Ch0-1
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[i](観光案内所)で貰った地図(B):ステンドグラス・センターと(T):ピカシエットがお薦めと言われ○までつけてくれたのに、後者を忘れてしまう。
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Ch0-2
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上記パンフレットは、日本語で書かれたページも入っている。
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Ch1
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駐車場を出て見える建物は、後で調べて視聴覚ライブラリー(Mediatheque:名称 ”L’Apostrophe”であることが分った。元は、郵便局だったらしい。
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Ch2
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ノートルダム大聖堂。左のゴシック様式の塔は新鐘楼で、右のロマネスク様式の塔は旧鐘楼。1194年に大火災で、1140年来の右側が残ったので、左右非対称になる。今、工事中であるが、他の旅行記にもあるから、長く続いているようである。
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Ch3
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大聖堂内の、ステンドグラス。
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Ch4
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Ch5
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北側のバラ窓で、1230年頃の作。これは11時40分に撮ったものであるが、他の方の写真と比べて赤っぽい。「シャルトルの青」として知られるキリストの家系図を表す「エッサイの樹」は、特に注目せずに、写真に撮っていなかった。
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Ch6
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ステンドグラス。
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Ch7
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Ch8
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キリスト生誕の時、マリアが着けていた衣と言われるもの。
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Ch9
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ステンドグラス。
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Ch10
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大聖堂のすぐ横にあるステンドグラス・センター。入場料4
Euro。
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Ch11
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同センター内のステンドグラス作品展示。
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Ch12
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Ch13
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Ch14
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ステンドグラスについての説明をするための部屋もあった。
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Ch15
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ステンドグラス展示。
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Ch16
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作業場も公開されているが、仕事の邪魔になるので、遠くからちょっと様子を見学するが、具体的に何をしているのかは分らない。
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Ch17
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ステンドグラス作品。
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Ch18
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モダンガラス工芸の作品も展示されている。
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Ch19
Ch20
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大聖堂の塔は、昼休みで午後2時まで閉じているので、南に約800
m離れたサン・ピエール教会に行く。ここも、ステンドグラスが見事と聞いたからである。
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Ch21
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大聖堂のステンドグラスは、あちこちで紹介されているが、サン・ピエール教会のものは、あまり紹介されていないので、ここでは、敢えて、多くを紹介する。キリスト教に詳しくないので、ストーリーがよく分からないのは残念だが、昔、印刷技術もなく、また字を読める人も少なかったので、これを見せて、伝道したというのは、よく分る。大聖堂に比べて見学者が少ないので、静かに鑑賞できる。
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Ch22
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Ch23
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Ch24
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Ch25
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Ch26
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Ch27
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Ch28
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Ch29
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この鐘楼部などの考古学調査が2007年に行われ、10世紀の終わりから11世紀の初めに建ったことが分った。
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Ch30
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サン・ピエール教会の往復で街を歩く。この教会の側にあるサンテニャン教会があり、ここも16世紀と19世紀のステンドグラスが見ものとある(Ch0-2)。
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Ch31
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Olivineは、カンラン石のことだが、ここでは靴屋であった。
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Ch32
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I love Japan. と書いたT-シャツがあった。多分、「私は、日本好」と書いてあるのだろう。多少、急いでいたので、気にせず、後で見たら、Eurodif社(福島で循環浄水器などで活躍しているアレヴァ社の、U-235濃縮関係を担当している子会社)が出品していて、利益の100%日本に寄付すると書いてある。そして、「日本を助けてあげて下さい(Aidez le Japon)」とある。是非、購入すべきであった。
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Ch33
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「いらっしゃいませ自家製世界の珈琲紅茶店」というのが、眼にとまり、中に入って、ついでに、軽食を取る。この街には、日本人が多く来るのだろう。
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Ch34
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この店の紅茶棚の一部。この2倍以上あった。
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Ch35
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絵はがきを見ると、その場所の観光名所が分る。渦巻き状の模様は、聖堂の床に描かれている迷路(直径13m)であろう。普通は、椅子があって見られない。この存在理由は学会でも、定まっていないとのことである。今回は、その存在さえも忘れていて、注意もしなかった。
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Ch35-1
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迷路の写真を次のものからお借りする。
http://antiquesanastasia.com/religion/references/churches/particular_churches/
roman_catholic/france/metropolitaine/centre/chartres/cathedrale.html
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Ch36
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大聖堂に戻って塔に上る。入口の案内板。入場料は、7
Euro。階段の数は、他の方の旅行記で見ると、350段、300段余り、197段というのがあった。自分は勘定していないから、分らない。直前のトスカーナ旅行で旅行では、高い塔に上るのが好きで、7-8ヶ所上ったが、イル・ド・フランスでは、ごく低いProvinsを除いてここだけであったが、特に大変だとは感じなかった。
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Ch37
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南側から見た尖塔。手前が古いロマネスク式、向こう側のゴシック式には、彫刻も見える。Ch2と比較。
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Ch38
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上からの眺め。パリのモンパルナスからの列車の駅から近いことが分る。行き先は、ル・マン方向。南西方向の遠景。左側に視聴覚ライブラリー(Ch1)が見える。
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Ch39
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積み木のような家々。先ほど見たステンドグラスセンター(Ch10)も見える。上の隅に鉄道の線路が見える。駅はガードのすぐ左手すぐである。
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Ch40
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真北方向の眺め。左方に見える鉄道は、パリ方向。遠方に見える橋は、ユール川に掛かる道路N154であろうか。
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Ch41
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大聖堂の屋根と遠景。北東方向の眺め。
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Ch42
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墓地(St-Cheron)が見える。ピカシエットは、この近傍にあることになる。
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