●シャルトル(Chartres)

パリの西南約90 kmに位置する、人口約4万人のこの地は、フランスの穀物と言われるボース平野
にあり、
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世紀には、パリよりも遥かに栄えていた。ここの観光の中心は、ノートルダム大聖堂で、
世界遺産となっている。大聖堂の見るべき中心は、そのステンドグラスにある。印刷技術の無かった
当時は、ステンドグラスが宗教教育に使用されたそうで、そういう観点から、ステンドグラスを見た
ことは、今まで無かった。

今回の、主たる案内書の「パリからの小さな旅」(参考書1)に、何故か、シャルトルが漏れており、
調査不足もあって、ここでは、ピカシエット館を見逃してしまった。
1900年生まれの、墓地管理人の
レイモン・イジドールは、
3人の子供を持つ年上の女性と結婚し、広い家が必要となり、自力で家を建て、
家の壁、柱、天井などすべての表面を、拾い集めたガラスや陶器の破片をモザイクにして覆った。
そして、家だけでなく家具や、庭なども、
1938年から64年まで26年かけて、毎日モザイクでうずめた。
そして、死後
1983年に遺作は『ピカシエット館(Maison picassiette)』として、文化遺産に登録された。
年間
3万人の見物客が訪れるそうである。中心から、バスで5
分ぐらいかかるところにあるが、車なので、
簡単に行けたのに見逃したのは残念であった。また、この街を流れるユール川には、昔の洗濯場がある
そうで、そこに行くことも出来なかった。

大聖堂、ステンドグラス・センター、サン・ピエール教会、サンテニアン教会(Saint Aignan:
リエゾンして発音する)、ピカシエット館と、少なくとも、当地には
5
つのガラスに関連した見所
場所がある。

 

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写真説明

Ch0-1

[i](観光案内所)で貰った地図(B):ステンドグラス・センターと(T):ピカシエットがお薦めと言われ○までつけてくれたのに、後者を忘れてしまう。

Ch0-2

上記パンフレットは、日本語で書かれたページも入っている。

Ch1

駐車場を出て見える建物は、後で調べて視聴覚ライブラリー(Mediatheque:名称 ”L’Apostrophe”であることが分った。元は、郵便局だったらしい。

Ch2

ノートルダム大聖堂。左のゴシック様式の塔は新鐘楼で、右のロマネスク様式の塔は旧鐘楼。1194年に大火災で、1140年来の右側が残ったので、左右非対称になる。今、工事中であるが、他の旅行記にもあるから、長く続いているようである。

Ch3

大聖堂内の、ステンドグラス。

Ch4

Ch5

北側のバラ窓で、1230年頃の作。これは1140分に撮ったものであるが、他の方の写真と比べて赤っぽい。「シャルトルの青」として知られるキリストの家系図を表す「エッサイの樹」は、特に注目せずに、写真に撮っていなかった。

Ch6

ステンドグラス。

Ch7

Ch8

キリスト生誕の時、マリアが着けていた衣と言われるもの。

Ch9

ステンドグラス。

Ch10

大聖堂のすぐ横にあるステンドグラス・センター。入場料4 Euro

Ch11

同センター内のステンドグラス作品展示。

Ch12

Ch13

Ch14

ステンドグラスについての説明をするための部屋もあった。

Ch15

ステンドグラス展示。

Ch16

作業場も公開されているが、仕事の邪魔になるので、遠くからちょっと様子を見学するが、具体的に何をしているのかは分らない。

Ch17

ステンドグラス作品。

Ch18

モダンガラス工芸の作品も展示されている。

Ch19

Ch20

大聖堂の塔は、昼休みで午後2時まで閉じているので、南に約800 m離れたサン・ピエール教会に行く。ここも、ステンドグラスが見事と聞いたからである。

Ch21

大聖堂のステンドグラスは、あちこちで紹介されているが、サン・ピエール教会のものは、あまり紹介されていないので、ここでは、敢えて、多くを紹介する。キリスト教に詳しくないので、ストーリーがよく分からないのは残念だが、昔、印刷技術もなく、また字を読める人も少なかったので、これを見せて、伝道したというのは、よく分る。大聖堂に比べて見学者が少ないので、静かに鑑賞できる。

Ch22

Ch23

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Ch26

Ch27

Ch28

Ch29

この鐘楼部などの考古学調査が2007年に行われ、10世紀の終わりから11世紀の初めに建ったことが分った。

Ch30

サン・ピエール教会の往復で街を歩く。この教会の側にあるサンテニャン教会があり、ここも16世紀と19世紀のステンドグラスが見ものとある(Ch0-2)。

Ch31

Olivineは、カンラン石のことだが、ここでは靴屋であった。

Ch32

I love Japan. と書いたT-シャツがあった。多分、「私は、日本好」と書いてあるのだろう。多少、急いでいたので、気にせず、後で見たら、Eurodif(福島で循環浄水器などで活躍しているアレヴァ社の、U-235濃縮関係を担当している子会社)が出品していて、利益の100%日本に寄付すると書いてある。そして、「日本を助けてあげて下さい(Aidez le Japon)」とある。是非、購入すべきであった。

Ch33

「いらっしゃいませ自家製世界の珈琲紅茶店」というのが、眼にとまり、中に入って、ついでに、軽食を取る。この街には、日本人が多く来るのだろう。

Ch34

この店の紅茶棚の一部。この2倍以上あった。

Ch35

絵はがきを見ると、その場所の観光名所が分る。渦巻き状の模様は、聖堂の床に描かれている迷路(直径13)であろう。普通は、椅子があって見られない。この存在理由は学会でも、定まっていないとのことである。今回は、その存在さえも忘れていて、注意もしなかった。

Ch35-1

迷路の写真を次のものからお借りする。

http://antiquesanastasia.com/religion/references/churches/particular_churches/

roman_catholic/france/metropolitaine/centre/chartres/cathedrale.html

Ch36

大聖堂に戻って塔に上る。入口の案内板。入場料は、7 Euro。階段の数は、他の方の旅行記で見ると、350段、300段余り、197段というのがあった。自分は勘定していないから、分らない。直前のトスカーナ旅行で旅行では、高い塔に上るのが好きで、7-8ヶ所上ったが、イル・ド・フランスでは、ごく低いProvinsを除いてここだけであったが、特に大変だとは感じなかった。

Ch37

南側から見た尖塔。手前が古いロマネスク式、向こう側のゴシック式には、彫刻も見える。Ch2と比較。

Ch38

上からの眺め。パリのモンパルナスからの列車の駅から近いことが分る。行き先は、ル・マン方向。南西方向の遠景。左側に視聴覚ライブラリー(Ch1)が見える。

Ch39

積み木のような家々。先ほど見たステンドグラスセンター(Ch10)も見える。上の隅に鉄道の線路が見える。駅はガードのすぐ左手すぐである。

Ch40

真北方向の眺め。左方に見える鉄道は、パリ方向。遠方に見える橋は、ユール川に掛かる道路N154であろうか。

Ch41

大聖堂の屋根と遠景。北東方向の眺め。

Ch42

墓地St-Cheronが見える。ピカシエットは、この近傍にあることになる。