川辺にある人吉温泉「翠嵐楼」に靴を脱ぐ。
今晩の室、二階216号室・木綿葉(ゆば)の間は、ベッドが2台、そして和室があり
広く寛げる。室から小雨に煙る球磨川が良く見えた。
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檜風呂の温泉に入った後、人吉市温泉観光協会主催の宴会に参加。
人吉市側の関係者が沢山参加された。
田中市長(日本旅行作家協会会員)、尾方温泉観光協会会長、大王市議会議長、
堤商工会議所会頭、議員さん、市役所の方、観光関係者、酒造関係者、近隣の
町の副町長さんたち、20数名の地域の主だった方々が出席されていた。
弁舌滑らかな田中市長、主な方々のご挨拶に、小谷日本旅行作家協会副会長が
ざっくばらんなお礼のご挨拶。「臼太鼓踊り」という地元に伝わる踊りから、
「五木の子守唄」「おてもやん」など歌や踊り、歓迎の演目が賑やかに続く。
焼酎も飲み放題。人吉市の熱意が伝わってくる。
当協会より、副会長の小谷明氏(写真家)、常任理事の種村国夫氏(画家、漫画家)、
会員の木村克己氏(ソムリエ)の3人が「人吉市まちづくり親善大使」に任命された。
人吉市と日本旅行作家協会の縁がスタートし、人吉市と我々会員の縁も始まった。
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台風が南方に来ており、2日目も雨模様。
市のバスで、近隣の湯前町(ゆのまえちょう)に足を延ばし、重要文化財の
城泉寺阿弥陀堂を見学。本堂は既に無く、コスモスの間に九重石塔、七重石塔が
苔むして建っている。湯前は、くま川鉄道の終点で県境の町。温泉は勿論のこと、
駅前に「まんが美術館」があり、湯前出身の政治風刺漫画家・那須良輔氏の作品等
が展示されている。
山江村の高寺院(たかてらいん)では、立派な毘沙門天立像を見学し、住職夫人より
漬物、お菓子、お茶の接待を受けた。
ボンネットバスの止る「時代(とき)の駅むらやくば」でヘルシーな昼食を食べる。
高寺院に行く途中、山田神社という相当年代ものの茅葺屋根の社殿が目を引いた。
この地方では、年代物の神社仏閣が多く残っており、また重要文化財の指定を受けた
仏像等が安置されている。
午後になると雨脚が強くなり、願成寺では相良家の墓地のお参りはできず、人吉城址
の近くの球磨川の舟遊び「梅花の渡し」も諦める。サービス精神旺盛な船頭さんが、
折角来たのだからと発着場の建物1階売店脇で、櫓を漕ぐふりをしながら名調子で
歌を披露してくれた。
鍛冶屋町通りは小京都の趣きがある。みそ・しょうゆ蔵を見学し、漬物をいただく。
すぐ並びに、「ウンスンカルタ」の家があり立ち寄った。
16世紀末に、ポルトガルの船員が日本に南蛮カルタを持ち込んだ。それが元で
「天正カルタ」が生まれ、また改良されてウンスンカルタになった。
江戸時代に全国的に流行したが、寛政の改革(1787〜93)で一切の遊興が禁止され
廃れてしまった。それが何故か、人吉・球磨地方にだけ残り現在に伝えられている。
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人吉市とその周辺は、なかなか見所の多いところで、2日間では回りきれない。
有名な球磨川下りは、今回体験できなかったが、熊本市への鉄道の車窓から、
眺めることができた。清流コースと急流コースがあり、船頭さんの見事な舵取りと、
歌が楽しめるようである。
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帰路は、熊本市の熊本城天守閣に登る。そして復元された本丸御殿の内部を
見学した。
木の香りのする大広間等、立派に再現されている。旧細川刑部邸は、当時の地位の
ある 武士の生活を見ることができて興味深い。ここの参観者は少なく、ゆっくり見る
ことができた。
夕食は、市内の郷土料理「仲むら」で馬刺しや辛子レンコン等を美味しく食した。
馬肉ずくしの料理を食べた方もいるようである。
歳をとってくると、旅の楽しみ関心は、美味しい食事となり、美味な郷土料理に
めぐり合えば大変嬉しいことである。
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@人吉市内を流れる球磨川はおだやかで、釣りを楽しむ人がいる
A駅前のからくり時計
B国宝 青井阿蘇神社の楼門を説明する田中市長
Cパーティーにて、田中市長のごあいさつ
D翠嵐楼の女将のごあいさつ
E臼太鼓踊り
Fパーティーにて、田中市長(右から3人目)と記念写真
G深野酒造さんの焼酎コーナー
H翠嵐楼の和朝食、生卵が付き、渋皮付の大きな栗がでて美味しかった
I城泉寺阿弥陀堂の石塔
Jウンスンカルタを大きくした壁
K岡によった船頭さんの名調子
L九州横断特急の乗務員さん
Mレトロな九州横断特急(人吉→別府)
N熊本市内の料亭にて、名物の馬刺しと、辛子れんこんを食す
O熊本城天守閣
P熊本城の本丸御殿内
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