フィレンツェに2泊した後、アッシジへは各駅電車で行った。
アッシジ駅に到着し、接続バスで行こうとしたが、満員で乗れず
仕方なくタクシーで「スバシオ・ホテル」まで」直行した。
大聖堂のすぐ傍に立ち、立地条件の良い、このホテルには、
10年前に一度泊まったことがあった。20年以上も勤めている人
が、私のことを憶えていた。何か変わった行動や発言をしたのかと
思い記憶を辿ったが、何も思い出せなかった。
アッシジの街は、スバシオ山の中腹にあって、ウンブリアの野を遠く
まで見晴らせる美しい域のようであった。サン・フランチェスコ大聖堂は
サン・フランチェスコの墓の上に建てられ、上階はジォットの「サン・フラン
チェスコの一生涯」のフレスコ画が描かれている。800年以上も前に
描かれたのに、人間の表情がすごく良く表現されている。聖堂前の
広場には芝生が一面に敷きつめられ、その中央に「PAX=Peace」
平和と刈り込まれていた。800年程前に訴えている平和に感動し、
日本人の一人として、絶対に戦争をやってはならないと、平和を心
から願っている。
サン・フランチェスコやサンタ・キァラゆかりの教会から、オリーブ畑が
続く道を約2km、サン・ダミアーノ修道院まで歩いて行った。小さいが、
美しい中庭に感動した。見物した後、多くの人達が行く方向について
行くと、そこは駐車場であった。私は迷子になってしまった!。
大聖堂の麓の中程の位置し、同じ道を戻るのはつまらないので、
麓を見るとサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会の大きな塔が見えた。
大聖堂のある方向とは反対の麓に向かって歩き出した。畑と野原だけ
の道に沿いながら、誰も通らない道を2時間以上歩き続け、やっと
アッシジ駅に到着した。そこからバスでホテルに戻った。
次の日、麓の街のサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会へ行った。
この教会がサン・フランチェスコの生涯を通して愛しい場所、そして
聖人の亡くなられた場所です。
パドヴァとアッシジは距離的には離れた街だが、両方の街ともジォット
のフレスコ画があり、パドヴァの守護聖人である聖アントニオの礼拝堂が
サン・フランチェスコ大聖堂にあった。そして、フィレンツェのフィエゾール
にもサン・フランチェスコ修道院跡地があった。この様なことから、今回は
サン・フランチェスコ繋がりの旅となった。
今回のイタリアの旅を振り返ってみて、イタリアの素晴らしさに満足感
を味わった旅でした。3年前の写真より、少し上達したなぁ〜と思って
います。イタリアを去るとき、近い将来また来られる機会がある
だろうかと、不安を感じますが、これからも外国への旅を続けたいと心
から願っています。
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