表情豊かなメキシコへの旅
月17日(水)〜19日(金) メキシコ・シティ
 ダラスで乗換え14時間余のフライトから解放されメキシコの地に立つ。迎えのガイドの案内で一路ホテルへ直行。「メキシコにやって来た」という興奮が睡魔を追い払い、車窓に写る暗い夜道でさえもじっくり眺めていた。
 私たちガールスカウトリーダー4名のメキシコでの生活はこうして始まり、日本では考えられない、夢のような日々を送ることになる。
メキシコ・シティはアステカ帝国とスペイン植民地時代の旧跡、そして中南米諸国の中心地と17の文化が錯綜した人口2000万人の大都市だ。「夢幻の世界とはこれかと、我々は口々に言った。高い塔、神殿、建物などが水中にそそり建つ。兵士の中には、夢を見ているのではないか、と我が目を疑う者もあった。」アステカ帝国を滅ぼしたエルナン・コステス指揮下のスペイン軍事記録係りは、当時テノチティトランと呼ばれていた現在のメキシコ・シティを初めて見た驚きをそう書き記している。
 先ず私たちは、市民がソロカ(中央広場)と呼んでいる憲法広場へ。ここはアステカ帝国時代にも神殿に囲まれた重要な広場だったと言う。そこからメトロポリタン・カテドラルを見学。アステカ王朝最大級の建築物で、西暦168年に100年以上の歳月をかけて完成したと聞く。バロック様式の重厚な内部装飾で覆われ、その装飾にメキシコ独特の文物が描かれ、目を見張った。
 国立宮殿、独立記念塔、革命記念塔を車窓より眺め、国立人類学博物館に入る。建物に入ると、なんとなんと広いことだろうか、次から次へと好奇心をかきたてられる展示物の数々に我を忘れて釘付けとなる。1Fが考古学資料、展示コーナー、2Fが民族学コーナーとに分かれ、丁寧に見ていたら1日では周りきれない。この地に栄えたテオティワカン、マヤ、アステカなどの遺跡から発掘された、歴史的に重要な文化財が選りすぐって展示されている。1709年建築の旧聖堂は、地盤沈下のために傾き、それに代わって1976年に
建築された新聖堂は現代的な機能美を持ち、約2万人は収容できる。グアダルーペ聖母の奇跡の話を聞きながら寺院内へ。聖母の気品に満ちた慈愛と微笑みに、私たちはひとときの旅の安らぎを感じていた。

 太陽のピラミッドにトライ。(メキシコにもピラミッドがあるんだと驚きますが)330段の石を積み上げた階段(数えたんです)、広く狭く高く低く、自由きままに造ったようなピラミッド。でもそこには、当時それを造った多くの人々の言い知れない苦労があったことでしょう。そんなことを思いながら登り、下りてきたピラミッドでした。でもやっぱりしんどかったな。

ガールスカウト・ワールドセンター研修に参加して
7月19日(金)〜22日(月) クエルナバカ
 メキシコ・シティの南75kmにあるモレーロス州の州都。平均気温20度と、穏やかな常春の町。ここは高級な避暑地で、別荘地として名高いそうだ。車窓を通して眺める町並みや風景などからそれがうかがえた。クエルナバカの名の由来は、先住民トラウイカの言語で、クアワウナック(森の入口)がスペイン語のクエルナバカ(牛の角)になったものだと言う。
 今回、メキシコの旅を計画したのは、この地に私たちガールスカウトの世界に4つあるワールドセンターの1つ、アワカバニアでの研修に参加するのが大きな目的だ。(因みに他の3つのワールドセンターはイギリス、スイス、インドにそれぞれある。)
 カテドラル(人の集まるところに必ず造られるそうだ。)、コルテス宮殿、アルマス広場では群集が集まり大変賑やかで、私たちはドライバーの人とはぐれてしまって大変だった。目指すアワカバニアは、そこから30分ほどで着くそうだ。着く前から胸がワクワク、ドキドキ、ウキウキ、日本からこのセンターに乗り込むかつての乙女(今でもそう思っているが)たち、スタッフ、既に入所していた各国のスカウト・リーダーに迎えられて、3泊4日の研修が始まったのである。
 
