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●はじめに 
 ポルトガルを選んだのは,西欧諸国の中で,行き残している最後の国であったからである.旅行を計画する段階で,家内が,それなら,近くのスペインのサンチャゴ・コンポステーラにも行きたいと言い出し,ならば,昔教科書で見たアルタミラにも脚を延ばしたい,南の国境に近いドニャーナ国立公園にも行きたいということになり,停年になったので休みは自由にとれ,結局17日間(正味15日間),リスボンから始まりリスボンで終わる車旅は,5千キロメートル (正確には4984 km) にもなってしまった.しかし,日没が8時ごろで,夕食が9時からの国であり,連日,好天気に恵まれ,強行であった実感はない.ポルトガルで9泊,スペインで6泊したが,訪れた世界遺産の数は,前者が7つ,後者が9つ,計16で,スペインの方が多くなった.スペインは世界で一番世界遺産が多い国(現在まで38)だそうである.
 全ての印象を書くと,きりが無いので,訪問先を順序に列挙して,そのうち,特に印象に残った地,いくつかについて述べたい.
●訪問先((世)は世界遺産)
 リスボン(ジェロニモス修道院とベレンの塔など(世))−リスボン近郊(ロカ岬,シントラの文化的景観(世)) − サグレス − モンテゴルド ― (ここからスペイン) ドニャーナ国立公園(世)− セヴィーリヤ(大聖堂(世)) − メリダの遺跡群(世)− (ここからポルトガル) エストレモス − エヴォラの歴史地区(世)−トマールの修道院(世)−ファティマ − バターリャの修道院(世)− コインブラ −アヴェイロ − ブサコ − (ここからスペイン)ポンテペドラ −サンテャゴ・デ・コンポステーラ(世) −ルーゴのローマ城壁(世)−オビエド歴史地区とアストゥリアスの教会(世)− アルタミラ洞窟(ただしレプリカ)(世) ― ラス・メドゥーラス(世) ― (ここからポルトガル) ポルト(世) ― アルコバサのサンタマリア修道院(世)− オビドス ― サンタクルス ― リスボン
 
 リスボン 最初の3晩はリスボンに泊まり,市内および近郊を廻った.リスボンカード(1日券13 Euro)という路面電車,バス,ケーブルカーが乗り放題,博物館に無料または割引料金で入れるカードを購入して廻った.最後の晩もリスボンに宿泊し,半日あまり観光した.リスボンでは,アルファマ地区のサン・ジョルジェ城,およびベレン地区の発見のモニュメントからの眺め,特に,テージョ川,それに架かる橋々,赤レンガと白壁に統一された家々が,青空に映えて美しかった.町は一見安全そうに見えたが,知人で,ハンドバックのひったくりにあったという人もいて,それほど安心はできないらしい.ただ,ポルトガルの大きな都市,リスボン,ポルトなどには,警官が多くパトロールしていて,安心感を与えてくれる.

 シントラとロカ岬 リスボン近郊として,シントラとロカ岬に行き,カスカイスは,車ラッシュに幸いし,車の中から町と海を見るに留まった.シントラのぺナ宮は山上のお城で,世界遺産ではないがディズニーランドの模型となったノイシュバンシュタイン城よりもカラフルで,おとぎの国の雰囲気をもっている.麓にある世界遺産の王宮より,景色もよく面白い.王宮からも,山頂にはっきりと見える.王宮から歩いて行ける距離の道端に何気なくあるムーアの泉は1000年以上前から湧き出ている天然水で,地元の人などは容器持参で来ているが,ある案内書には飲料に適さないとある.飲料に適さない水はどう利用したらよいのか,不思議に思う.ロカ岬は,ユーラシア大陸最西端の絶壁で,眺めも相当なもので,団体客が多く来ていた.観光案内所では,最先端来訪証明書2通り(10 Euroと5 Euro)を売っている.

 サグレス 半島の先端を訪れるのが好きなのと,直前に読んだ沢木耕太郎の「深夜特急」にもそそられて,ポルトガル最西南端の辺鄙なところを訪問した.先端の要塞の白壁は,遠方から見ると,大工場の敷地と見まがうばかりであった.沢木は,冬に,列車とバスを乗り継いで,ようやくたどり着いたところなので,我々は,全く違った印象をもった.しかし,冬に訪れれば,広陵とした感じがすることは容易に想像できた.大西洋を見ながら,要塞の中をゆっくり散策した.中の教会では,結婚式が行われていた.そこから6kmほど北に行ったサン・ヴィセンテ岬が本当の最西南端ということだが,観光客はわずかであった.

