其の3
●小国アンドーラ(Andorra)
アンドーラに近いところに、フランス領内に孤立して、スペイン領の、ジビア(Llivia;スペイン語では、llをジと発音する)という小さな町がある。この町は、1959年のピレネー条約で、一帯の“村”はフランス帰属となったが、当時一帯の首府であったジビアは“町”と見なされ、フランス領にならなかった。条約の文言は、細かいところまで注意しなければいけないという1つの実例であろう。この町に特に何かあるわけではないが好奇心に駆られて、行ってみる。ここに、スペインから入る道は、2 kmほどフランス領を通る。その間は国境の検
査施設さえもなかった。だから、実質は、スペイン領が地続きになっているのと同じである。その先には、フランスへの国境検査施設があったが、そこは通らず、スペイン側に戻った。町は、特に変わったこともない平和そうなところであったが、建築中の建物が多かった。観光の村として、売り出す予定なのであろうか。
次に、ピレネー山脈の中心にあるアンドーラ国を目指す。具体的は領域は知らないが、ピレネー山脈一帯も世界遺産として登録されている。アンドーラの面積は、59 km2で大体、世田谷区と同じくらいである。
言葉は、6割は、公用語のカタロニア語(英語:Catalan)を話しているそうであるが、フランス語やスペイン語も通じるようである。なお、カタロニア語は、世界で、約1千万人が話すことができ、700万人が常時、「語って」いるそうである。田舎を想像してきたが、近づくにしたがって道は渋滞してきた。この国は免税政策を採っているので、ガソリンもスペイン、フランスより1割は安いので(フランス、スペインとも、Lあたり、1Euro(当時約140円)以上で、あるのに対し、この国は以下であるので)、両国から、ガソリンを入れに来たり、買い物に来る客で大変賑わっている。道はずっと登り道で、丁度、坂道の多い伊東の温泉街をドライヴするような雰囲気である。道も、狭く、一方通行などが多く、エンゴルダニー(Engordany;人口:約15000人、標高:1050 m)と
いう場所にあるホテルを探すのにちょっと苦労する。狭いところなので、屋内駐車場への道も狭く、しかも坂道なので、入れにくい。
翌日は、この国の名物の温泉プールのカルデア(www.caldea.ad)に行く。ホテルから歩いて行ける距離であった。特徴のある塔が建っている(写真12)ので、すぐ分かる。混んでいることも予想されるので、日本から、ネットで予め申し込んでおき、その時点で代金は引き落とされていた。大人は3時間で28 Euroであったが、10時に入場して、12時に出る。日本人に
も適温の浴槽やサウナもあった。金曜の午前であったためか、割合空いていて十分楽しむことができた。屋内の部分(写真13)のみならず屋外の部分もあり、青空を眺めながら温泉に入っているのも快適である。美容とか、ストレス解消マッサージコースなども、別料金で受けられる。結局、この国では、カルデアの売店で、アロマテラピーのオイルなどを購入した以外は何も買い物をしなかったので、免税品がどれくらい安いは、分からなかった。
アンドーラをフランス側に出る際は、税関があり、何か申告するものはないか、全部の車を停めて聞いている。無いと言ったら、すぐ通してくれる簡単なものである。アンドーラは免税国なので、多量に物を買ってくるものに課税するのであろう。アンドーラは、田舎の部分もあるが、今回は、特に訪問することはしなかった。いずれにせよ、大変繁栄しているように見受けられた。ピレネー山脈を下って、ルルドに行く。
●聖地ルルド(Lourdes)の泉
ホテルから、泉の湧くマサビエール(Massabielle)の洞窟までは、歩いて10分弱であった。この洞窟付近は、大変人通りが多いので、離れたところに、ホテルを予約していてよかったと思う。ちょうど、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラ(Santiago
de Compostela)のようなもので、聖地といえば、それだけでは参拝する気にならないので、同時に観光地化しているのであろう。規模は違うが、丁度、浅草のようなものである。聖水の湧き出る洞窟前の広場には、ベンチが置いてあり、多くの人が、休んでいる(写真14)。また、その一角(この写真より、左手)には、水飲み用の水道管が引いてあり、大勢が飲んだり、容器に汲んだりできる。水を入れる容器は、周囲に多くあるみやげ物屋で、多種販売している。病に効能があるといわれているせいか、体の悪そうな人、老人、車椅子の人などの参拝者も多い。夜には、ミサがあって、松明を持った人々が、広い広場を埋め尽くしていた。説明書によれば、イースターから10月までの毎夜8時45分から、大規模なミサが行われるとのことである。2週間の車旅の中では、圧倒的にルルドが、一番、人で賑わっていた。
●バスク(Basque)地方のサン・ジャン・ピエ・ド・ポール(St-Jean Pied de Port)
 ルルドで1泊して、ポー(Pau)に立ち寄り、ホテルを予約してあるサン・ジャン・ピエ・ポールに向かう。ポーは、城に立ち寄ったが、何故か、あまり印象に残らなかった。サン・ジャン・ピエ・ポールで1泊したのは、バスク地方の雰囲気を味わってみたかったからである。山の中にある感じがしたが、標高は160 mと意外に低い(写真15)。人口は1500人とのこ
とで、観光地(冬はスキー)である。中世にはサンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼の宿場町として栄えた。ホテルにはまだ早い時間に着いたので、スペインの大西洋に面した保養地のサンセバスチャン(San Sebastian)に行っ
てみる。行きは、ピレネー山脈の西端の山道を通っていったが、舗装もしてなく、車の往来もほとんどなく、約3時間かかった。国境もはっきりしなかったが、峠がそうなのだろうと想像する。峠には、休憩所があり、10台以上車が、駐車していた。
サンセバスチャンは天気もあまりよくなく、大西洋の大波が押し寄せていて、ここで、泳げるのかと思う。それでも、土曜日のせいか(9月10日)長い海岸道路に沿った駐車場は1杯で、車を止めることもできない状態であったので、町を一周して、サン・ジャン・ピエ・ド・ポールのホテルに戻る。帰りは、距離的には遠い自動車道路を通ったので、2時間弱であった。ここのホテル(Espellet)は、レストランも兼ねていて夕食に土地の料理を用意している。肉があまり好きではないが、バスク地方の料理はどんなものかと知りたくて、予め予約しておいた。翌日は、近く散歩したり、買い物をしたりして、バスク地方の雰囲気を満喫する。単なる観光者には、一見、大変平和そうに見えるバスク地方も、特にスペイン側は、独立運動と、それを弾圧するフランコ将軍以来の闘争は、まだ繰り返されるテロなどでも見られるように、現在も、問題は残っている。
12 13
14 15
12)Cardea(大温泉プール)
 Andorra、ここも建設ラッシュであることが分かる。

13)Cardeaのほんの一部分

14)ルルドのマサビエールの洞窟
 左方洞窟の上部にマリア像が。岩には水がしみ出て。
 足元のガラス張りの槽中に水が流れている。
 その脇に、参拝者の献花・手紙が置いてある。


15)サン・ジャン・ピエ・ド・ポール
 ニーヴ川に張り出した木製のバルコニーが、この村の特徴。