IV. 旅行
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ハワイ島の主な訪問先
ハワイ島の主な訪問先


ハワイ火山国立公園
ハワイ火山国立公園



オアフ島の主な訪問先

●ハワイ島の主な訪問先
(原図は次のURLを採用;http://www.hawaii123.com/big_island/bigislandmap.html)
■セビーチエ・デイブズ(セビーチェ専門店)
■ワイピア渓谷
■ポロル渓谷展望台
■プウコホラ・ヘイアウ国立歴史公園
■コナ・コーヒー・ベルト地帯
■プウホヌア・オ・ホナウナウ国立歴史公園
■シラカワ・モテル
■サウス・ポイント(カ・ラエ岬)
■キラウエア火山
■ヒロ
■アカカ滝
■ホノム
■マウナ・ロア。マカデミアンナッツ・ファクトリー
■レインボー滝
■ボイリング・ポット

●ハワイ火山国立公園
(原図は、ビジター・センターで配布されている地図)
現在、溶岩流が海に流れ込むのを見るには、火山国立公園内ではなく、一般道で、カラパナ(Kalapana)に行かねばならない。しかし、風向きにより、入場が制限される。

●オアフ島の主な訪問先
(原図は次のURLを採用;http://www.hawaii123.com/oahu/oahumap.html)
(カッコ内日付は訪問日)
■宿泊ホテル(マイレ・スカイ・コート);E
■ホオマルヒア植物園;F;(3月16日)
■ワヒアワ植物園;B;(16日)
■クカニロコ(バース・ストーン);A ;(16日)
■ヒーリング・ストーン;@ ;(16日)
■リリウオカラニ植物園;C ;(17日)
■ココ・クレーター植物園;G;(17日)
■ポリネシア文化センター;(17日)
■アラモアナ・ショッピング・センター;D;(18日)
■カイルア・ビーチ;(18日)

成田出発 
後世の自分の参考にもと、成田を出る際には、なるべく外貨交換表(Hw1-1’)を写真に取ることにしている。昨年来のドル安、円高で1$?100 円というのは、ドルで買い物をする際に値段がすぐ理解できて都合がよい。ネットでのESTAの申し込みで、番号は知らせてきたが、果たして本当に認証されているのか心配であったが、チェックインに際して何も言われないので、安心する。
 航空会社はUnitedで、エコノミークラスの座席編成が、2−5−2というあまり経験したことのない編成をしている。家内と一緒のはずの旅行であったから、当然、窓側の2席を予約していたが、家内がキャンセルして、私1人になり、一方、多分2席連続して席を取りたいという人がいたらしく、私は、足元の空間が13cmだけ普通より長い席に無料で移してくれた。空いていれば、本来なら、チェックイン時に千円以上を払えば、そこに移してもらえるらしい。

 手荷物検査の場所では、修学旅行に行くらしい学生たちが、知らないで、はさみとか、液体類を持っていて、没収命令に大人しく、従っていたのは気の毒であった。それにしても、修学旅行に、普通に海外に行ける時代になったのかと思う。
 Unitedはほとんど乗ったことがないが、低料金で、その分、いろいろなところで節約しているらしく、アルコール類はお金を払わねばならないし(たしか、300 mLのカンビールが600円ぐらいした)、食事も今まで良く乗っているヨーロッパ系の航空会社やJALなどに比べて落ちる。食事の選択も普通は”meat or fish”と聞かれるが、ここでは、”beef or chicken”で、鶏は苦手なので、chickenだったら、食べられないと思ったが、運良く、beefがまだ、残っていたが、美味しくなかった。飛行機は安全に輸送してくれることを一番に期待するから、食事が少々不味くても全く構わない。アエロフロートに乗ったのは、1970年代の最初で、遠い昔なので、記憶にないが、今まで利用した航空会社の中では、一番質素である。朝食は、ハワイ時間の6時ごろ配られ、紙に包んだパンとジュースだけであった。

