ウフィツィ美術館(Galleria degi Uffizi

イタリアルネサンス絵画で有名な美術館である。イタリア国内の美術館としては収蔵品の
質、量ともに最大のものである。
1982年に世界遺産フィレンツェ歴史地区の一部として
認定されている。

イタリア語で、Ufficioは、オフィス(Office)のことで、当初は、メディチの事務所として
使われていたから、この名前になった。
1591年より部分的に公開されており、近代式の美術館
としてヨーロッパ最古のものの
1つである。

展示場は、3階にあり、主な絵は、参考書(1)に出ているから、
それを参考にして、廻った。

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◎写真説明

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ルネッサンスフィレンツェで、一番の見所であるので、人気も高く、入場するには、長時間、行列で待たねばならなく、それを回避するには、予めWebで購入するのが良いと案内書に出ている。そして、その購入も、45日―30日前の間にできると書いてある。Webから英語で申し込める。しかしながら、途中で迷ったりして、入場45日前に、申し込むのに半日以上はかかった。そして、45日前でさえ、すべての時間帯が空いてはなく、それでも、6月2日()午後2時からの券2枚を、カードによる即支払いで取れた。驚いたことに、入場料Ticket)は、111 Euroだが、その他に、Online serviceと称するものが1人5.90 EuroBookingと称するものが、1人5.80 Euro加算され、計1人22.70 Euroにもなり、入場料の2倍以上になる。人気があることに便乗して、わけも分からない名目で、お金を取るのには、少し呆れた。団体で入る多くの日本人には、この現状は分からない。イタリアの、レストランなどでのぼったくりが、日本の新聞に出ることがあるが、公共のはずの美術館がこの状態である。好意的な見方をすれば、これだけの内容のある美術館だから、日本の入場料と比べて、22.70 Euro(当時、約2800)は、高くはないと思う。

Webの予約に要する時間およびお金のロスを考えるなら、1時間並んでも、当日購入する方がよいし、この2時入場でも、30分並べば、入れたと思うし、夕方なら、ほとんど待たずに入れるだろう。当日の予約の手数料は、案内書には3Euroと書いてあるが、実際は、知らない。なお、今回の旅行で、Webで予約したのは、フィレンツェでは、他にアカデミアで、あとはピサの斜塔だけであった。

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建物は、コの字型になっており、先方方向にアルノ川があり、ほとんど川に面して建っている。先端の廊下は第二回廊と言われる。その右手の先から、ヴァザーリの回廊がある。当日は、入場予定の15分ぐらい前に行き、予約券を入場券に換えて入場する。空港の検査と同様、荷物検査がある。荷物に気を取られて、別のところに置くカメラを取り忘れて入場し、しばらくして気がついて戻ったらあった。荷物類は、クロークに預けねばならない。オーディオ・ガイドは、日本語もあり、14 Euroで借りた。写真撮影は禁止されている。したがって、ここに示す数枚の絵画は、絵はがきなどの印刷物からコピーした。

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ウルビーノ公夫妻の肖像」でピエロ・デッラ・フランチェスカ作
1467-72頃)である。

有名な画家の絵の多さに圧倒される。きりがないし、意味もないので、
ここには、有名な絵を勝手に4点選んで示すことにする。中に、ウルビーノ
と名前がつくものが2点あるが、これは、この後、ウルビーノを訪問したためでもある。

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ボッティチェリ作「ヴィーナス誕生」(184.5×285.5 cm2)(1484年頃)は、おそらく、当美術館で最も有名なものであろう。高校の歴史の教科書などに載っていたルネッサンスを代表する絵を現実に見られるのは不思議な気持ちがした。同時代の詩人アンジェロ・ポリツィアーノがホメロスからヒントを得て書いた「Stanze:アフロディーテ賛歌」からインスピレーションを得てこの絵を描いたという説がある。例えば、都留文科大学の電子紀要に木名瀬 紀子氏が、詩とこの絵画との関係を述べられている。なお、stanzaはイタリア語で、詩の行の一定の数をいうらしいので、それと関係ある語なのだろう。

http://www.tsuru.ac.jp/~library/kiyo/openpdf/057029.pdf

そのStanze99の同氏の訳を紹介すると、

嵐の荒れ狂うエーゲ海の中、テティヌの膝の中へと

その生殖の茎が迎え入れられ

運命のおもむくまま異なる方へと向きを変えながら

白き泡に包まれて波間を彷徨するが見える

そして中から優雅で歓喜溢れた身振りでもって誕生したのは

人間らしき面差しを持たぬ一人の若き娘

好色なゼフェロスたちによって岸辺へと吹き寄せられ

一枚の貝ガラに乗り方向を変えつつ散策している

天はこの光景を楽しむかにみえる

この後、100節と101節が続くが、略す。いずれにせよ、この詩とこの絵には密接な関係があることが分かる。この女性の表情が、明るくなく、いまひとつはっきりしないのが、以前から不思議だと思っていたが、この詩で「人間らしい面差しを持たぬ」と既定されていたことを知り、それほどひどくはないと思うが、ある程度、納得がいった。

