其の1
●トゥールーズ(Toulouse)空港で車を借りる
9月2日(金)トゥールーズ郊外での学会が午前に終わったので、トゥールーズのブラニャック(Blagnac)空港に行き、予約してあった車を借りる。家内が夜に東京からパリ経由で、19時50分に空港に到着することになっているので、まず、車で、それまで泊まっていたホテルから、空港に割合近いホテル(IBIS Ponts-Jumeaux)に荷物を移し、再度、空港に家内を迎えに行く。位置を予め確認していたので、ホテルには容易に着けたが、駐車場が特にないので、路上の空いた場所を探すのに多少時間を要する。割合郊外ではあるが、付近も一方通行が多いので、一旦行き過ぎるとまた戻るのに時間がかかる。日の入り時間は午後8時20分ぐらいであったので、ホテルに着いたのは、暗くなった直後であった。
●世界遺産のミディ運河を見ながら世界遺産のカルカソンヌ(Carcasonne)へ
翌日、トゥールーズから、世界遺産のミディ(Midi)運河に沿ってカルカソンヌに向かう。運河に沿ってといっても、車道から運河が見えるところは限られているが、そういう場所では、車を停めて運河を見た。丁度、土曜の朝であったためか、運河の両側の道には、ジョギングをしたり、サイクリングしたりしている人が時々通る。残念ながら、河は、濁っていて魚の有無も見えず、大部分は、河岸の草木も手入れされておらず、昔、テレビで見て、憧れていたイメージからはやや遠い。それでも、ある場所(Casternaudary)に行ったら、水門(複数個からなる)があり、丁度、ボートが通るところだった。塔の上には、水門の開閉をする専門の人がおり、ボートの乗り組みの人が、1人予めそこに行って打ち合わせをしている。一体、通行料はいくらかかるのであろうか、贅沢な趣味である。誰も他に見物している人もいないが、その様子をのんびりと30分以上見物させてもらう(写真2)。
カルカソンヌの城壁都市は、世界遺産でもあり、確かに、一見の価値があり、古城(コムタル城;1130年前後にできた)が美しい。ガイド付もあるが、フランス語なので、そのコースはとらず、周りのコースを勝手に見る。城自体も美しいし(写真3)、周りの景色もよい。カルカソンヌに1泊する。
●ダ・ヴィンチ・コードで有名になったレンヌ・ル・シャトー(Rennes-le-Chateau)へ
 カルカソンヌから、真南に40 - 50 km登り勾配を行ったところに、レンヌ・ル・シャトーというところがある。1885年にそこの教会に赴任したソニエール神父(Berenger Sauniere)が、何やら地中から重要な秘密が書
かれたものを掘り出して、ローマの教会に持って行き、莫大な資金(年収900 Fの120年分)を得て(直筆の会計簿が存在)、立派な教会を建てられたというもので、その書類の内容はシオン修道会に関するものであると噂されるようになった。その重要な秘密というのは、マグダレアのマリアが、キリストの子供を生んで、その子孫が存在するというものである。この伝説は、昔からあり、ダ・ヴィンチ・コードでも主題として取り上げられて、最近、日本でも広く知られるようになった。この旅行の前の、2005年の春に、ダ・ヴィンチ・コードを読んでいたので、この地を是非訪問したいと思うに至った。ネットで見ると、カルカソンヌから、電車、バス、歩きで、ここまで来た人の旅の記録が書いてあり面白い。ここはやはり、車で来ないと大変であろう。毎年約20,000人来るそうであるから、1日50人ぐらい訪問する勘定になる。駐車している車の数から見てもそのくらいであろうか。着いたら、教会は、12時から開くとあるので、しばらく、その辺を歩いて待つ。50人程度しか入れない小さな教会であるが、多くの見学者が来ている。教会なので、勿論無料である。次いで有料の隣接するソニエール神父の住まいだったところを見学する。神父が掘った跡か、その後の人が更に掘り返したのか、掘った跡が残っている。しばし、この山の上から景色を眺め(写真4)、次の地に移動する。途中、レンヌ・レ・バン(Rennes-les-Bains)に近い所であろうか、山道に面して突如、温泉プールが現れ、子供連れなど10数人が泳いでいた。特に柵もないから、誰でも無料で入れるのかもしれない。
 レンヌ・ル・シャトーから、東に20 kmぐらい離れたところに、ぺイルペルチューズ(Peyrepertuse;仮に、フランス語として読む。)というところがある。フランスの詳細な歴史に疎いので、受け売りであるが(http://ch.kitaguni.tv/u/10582/%A5%AA%A5%DA%A5%E9/0000324324.htmlや「ウイキペディア」など)、大略、ここで、次のようなことが起こった。11~13世紀にかけて、キリスト教の宗派の1つにカタリ派(アルビ派ともいう)というのがあり、「物質世界に捉えられた魂はこの世を逃げることで非物質世界である天国に到達できる」という思想を持ち、当時のカトリック教会聖職者たちの堕落した生活と一線を画し、この物質を悪とみなし、禁欲、菜食、非暴力に徹し、福音書を土地の言葉で分かりやすく説明するというカタリ派の態度は、民衆の心を掴んだ。11~13世紀に南フランスで信者を多く集めたが、これに脅威を感じたカトリックは、1209年にローマ教皇インノケンティウス3世(Innocentius III)が、フランス北部の諸侯を中心にアルビジョワ十字
軍を派兵して、異端壊滅を謀る。残虐な殺戮によって、約50年間に100万人もの犠牲者を出し、14世紀に最後の信者が火刑となり、カタリ派は全滅した。キリスト教の宗派間の争いに、諸侯の野心も加わって大変な惨事になったと、解すべきなのであろう。十字軍はイスラム教徒に対してだけ戦ったわけではなく、キリスト教内の異宗派にも向けられていた。このカタリ派の砦の城の廃墟が、このぺイルペルチューズの山頂にある(写真5)。予め、その風景を写真で見ていたので、どんなところか興味を持って行ったが、流石に大変迫力のある廃墟であった。城は山上にあるので、周りの景色が良く見える。西と東に分かれていて、全長300 mほどある。下を見ていると1台の観光バスが、来て、乗客
が降りて写真を撮っているので、その後、登ってくるのかと思ったら、また乗客を乗せて戻って行った。ここに来るには、車の最終地点からも、鎖も使って相当険しい道を歩かねばならないので、団体旅行には向いていないのであろう。
   なお、上記の2つの場所は、交通の便が悪いためか、日本の普通の観光案内書には記載がない。
2)MIDI運河 
 運河の1つ目の水門が開いて入ってくるところ。
 岸の女性は予めボートから降りて来ている人。
 水門の開閉司令塔は右の背後にある。


3)カルカッソンヌの古城 ラ・シテ

4)レンヌ・ル・シャトー

5)ペイルペルチューズ城の廃墟
 
右手に車の登り道と駐車場が見える