CANADA3−1
■東部地区 カナダ・ディ(Canada Day)
7月1日(日)は、カナダの建国記念日でCanada Dayと言われる。ウィキペディアの英語版などには、次のようなことが書いてある。1867年7月1日に、自治国家として発足したことを祝う日であり、現在は、すべての州で祝われている。1868年が明治元年なので、日本と同じ頃、世界の中での国家としての体裁を整えたということが分かる。1861年にアメリカの南北戦争でリンカーンの率いる北軍が勝ち、やがては、カナダに攻め入るのではないかと恐れ、オンタリオ州の長であったSir John Alexander Macdonald(1815-1891)が、東部のノバ・スコシア、ケベック、ニュー・ブランズウイック諸州を誘って、英国自治領カナダ連邦をつくり、初代の首相に就いた。それ以前は、1776年のアメリカ独立で、英国に忠誠を誓う人たちがカナダに移り住んだという歴史があるし、勿論、それ以前の歴史もあり、先住民の歴史もあるはずである。国家統一の意味では、Macdonaldが建国の父でもあり、カナダ鉄道を太平洋まで延ばし、「大西洋から太平洋まで」の念願を果たし、大きな貢献をしたと思われるが、彼は、英国系(スコットランド出身)なので、フランス語圏では、むしろJack Cartier(1491-1557)やSamuel de Champlain(c.1580-1635)などが、建国の英雄のようである。
このように、この日は、英連邦の最初の自治領として生まれた日で ’Canada’s birthday’ともしばしば言われていた。1917年の50周年記念日までは、カナダ人は、本来、英国人であると考えて、カナダ人としての愛国心は、特に無かった。その後も同じような状態が続き、1967年の100周年を機に、パレードや花火などで祝うことが始まり、独立国としての愛国心が強まった。長年にわたり、英国議会は、カナダの、新しい国への政治支配に、制限を付けてきて、それが、最後に取り払われたのは1982年10月27日のカナダの憲法条例で、それにより、Canada Dayと正式に変わった。その前までは、’Dominion Day(自治領日)’と呼ばれていた。このように、カナダ・ディは、他の多くの国の独立記念日のようなように、クリアカットな日ではない。
朝早く、カンモアのB&Bを出て、飛行機に乗っていたので、国民が、実際に町でどのように祝うか、あまりはっきり分からなかったが、カルガリー空港のバンド演奏(前編に記載)や、以下に記すトロントでの様子から見れば、カンモアのB&Bの主人が言っていたとおり、大いに祝っていることが想像される。この年は、日曜と重なったが、日本と違って、翌日が休日ということはない。
2007年の1月26日は、たまたま、オーストラリアの独立記念日で、メルボルンや、タスマニア島を通ったが、ほとんど、独立記念日であるとは、雰囲気からは分からなかった。同じ、英国の自治領であったが、その発足の状態が違うことから、国民の独立記念日に対する考えは、全く異なるのであろう。
カナダの先住民は、インディアン、メティス、イヌイットなどで、現在100万人を越す人々が住んでいる。先住民問題は、現在、世界的な問題になっており、07年9月13 日に国連総会で「先住民族の権利に関する宣言」が賛成143、反対4、棄権11で採択されたことを新聞で知る。宣言に拘束力はないが、先住民の同意なくして没収された土地、資源などの返還などの項目も含まれている。カナダは、米国、オーストラリア、ニュージーランドと共に反対した数少ない国で、土地、資源を先住民から搾取した自覚があってのことであろう。町村信孝外務大臣(当時)の談話で、日本は、「アイヌ民族を先住民族と結論していないという下で、賛成した」ことを知り、日本政府もしたたかであると思う。ちょうど、カナダから帰国した後のニュースだったので、日ごろなら、見逃す記事を切り抜いて、興味深く見た。

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●トロント(Toronto) 世界一高いCN タワー
カルガリー11時発の予定のところ、渡された切符に示された搭乗時間がすでに11時35分になっている。トロント16時45分着の予定が、出発から1時間程度遅れて、18時ぐらいにトロントに着く。ここは、カルガリーに比べて2時間進んでいて、日本に比べて、サマータイム時期は、13時間遅れということになる。スーツケースが出て来るのを待つ間、日本からの団体2組では、添乗員が、本日の泊まりは、ナイアガラ・フォールで、これから2時間かかる旨の説明をしている。結構きついスケジュールだと感心・同情する。我々は、空港近くのホテルを予約していたので、その点は楽であるが、折角、トロントに来たので、少しは、町も見たかった。AVISの係りが、かなりいい加減で、手続きに時間はかかるし、指定された場所に行ってもなかなか車が来ないし、ようやく来た車は車体が大きく運転しにくそうで、何かついていない気がする。(結果的には、何事もなく、ドライブを終えられたが、飛行機と車の手続きの遅れで、2時間ほど、トロント見物の時間が短くなる。)
