優雅な姿のカン・レアム峰
バン・ジロー

「カン・レアム」その名は「何と素晴らしい」
空に向かって映えるヒマラヤひだは神が贈ってくれたカットグラス
 
 ヒマラヤ広しといえども、これほど美しく、しかも名前の知られていない山はないと思う。
なにしろ、インド・ネパール測量の「クーンブ山塊地図」にも、アメリカ製地図にも載って
いない。どこかの地図がアマ・ダブラム峰(標高6,812メートル)の北側にピーク点を
入れていたが、名前なし。
 
 ローツェ・シャール(標高8,400メートル)の壁も過ぎて、三人三様、みんなで
はしゃいでいた。歩きながら、おやつ用に持ってきたチョコレートをむしゃむしゃと、
子供のように食べた。みんな何となく余裕があった。私もうきうきと蒼穹の天国に近い
回廊を歩いた。多少苦労しながら今、ここにいられることに感謝した。経文を彫り込んだ
大きなマニ石がある丘で休憩した。ミネラル水を飲んでいると、視界の中に白いひだを
引く山が飛び込んできた。
 
「何だ、あの山は?」と大声を出した。
「どの山です?」
「あれに決まっているだろう」
 
 ガイドはポーターとごもごも話しているが、はっきりしない。やむを得ず地図を出したもの
の、この山とおぼしき位置は、わずかに等高線が込んで5,000メートル級の山である
ことはわかった。が名前も三角点もない。6,000メートル峰以下なら無名峰がまだ
たくさんあるとは聞いていたが、これほど近くのこんな美しい山の名が分からないとは。
 
 ガイドたちにもう一度、位置取りの確認から迫った。二人で忙しく話している。早口の
ネパール語はきっと老人から聞いたとか、知っている人がいるとか、そんな話をしているの
だろう。私は彼らの間に入って、拾った棒切れで山の略図を描いた。そうしたら、ガイド
ならぬ、おとなしいポーターの方が思わず叫んだ。
 
「カーン、レイアム」
「何?」と言ってネパール語の発音がよく聞き取れなかった。
「カン・レアームです」
「カーン・レーアム」
「いや、カン・レアム」
「間違いない?」
「大丈夫です。先輩からも聞いたことがあります」
 
 ポーターに発音を確かめたところ「カン・レアム」とはじめより短く発音したので、確信した。
どういう意味か尋ねると、ガイドはすかさず「ネパール語で『何と素晴らしい』という意味です。
私も久しぶりにあらためて全景を見ましたが、きれいですねえ」と説明してくれた。
 
 それからの三人の忙しいことといったらなかった。カメラバックを開ける、三脚の締め方が
甘いとおこられるは、直射日光を避けるための影はつくらされるは、フィルムの本数を示す
番号を指で出されるは―。みんなたいへんだった。
 
 標高もはっきりしないが、あとでカトマンズに下りてきて資料を見せてもらったところ、
5,630メートルというピークがあった。隣のアマ・ダブラム(6,812メートル)と比べて、
高さとしては妥当なところだと思う。ヒマラヤでは5,000メートル級の山々には無名峰
がたくさんある。ヒマラヤひだの美しい「カン・レアム」を私なりに心に刻むことにした。
最近、ネパール観光ガイドパンフなどには「カン・レイアム」とか若干異なる発音で紹介され
るようになった。
 
 このあと、チュクンでサガルマータの登攀訓練の山になっているアイランド・ピーク(標高
6,189メートル)を見上げ、後年、私は6,000メートルの鞍部にたどり着くことになった
ヒマラヤひだ冴える渓谷の無名峰

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