●プロヴァン(Provins)

パリの南東、約80 kmに位置し、中世市場都市として、200112月に世界遺産に登録されている。
12世紀末から、シャンパーニュ地方の定期市の中心として栄えた。街は西側にある坂上の街と東側に
ある坂下の街に分かれる。高台にあるセザールの塔は街のシンボルである。この塔は、シャンパーニュ
伯爵家の権力の象徴として、
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世紀に建てられた。当地には、鉄道の駅もあり、パリから列車で来られる。

セザールの塔の近くの観光案内書で、立派な、案内図を貰い、見所もマークしてくれたが、複雑なので、
自分のいる位置と地図との対応に時間がかかり、あまり見なくなってしまった。また、我々が、車で来て
いることを言わなかったので、次に述べる少し離れたバラ園
(セザールの塔から1 km)のことは、言及
してくれなかった。

当地は、「バラの街」として有名で、13世紀にシャンパーニュ公ティボー4世がシリアから赤いバラ
を持ち帰り、赤バラが町のシンボルとなった。
13世紀末にこの地方を治めたランカスター伯は、家紋に、
赤バラを用いた。百年戦争(
1337-1453)の後の、15世紀の英国のバラ戦争(1455-85)は、この
ランカスター家と、白バラの紋章のヨーク家との戦争であった。その結果、ランカスター家の支流の
チュードル家のヘンリー
7世が即位して、以後イギリスの絶対主義を確立するにいたった。それほど、
由緒あるこの町のバラを、盛りのこの季節にバラ園に見に行くことを、当地に着いたときは、すっかり
頭になく忘れてしまった。まさに、徒然草の「仁和寺の法師」の役をここでも演じてしまった。それで、

Web
で調べたが、赤いバラは、見られず、せいぜいピンクのものが見られるだけだった。

フォンテンブローは前にパリからバス旅行に参加して来たことがあったので、今回は特に訪問する
つもりは無かったが、丁度、ピティヴィエのホテルへの帰り道の途中だったので、ちょっと立ち寄ろう
かと思って、ナヴィに急遽、名称を入れて来てみたが、アヴォン(
Avon)というところに来た。後で、
この地は、フォンテンブローと共同のコミュニティを作っているほど近くであることが分かったが、
どうやってフォンテンブローの城に出てよいのか分からず、やむを得ず、そこから、ホテルに直行する。
セーヌ川の上流にも近いところで、その川の景色だけでも見られたのにと後で残念に思う。


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写真説明

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セザールの塔を真下の道から撮ったもの。

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セザールの塔の展望台から見た付属の塔。世界遺産の町の一番の見所のこの塔の展望台では、自分以外に誰もいない時間が多かった。入場料:3.80 Euro

Pr3

Pr2のやや右方向の北東方向の眺望。中央陸上競技グランドの手前側の木立の中に、わずかに見える点在する小さな白いものが見える付近が、見逃したバラ園(Roseraies)。

Pr3-1

バラ園から見えるセザールの塔。実際に行けなかったので、バラ園のホームページから取ったもの(http://www.roseraie-provins.com)。この地のバラは、野生の変種に近く地味なので、普及していなく、地元でしか見られないとのことである。

Pr3-2

同じく、バラ園の次のWebから転写させていただいた。セザールの塔(右)と、Pr5に示すサン・キリアス教会が見える。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~c-wakame/bara/E13.htm

Pr4

西方向の眺め。中央の道と、右手の道が突き当てる付近のその中間の広場は(写真では、現在、白い屋根の仮設テントが立ち並んでいる)、シャテル広場といい13世紀から、中世都市の商取引や政治の中心地であった。

Pr5

東側にあるサン(聖)キリアス教会。アンリ・ル・リベラル伯爵の意志により、12世紀に建設を開始したが、フィリップ4世治下、王国の予算不足により未完成のまま終わった。「ランスでの戴冠式(717日)を終えたシャルル7世とジャンヌ・ダルクが、帰還の際にこの教会に寄りミサを行った(14298月3日)」というレリーフがある。

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塔の内部は、木造。そこにある注意。「鐘に触ることと、骨組みの上に乗ること厳禁。町は、事故が起こった場合の責任は、全く取らない。」

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塔に上る階段の一番下の部分。

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街から見るセザールの塔。わずかに聖キリアス教会の先端が見える。午後6時ごろ撮ったので、陰から、右が西で、南南東を向いている。

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中世の街並み。セザールの塔と聖キリアス教会が前方に見える。左側の看板には、馬のマークと「テンプル騎士団の屋敷乗馬スペクタクル(Demeure des Templier Spectacle equestre)」、鷹のマークと「城壁地帯の鷹猛禽類のスペクタクル(Les aigles des ramparts Spectacle de rapaces)」、その下に、「バラ園a」と「セザールの塔a」とある。これをよく見れば、バラ園を見逃さずに済んだ。その下に「古い町」とある。上側に、ピンクの「国鉄駅(Gare de SNCF)」見える。パリ東駅と17往復ぐらいあるらしい。Navetteは、ミニ・トレインのこと。

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Les grange aux dimes」は、「10分の1税の納屋」と訳すのであろうか。当地の名所の1つらしいが、特に興味はなかったが、閉まっていた(540分)。

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中世の家らしさを感じさせる(St. Jean通りの標識がある)。

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この町は、上の町(Ville haut)と下の町(Ville basse)があり、中世の町は、上にある。下に駐車したので、そこに戻る坂道(Rue Saint-Nicolas)。

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アヴォン(Avon)の駅の近辺。フォンテンブローの城は、以前にパリからのバスツアーに参加して見た。今回は、ホテルの帰り道にあるので、ナヴィに入力して、実際その森の真中のアヴォンに出たが、ここから、城に出方も分らないので、帰る。

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近くの市民ホール(?)。向方に鉄道橋が見える。屋根下部が平面的に見えるのが面白い。