第7回 LCIFスタデイツアー・ラオスの旅
2011年1月16日(日)〜22日(土)
野口正二郎(当社)

 ラオス人民民主共和国は、タイ、ベトナム等、5カ国と国境を接する内陸国で、
日本の本州ほどの広さに、約580万人(2006年調査)が暮らす、穏やかな国である。 
中国よりの援助が著しいようであるが、ライオンズクラブも援助の手を差し伸べており、
LCIF(ライオンズクラブ国際財団)スタデイツアーを計画することができた。

 1月は乾季にて、観光シーズンでもあり、欧米よりの外国人客も多く、ラオスで一番の
観光地であるルアンパバンのホテルは満杯であった。
航空便は、ベトナム航空でハノイ乗換でビエンチャンに入る。名古屋よりのグループは、
雪の為に遅延して、乗継できず、ハノイに1泊して、翌日の合流となってしまった。
福岡グループは、便の関係で1日早くビエンチャン入りして、空港で出迎えてくれた。
大分中央クラブの岸田嘉夫ライオン(86才)は、マレーシアに続き2度目、元気で参加された。 
今回は、最高齢を東京晴海クラブの斎藤善五郎ライオン(87才)にお譲りとなった。

 ビエンチャンは、首都といっても高層ビルが見当たらず地方都市といった感じである。
ラオプラザホテルより歩いて10分弱で、メコン川の堤に着くが、乾季ということもあり、
川の水量は少なく、川の中ほどまで地面が見えた。
ビエンチャン眼科センターを訪問

 1990年に、日本の援助により設立されたセンターである。
名古屋ウエストライオンズクラブが寄贈したマイクロバス2台のひとつが置いてあった。
このバスは、眼科センターと市内のバスターミナル間の送迎をして、地方からの患者の
便宜をはかっている。
会議室に入ると、前日に目の手術をされた患者さんが何人も着席されていた。
午前10時より、順天堂大学・眼科の紺山和一先生が、スライドを交えてラオスの眼科治療の
現状を説明された。紺山先生は、長年に亘り、タイのナコン・ラチャシーマ(コラート)の
病院をベースにして、近隣インドシナの国々の眼科治療の発展に寄与してこられた。
ライオンズクラブのサイトファースト技術アドバイザーも務めておられる。
ビエンチャンの近郊より、白内障等の手術に来られ、数日滞在しても、10米ドルとのことである。
我々は、隣の手術室も見学した。患者さんが 数名手術中であり、隣室より見学する。
LCIFは、サイトファースト事業として、白内障手術の提供や、眼科施設の建設等を援助してきた。

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1 名古屋ウエストライオンズクラブより寄贈されたバス
2 前日に白内障の手術を受けた患者さん
3 紺山和一先生のセミナー
4 手術室
5 名古屋ウエストライオンズクラブの川瀬ライオンより、院長先生へバスの贈呈式
6 西尾団長より、ビエンチャンクラブへ記念品贈呈
7 眼科センターにて
8 附属小学校の生徒さん

 11時頃、名古屋グループが病院に合流する。
添乗員・川合美香の話によると、ハノイのホテル、夕食、翌朝の航空便の確保に苦労したようだが、
お客様の助けがあり、何とかできたとのことであった。
この病院の院長先生(DR.VISONNAVONG VITHOUNE)が中心になって、
ビエンチャン・ライオンズクラブが結成された。
スポンサーのタイ・ウドンタニLCの会長やメンバー、ロビサス元国際理事も出席されていた。
お国の事情により派手なチャーターナイトはできないので、旅行団の団長、西尾恒章ライオンより、
記念にライオンズマークの入った手拭を贈呈した。
付属の小学校に行くと、目の見えない(目が皮膚でカバーされている)少女や、男子がおり、
かわいそうな状況であった。
午後は、ビエンチャンのシンポル、タートルアン・黄金の塔とパトウサーイ・戦死者慰霊の門を
見学する。門の階段を上ってゆくと、中ほどの階にお店があり、さらに上に行くと街が一望できる。
夕食は、「タムナック・ラオ」にて、演奏と踊りを見ながら、ラオス料理をいただいた。
麺をスタートに、おかずが数品、ご飯は一人用の竹細工の入れ物に入ったあずき色のもち米で
おいしい。ラオスでの食事は、口に合う。


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  タートルアンの前で
10 タートルアンの仏像
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 東京より参加の松田、野口、斉藤夫妻と友人