 ドニャーナ国立公園 この国立公園は,船で見るか,車で見るか,いずれにせよ予め申し込んでおかないと見られない.約2ヶ月前にファックスで申し込んだら,すぐ許可の返事が来た.朝10時にサンルーカルの桟橋から船に乗る.グアダルキビル川を遡り,帰ってくる約4時間の船旅で,船上からと,2ヶ所で上陸して,動物や鳥などを遠くから観察する趣向である.英語の説明を受けたのは9人ぐらいで,あと40人ぐらいはスペイン語の説明を受けた.一般には立ち入り禁止の,類希のこの公園の大きさに圧倒される.帰国後,9月20日の世界遺産というテレビ番組で,この公園の第2回目が放映されているのを見たら,ここは,夜行性の大山猫が一番の見ものらしい.
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リスボン基点の5千キロのコース
(アルタミラまで
赤線、帰路は白線
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 エヴォラ  狭い城壁の中の街であるが,団体旅行の宿泊地のようで,日本人の姿を多く見かけた.サンフランシスコ教会の壁には5000体以上の人骨が埋められている.日本人にはこういう趣向はないと思うが,怖いもの見たさで入る. 1.5 Euro入場料を余計払うと写真撮影可能というのも不思議である.全ての頭蓋骨が大人のものより明らかに小さく子供のものと思われるが,集めた経緯は知らないが不気味である.
 ファティマ 世界3大奇跡地の1つで,聳え立つバジリカとその前の30万人以上収容できる広場に圧倒される.この後訪問したサンテャゴ・デ・コンポステーラや,ローマのサンピエトロ寺院より,むしろ敬虔な気持ちにさせてくれる雰囲気をもっている.
コインブラ 13世紀に創設され,16世紀にこの地に移った有名な大学を訪れる.大学も観光化していて一部を入場料をとって公開している.30万部の図書を有する図書館が売りで,グループで説明があるが,気の利かないチケット売り場の職員のためにポルトガル語説明のグループに入れられて説明はまったく分からなかった.大学はモンデーゴ川も見える高台にあって眺めが大変良い.
 
 サンテャゴ・デ・コンポステーラ 巡礼者の最終地で,800km巡礼路を歩き辿りついた巡礼者には違う感情があるに違いないが,安易に車で来た信者でない者にとっては,申し訳ないが,特別の感情はわかなかった.狭い町は人で溢れ,ファティマを見た後では,宗教的な静寂さや威厳に欠ける感は止むを得ないのであろう.カテドラルの全体は近くより近くの丘にあるエラドゥーラ公園からの眺めがよいと案内書に書いてある.なるほど景色は良いが,あまり人は来ていない.多くの人が見過ごしてしまっているのであろうか.郊外のゴソ山からの眺めもよい.巡礼路のほんの一部も後に,たまたまアストルガというところで見る.

 アルタミラ 数年前から一般公開を一切止めており,すぐ傍の博物館の一角に,レプリカをつくり,5分ごとに20人ぐらいずつのグループに説明している.スペイン語の説明のみなので,約20分間の説明は分からないが,約15000年前に,これだけ見事に描いた人はよほどの天才であったろうと感心する.レプリカ,博物館内も写真撮影は禁止されているのは残念であった.日曜であったため,入場料は無料で,多くの人が見学に来ており,レプリカ入場には1時間以上待ち,その間は,博物館の展示物を見たが面白かった.本物にどれくらい似ているのか分からないが,手間をかけている様子は分かる.本物は,遠くから柵で覆われていて,洞窟の入り口がどこにあるのかも判然とはしなかった.

 ラス・メドゥーラス ローマ時代に3世紀の初めまで,約200年にわたって金を採取した場所で,1997年に世界遺産になったばかりで,観光案内所もまだテント張りで,日本人はまだ,来たことが無いと言っていっていた.金がどれくらい採れたかに関しては,諸説あるらしいが,200年間で960トンという計算もある.金が,岩の中に均等に分布しているので,山を削って運河に流し,そこに金を吸収する植物(名前は忘れたが)を植え,それを乾燥して燃やして採ったと観光案内所の人は説明してくれた.本当か,どうか分からないが,多くの山が削られている.見るだけでも足のすくむ山で奴隷が山を削っていた図は,想像するだけでもこの世のものと思えない.道を整備しているので,やがて観光客が多く来るようになるかもしれないが,今は,極めて少ない.
 
