●ミイー・ラ・フォレ(Milly-la-Foret

フォンテーヌブローの森の西の小さな町で、郊外電車では、最寄りの駅から5 kmも離れている。
作家、詩人、映画人、画家のジャン・コクトー(
1889.7.5-1963.10.11)が長いこと住んでいた場所
であり、宿泊したホテル(ピティヴィエ)からも、車で近いので、訪問した。人口は
4800人(2008

程度である。

  案内書によれば、この町の観光の見所は、(1)古い市場、(2)ジャン・コクトーの(家+礼拝堂)、
(3)前衛芸術「シクロプ」である。

コクトーの家は、2010624日以来、一般公開されていて、広大な庭もある。また、そこから
数百メートル離れたところにあるコクトーの教会も、同じ入場券(
65歳以上は、6 Euro)で入れる。
訪問客は適度に少なく、家や教会は、中で自由に写真が撮れて、とても、すばらしいところであった。
教会は、ヴァンスにあるマチスの教会よりも、ずっと自由に落ち着いて見ることができてよい。
前年(
2010
)、我々は、イタリア国境に近い南仏マントンのコクトー博物館を見学したが、そこは、
写真撮影も禁止されていたし、自由な雰囲気に欠けていた。今に、ここもそうなるかもしれないから、
自由なうちに訪問することがお薦めである。

コクトーは1936年に、世界一周の旅で、来日し、あちこち廻ったが、歌舞伎と相撲に特に興味を持ち、
後の映画製作「美女と野獣(
La Belle et la Bete
)」のメークには歌舞伎の鏡獅子の影響を受けたと
言われる。また、この映画は、日本で上映された戦後初のフランス映画で、主演のジャン・マレーとは、
当地で、同性愛関係を続けることになる。西川正也氏の書かれたコクトーの日本に対する感想の記事は
大変面白い:

http://www.kyoai.ac.jp/college/ronshuu/no-06/nishikawa1.pdf

この町は、中世から薬草栽培で知られ、薬草専門店「ミイー・マント」があり、ここでは、特産の
「胡椒ミント」が販売されていることを後で知り、残念に思う。消化不良、下痢、腹痛に効き、
キャンディ、ティーバックなどにもなっているそうである。

当地の、町外れの深い森の中には、スイス人のジャン・タンゲリー(Jean Tinguely;1925.5.22-1991.8.30
1987年に、妻ニキ・ド・サンファル(Niki de Saint Phalle)の協力の下で製作した「ル・シクロプ
Le Cyclop
)」があるので、それを見た。ギリシャ神話の1つ目巨人キュクロプスを表したものである。
製作に至った経緯は良く知らないが、コクトーの「美女と野獣」のイメージから、当地にこの様なものが、
できたのであろうか。今まで見たオブジェの中では、最大規模のものである。

この時期、イル・ド・フランスの数ヶ所で、教員に連れられた小学生が団体が見学に来ているのに
出会った。当地では、コクトーの教会と、シクロプでそういう団体に会った。シクロプでは、当日は
日曜日で、我々一般見学者は中に入れなかったが、小学生の団体は、入場していた。このように、
小さいときから、このような難解と思われる抽象芸術に慣れ親しませるという教育に驚く。効果は
どうなのだろう。なお、ジャン・タンゲリーは、
1984年に日本の高輪美術館(後のセゾン現代美術館)
の「地獄の首都
No.1
」を製作していることを、後で知った。

ミイー・ラ・フォレの、この自由な、伸び伸びとした雰囲気は、交通の不便さによる適度な訪問者の
少なさのお陰であろう。観光や芸術鑑賞は、対象そのものは勿論だが、その雰囲気も大変、大事である
ことを、当地でつくづく感じる。

 

 

画像をクリックすると大きくなります
Mf1 Mf2 Mf3 Mf4 Mf5
Mf6 Mf7 Mf8 Mf9 Mf10
Mf11 Mf12 Mf13 Mf14 Mf15
Mf16 Mf17 Mf18
Mf19 Mf20
Mf21 Mf22
Mf23 Mf24 Mf25
Mf26 Mf27 Mf28