 たまたま、戦後約5年後(1950)に出版された兒島喜久雄、安井曾太郎、矢崎美盛編集「少年美術館1(岩波書店;当時220)を、中学1年生ぐらいの筆者がお年玉としてもらって、長らく忘れていたものが出てきた。そこには、17枚の名画の紹介があり、そのうち2枚がカラーで、この絵は白黒で掲載されている。その中に、以下のような解説が書いてある。まだ、食料も十分には行渡らない時代に、こんな立派な本を出す岩波書店は流石と思うし、当時は、まだ、漢字も、旧漢字を使っていたし、教育の水準が、今よりずっと高かったことが分って驚いた。また、少年・少女としないのは、当時でも、女性の地位が、やや低かったことが伺われる。当然、その時代に、これらの名画を、一生のうちに実際見られるなどとは、考えてもいなかったろう。原文のまま、ここに再掲させていただく。

さざ波の打ちよせる岸邊に、大きな帆立貝の上に長い黄金(こがね)の髪をそよ風になびかせて裸體の女神が軽やかに立っています。右の方から花模様もある美しい服をきた人が、これも花の模様のあるきれいな眞赤なマントをきせかけるように差し出しています。左には翼のある男女が女神に息を吹きかけています。どこからともなく美しい花が降って来ます。空は青く晴れ、海も緑色に澄んでいます。これはギリシア神話にある愛と美の女神ヴィーナス(ギリシア語ではアフロディテ)の誕生の盾ナす。ヴィーナスは海のあわから生まれ、西風(ゼフィール)に送られ、イスキアの海岸に流れつき、そこで季節の女神のホライに迎えられたといわれています。サンドロ ボティチェリの本當の名はアレッサンドロ フィリペーといい、ボティチェリというのは肥っていた兄さんにつけられた(たる)という意味のあだなで、兄さんを「大樽」弟を「小樽」とよんだのです。ボティチェリはフラ フィリッポ リッピという人の弟子ですが、キリスト教のか、歴史畫ばかりだった當時としては、もっとも早くギリシア神話を畫にした人です。このヴィーナスの形はそのころボティチェリの保護者であったメディチ家にあった名高い古代の彫刻「メディチのヴィーナス」のかたちをそのままうつした」ものですが、顔つきも身體の線もすっかりボティチェリのものになっています。あごやひじの尖っているところ、髪の毛、身體のまわりの 線、着物のしわでも、指先でも、くっきりした線でかかれているのがこの時代の特色で、またとくにボティチェリの特徴でもあるのです。後に出てくるラファエレッジオの盾ニ比べてみるといっそうその特色がわかると同時に、盾フかき方のうつりかわりがよくわかるでしょう。ルネサンスの盾ヘその以前の中世のと比べて、人間性が強調され?―何の束縛(そくばく)もうけない人間そのものの姿、?ち何も着ないおおらかな裸體がえがかれるようになりました。裸體畫は決して、恥ずかしいものでなく、もちろん、いやしいものでもありません。それどころか一番美しいものの一つなのです。この盾ヘ油盾ナはなくテンペラ盾ナす。その頃、テンペラはおもに木の板にかいたのですが、これは布にかかれてあります。テンペラはおもに木の板にかいたのですが、これは布にかかれてあります。テンペラは暑をねるのに、油盾フように油を使わずに、卵の白味やアラビアゴムでねったものです。

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イタリア発行のユーロの10セントコイン(径19 mm)には、このヴィーナスの顔がデザインされている。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ作の「受胎告知(1472-75)である。

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1489年にボルゴ・ピーニのチェステッロ修道院聖堂のために、ボッティチェリの描いた「受胎告知」。この画は、1870年に同修道院聖堂所有のフィエーゾレにある別荘で発見され、後にウフィッツィ美術館に移された。

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ティツィアーノ・ヴェチェッツリオ(1538年頃)作の「ウルビーノのヴィーナス」。この絵は、20083月に西洋美術館で展示されたこともあり、日本でも有名である。ティツィアーノの師匠のジョルジョーネが描いて、ペストで33歳で亡くなり未完だったものを、ティツィアーノが、その後完成させた「眠れるヴィーナス」(次のUf7-1)278年後に、この絵を描いたから、構図は、ジョルジョーネの物まねとされている。「眠れるヴィーナス」はドレスデンのアルテ・マイスター絵画館にあるそうで、ドレスデンに行ったときは、知らなかったので、見られなかった。ティツィアーノは、女性の目を開けて、バックも室内にしたことなどから、ジョルジョーネのものとは、大分雰囲気を変え、例えば、マネの「オランピア」(Uf7-2)(1863)など、後世の絵に大きな影響を与えた。ウルビーノのヴィーナスは、後にウルビーノ公となるグイドバルド・デラ・ロヴェーレが妻のために依頼して製作されたものであるが、そのモデルと依頼した理由に関しては諸説あるようである。

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ジョルジョーネ(本名:Giorgio Barbarelli da Castelfranco)作「眠れるヴィーナス」(1510)ドレスデン国立絵画館。

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エドワール・マネ作「オランピア」(1863)オルセー美術館。

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3階の最後まで見て、廊下の端まで行くと、そこから屋上に出られ、喫茶店もある。2時に入場して、最後のここに来たのが5時頃だったので、3時間弱見ることが出来た。途中、日本人の団体客が、数組追い越して行き、この場所に来てゆっくりする余裕はないようである。

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この屋上からは、すぐ横にドゥオーモのキューポラが見える。展望台の人影の小ささから、近くに見えるようでも遠いことが分る。右手の山は、フィエーゾレで、山の上に建っている建物は、聖フランチェスコ教会である。その右の近くの塔は、ヴェッキオ宮殿のものである。