 サンタクルス 壇一雄が「火宅の人」の最後を書いたところで,小説も直前に読んでいたので,行ければ行きたいと思っていたが,付近の詳細地図を購入していなかった.高速を降りても,標識が出ないので方向だけを頼りに行ったが,そのうち,ある小さな町に入ったところで,どう行ったら分からなくなった.たむろしていた5−6人の若者達に聞いたら,10 kmほどだが,複雑で地図に描けなく,車で先導してあげるという.そのうちの3人が1台の車で先導してくれた.分岐路のいくつもある細い道を行ったが,海岸に出ると急に明るく開けた広い道になり,目的地まで案内してくれた.お礼にガソリン代として10 Euroを渡そうとしたが,自分達は絶対取らないと言われ,すぐ引き返して行き,好意に甘んじてしまった.見かけからは予想もできなかった親切さと,皆の英語の達者さに驚き,感激した.
 駐車場の前の海岸に面したバーで,壇一雄通りとモニュメントの場所を聞いたら,お客の1人が,すぐ英語で教えてくれた.いずれもそこから,歩いて3-5分の距離にあった.
 通りは,50 m強ぐらいか,一人も歩いていなく,ひっそりとしたものであった.家は,その角にあって洒落た表札がかかっていたが,人が住んでいるのか,空き家にしてあるのか外からははっきりしなかった..
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●意外に思ったこと
(1)ポルトガルでは,英語が意外に通じた.道を尋ねると,半分以上は,流暢に英語で答えてくれた.スペインは大国だけあって,英語を話せる人は,一般には非常に少ない.
(2)シエスタで,ツーリストインフォメーションはもとより,観光施設の多くが,一番観光のしやすい2時―4時30分ぐらいに閉まっているのは,大変不便であった.
(3)両国の物価の差については,あまり分からなかったが,一般にポルトガルの方が高いようである.ガソリンはポルトガル,スペインそれぞれ,1Euro/L強と1 Euro/L弱で,約1割は前者の方が高い.1 Euroは約134円ぐらいであったが,実際買う場合は140円ぐらいである.高速料金が無料か,安い(決して全部無料ではない)ので,その分高いのであろうか.Euroが円に比べて高いので,物価は,一般に日本と変わらないような気がした.
(4)短期間の旅行者には,両国の違いはあまり分からない.特に,治安が悪いといわれるスペインは大都会を避けたのでなおさらであった.両国ともEuroを採用している点は,我々には大変有難い.標準時間はポルトガルが1時間遅れているので,国境を越える際に注意が必要だった.
(5)65才以上の私は多くのところで入場料割引(大体,子供料金と同じで半額のところもあった)の恩恵を受けた.ほとんどは,パスポートも見ず,こちらの申告を信用するのに驚いた.
●おわりに 私は,特に海鮮料理が好きなので,両国はその点大変好きだ.ポルトガル名物の鱈料理はあまり美味しくないが,生牡蠣,えび,いか,油ののった焼き鰯は美味しかった.マテ貝は初めて食べたが,大変美味しい.ポルトでは,ワイン工場2件に行く.試飲させてくれ,貯蔵所などを見せてくれる.1937年の大樽もあった.因みに1本(750 mL)あたりの値段を聞いたら,450 Euro(6万円)ぐらいするという.ポルトワインのような甘いものでも味が年代とともの向上するのかと思う.闘牛は嫌いで,ファドは時間がなく見なかった.
多くの教会や修道院の世界遺産の印象は割愛したが,その価値を認めないということではない.いずれもすばらしかったが,後に残る印象としては,私には,皆同じように見えて,あまり残らない.天正遣欧少年使節(1582-90)が訪れた王宮・教会など(シントラ,リスボンなど)を訪れたが,日本とのあまりの差に,驚きは如何ばかりであったろうと想いをいたした.
【写真の説明】

@リスボンのビカのケーブルカー

リスボンは急坂の多い街である.市内に3つあるケーブルカーの1つ.
遠方には,テージョ川が見られる.
Aシントラのぺナ宮 廃墟となっていた修道院を1839年に修復したもの.529 mの高台に建っていて眺めもよく,おとぎの国のようである.
Bロカ岬 ユーラシア大陸最西端の地.140 mの断崖絶壁の上に立つ塔には,ルイス・デ・カモンエスの,
「ここに地果て,海始まる」の詩がある.
Cサグレス要塞 サグレスはポルトガルの西南端にある.15世紀初めに,エンリケ航海王が世界最初の航海学校を開いた.
灯台や礼拝堂,記念碑などがある.
Dドニャーナ国立公園 5万ヘクタール以上の公園は,野性動物,鳥が多くおり,予め申し込んで船(レアル・フェルナンド号)で訪問する(夏は1日2回).
船から動物が見える.
Eメリダのローマ劇場 メリダは小ローマと言われ,ローマ時代の遺跡が多く残る.設置されたものは,夏に行われた古典劇の舞台なのか.
Fファティマのバジリカ

1917年第一次大戦中に,羊番の子供3人の前に,聖母が現れ予言をした.
中央の塔は高さ
65 mで広場には30万人収容できる.
向かって左側の礼拝堂は聖母が現れた場所で,訪問時に,英語によるミサが行われていた.

G国立公園ブサコの
 サン・ジョアンの泉
10km2の森に覆われた山の中心には城を利用した5星パラス・ド・ブサコがある.
麓には,豊富な湧き水(高血圧などに効く)が出ており,飲食店の人なども,汲みに来ている.
びん詰めで,市販もされている.
Hサンティアゴ・デ・コンポステーラ
  のカテドラル
近くのエラドゥーラ公園からの眺め.
Iラス・メドゥ−ラスのローマ時代
  の金採掘跡
秘境の世界遺産.
J城壁に囲まれたオビドスの街 街には,土産物屋の連なった300 mほどの主道があり,観光地の賑わいを見せ,この図とは全く異なった雰囲気を持っている.

Kサンタクルスの大西洋を見下ろす
  壇一雄の句碑

「落日を 拾いに行かむ 海の果」の句は,ここに大変よく調和している.下に,ポルトガル語と日本語による解説がある.

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ポルトガル・スペイン遺産過多の車旅
上智大学 理学部
教授 岡田 勲