初日:(3月8日(日))時差は日本に比べて、−19時間(ここは、年間を通して、サマータイムは採用されていない)であるが、ハワイは、前日の日本時間より5時間進んでいると考えた方が分かり良い。スケジュール表では7時22分着で、ほぼ予定どおり到着した。これは、日本時間では、翌日の、午前(夜中の)2時22分に相当する。つまり、飛行時間は7時間(距離は約6000 km)で、ヨーロッパへの約6割なので、楽である。この到着時間なら、自分の最近の就寝時間とそう変わらないが、すでに、機中で1−2時間程度は寝られたので、眠くはない。隣にいた、40歳前後の女性の方は、食事も取らずに、終始寝ておられた。こういう方は、本当に羨ましい。入国審査で、生まれて初めて、右手、左手の人差し指の指紋を採られる。特に、抵抗は感じない。
今回の旅行の主目的地は、ハワイ島なので、ホノルルの空港で、国内線に、乗り継ぎ、ハワイ島のコナに向かうことにする。預けたスーツ・ケースは一旦降ろされ、再度、チェックインしなければならない。荷物を受け取って、シャトルバスで国内線(ハワイ航空)カウンターに向かい、チェックインする。
ホノルル空港の待ち時間は、3時間あったが、その間にハワイ島全図の地図(ハワイ大学出版;約26万分の1;$4.95)を購入したり、家内に、携帯メールで、無事到着を知らせたりする。3台のATMのCitibankのカードでの引き出しは、いずれも失敗し、informationで聞いたら、どこかに電話して、Citibankのカードでも、後ろに「plus STAR」というマークの入っているものは使えるはずだとのことである。確かに、そのマークがあるが、お金が引き出せない。更に聞くのも気が引けるので、それ以上は、ハワイ島に行ってからとする。米国有数の銀行であるCitibankは、全く予期しなかったことに、ハワイ州には支店が1件もないことを後に知る。

 10時20分に出発し、ハワイ島のコナ空港には予定どおり、11時頃に到着する。ハワイ島はハワイ諸島の中で、一番面積が大きいので、Big Islandとも言われる。面積は、10,433 km2で、四国の半分ぐらいで、人口は、約15万人と少ない。
空港には、ATMは無いことを聞いて確認し、Hertzレンタカーの事務所に行く。予約の段階では考えていなかったが、ハワイ旅行の経験者から、GPSは、是非借りた方が良いと忠告を受けていたので、借りることにする。初めて使うといったら、使い方を丁寧に教えてくれる。それでもよく分かっていなかったので、更に20-30分ぐらいある程度分かるまで自習してから出発する。

 カイルナ・コナのキング・カメハメハ・ホテルは以前にも泊ったことがあるので、すぐ分かり、駐車場に入れる。距離は、約13 kmで、到着時間は12時40分であった。駐車券は、ホテルのフロントでもらい、車の前面に置く。1泊につき、$10である。
どこに行こうかと考えて、まず、手持ちのお金が、家から持参した$170しかないので、フロントでATMのある場所を聞いたら、ホテル内にあるというので、行って、試みたら、Citibankからは相変わらず引き落とせない。
ハワイに到着以来、まだ食事を取ってないので、案1で、1ページを割いて紹介している“セビーチェ”の専門店(Ceviche Dave’s)に行くことにする。GPSで探しても、店の名前は出てこなし、その通りの名前(Kamanu St.)も出てこない。ネットで、この店に行った人の体験談を調べていたので、そこに書いてある、「Hina Lani St.に入って、2つ目の道を右に入る」を参考に、地図(地4)にも出ているHina Lani St.を目指して行く。カイルナコアから空港に向かって北上し、右折しHina通り入り、2番目の通りを右折したら、そこが、Kamanu通りだった。案1には、番地が書いてないので、この通りのどこにあるのか分からない(通りに入ったら、左側の2つ目のブロックの道に面しているが、崖になった高台の一角にあり、入るには裏側に廻らねばならない)。閉まっているショッピング・センターの駐車場に車を停めて、歩いて探してみる。車は通っているが、聞く人もなかなか見つからない。ようやく聞く人を見つけて、場所を聞く。地元の人も大変良い店だという。入り口は、道に面しておらず、裏の駐車場から入ることを教えてくれる。案1には月曜閉店と書いてあったが、日曜なのに、16時近くで、すでに閉まっていたので、他日来ることにしてホテルに戻る。ホテルからその店までは、約8 kmであった。
最寄の銀行(ハワイ銀行)の位置をGPSで調べて、歩いて行って、そこのATMを試みたが、やはり引き落とせない。本日は日曜なので、翌日、銀行が開いているときに聞くことにして、ホテルに戻る。そして、仕方がないので、MasterCardを使って、ホテルのATMから、$200(1回に 引き出せる最大額)を引き出す。1回につき、$2.75のコミッションを支払わねばならない。換算率はよいのだが、実際に口座から引き落とされる日までに、年率20%を超えるサラ金並みの利息を取られることを前に経験しているので、非常のとき以外は、MasterCardで現金を引き出すことはしないが、本日は止むを得ない。
コナにしては、珍しく小雨も降っているし、睡眠不足だし、またレストランまで出掛けて行くのが面倒になり、部屋で、沢山持ってきた非常食を食べる。熱湯を、入れて15分ぐらい待つだけで、食べられる。午前中にコナ空港に着いた割には、GPSの学習、セビーチェ店の空振り、お金の引き出しなどで、手間取って、観光は、ほとんどゼロの初日であった。

