其の2
●ペルピニャン(Perpignan)からバルセロナ(Balcerona)へ
ペルピニャンの名前は、よく知られているが、観光的にはそう見るところはないように思われた。出発約3ヶ月前の2005年5月に、マグレブ系住民とジジプシー系住民の対立により暴動が発生し、外務省領事局海外邦人安全課から、訪問に際しての、公式の注意(退去などの法的強制力のない軽いものである)が出され、すでにホテルの予約をしていたが、心配になって、フランス政府観光局に行った際に聞いてみたら、そこではそういう情報を知らなかった。たいしたことはないと思って行ったが、現地ではそれらしき様子は感じられなかった。この注意は、その2005年10月に解除された。 ペル
ピニャンで1泊し、翌朝にマジョルカ王宮(Palais des Rois de Majorque)を見た後に、バルセロナに向けて出発する。行くつもりがなかったが、高速道路のモンセラート(Montserrat)への分岐点を間違えてしまったので、バルセロナを越えて100 km弱先
のタラゴナ(Tarragona)まで行ってしまう。紀元218年にローマ人によって築かれた町で、地中海に面した円形闘技場などを見る。海をバックにしている点が、美しいが、規模は、今まで見てきた他のものと比べて、大きいわけではない。外からもよく見えるので、敢えて入場はしなかった。
次に、最初から予定していた、やや内陸に入ったモンセラットに行く(写真6)。山中の、更に山を背景とした修道院や大聖堂が見事で、多くの観光客が訪問している。鉄道とロープウェーで来られるので、観光客も多く、観光用によく整備されている。
バルセロナ(人口:約160万人;スペイン第2の都市)に戻って、3泊する。市内を見たのは、そのうち丸2日間であるが、特に有名な所を、地下鉄を利用して訪問した。治安の悪い町と聞いていたので、用心したが、危ない目には遭わなかった。当地で一番有名なサグダラ・ファミリア聖堂(Sagrada Familia)(写真7)を見る。着工が1882年で120年経過してもなお
建設中といわれるだけあって、実際工事中であった。途中からガウディー(Antoni
Gaudi)が引き継いで、どうしてそんなに時間がかかるのかは、分からなかったが、あとで調べたら、入場料で建築しているので、資金不足が理由だそうであり、塔が現在8本建っているが、18本立つそうで、完成までにあと200年かかるとのことである。いつも建設中であることを1つの売り物にしているのかもしれない。
他には、ガウディがスポンサーであったグエル公園(Parc Guell)(写真8)を訪問した。ホテルが、比較的空港近くの郊外であったので、ハワイのアラモアナセンターより大きなショッピングモールを見ることができた。
●バルセロナとダリの別荘など
バルセロナから、ペルピニャンの方向に100 km強戻ったところに、サルバドール・ダリ(Salvador Dali:1904-89)の生まれ、終焉の地となったフィゲラス(Figueras)と
いうところがあり、ダリ美術館があることでも知られている。そこから東に30kmほど行ったところにカダケス(Cadaques)という海に面したリゾート地があり、その外れのPort Lligatにダリが、妻ガラ(Gala)と長く住
んでいた家があり、一般に公開されている(www.salvador-dali.org)。卵の飾りが、家の外側にあることから、「卵の家」と称されている(写真9)。少人数ずつ入館させ、10時から入場券を発売すると案内書に書いてあるので、なるべく早く着こうと早朝にバルセロナのホテルを出る。バルセロナには、まだ見残したところは多い。10時30分にダリの家に着く。早速、入場券を買ったら、入場は、1時間半後ぐらいであった。待つ間、入り江を散歩していたら、ここに在住の日本人の方に出会う(写真10)。お名前も、お仕事もお聞きしなかったが、地元の人とスペイン語で話されていたことや、ボートを持っておられたことから、長年ここに住まれている文士か芸術家であろうと拝察する。先方から、話しかけられ、ダリの家の入場を待っていると言ったら、是非、カダケスの町も見ていらっしゃいと言われる。町は、山の裏側にあり、徒歩20分と書いてあるので、車で行くことにする。町は、別荘地らしいが、海岸線のある部分は、車は、1車線しか通れない。折から、風が強く、波のしぶきが道にまでかかっている。車を停めるところがあったので、停めて、他にすることもないので、私だけ、泳ぐことにして家内は見ている。海水浴場と称するにはあまりに、狭い場所で、10人程度が甲羅干しをしている程度であった。風は強く、下は、石や流れついた海草が多く、お世辞にも泳ぐのによいところではないが、折角スペインまで来て、一度も地中海に触ることなく帰るのももったいないので、20分程度泳いだり、日光浴をして、ダリの家に戻る。入場者は1度に10人ぐらいであったと思う。部屋の部分と庭の部分(計15ヶ所)があったが、至る所ダリの趣向が見られ、大変興味深い。聖書に基づいた深い意味のあるものもあるそうであるが、大体は“俗”なことが多く、そのあまりにもの俗さ加減で、世間の度肝を抜いているのであろう。有難いことにフラッシュなしの写真撮影が許されているので、屋内で手ぶれしているものを含めて100枚以上、写真を撮った(写真11)。妻ガラは、ダリより11歳年上で、結婚していたにもかかわらず、1929年にダリと駆け落ちする。ガラは35歳、ダリは24歳であった。男女関係においては、ダリより破天荒なガラに、ダリが終世惚れ込んで、従順であった。ガラが家にいるときは、ダリが絵を描いている間、よく科学の本などを、読んであげていたというから、不思議である。ダリは、スキャンダルを意図して作り、それによって大成功した人であった。こんな、平和な、何の刺激もなさそうな田舎で、このような破天荒な生活を送れてきたのかと感心する。ユニークは性格でユニークな絵を描いてきたから、鬼才であることは間違いない。アマンダ・リア(Amanda Lear)という人が、「サルバドール・ダリの愛した2人の女」という本を書
いていて、ガラだけが、相手であったわけではない。インターネットでも、いろいろなことが紹介されている。テレビで最近見たが、岸恵子さんは、ダリとカダケスで会ったことがあると言っていた。ダリは、この家から、カダケスにはボートで来ていたとのことである。1時間弱の見学を終え、アンドーラに向かう。途中、フィゲラスを通ったが、時間が無くダリ美術館に寄れなかったのは、大変残念であった。
10 11
6)モンセラート

7)バルセロナのシンボル サクラダ・ファミリア聖堂
 相変わらず工事中であることもよく分かる。

8)グエル公園

9)カダケスのダリの卵の家
 屋根の上に卵が見える、白壁のの家の左上方。
その右上は顔の像。


10)カダケスにご在住の日本人
 ボートを所有されているものと思われる。
 ボートに書いてあるXANGUET≠ニはカタルニア語でシラス
 のことらしい。


11)ダリのアトリエ
 両側の窓から海などの美しい風景が見える。