ボーボリ庭園Jiardino di Boboli

ピッティ宮殿に接した南側にある45 000 m2(東京ドームの広さをグランドの面積13 000 m2
と取った場合3.5)の広大なイタリア式庭園である。コジモ1世の依頼を受けたトリーボロ
により
1549年に設計され、アンマンナーティなどの建築家によって、長期にわたって造園が
続けられ、
19世紀後半に完成した。

  この庭園は、荒俣夫妻の著書で、大いに勧めているので、特に、行きたいと思った。

  本旅行記を書くにあたりボーボリ庭園をWebで調べていたら、岩切正介先生の書かれた
「ボボリ園(
Giardino di Boboli)メディチ家コジモ一世に始まる宮廷の庭---建築的造形---
いう論文の
39頁にわたるpdfを見つけて、一読させていただいた。

https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/miwakiri20.pdf 

岩切先生は、中公新書に「ヨーロッパの庭園」を書かれておられ、本論文は、
「帝京国際文化 第
20号」に書かれたもののようである。写真が無いので、見てない者には、
分りにくいが、見た者には、詳しい、有難い解説である。解説によれば、コジモ一世
(1519-74)
の当初の当庭園の目的で、チボリの丘の水源からフィレンツェに引いた水道をここで、視覚化
し、祝賀・記念するものであった。

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◎写真説明

Bo1

どこから入場するのか、分らないままに、ピッテイ宮を見学していて、最後に近くなったところで、庭園の入口を聞いたら、ここから出て行けと鍵を開けてくれる。この写真の真中にある階段から、この庭園に出てきた。しかし、荷物はピッティ宮の入口に預けてしまっていて、ボーボリ庭園で、不便を感じたし、この出口から、この庭園に入る人など、しばらく見ている間には、いなかった。入場券は、ピッティ宮に入る際に一括して購入していたが、この購入も、いろいろ組み合わせがあり、十分に理解しないままに購入していた。

Bo2

庭園内の案内図などを持たずに入ったので、どうなっているのかよく分らずに歩いたが、ここがメインの場所の1つらしいところに出る。この風景は、ピッティ宮の見学中にも窓から見えた。階段の一番上にあるのが、豊穣の女神である。その手前階段の下に見える、色の加減ではっきりしないのが次に述べる(Bo3)ネプチューン像である。一番手前の全景が写っていないのが、アーティチョークの噴水の一部である。名前の由来は、水盤の中央に立つ噴水の頂にユリが乗っていて、この形がアーティチョークに似ていることによる。オベリスクについては、これと対になっていたローマにあるディオクレティアヌス帝浴場のオベリスクの記述では、ラムセス2世(紀元前13世紀)がヘリオポリスの神殿に建てたものだそうであるから、大変、由緒あるものらしい。ここに移された経緯は、よく分らない。

Bo3

前図(Bo2)で言及したネプチューン像である。これは養魚池になっていて、噴水の水盤を兼ねているので、水盤と言ってもよいそうである。噴水も申し訳程度の出で、水も汚いのが残念である。

Bo4

Bo3から見下ろすとピッティ宮が見える丁度Bo2を逆側から見下ろすことになり、ここから眺めたピッティ宮が一番美しい。建物の近くに見えるんもが、Bo2で述べたアーティチョークの噴水である。

Bo5

高台は、ベンチなどもあり、憩いの場所となっている。そこには、この種の近代的な芸術作品が置かれている。最近、この種の芸術作品が、フランスなどでも、あちこちに置かれていて、こともあろうに、余計な装飾を嫌い質素を旨とするフランスのシトー派修道院の3姉妹の1つのシルヴァカーン修道院にまで、これ(Bo5)と似たものが置かれていた。芸術作品であるから、見る人により評価は、大変違うと思うが、こういう歴史的庭園には、およそ似合わないと自分は思う。この庭園は、最初から、花影の薄い庭であるそうであるが、花壇を作る方が、ずっと良いのではと感じる。

Bo6

Bo7

しばらく歩いてみると、庭園は、高低さも大きいことを実感する。この長い坂を下りてみる。坂の名前は、ヴィットローネというらしい。

Bo8

オケアヌスの噴水。このオケアヌス像は、ジャンボローニャの作で、噴水盤は、径6 mあり、エルバ島から持ってきた大理石である。今は、水を流していないのか、肝心の水が汚いのは残念である。

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庭園の出口、すなわちピッティ宮の、荷物を預けた入口近くに坂を下りて戻ってきたら、景色のよいところに出て、多くの人が写生している。地図で見ると、ドゥオーモまでは、直線距離で、900 m強あるのだが、すぐ近くに見える。左手には、サン・ロレンツォ聖堂のクーポラが見える。

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ピッティ宮の入口から見て左側にあるバッカスの噴水。

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脇の奥まったところに、ブオンタレンティ作の大グロットがある。

Bo12

最初来たときは、柵が閉まっていて中に入れなかったが、一端、ピッテイ宮の荷物預け場所から、荷物を出して、やや時間があったので、家内を、残して、近くのこの場所に再度見に来たら、係りの人が来て、柵の鍵を開けていた。団体が、入るために特別に開けたのかもしれない。この入口の装飾について、上記、岩切先生の詳しい解説がある。中央の上側に、メディチ家の紋章がある。左右には、アポロとケレスの彫像がある。このグロッタの建設は、フランチェスコ一世によって始められ、フェルデナンド一世によって完成された(1583-93)

Bo13

最初の部屋の壁には、このような装飾が施されている。グロテスクという言葉は、語源辞典などで見ると、ネロの部屋が1500年後に発見されたとき、その壁の模様が、洞窟(grotto)絵のように見えたので、そこから生まれた語であるらしい。建築時に、ここを洞窟と見立てたので、それにふさわしい装飾にしたのであろう。だから、この絵は、グロテスクであって、この絵からこの語が生まれたと一部に書かれているのは、逆であろう。コジモ一世の星座が山羊座であったので、山羊が描かれたのであろうという説が書いてあった。

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その奥の部屋の、ヴィンセンツォ・ロッシー(Vincenzo Rossi)作のパリドとエレナ(1560)

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浴槽から出るヴィーナスを4人のファウヌス(ギリシャ神話の牧神)が水槽の4隅から見上げた噴水。ファウヌスは土を表し、ヴィーナスは水を表し、地下で水が生まれることを表している。