オルヴィエート(Orvieto

この町も、平野の上に突き出た丘の上に立っている。トスカーナ地方およびその周辺の町
の典型のようなところである。古い町だが、中世以降は、教皇庁と関係が深かった。この町
が世界に誇れるのはドゥオーモ白ワインだそうであるが、ドゥーモはあちこちで見ている
ので、行く前は、特に興味を持ってはいなかった。ワインは、飛行機で持ち帰るのが面倒な
のと、自分が違いが分らない味覚しか持たないし、車の運転とテースティングは相容れない
などの理由で、残念ながら、興味をほとんど失った。

この町を訪問してみようと思った動機は、法王クレメンス7世の命令で、1527年に工事の
始まったサン・パトリツィオの深井戸を見たかったからである。今まで、似たものとして
フランスの
Padiracと言う所にある井戸状の大穴を見たことがあるが、人が降りていけるような
人工の深井戸は見たことがないので、特に興味をもった。

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◎写真説明

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井戸の見学の切符はドゥオーモ広場の観光所で売っていると、「地球の歩き方」に書いてあると読めたので、まず広場に行ってみた。左側に観光案内所がある。

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観光案内所では、10時から案内があるというので、目当ての深井戸の見学とばかり思い申し込む。しばらく待って、定刻になったら、ピンクの服を着た案内人の女性は違った方向に連れて行き、入口に達して、その入口の扉の鍵を開ける。「Parco delle Grotte(洞窟公園)と書いてある。目的の井戸ではないらしいことを知るが、「地球の歩き方」には書いて場所である。見学者の先頭にいるのは、家内である。写真は1022分に撮られている。

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洞窟に入る前に、眺めの良いところを通る。

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1960年代の土砂崩れで偶然発見されたそうで、1200以上の洞窟が旧市街の下にあり、その起源は、約2500年前のエトルリア時代の住居跡にまで遡るそうである。これが、何であるか聞き漏らした。

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古井戸であるが、底がはっきりしないほど深い。

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案内人は、温度が下がって、上着を着ている。入り口から、約20分経過している。

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壁に無数に開いているのは、鳩の巣用で、この場所は、外界と直接結ばれた穴がある。鳩は食用にしたそうである。

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終わって外に出たら、そこには公園があり、女子中学生がフットボールの試合をしていた。グランドの大きさは小さい。洞窟に入ってから1時間後であったから、見学は、1時間程度であった。結局、当初目的とした井戸ではないことは分ったが、予定しないものが見られて良かった。

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ドゥオーモの正面。イタリアゴシック建築で最も重要なものの1つである。1290年に建設が始まった。バラ窓の上側には、12使途の像がある。

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ドゥオーモの横側は、正面とは色調が一変する。

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中に入ったら、不思議な壁画があった。ルカ・シニョレッリのフレスコ画で、「肉体の復活」(1499-1502)という題名である。面白い絵と思ったが、ウイキペディアで調べたら、この作者の代表作として紹介されていた。肉体の表現が上手いと思う。

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同じく、この作者の「善人と悪人の区別」で、その一部は「地球の歩き方」にも載っている。

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一番見たかったサン・パトリツィオの井戸は、ドゥオーモから北東約900 mのところにあった。途中で、昼食を取ってから行く。正面に見えるのが入口で、あまり観光客は来ていなかった。

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井戸の深さは62 mもあり、径は13 mあるという。らせん状の階段を降りて、下側の橋を渡って帰ってくると、下りと上りの階段は別になっていて、人が、交差することはない。水位がこんなに低いのは、井戸の入口がある街が、丘の上にあるからである。

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井戸の一番下側の橋を、少し上から撮った写真である。

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井戸の近くから、下を見たら、鉄道の駅が下に見える。更に遠方に高速道路が見える。右手がローマ、左手がフィレンツェの方向である。また、鉄道駅から、丘の上までは、ケーブルカーがあり、その終点が、この井戸の近くにある。

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同じ場所から見る付近の風景。

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同じ場所から見る隣にあるベルヴェデーレ神殿跡

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帰りに車で、丘の下にある約1.6 km先にあるネクロポリを見る。交通の便が悪いので、訪問者は、我々しかいなかった。紀元前5世紀ぐらいの墳墓である。凝灰岩(Tufo)をくり抜いたり積み重ねて造られている。

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