●ヴォー・ル・ヴィコント(Vaux-le-Vicomte

ルイ14世の絶大な力を持っていた財務長官ニコラ・フーケ(Nicolas Fouquet:1615.1.27-1680.3.23)が、パリの南西、約55 kmのこの地に、この城を建て、1661817日に、ルイ14世を招いた。この時の晩餐会はフランス史上、1,2といわれるほど盛大なものだった。この城の出来栄えに嫉妬した王は、この城を没収し、フーケを公金横領の名目で投獄した。後に、ヴォルテールは、こう書いている。「817日夜6時、フーケはフランスの王だった。しかし午前2時、彼は何者でもなくなった。Le 17 aout, a 6 heures du soir, Fouquet etait le roi de France ; a 2 heures du matin, il n'etait plus rien.)」

そして、ルイ14世は、この城の建設に携わったスタッフ(建築家のルイ・ル・ヴォー、画家のシャルル・ルブラン、造園家のアンドレ・ルノートル)に命じて、より広大なヴェルサイユ宮殿を造った。したがって、ヴェルサイユ宮殿とよく似ているところがあるが、パリから約55 kmと遠いこともあって訪れる人は少なく、ゆったりした気持ちで見られる。フーケは王を招いてから、わずか19日で、失脚し、19年間、牢獄で過ごして獄死した。フーケも、これだけのものを建てられるのだから、よほど私服を肥やしていたに違いない。ルイ14世は嫉妬して、フーケを捕らえたと言われるが、この財力に、自分の身の将来に、危険を感じたのでもあろう。

入場料は、11 Euroであったが、日本語のオーディオ・ガイドも付いていた。

 

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写真説明

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ヴィコント城の見取り図。入場の際に貰ったパンフレットの一部。

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ヴィコント城(撮影場所は、Vc0の赤印@;以下番号は、場所に対応)

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ヴィコント城正面。

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小学生の団体に、当時の衣装を貸している。ここでは、輪を棒で操りながら転がすゲームやフェンシングをしていた。教えているのは、先生か、城の係員なのだろうか。

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入場の際、オーディオ・ガイドを貸してくれる。日本語のもあり、日本人も来るのかとちょっと驚く。横にちょっと写っているのは、持参した旅の参考書(1)である。

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入ってすぐのところにローマ帝国の皇帝の彫像が並べてある。

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その中で、一番有名な皇帝のシーザー(あるいはカエサル;在位Bc100ころ−Bc44)

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各部屋の装飾などは、ヴェルサイユ宮殿にも劣らないが、見物人が極めて少ない分だけ落ち着いて見ることができる。Vc10のように当時の衣装を着た人形も展示されている。Vc11では、手前側は、人形で動かないが、中央の部分は動画映像になっていて、舞踏会等の様子が分かるなど趣向を凝らした展示が行われている。

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この城の本来の主フーケは、牢に19 (裁判3年間)閉じ込められた末、病死する。獄中の彼を立体映像で示していて、顔や手など多少動く。獄中で、翻訳をしていた。牢はこの城の中ではなく、別の場所(現在はイタリアのトリノ近くのピネローロ)にあった。

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鉄仮面のマネキンが展示してある。「フーケが「鉄化面の男」だと言われることがあるが、この説は信頼性が低い。実際、ピネローロの牢獄で鉄仮面の男がフーケに下男として仕えていたという証拠がある。」とウイキペディアにでている。

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料理人フランソワ・ヴァテールが采配を振った食卓には、才能のある人ならば誰でも客人になることができた。客人の例として、詩人のラ・フォンテーヌ、劇作家のピエール・コルネイユなどもいた。

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前庭から見た城。

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城の前庭の風景。ヴェルサイユに似ている。

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前庭の風景。ここが一番人が多いが、小学校の団体が多い。この奥から、城側を見ると大変、美しいが(写真で見る)、大変距離があるそうで、この後、プロヴァンに行く予定だったので、そこまで歩いて行かなかった。

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中庭から、馬車博物館の方を見る。

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馬車博物館には、多くの展示があったが、その中で最も簡単なもの。16世紀ぐらいのものか。

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ウイーンの会社で1880年に作られた、公爵用馬車で、「パニエ」と呼ばれるらしい。

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城内の軽レストラン兼喫茶店も、このように人が少なくゆったりしている。

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ブティクで販売している額入り写真に、ヴェルサイユを生み出したヴォー・ル・ヴィコント城と書いてある。