ピエンツァ(Pienza) 世界遺産(2つ)

 トスカーナ地方を2週間旅行するに当り、フィレンツエ(実際は郊外)についで、
南の拠点として当地で、
3泊することにした。是非行きたいアッシジや、オルヴィエート
にも比較的近いためである。当地は、調べている段階で、世界遺産であることを知ったが、
ここで、特に何かを見たいと思ったからではない。実際、世界遺産としては、地味なところ
で、観光客もあまりいない。それだけ、静かな雰囲気を味あうには良いところである。
宿泊してホテルは別の項で説明するが、世界遺産の町だからと言って、宿泊料は特別に
高くはない。

ピエンツァは、東西400 mほどで、人口2000人程度の、海抜491 mの小さな町であるが、
この地出身の教皇ピウス
2(在位:1458-64)が、1459年に、建築家ベルナルド・ロッセ
ツッリーノに、設計を依頼して造らせた町で、世界遺産に登録されている。
トスカーナの宝石とも呼ばれている。

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◎写真説明

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ピエンツァの城壁町の入り口のムレッロ門である。ホテルは、城外にあるが、この門まで2分ぐらいで来られ、ある日の夕方、城内を散歩した。この写真を撮ったのは、午後830分である。当地には3泊したが、城内を見たのは、30分あまりだった。

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大聖堂(ドゥオーモ)である。ルネサンス様式のファサードで、紋章は、ピッコロミニ家(ピウス2の出身)の紋章だそうである。19時に閉まるので、中には入れなかったが、ピウス2世の希望で、ドイツ風になっているそうである。

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メインの通りのロッセッリーノ通りと思うが、午後8時半を過ぎたこの時間では、もう観光客も、地元の人も歩いていない。後で、他の方の旅行記(http://italiashio.exblog.jp/9546668/)などで知ったが、この小さな町に、「幸福の通り(Via della Fortuna)」、「愛の通り(Via della Fortuna)」、「キスの通り(Via del Bacio)」があるそうである。新婚旅行には最高なところだろう。

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カステッロ通りからみたドゥオーモの夕暮れ。多くの鳥が舞っている。

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カステッロ通りから南方向を見たオルチャ渓谷の夕方の景観。シエナの南東部に広がるこの渓谷は、14-15世紀にわたりシエナの領土となった。糸杉の並ぶなだらかな丘、のどかな牧歌的な景観は、ルネッサンス時代も今も芸術家達の創意を刺激してきた。2004年にオルチャ渓谷一帯は世界遺産に登録された。従って、この写真は、世界遺産の町ピエンツアから、別個の世界遺産であるオルチャ渓谷の景観をながめていることになる。確かに絵に描いたようなトスカーナ風景の、典型的な美しさが見られる。

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風景を前にして、説明の看板がある。これは、オルチャ渓谷の景観が、何故、世界遺産になったかという公式の説明なのだろう。イタリア語、フランス語、英語の説明が書いてあるが、訳が大変難しい。特に、英語のrewritten(書き直し)の、具体的な意味がよく分からず、フランス語のla reecritureを参考にしたが、美術史にも詳しくないので、何を言っているのか、深くは分からない。一応、苦し紛れに訳してみた。

「オルチャ渓谷は、良き治世の理想を反映し、美学的に魅力的な景観を創造しているルネサンス前の時代の風景画をリライト(反映?)したすばらしい鏡である。オルチャ渓谷は、シエナ派の画家達により賞賛され、風景画法の発展に深い影響を与えた景観の象徴と見なされるに至った。」

当然、渓谷の景観というから、自然のものとばかり思っていたら、後日、NHKテレビの「人工の世界遺産」という話題で、これには次のような話を紹介していた。これは、農民が苦労して、無意識にせよ作り上げたものだそうである。もともと、そう豊かな土地ではなかったが、当地の支配者が、収穫物の半分をその農民に与えるということに決めたので、農民にやる気が出て、例えば、岩塩などのある豊かでなかった土地を、富裕な土地に変えたという経緯があるそうである。