●オーヴェール・シュル・オワーズ(Auvers-sur-Oise

ゴッホ(フランス語では、ヴァンサン・ヴァン・ゴーグ:Vincent van Gogh1853.3.30-1890.7.29
縁のこの地には、数年前にパリを訪問した際に、フランス人の友人夫妻が我々を、1日案内してくれたので、
概要はすでに分かっていたが、自分自身で、見直せば、一層分かりやすくなると思い、今回の短いイル・ド
・フランスの滞在の、約3
/4
日を使って、この地を再訪した。

電車で行くと、どういう光景に最初遭うのか知らないが、車で行けば、真っ直ぐの道をオワーズ川の橋
を渡ると、突き当たり正面の高台に、ゴッホの絵でお馴染みの教会が、いきなり建っている。適当なところ
で車を留めて(スーパーの駐車場と城の駐車場で、無料駐車)、主に歩いて見て廻った。

この地域でゴッホは描いた絵の場所を地図上で示したものがあり、それも参考にして廻った。ただ、
その場所を全部確認するつもりはなく、結局、見て廻ったのは、前に案内してもらった場所が主で、
前には閉まっていたゴッホの泊まっていた家だけだった。南仏サン・レミの病院を出た彼が小さな屋根裏
部屋で最後の
70日間を過ごした家を再現したものである。ただし、復元された部屋の壁のヒビやシミまで
もつくりものだとのことで、その為か、写真撮影が禁止されている。入場料は
5 Euroで、あまり見せる
ものがないのを補うために、隣の
20人ぐらい入れる部屋で30分程度のオーディオを見せてお茶をにごして
いる。入場まで
10
分以上待たされたが、他に入場者が来ず、結局、我々2人だけで入った。実質、ベッド
がある6畳ぐらいの小さい部屋だけの見学であった。以前に来た人の書いた本では、ベッドも無かったと
いうから、これも後から、作ったものかもしれない。

この日は、夏至近くの土曜日(618())で、フランスあたりでは、最も結婚式が行われる日なので、
市庁舎や町役場(
Hotel de ville
という:結婚届を出し、そこで結婚式が行われるのが普通)やオーヴェール
城などで、4−5組のカップルあるいは、婚礼風景に出会った。でも、最近の統計では、ヨーロッパの多く
の国で、結婚した5割以上のカップルが、離婚していて、フランスもその中に入っているから、このうちの
半分はやがて離婚するのかと思う。

見るべきところを見て、歩き疲れたので、ドービニーのアトリエや、セザンヌの「首吊りの家」などは
見ないで、4時半近くに、この地を辞した。途中、強風が吹いたり、雨が降ったり、将来を暗示するようで、
結婚式を挙げた人々には、あまり良い天候ではなかった。


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写真説明

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オーヴェール・シュル・オワーズの略図(参考文献1を元に)

Au0-1

観光案内所でくれたパンフレットの一部。赤線は、以下に、コピーの写真のあるもの。

Au0-2

観光案内所でくれたパンフレットの一部。ゴッホの母への手紙の「La peinture est un monde en soi.」は、「絵は本質的な1つの世界である」(私訳)。

Au1

オーヴェールの(ノートルダム)教会。横にゴッホの教会の絵のコピーがある。

Au2

1890年6月に描いた。実際の教会の雰囲気ではなく、ゴッホ流の教会になっている。

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実際の教会の中。時々、観光客が来るが、静かな普通の教会である。

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「雨(La pluie)」を描いた場所

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Au4の絵。当時の暗い気持ちが出ているが、ゴッホの絵が売れなかったことも分かる。

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次の絵の舞台。先方にその絵が見え、老女が1人、ゴッホの絵の舞台を巡っていた。この麦畑付近で、自殺したという説がある。37歳であった。(1890.7.29)。

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「カラスの群がる麦畑(Le champ de ble aux corbeaux)」。Au5に小さく見える。

Au8

この麦畑近くのゴッホ兄弟の墓には、時おり、個人や団体の、観光客が来る。

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左が、ゴッホで、誰かがひまわりを献花している。右が、兄を支え、1年後に、33歳で亡くなった画商、弟テオのもの。兄の死により精神障害に陥り、ユトレヒトの精神病院で、腎臓病で、亡くなっている。周りの墓に比べて、兄弟の墓は、大変質素であるのが、痛々しい。Ici Repose は、ここに眠るという意味。

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作品「オワーズ川」

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町の中心に近い平凡な風景だが、次の絵の対象となった。

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「ドーヴィルの階段(5人の人と共に)」

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観光案内所。2階は、印象派のドービニーの美術館。

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ゴッホが、自殺する前70日間、屋根裏に住んでいた「ラヴー亭」。ゴッホが仮寓して以降、長年ホテルとレストランを経営していたが、1985年にフランス政府により歴史的建造物に指定され、1992年から工事が行われ、ゴッホ当時の建物に修復された。ゴッホの部屋を見学するには、この左手から、この家の裏側に廻って、階段を上り、みやげ物品売り場を兼ねたところから、さらに階段で上に上る。

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ラヴー家の長女のAdeline Ravouxのポートレート(1890)

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ゴッホの家の裏に、彼の略歴を説明した10数枚の看板の1つ。14歳ころの写真。

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少し歩いたところに、オーベールの城またはレリー城(Chateau de Lery)がある。ゴッホは、この城の裏でピストル自殺をしたという説(Au0-1の場所20)と、Au6の麦畑で自殺したという説を違う本で読んだ。

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そこにあったテントのレストランで昼食を取る。以前に来たときは無かったので、多くの結婚披露宴のために仮設されたのだろう。

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城の庭では、カップルの記念撮影が、カメラマンとディレクターにより行われていた。

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カメラマンが自分の近くに来て撮影し始めて、自分は動かず撮れる。幸あれと願う。

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ラヴー亭の、道を挟んで、ほぼ向い側が「村役場」。ゴッホはここの絵も描いている。

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オーヴェールの町役場。1240分頃。

Au23

1240分にはAu21のような状態であったが、2時間後に来たら、そこでは、1組の結婚式が終わって、その入口で、参列者が、後から出てくる新婦を待っていた。

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近くのごく小さな公園にザッキン作のゴッホ像がある。いかにも貧乏で、苦労している絵描きという感じがでている。

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城から少し歩いたところに、ゴッホの精神病の医者をした「ガシェ博士の家」がある。前回、入ったので、今回は、外から見にだけであった。

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城の駐車場に戻ったら、城内でパーティを開くために、新婦が出席者の迎へていた。

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教会の前のドービニー通りには、ドービニー(1817-1878)の銅像があった。