 アワカバニアは写真で見たり、ワールドセンターの知識として知ってはいたが、広大な敷地の中に、宿舎、研修室、クラフト兼談話室、集会室等々、プールまである。
センター内のあちこちに南国特有の植物が繁殖し、もはやカメラは手放せない。こんな環境に恵まれた中での研修は、素晴らしい体験となって私たちを満喫させた。ぎっしりと詰まったプログラムではあったが、日本人特有なギスギスした時間に追われるような雰囲気は全くなかった。
 そんなある日、バス2台に分乗して走ること1時間、町に向かった。旧い教会を見学、その後自由行動。似たような屋台が並ぶマーケットを散策。適当なお土産も見つかり、気の向くままに食べたみたアイスクリームはとても美味しかった。
 歩くこと20分弱、教会のミサに参列。荘厳なときを過ごし心が洗われるような気がした。神父様の厳粛なお説教をわかったような顔で聞き自分自身を反省。(何を反省したのやら)
 その後テオンソルコ遺跡に登る。今回の研修にはアメリカ合衆国の7ヶ所からの州からの参加があった。その中に怪我で松葉杖をついていた二人の参加者がいた。そんな二人が体に鞭打って、遺跡を登る姿に思わず拍手喝采。しかし今日は良く歩いた。
 3泊4日の研修もあっと言う間にすぎてしまった。短い時間とはいえ、最初は見知らぬ参加者も、一緒に行動しているといつしか気心もしれてくるもの、暫しの別れに胸が痛くなった。「さようなら、そしてありがとう」。あとから来て先に帰る私たちを快く見送ってくれたスタッフの方々、参加者の皆様、本当にお世話になりました。 
7月22日(月)〜24日(水) タスコ
 メキシコ・シティより170km南西に位置し、18世紀の壮麗な建物が並ぶタスコ。スペイン人によって北米大陸最初の鉱山が造られ、銀の発掘で栄えた高原の町、町には坂道が多くとてつもなく狭い道を、私たちを乗せたミニバスはぐんぐん走る。ちょっと窓から手を伸ばすと、掴めてしまえそうな街並みだ。信号がなく、交通整理のお巡りさんが活躍していた。狭い町は活気に溢れ、人々は何故活き活きして見えた。 
 サンタプリスカ教会(タスコの銀山王がボルダが「神はボルダに富を与え、ボルダは神に
これを捧ぐ」と言う家訓を実行。町に寄贈したチェリゲレスク様式で飾られた豪華な教会)が一際目立ち、町を見下ろしている。そこにはいつも近隣の人々が集まり、安らいでいた。私たちが宿泊するホテルは丘の上にあり、ベランダからはタスコの町を一望。「わあ〜!!!素晴らしい!」と感嘆の声。室内はひんやりと涼しげだ。丘の上から下界にショッピング、食事などで何度も散策してるうちに、町の中の様子はもう手にとるようにわかるようになっていた。タスコでタコスを食べたのも旅の思い出の一つになった。(私は食べませんでしたが)
 高速道路をぐんぐんバスは走る。鍾乳洞に到着。片道2kmの洞窟内、自然の驚異を目の当たり
にした。往復4kmの道のりは正直、疲れました。
7月24日(水)〜7月27日(土) グアダラハラ
  タスコより国内線でグアダラハラに着いた。人口220万人、メキシコ第2の都市、ハリスコ州の州都。メキシコ貴族音楽を代表するマリアッチの揺盤の地であり、3大壁画家の一人フレメンテ・オロスコの生まれ故郷としても知られている。歴史と文化を誇る大都市だ。巨大な自由広場、カテドラル(当時の植民地予算の3分の1が費やすされた大教会。内部には近世の代表的な宗教画家ムリージョの絵もあった)、ハリスコ州庁舎、オロスコ博物館、デゴジャード劇場等がある。17世紀に建てられたハリスコ州庁舎は、メキシコ独立の父イダルゴ神父が奴隷解放宣言をしたことでも有名。庁舎内の中央階段の所にある巨匠オロスコ作の壁画「立ち上がる僧侶イダルゴ」は見ごたえがあった。その迫力に思わず、画面に吸い込まれるような錯覚さえした。
 
 メキシコのお酒と言えばテキーラ酒。私たちはその工場見学をするチャンスを得た。工場案内役はメキシコ美人のお姉様。原料であるマゲイ畑をあちこちに見ながらの道中であったが、実物を目前にして驚愕。「マゲイ」はパイナップルのおじいさんで、とにかく巨大で本当にびっくりした。蒸し上がったものはほのかに甘く、さつまいものような味で、かじってはみたものの、あまり美味しいものではなかった。試飲でテキーラ酒を一口「わあ〜!来た〜!」思わず叫びたくなるほど、強い酒だ。「飲みすぎると死ぬ場合もあるよ」とガイドのお兄ちゃんの説明に納得。
 今日は旅の最終日、ホテルの近くを散策。昼間にユカタン半島から来たというスカウトの人達と会い、暫しの交流。その後マクドナルドにて夕食。夜も9時をまわると言うのに、町の賑わいはいつまでも続くのであった。
 
 私たちはガールスカウト活動を通して、「世界中の人々が平和で明るく元気に暮らせたらいいな」、そんなささやかな願いを込めて、世界中のいろいろな国を旅してます。そこには出会い、触れ合い語らいがあり、旅をするたびにまた一つ、心の財産が増える。こうして全11日間のメキシコの旅は一応に終わった。
 
 「旅」を実施するにあたり、多くの方々にお世話になりました。
楽しい有意義な旅を有り難うござい
ました。心より感謝しこの「旅」を終わります。
 
                             2002年8月23日 山本 幸子

↑国立人類学博物館 太陽系暦
     (メキシコシティ)

↑テオンソルコ遺跡(クエルナバカ)

↑ガールスカウトのワールドセンター
      (アワカバニア)

↑サンタブリスカ教会の中(タスコ)

↑お店の前の変わったモニュメント
      (グワダラハラ)

ガールスカウト日本連盟 
        山本 幸子

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