第2日:(3月9日(月))本日の予定は、この島の南端近くにあるシラカワ・モテル(Shirakawa Motel)に、宿泊確認に行くことである。3日先に宿泊予定のモテルに行く理由は、後で述べる。
朝、8時45分に、車で、昨日行ったハワイ銀行にお金を出しに行く。銀行の窓口に行き、昨日は、横に設置してあるATMで引き出そうとしたら駄目だったと言ったら、カードと、パスポート(これは本人の確認目的だけ)を出せば、後ろにある機械で出してあげると言って引っ込んで行ったが、しばらくして、駄目だったと言って出てくる。ATMで下ろせるはずだと、ATMに付いてきてくれるが、やはり旨く行かない。そのうちに、通りかかった先輩職員の女性がアドバイスしてくれてようやく出せる。1回に最大$200しか下ろせず、1回ごとに、定額の手数料($2.25)が取られる。それなら、$600降ろせばよかったが、最初に$500と言ったので、改めなかった。以後、ハワイで現金を下ろす必要はなかった。
次に、車を停めた駐車場内の(Happi Yu)Sushi&Bento(Hw2-1)に行く。店頭に並んでいる2,3種類のBentoは

、いずれも自分が苦手なチキンばかりなので、表示図つきのメニューにあるスシ弁当を注文したら、誰も客はいないのに、忙しいから、それを作る暇はないと言う。やや離れたところにある、店を指差して、あそこで買えとそっけなく言われる。案1に書いてあることと、大分話が違うが、腹を立てることもない。それで、中国人の経営する店に行って、並べてある品を指差すと、適当にパックしてくれる。前日来、たんぱく質に欠けているので、1品しかない魚を入れてもらう。
次に郵便局に行って、絵はがき用の切手を買う。ヨーロッパもオーストラリラも日本と同様$0.94である。ハワイの絵はがきも、日本のもの(15 cm ×10 cm)と違い、大きい(17.8 cm×12.7 cm)のが一般的であるが、送料は変わらないらしいし、封書も同じ送料である。米国本土からの値段と同じである。ただし、air mailと書かなかったため船便になったのか日本に着くのに1ヶ月ぐらいかかってしまった。日本の郵便局員の質が高いことを、ハワイでも実感することになる。

カイルナ・コナを、9時45分に出て海岸線沿いのアリイ(Alii)通りを通ってケアウホウ・ショッピング・センター(Hw2-2)に寄り、果物、ビールなど、これから必要なものを買う。GPSのお陰で容易に入れる
それから、シラカワ・モテル(Shirakawa Motel)を目指して、南下する。途中、ちょっと脇に入って、15分程度休憩し、先ほど購入した弁当を食べる。紅茶は、朝、魔法瓶に入れたものを飲む。冷たい飲み物よりも熱い紅茶の方が美味しい気温である。この魔法瓶は、サーモス(Thermos)社製で、昔、スウェーデンに留学したとき、この社(当時英国)の魔法瓶の保温能力が他社のに比べて大変高いことを知ったが、1989年に、サーモス社を、日本酸素(株)が傘下に入れて、国内でも容易に手に入るので、購入して、旅行の際に愛用している。朝、熱湯を入れておくと、夕方になっても、口が焼けどをするくらい保温がよい。
このハイウエーの最南端に近いところに、溶岩原があり、車で入れるカフク(Kahuku)溶岩原展望所がある。物売り禁止という標識にもかかわらず、装飾品などを売っている(Hw2-3)。この種のことを守らないのは日本だけではないことを知る。後になって気づいたが、最南端近くにある風車群が、かすかに写っている写真もあった。


