サンマリノ共和国(San Marino世界遺産

サンマリノという国は、301年に、ダルマチア地方(現在のクロアチアのあたり)出身
の石工マリヌス聖マリノ)が、ローマ帝国皇帝ディオクレティアヌスによるキリスト教
迫害を逃れて現サンマリノ市のティターノ山(現サンマリノ市の
ティターノ山)に潜伏
したときに始まり、
951年に文献上、初めてサンマリノの存在が現れる。その後、1631年に、
教皇ウルバヌス
8世より独立が承認される。その後、ガルバルディのイタリア統一運動を
助けたため、
1862年にイタリアと友好条約が結ばれ、独立が再確認され、1992年には、国連
に加入する。世界最古の共和国で、面積は、
61 kmで世田谷区(58 km2;人口:88万人)ほど
の広さで、世界で
5番目に小さい。人口は約3万人である。観光が主な収入源で、消費税は無い。

サンマリノの首都もサンマリノであり、実際には、この首都を訪問した。

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◎写真説明

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町の中にあった中華料理店の広告を兼ねた地図を最初に掲げる。中心部の町は、この地図からも分かるように連続したS字カーブした道に沿っている。地図の上方向が北東に当る。目盛り幅は、100 mであるから、町内は、高低の差は大きいが、歩ける距離内に収まる。

Sm2

町の上から見た風景の1つで、ケーブルカーのケーブルが見える。地図(Sm1)から、その位置が分かる。

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山頂に近い、グアイタの塔(第一の塔Sm1上でRoccaと書いてあるところ)から北東方向(リミニ方向)を見た風景である。

Sm4

駐車場(P9)の上から、西方向を見た風景。

Sm5

リベルタ広場にあるゴシック様式の建物が共和国宮殿で、政庁舎の役割をしている。14世紀の建築様式を踏襲しながら、19世紀末に建てられた。その広場には自由の女神像が建っている。

Sm6

この広場の中央にあるのは、「自由の女神」といわれ、アメリカのマンハッタンにあるフランスからの友好の印の贈り物より古い。サンマリノにベルリンから嫁いできた伯爵夫人から1876年にサンマリノ共和国に贈られた。この国のシンボルとされ、2セントコインの裏側にデザインされている。

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この建物の右下のプレート付近の壁の角に小さな銅像が立っている。これは、この国の建国者聖マリノの像である。帰国後に、ネットでそのことを初めて知り、写した写真を確認したら、辛うじて写っていた。当地に行く前に知っていたら、もう少し大きく撮っていただろう。

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こでは、衛兵交代の儀式があるので、何時に行われるかはっきり知らなかったが、正午には行われると思ったので、広場にいた。そうしたら、立派な車(ランチャ)が乗り付けて、前に止まり、写真の左端にいる男性と、右の柱にもたれかかっている年配の女性が降りてきた。車は、見物の邪魔になるから、すぐ退くものと思っていたら、そのうちに、急に、入り口から4名の兵士がでてきて、その建物の中の通路を右に行進し始めた。この写真を撮った時間を調べたら、1135分であった。観光客は、後ろにどのくらいいたか知らないが、わずかであったろう。しかも、この兵士達は、この軒先から広場に出てくることもなく、極めて地味なものであった。そして、この左に立っている車から出てきた男性が、衛兵に守られるべき「執政(首相に相当)」らしいことが帰国後、分かった。ここの国の立法機関は、国民から比例代表制で選ばれる60名の議員(任期5年)からなり、そのなかから互選で2名の執政が選ばれ、任期は6ヶ月で、再任は許されない。2名が選ばれるのは独裁を許さないためである。この柱にもたれて興味なさそうにいるご婦人は、どういう役割の方なのだろう。執政のご夫人なのだろうか。あるいは、もう1方の執政とも考えられるが、それにしては、全く無関心風である。失礼ながら、目障りでさえある。今まで、世界で、6, 7ヶ所(モスクワ、ロンドン、コペンハーゲン、台北、モナコ、アテネ)で見た衛兵交代では類のない不思議なものであった。観光が主目的なら、広場の中央付近で、皆が見やすいようにやればよいのにと思った。

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衛兵交代後の風景。前の写真から3分後なので、衛兵の交代は正味5 - 6分で終わったと思う。帰国後知ったが、この建物は、議会が開かれているときも入場可能(有料)であった。

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この国は、ずっと以前から切手が有名であることは知っていた。場所を聞いたらDonna Felicissima通り(リベルタ広場の正面方向に延びる道)であることを知る。その前には、郵便運搬車と思われるものが留まっていた。そして、その横には白いポストが立っている。

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中には、切手コインが売られていた。有名な割には、観光客は少ない。切手蒐集の趣味も特にもっていないが、折角来たので、少量購入する。

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写真(Sm10)のポストは、何故か、きれいなマークが付いていないので、別のところで撮る。このマークは国旗の真中にある国章である。集配時間は、11回(9:15)であることが分かる。

Sm13

この国の切手以外の観光客向けの品物は、よく知らなかったが、驚いたことに、銃刀類を、土産店で販売している。(Sm13)と(Sm14)は同じ店だが、(Sm15)は、別の店であるから、1軒だけでないことは確かである。(Sm13)、(Sm15)には、それぞれ「忠勇義」、「武士道」の字がそれぞれ見られる。どの程度自由に買えるのか、値段はどれくらいするか分からないが、こういう店があるというのは、商売が成り立つのであろう。飛行機での輸送はできないとしても、車では、ヨーロッパ中に自由に運べるであろう。事故や犯罪は起こらないのであろうか。

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この国の他の特産品は、陶器や、貴金属や宝石らしい。宝石類などは、免税で購入できるようだ。

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この国で一番の見所の(Sm3)でも示したロッカ(または、グアイタとも言われる)には、3Euroで入る。ここで、先方(南東方向、約200 m)に見えるのは、第2の要塞チェスタである。

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さらにロッカの先端から、チェスタを眺める。チェスタの右下方向に小さく見えるのは3の要塞のモンターレである(1320)。第2の砦(標高749 mの上に建つ)まで、行けたが、うす曇りで、遠方は見えないので、景色は似たものだろうと思い、またこの後、ウルビーノに行く予定だったので、行かなかった。

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ロッカの城壁の中には、小さな礼拝堂まである。

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城壁の塔に上る。この写真は、上る前に下から見上げたところである。

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塔から、北西方向を見る。正面は、ロッカの城壁の一部である。左先方下に共和国宮殿の屋上が見える。

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珍しくも、2010年に日本でサンマリノ共和国を題材にした切手が発行され、受け取ったその切手を、保存していた。後で確認したら、正に(Sm21と同じところから撮影していたものであった。切手でも共和国宮殿が写っている。ただし、切手の方は、当然ながら、色が、実際よりも大分鮮やかになっている。

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イタリアとの国境の道路はいくつもあると思うが、ここは、ウルビーノに行く途中で、国境と思われるところで、車を止めて、サンマリーノ側を向いた入口である。「自由の歴史の古い土地へ歓迎」と書いてあるものと思う。税関など、何もない。1430分であった。