写真説明

Mf1

Hotel de Villeは、市庁舎のこと。

Mf2

広場のこの市場は15世紀(1479)のもの。栗と樫の木でつくられているそうである。ほとんど、10時だが、まだ店は開いていない。

Mf3

この町を離れる1140分頃だが、100円ショップ並みの品物を扱う店に、客はほとんどいない。これで、営業が成り立つのかと心配になる。

Mf4

コクトー通り(rue de Jean Cocteau) の突き当たりが長年住んでいた(1963まで)家である。

Mf5

コクトーの作品。何を意味しているのか良く分からないが。

Mf6

コクトーの仕事場。

Mf7

コクトーの作品。

Mf8

コクトーの部屋。アンリ・ルソーの「蛇使いの女」(1907)の複製画と、浮世絵の日本ではなかなか見られない春画が2枚ある。そこに書いてあることは、読むのが難しい。なぜここに黒人と黄色人種に関する絵を並べたのかは、単なる偶然ではないらしいことが、上記、西川正也氏の文章から推察される。彼は、パンテール柄も好きだったらしい。

Mf9

仕事部屋?

Mf10

ベッド。

Mf11

コクトーの家と庭の見取り図(Vous etes ici.「現在地」にある)。森と称する散歩道の部分には、立ち入り可かどうかも聞かず、行かなかったがかなり広いようである。

Mf12

Mf11のある目前の風景。堀は隣との境で、古城のよう建造物も景観に貢献している。

Mf13

Mf11で果樹園(Verger)と称する部分。果樹よりは、美しい花々が目立つ。

Mf14

この木に生っている実は何だろう。コクトーは麻薬中毒者でもあったから、このケシが、麻薬用のものであっても不思議はない。植物の知識に乏しいのが残念である。

Mf15

果実園から見たコクトーの家。

Mf16

コクトーの家からサン・プレーズ・デ・サンプル礼拝堂は、数百メートル離れている。この立て札を右に行くとすぐある。

Mf17

この礼拝堂は、12世紀にらい病患者の手当てをする病院の一部として建てられた。この礼拝堂に小学生の団体が来ていた。

Mf18

コクトーの描いた礼拝堂の装飾画。亡くなる4年前の1958年に装飾に着手。キリストの復活、イバラの家のキリスト、羽の生えたペガサスなどを描いている。そして彼自身のポートレートもある。

Mf19

Mf20

 

フランス語で書いてあるのは、「10世紀以来、ミイ・ラ・フォレは、「薬用植物(les simples)」を育ててきた。貴方方の為に作った我々の小さな庭の、それを見て下さい。」薬用植物と、「単純なもの」をかけたのかもしれない。薬草の前にあるものは、薬草をするのに使う道具だろう。ネコの絵(1959年)は、カップなどに描かれ、ライブラリーで販売されていた。

Mf21

この町の名産の薬草を描いている。同時にこの場にいる見学者はせいぜい1-2組ぐらいであった。

Mf22

墓石に、映画「恐るべき子供たち」に主演し、それ以降コクトーの養子となって寵愛を受けたエドゥアール・デルミの名前もある。「僕は貴方方と共にある。」とある。

Mf23

この礼拝堂の庭には、Mf17のように、多くの薬草が植えられている。

Mf24

聖堂のライブラリーでは、コクトーの絵が販売されていた。下に見える皿やコップにはネコの絵が見られる。

Mf25

「キプロス」の正面。高さは21.5 mある。この部分は、ニキ・ド・サン・ファレの作品。

Mf26

裏側の一部。本日は休日だが、団体の子供達は見学が許されていた。

Mf27

裏側の一部。ガラクタの捨て場のようなものは芸術作品の1部である。高さを示すメジャーもついている。ということは、大きさも誇示したいのだろう。

Mf28

その場でもらったパンフレット。中に入れなかったので無料であった。