■ シラカワ・モテル(Shirakawa Motel):(その1):そこから、シラカワ・モテルは、15 kmぐらいで、すぐ着いた。看板は、通りに出ているから、この道を通る車は、皆、目にすることになる。入り口にある家は、後で知ったが息子一家の家だそうで、その横を通って入っていくと、古びた家があり(Sh1)、そこがレセプションで、ベルを鳴らしたら、しばらくして、ご主人(86歳)が出てきたので、3日先に泊まるべく予約している者だが、確認に来たといったら、宿泊者名簿表を出してくる。3日先の欄を見たら、自分の名前がありほっとする。他に1部屋の予約しか入っていないので驚く。何度も、予約確認のメールやFaxを送っても、メールには返事が来ないし、ファックスは通じないので心配で、わざわざカイルナ・コアから確認に来た。
  このモテルの存在は、案1などで知り、ネットで、ホームページを見たら、予約は、「チェックなどを送った段階で成立する」とあり、ネット上で1月21日(宿泊予定日の50日前)に仮予約を入れたら、自動的に、同様なメッセージが戻ってきた。希望した部屋は、キッチンもついたキッチネットという分類のもので、1泊、$73なので、Citibankで$90のトラベラーズ・チェックをつくり、1月27日に手紙と共に送った。その後2回、予約確認のメールを送ったが、返事はなく、また、ファックスも送ったが、これは、受信可能状態になっていないらしく、通じなかった。このように、予約が、正常になされているのかどうかどうかも分からず、大変困って、この日に出向いて確認した訳である。予約されていることを知りほっとした。
今回の旅行において、家内の事故を別にすれば、一番気になったことは、再三の確認の問い合わせにもかかわらず、このモテルから何も返事が得られなかったことであった。今日は出かけて不在の奥さんのコンピューターが壊れていてと言われ、この枯れたご老人に文句をこれ以上言う気もしないので、それ以上は、このことに言及するのを止めた。
庭には、日本でも一時はあちこちで見られた「世界人類が平和でありますように」という願いが、英語、フランス語(Sh2)、スペイン語でも書かれてあった。これは、ご夫妻の体験に基づいた心からの願いであると推測される。
            
米国最南端 ご主人に、最南端に行きたかったが、そこへの道は、車の保険が付いてないので、行けないと話したら、そこへの道は舗装もされているし、何も問題なく、皆さん、行っているというので、少し考えて、万一、事故が起こったら、自費で弁償する覚悟で行くことにする。道は、シラカワ・モテルのすぐ横からもあり、途中で、まっすぐに南下する道に合流する。最南端の手前にカマオア(Kamaoa)発電用風車が、正確に数えなかったが、約50機あった。強い風が吹いていたが、あまり回転していなかった。一定以上強風のときは、動かないようにしているのかもしれない。道路の舗装状態は、先端近くは、悪いが、保険の対象外とするのは理解できない。何らかの事情で、あまり観光客に来てもらいたくないのであろうか。先端近くで、道が左右に分かれているので、まず左側に行く。シラカワ・モテルから、駐車場まで約20 kmで、途中何度か、写真を撮るために止まったが、40分かかった。荒涼とした草原で、ここには、特に見るべきものはない。ここからは、ジープでなければ行けず、更に5 km以上歩くとグリーン・サンドという緑の砂の海岸に出るらしいが、歩いていくには、余りに遠いし、誰も行っている人が見当たらないので、止めにして、先ほど左に曲がったところを、右に曲がる道を進む。そこが、最南端のカ・ラエ(Ka Lae)岬らしいが、その標識は特に見当たらなかった。ただ、案1の写真にある海上の船への物の運搬に使う滑車があるので、それと分かる(Hw2-4)。ここが、米国50州の中では最南端(18?55’)であることは、今回の旅行まで知らなかった。車は、常時、5、6台留まっていて、10 mはある滑車の下の海面を、入れ替わり、立ち替わり恐る恐る眺めては、去っていく。下の海は、透明で、魚が見えると書いてあるが、光線の加減か、風が強いためか、魚は見えなかった。

 そこから少し離れた断崖絶壁の上では、2組の人が釣りをしている。1人は、2つの風船を膨らませてそれに釣り糸を垂らし、風で沖合いまで、飛ばし、釣をしていた(Hw2-5)。直ぐ釣れるのかと思って10分ぐらい見ていたが、釣れなかった。足元の草むらに眼を向けたら、そこに、カワラケツメイが、いっぱいある(Hw2-6)。前回、ハワイに来たときに、オジギソウと一緒に群生していて、オジギソウと、葉の形はそっくりであるが、触っても反応しないことを知り、初めて知った草である。花の色は、黄色で、オジギソウのピンクとは、はっきり違うので、見ただけでも、オジギソウとは区別できる。日本でも、四国などには、いっぱいあると聞く。
 また、海に向かって左の方に歩いていったら、カヌーをつなぎとめるのに使った繋船用ホール(canoe mooring hole)があった(Hw2-7)。

