歴史とカトリックの国マルタ

      
岡田 勲


はじめに

 2002年にロンドンに行く機内で、マルタ在住の佐藤聖子さんと隣り合わせになり、
以来、聖子さんが個人的に主催する「マルタ会:http://www.just.st/7205099」という、
まったく自由な会に入れていただき、(別に、会費も、会員証もなく、聖子さんに連絡すれば、
入会できる)、以来、マルタを1度、訪問したいと思っていた。2006年には、すぐ隣の、
シシリー島やチュニジアに行ったが、地理的に大変近いのと、飛行機便で近いのとは、
別問題で、これらの場所から行くのは不便である。今回は(2008.9.12-18)、
イタリア旅行(9.3-12)と兼ねて、ローマからマルタへ入った。

 マルタという国名は、フェニキア語のMalet(安全な場所)が語源だそうで、海を活躍の
舞台としていたフェニキア人には、避難する格好の場所であったのであろう。面積
(316 km2; 正方形に換算すると、1辺が18 km弱)は淡路島の約半分ぐらいで、現在、
人口約40万人のこの島は、地中海の要所にありながら(地図M1参照)、高校時代に
習った世界史では、この国の名前は出てこなかった。それも、そのはずで、まだ、
その頃は独立していなかった。したがって、我が国の人で、この国のことを知る人は
まだ少ない。マルタにとって激動の中世以後も、1530年来の聖ヨハネ騎士団の支配、
ナポレオンの侵攻、それに代わるイギリスの支配などがあり、1964年にイギリスから独立、
2004年にEUに加盟した。
1989年のジョージ・ブッシュとゴルバチョフの歴史的会談で東西冷戦(「ヤルタからマルタまで」
とよくいわれる)を終わらせた場所として、クロウス・アップされたし、中世において、キリスト教
とイスラム教の争いの前線であったことは想像がついたが、エジプトのピラッミッドと同時期の
古代遺跡の多い場所でもあったことは知らなかった。

 この島が、他の地中海の島々と異なる点は、高い山がなく(最高253 m)、川もないことであろう。
従って、1年を通して水を蓄えることが出来ず(飲料水はイタリアから輸入)、農業にも適さないために、
人が生活するのにはあまり向かなかったのであろう。

 歴史に、全く興味が無くとも、現在は、海水浴などで、のんびりバカンスを過ごす場所として、
ヨーロッパ諸国では、よく知られているらしく、観光客が多い。今年(2008年)初頭から通貨が
Euroの採用となり、旅行者には大変便利になり、また、ホテル代などもヨーロッパの主要国に
比べて大分安いし、英語が公用語であり、英語研修の穴場でもある。

 大分後になって、世界的なクロマグロの輸出禁止問題(2010春)で知ったが、ここで「畜養」
されているまぐろの9割が日本に輸出されていて、その「畜養」は、この国のGDPの1%を占める
とのことである。普段、気づかぬところで、日本とも密接な関係があることを知る。

 今回は、6泊7日の駆け足旅行であったが、マルタの二大島(マルタ島とゴゾ島:地図M2)の、
要所を車で、ほぼ回ることができた。


地図
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M1 M2
マルタ写真館