 翌日は、午前に寺院を二つ訪問する。ワット・シーサケートは古い寺院、その前にあるワット・
ホーパケオは、博物館のようになっている寺院であった。
ビエンチャン空港の国際線ロビー3階のレストラン「WEST COAST」は、ブッフェ形式の食事で、
食べ物の種類は豊富、簡単な寿司もあり、デザート、それにビール・ワインが飲み放題であった。

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12 ワット・シェントーンのモザイク画
13 ワット・シェントーンにて
14 夕食風景
15 プーシーの丘より、メコン川を望む

 ラオス航空にて、約35分のフライトで世界遺産都市・ルアンパバンに到着する。
この日は、ワット・シェントーンの見学。王様の霊柩車庫があったり、モザイク壁面の美しい寺院である。
プーシーの丘からの夕景を楽しみ、ナイトバザールを散策し、カオソーイ(ラオスの麺)等の夕食。
タイのカオソ−イとは、まったく別物で、ラオスでも店によって異なるようである。
宿泊のムアンルアンホテルは、市内で便利であったが、古い設備のホテルであった。

ルアンパバン県ナンパグ郡ナムファム村、小学校校舎2棟の譲渡式に参列

 午前7時に、鹿児島県川内クラブ、仙台第一クラブ、東郷クラブの会員の皆様9名と、橋渡しを務める
NPO法人DEFC代表の沢田誠二氏、関係者がホテルに合流して、小学校に向い出発する。
途中にトイレ休憩を入れて、9時50分に最初のポンサワーン小学校に到着する。
早速、新らしい校舎を見学する。幼稚園組、年少の小学生の組、年長の小学生の組の3室を見る。
我々が顔を見せると、元気な挨拶がかえってきて気持ちよい生徒達である。
ラオス側の教育関係者も、ここで合流して、簡単な式と植樹を行い、式典の行われる次の学校へ向かった。
子供達、先生、ご家族が校庭で見送りをしてくれた。

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16 鹿児島の川内、川内第一、東郷の3クラブが寄贈したポンサワーン小学校の校舎
17 教室の生徒達
18 同上
19 記念の看板
20 ルアンパバン教育局の人と川内LCの内田耕也会長
21 スタディーツアーのメンバーと子供達
22 ポンサワン小学校にて、譲渡式の開始
23 式典に参加する生徒達
24 若い女性達が民族衣装で記念品の配布
25 記念撮影
26 バーシーの儀式
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 同上

 次のポンサワン小学校は、バスで行くとすぐであった。校舎の近くに大きなテントが架かっており、
小学生達、村人と関係者が譲渡式典に参加の為に待っておられた。
教育局の高官、川内クラブの内田耕也会長、LCIFスタデイツアーの西尾団長が、前に座り、
校舎の譲渡式を行う。挨拶や、記念品の贈呈、受取、記念撮影が行われる。
そして、小さな建物に移り、ラオス伝統の儀式「バーシ―」を行う。
われわれ客人の幸福と健康、旅の安全を祈りながら、村人が我々の両手に白い紐を付けて下さる。
ミサンガのようなものである。とてもありがたく沢山の村人より、沢山のミサンガを付けていただく。
お酒や果物も振舞われた。
心ずくしの村の昼食も用意されており、美味しくいただいた。
子供達による伝統の踊り「ランボン」も見学し、帰路についた。
鹿児島のクラブの皆様とともに、貴重な式典に参列させていただいたことに感謝。
コンクリートの立派な校舎2棟の総事業費は、約450万円とのことである。

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28 昼食の料理
29 昼食の風景
30 同上
31 歌と踊りがありました
32 同上
33 同上
34 教室内

 翌日は、世界遺産都市・ルアンパバン観光で、メコン川クルーズをして、多くの仏像を安置した
パークウー洞窟や酒の村を訪問。興味深い国立博物館(元王宮)などを見学し、ハノイに飛び、1泊。
ハノイも1日観光で、ホーチミンの家、ホーチミン博物館、二つの寺院、水上人形劇を見て、
皆さん別れを惜しみながら、ベトナム航空の夜行便で日本各地へ帰国の途についた。
旅行期間中は、何十年ぶりの異常気象で、ラオス・ベトナムとも寒い日々を過ごすこととなった。

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35 朝の托鉢
36 同上
37 同上
38 朝市
39 メコン川クルーズを楽しむ
40 パークウー洞窟 
41 同上

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