ロッジの前は、広大な砂漠のモニュメントバレーが広がっている。
ここはナバホ・インデイアンの居留地になっているのだ。
バスに乗り込むと、多くは日本人観光客だ。後から何組かの外国人
(我々もこの時は外国人)、欧州のカップルが乗り込んできた。
既に席は殆ど占有されており、先に乗ったカップルは離れて座ったが、
後から乗った中年のカップルは、席が離れていては座れないとダダを
こねてバスから下りてしまった。その自己主張に日本人観光客は唖然として
いる。また日本人は気が利かないのか、一人ずつ座っている人もすぐに
反応しないのである。
シーニック航空のガイドを勤める小松氏がどうしたものかと車内を覗っていると、
やっと日本人男性客で一人ずつ座っている人が相席になり、めでたく2席の
空席ができた。ちなみに、その欧州のカップルはフランス人。
何事もなかったように、ナバホ族のドライバーが運転するバスは、
モニュメントバレーの中に進んで行く。
普通は大型ジープみたいな車の後のオープンな座席に座っての観光で、
砂塵を浴びて埃まみれになるのであるが、人数が多いのでエアコンの
あるバス観光となった。
ビュート・Butte(残丘)と呼ばれるその印象的な岩山が点在し、見え隠れする。
テーブル状の台地は、メサ・Mesa と呼ばれている。
赤土の大地と併せて、その色合いは強烈だ。
アメリカ映画の巨匠ジョン・フォードが好んで撮ったところ、ジョン・フォード・ポ
イントからの眺めはさすがである。
ジョン・ウエインの出世作となった西部劇(駅馬車)は、ここで撮られた。
1938年のことである。
ナバホ族のお店があったが、買いたいと思うような物はなかった。
マルボロ・ポイントを回り、ビシターセンターでゆっくり雄大な景色とお別れをし
た。
アメリカ合衆国の歴史を考えさせられる場所でもある。
甥のたいすけ君は、サッカーで鍛えた体力にも拘わらず、帰路、
グランドキャニオン空港へのフライトで、又酔ってしまい紙袋のお世話になった。
私もかなりの酔いで、グランドキャニオン国立公園内のホテル1泊を予定に
入れておいたので、休息がとれて正解であった。
右京山