私の場合、アメリカの会社に直接雇用されている関係で、自分の本来のオフィスがボストンとハートフォード、そしてミネアポリスとあちこちに散らばっている。従って、アメリカ横断という形態の出張になることがほとんどである。そして、幸か不幸か、関係会社とのつき合いで、サンフランシスコにも立ち寄ることが多くなった。
 さて、このような身の上であるので、経費節約と体力温存のために出張行程にはそれなりに拘る。また、最近特に思うことだが、人間にウマが合う合わないがあるように、街との相性というものもどうやらあるらしい。
 日本人の考える「アメリカ」といえば、だいたいの場合、ロサンゼルスやニューヨークかもしれない。いわゆるヤンキーな街だろう。しかし、今の会社も、昔の勤務先も、なぜかそのような大都市には縁遠く、アメリカの「片田舎」や「古都」のようなところばかり。そのせいかどうかは知らないが、地味なアメリカに接することが多い。そしてそれは決して不愉快なことではない。
 ただ、ここが遊びと仕事の違いなのかもしれないが、地味なアメリカばかりを趣味で旅行するわけではないので、どこかで「エネルギーチャージ」としての仕事の息抜きということを考えるようになる。
外国の会社やその現地法人に勤務していると否応なくシャトルのような使い方をされるので、やがて、定番の行程が出来上がる。今の私は、例外はあるにせよ、東海岸から順繰りに中西部までやってきて、最後にサンフランシスコで仕事をして、最後に同地で一休みが出来ると「ラッキー」となる。一年に六回程度はこのような行程で出張をする。
 しかし、たまには色気を出して、行程を変えようとしてとんでもないことに遭う場合もあるが。一昨年の同時多発テロの際にはボストンにたまたまいる羽目になっていた。テロ前日に、「シカゴ経由はあまり良いことがない(それまでにシカゴ経由でまともに帰れたためしがあまりなかった)ので、ロスかサンフランシスコ周りに変更するから」と家人に連絡を入れた。翌日「運良く」ロス周りに乗り遅れ、予定通りシカゴ便に搭乗することになった。これが幸いした。ボストン発ロサンゼルス行きはアルカイダの悪事によりWTCに激突することになったのだ。世の中、何が幸いするか分からないものだ。たまたまボストンの空港までの高速道路が工事中と前日の悪天候で大渋滞だったのだ。
 そんな悲劇的なこともある出張旅行なのだが、これは巡り合わせのようなもの。そう言えば、湾岸戦争の勃発時もそうだった。当時、ボストンにある会社に勤務していたのだが、私の担当製品はデンマークで研究開発されていた。その関係もあって、当初はボストンからNYケネディーまでのパンナムシャトルを予約、搭乗したが、折からの豪雨でラガーディアに緊急着陸。この辺から運の悪さが出始めていた。そして、「係員を半ば脅かして」、ラガーディアからケネディーまでのシャトルバスを出させてケネディー空港まで。コペンハーゲン行きに間に合わせなければならなかったのだ。ところが、いつもと様子が全然違う。覚悟はしていたが、空港ビルでは入り口で銃器の検査や渡航先確認などいつもにはない検査が待っていた。そして、一旦ビルに入ったら最後、出られない状態であった。袋の鼠状態だ。情けない話だが、そこではじめて湾岸戦争の勃発を知った。
そう言えば、こんなこともあった。確かフランスからの出張の帰り、ドイツ経由でNYに出かけるときだった。この日が、また間が悪く「コソボ紛争」の幕開けの日であった。フランクフルトの出国検査場で生れて初めて、自分の体に自動小銃を突きつけられた。おかげで、ドイツにはもう二度と生きたくはないと私の頭に刷り込まれてしまった。ただ運が悪かっただけなのだが。
 そんな運の悪い私だが、幸いにして、アメリカ出張の定番の最後の息抜き場所「サンフランシスコ」では悪い目には遭っていない。どうやらウマがあっているらしい。いや、生来の臆病な性格も手伝って、危ないところには出かけないだけのことかもしれないし、市内ではなくどちらかというと郊外に泊まることが多いからかもしれない。人によって好みがあるだろうが、私のようなタイプの人間にはやはりこの街での息抜きこそが、日本に帰ってからの活力になることだけは確かである。あの紫外線たっぷりの太陽とアメリカにしては繊細な味が揃うエネルギッシュな街からのエネルギーが私には最高の土産である。


人生色々、出張色々。
笹嶋 政昭 Masaaki SASAJIMA
Vice President-Asian Operations
HTS Biosystems, Inc.