ホテル(B W West)は、協和海外旅行社のホームページを通じて申し込んだが、空港に近く、翌日車でナイアガラに行くには、最高によい場所で、しかも、料金は、安かった(2人で朝食なしで、税込み11,200円)。フロントで、町の中心のCNタワーに、行きたいので、近くの駐車場の有無を聞いたら、タワーの下にあると、親切に教えてくれる。電車などを乗り継いで行くと、大変時間がかかるので、車で都心に入るのは大変不安であったが、他に方法がないので、車で行くことにする。ホテルを、19時40分に出て、CNタワーに着いたのは、20時45分であったが、未だ明るい。高速道路を行ったが目的地のタワーが、遠くからよく見えるので、どのくらい距離があるか分かり、間違ったインターで降りることはなかった。タワーの見物場所は、地上342 m付近のグラス・フロアーと称する所と、その上の447 mのスカイ・ポッドと称する所がある。入場料は、2人で、6%の税を含めて、$39.03であり、「地球の歩き方」に書いてあるより、珍しくも2割程度安い。カナダ・ディの為であろうか。購入したのは、21時4分と記載されている。入る前に、21時で、まだ明るいタワーの写真を下から撮る(To1)。
CNタワーは1976年にテレビなどの電波塔としてカナダ国鉄(Canadian National Railway)によって建設されたので、CNタワーというそうであるが、なぜ、鉄道会社(国営)がテレビ塔を建てたのかは、よく分からない。
入ってみると、まず、青い幕をバックに、入場者は次々に写真を撮られる。渡される引換券を、帰る際にもって行くと、バックに屋上からの眺めを入れた写真を購入できる仕組みになっている。エレベーターは長蛇の列である。今日は、カナダ・ディなので特別なのであろう。中国人とインド人も多いが、彼らは、大抵、家族揃って来ていて、エレベーターに乗る際も、一家が一緒でないと乗らないというのも興味深い。例えば、エレベーターにあと、2名乗れるとすれば、3名以上の家族は、次の人に権利を譲って1台待つというやり方をする。彼らの家族の繋がりの強さを知る。中国人が多く、大体1/4近くがそうで、世界の人口に中国人が占める割合とほぼ同じである。香港から、返還前に移り住んだ人であろうと想像する。
447 mのところまで昇るには、342 mの地点で更にエレベーターを、乗り継がねばならない。まだ、薄明かりの残る下界の写真を撮る(To2)。ガラス越しで、上手く撮れないが、オンタリオ湖が見える。上のステージに行くには、またエレベータを待たねばならないので、そこの食堂で、夕食を取る。窓際以外で、辛うじて席が取れる。町の大きな中華街に行って、夕食を取る予定であったが、この混みようでは、他に行く時間は無いとあきらめる。外では、ときどき花火が遠くに見える。
食事中に大分空いてきたが、それでも、更に高いステージに昇るエレベーターを10分以上待つ(To3)。このタワーは、世界最高の高さであると書いてあるが、最近、台湾などに高層タワーができていて、タワーの先端が世界最高なのか、人間の昇れるデッキが最高(To4)なのか、そのあたりははっきりしない。447 mまで登ると、展望台の窓は45oぐらい傾斜していて、網を張ったガラス越しに下が見える(To5)。高速道路は、大変渋滞しているようで、そのライトが、遠くまで連なって奇麗である。外に出たのは、すでに23時30分であった。そこで、また、入るときに撮ったタワーの変化を撮る(To6)。23時40分であったから、約2時間半いたことになる。普段は遅くとも23時に閉まると書いてあるから、カナダ・ディのために遅くまで開いているのであろう。帰りがけに、入場の際に撮った写真の引換券を出したら、会計を閉めたからと、受け付けられなかった。日本よりは、気が利かない。このようなわけで、この町を見る時間は全くなく、ただ車で通り過ぎただけに終わったのは、少し残念であった。ホテルに帰ったら、日付が変わっていた。朝出てきたカルガリーより2時間進んでいるとはいえ、長い1日であった。
写真説明
●トロント
To1:到着時のCNタワー(20時56分)
To2:オンタリオ湖など外の眺め(21時33分)
To3:エレベーター待ち(22時51分)
To4:世界最高の展望台の表示(23時13分)
To5:45o傾斜した窓越しの景色(23時22分)
To6:帰路時のCNタワー(23時39分)