其の4
●ボルドー(Bordeaux)へ。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポールからボルドーに向かう途中、ビアリッツ(Biarritz)に立ち寄る。ここにナポレオン3世が建てた別荘で、現在、超高級ホテルになっている有名なオテル・デュ・パレ(Hotel du Palais)あるので、
それを見たいと思った。折りしも雨が降っていて、車の入り口が分からなかったが、何回かホテルの周りを回って入り口を確認し中に入り(写真16)、お茶を飲んで中を見ることができた。海では、大きな波の中、雨の中を老年の男性2人と女性1人が泳いでいた。日本には、こんな元気な老人は、なかなかいない。
 ビアリッツからボルドーまでは、約180 kmあるが、高速道路なので、2時間半ぐらいで着く。ボルドーでは、20年来の友達(P. Bopp氏;ボルドー大学教授)のところで2泊させてもらう。
マインツ出身のドイツ人であるが、母親がフランス人なので、フランス語も自由で、10数年前より、ボルドーで勤務している。1997年にも訪問する予定だったが、直前に急用ができて、訪問できないままになっていた。独身で、ボルドー郊外にプール付の大きな家を購入し、テレビも持たず、夜は、読書か、音楽を聴くという尊敬すべき本当のインテリである。化学者でありながら、日本文学も、英訳であるが、源氏物語、平家物語などを読破している。薩摩の守、平忠則に一番共鳴を覚えるそうである。今回は、土産に徒然草(英訳)(吉田兼好:1283-1350)を持っていった。後に、読後感として、モンテニュー(Michel de Montaigne:1532-1592)の「随想禄」の考えと似ているところがあると
いうことを看破していることを知り驚く。
 是非、早く来て、自宅のプールで泳ぐように言われていたが、幸い小雨が降っていたので、泳がずにすんだ。風呂の温度同様、日本人とヨーロッパ人が適温と感じる水温は、5-10度違うので、特に、冷たい水が苦手な我々には助かった。夕食は、魚介類レストランで、こちらがご馳走することを予め希望していて、連れて行ってもらう。住宅街であるが、夜は勿論、昼間でも、物音のしない環境である。
 翌日は、薦められた、数10 kmの距離にあるアルカション(Arcachon)を訪問する。ここでは、長さ3 km 幅500 m×高さ50 m弱の砂丘の端から端まで片道3 kmを、地名も「歩
かにゃ損(アルカション)」というので、計6 km往復する(写真17)。鳥取の砂丘よりずっと大きいが、訪問者はそういない。ハングライダーの講習をしていたり、結婚式衣裳の写真を撮りにきているカプルなどがいる。天候は適度に曇っていたので、暑いことはなかった。その後、海岸に行き、昼食にムール貝を食べる。天気が悪いので、この遊泳地でも泳いでいる人はいなく、駐車場も空いていた。大西洋に面しているが、沖に大きな州があるので、波はなく、泳ぐのには適した所で、真夏には、多くの人が来ることが想像できる。
駐車の困難なボルドー市内の観光は、今回は行わないことにして、ワインの有名なシャトー(または、cave)に行ってみることにする。有名シャトーの見学は予め予約がいることを知っていたが、訪問日時を決めて、旅を窮屈にするのも好きでないし、何よりも車なので飲めないので、ブドウ畑とシャトーの外形だけでも見られればよしとして、予約は行わなかった。メドック(Medoc)地区にある高級ワインの1つであるムートン・ロトシルド(Mouton-Rothschild:英語読みではロスチャイルドであるが、フランス語では、ロトシルド)に行くことにする。ボルドーのワイン生産域は、ある程度広いことは、分かっていたが、アルカションから、車で、2時間はかかったので、“ボルドーワイン”生産地の領域の広さを実感する。翌日、行ったサンテミリオンもその領域に含まれるから、端から端までは、車で3時間はかかる。ムートン・ロトシルドもほとんど標識が出ていないので、近くに来ても少し迷った。最初、ラフィット・ロトシルド(Lafite-Rothschild)のシャトーを見つけたので、そこでMoutonの場所を尋ねた。受付には、一流ホテルのレセプションみたいな広い広間に、麗人が暇そうに1人座っていた。あまり人も来そうもないのに、このシャトーの余裕に驚く。この受付嬢は、ラフィットの方が高級なのに、ムートンの方に行く馬鹿なもの知らずな日本人と思ったに違いない。見学には、予約が必要と書いてあった。因みに、この地区の5大シャトーは、マルゴー(Margaux)、ラトゥール(Latour)、オー・ブリオン(Haut-Brion)、ラフィット・ロトシルド、ムートン・ロトシルドで、第1級(第5級まであるうちの)に格付けされている。
ムートン・ロトシルドのシャトーの、ブドウは、話に聞いていたように一見したところ石灰質の荒地に植わっていて、小粒であった(写真18)。見学させてくれるかどうかは聞かずに、受付で、中で、一番安い1997年のものを、一本購入した(140 Euro
=2万円強)(写真19)。ラベルの絵の作者は、浅学にして知らないが、Niki de
Saint Phalleという1930年生まれのフランスの女流画家であることを後に知る(ラベルは、ダリ、ピカソ、シャガールなどの有名画家が描いていて、日本人では、堂本尚郎(1979)と三岸節子(1991)が描いている。1993年の絵はアメリカでは問題になってこの国では無地であるhttp://www.mcnees.org/winesite/labels/label_library_pages/Label_Library_Mouton_Rothschild.htm)。他にほとんど、客はいなかったが、日本人30〜40歳代の5〜6人のグループが、見学を終えて、出てきて、皆さん、5〜6本購入したような会話をしていた。どういうグループか知らないが、何と、金持ちなのかと、同胞ながら驚く。なお、自分の購入したのと同じものは、空港で、丁度2倍の値段で売っていた。後日、日本に帰って、飲む。フレーヴァーが口に残る単位に、コーダリー(Caudalie: 1コーダリーは、1秒間フレーヴァーが口に残る)という
のがあって、普通のボルドーワインは1〜2コーダリーであるが、ムートン・ロトシルドは10〜20コーダリーもあるそうである。ムートン・ロトシルドを飲むのは、3度目ぐらいであるが、1本2000円程度のものと、区別がつかず、味覚的にも、経済的にも、ワイン通には、とうてい成れないことを再認識した。
 Philippeの家に7時過ぎに帰り、ワインとチーズ主体の夕食をご馳走になる。これからの行き先などのアドバイスを得る。彼は、フランスの大学教授の給料はドイツのそれと比べて相当低いこと、システムが混乱、非能率化していて、(Thatcher+小泉)のような人が出てきて改革しなければ、どうしようもないと嘆いていた。フランスの学生はディクテ(書き取り:フランス語は、同じ発音で、その意味と文法に応じてスペリングが違うので、文章の理解のためにこのスキルが小さい時から重視され訓練される)の習慣がついているので、教師が喋ることを、そのままノートに書き写すのに、半ば感心し、半ば驚いてもいた。
16 17
18 19
16)ビアリッツのナポレオン3世の別荘
 現在は超高級ホテル(HOTEL DU PALAIS)

17)アルカションの砂丘

18)ムートン・ロトシルド
 荒地(石灰質)と小粒の実が高級ワイン造りには重要らしい。

19)購入したムートン・ロトシルド
 年毎に異なる世界的な有名画家に描いてもらうラベルの絵でも
 良く知られている。