 15時30分に出て帰路に着く。約30分で、ハイウエー(Mamalahoa Hwy)に出て、カイルア・コアに向かう。途中、使われなくなったスクール・バスが道端に置いてあり、Yamaguchiと書いてあるので、写真を撮る(Hw2-8)。人名か、場所から取ったのか分からないが、日本(人)に関係があることは、確かである。途中、小休止をしたり、ガソリンを入れたり、展望台(ただし、霧で、ほとんど何も見えない)に立ち寄ったりして、ホテルには、18時30分に着いた。先端から、101 kmを記録していた。この頃の、予め調べていった日の入りは、丁度これぐらいの時刻である。

第3日:(3月10日(火))今回のハワイ島訪問では、ワイピオ(Waipio)渓谷に行くことを1つの目的としていた。ワイピオ渓谷は、最近、よくテレビや写真などで(JALのカレンダーの2009年8月分に写真が掲載)紹介され、是非行ってみたいと思うようになった。調べるとツアーに参加するのが、一番良く、インター・ネットでも申し込めたが、日程・天候など不確定な要素があったので、敢えて現地で申し込むことにしていた。個人で行くには、急な坂を下りて長い道を歩かねばならないので最初から考えなかった。それで、この日11時発のツアーに参加することにして、ホテルを8時15分に出る。カイルアコアから出る190号に乗る。途中マウナ・ケアを正面に見るところを通るが、急いでいたので、車を止めて写真を撮ることができなかったのは残念であった。出発の際、GPSに行き先として、「ワイピオ渓谷シャトルバス発着所」というのを入れてきたが、これが、とんでもない間違いであったことをやがて知ることになる。190号から、19号に出て、海岸線に出たとき、海を右手に見なければいけないのが、左手に海が見えてきたので、これは、間違ったと気づいたが、今から、進路を修正しても、11時に間に合うか分からないし、急ぐことは、事故の元になるので、あきらめて、次の13時のツアーに参加することにして、そのまま、ヒロの町まで行ってしまう。「渓谷シャトルバス発着所」というのを、渓谷の入り口の、ツアーのバスの出発地点と勘違いしていたが、実際には、ヒロの町のワイピオ渓谷行きのバスの発着所を意味していた。ヒロの町で、11時頃に折り返し、GPSの行き先をセットしなおして、ツアー・バスの出るククイハエレ(Kukuihaele)に向かう。最終地点で、民家の庭に入ってしまう。静かで、人がいるのかどうか心配であったが、ベルを押したら、主人が出てきて、親切に、崖下の、一つ下の並行した道に面してあることを教えてくれる。住所が同じなので、間違ってくる人が時々いるとのことであった。教えてもらったとおりに、ツアーの発着所のArt Gallery Gift Shop(Hw3-1)に、12時30分にようやく出る。テラスでは、多くの人が、お茶を飲んでいるので、12名の定員の中に入れるか心配であったが、まだ申し込み可能ということで、$50を支払う。そこの女性がどこかに電話して、1名の客の追加を連絡したように思った。待つ間、朝、昨日と同じところで購入してきた弁当を車の中で食べる。
時間になって、案内人が来たが、驚いたことにツアー参加者は、自分一人で、12人は乗れる大きな車の助手席に乗せてもらう。ミドルネームが、Tokioという3世の方であった。数分走ったところで、展望台のある渓谷の入り口に来る(Hw3-2)。そこからは、最大傾度25°という坂をゆっくり谷に下りていく。傾斜もさることながら、道が細く、この傾斜で行き違うのは至難の業で、ここに慣れた人以外にはとてもできない。谷底は、海抜ゼロ・メートルに近く、1946年に襲った津波では、家や畑が流されたというのも、尤もと思う。しかし、死者は出なかったそうである。谷底までは、約300 m降り、途中まで、道を歩いている人もいたが、下まで行っている人は、ほとんどいなかった。途中、車を止めて、ハイビスカスの花を摘み、2重に咲く花の木は珍しいことを教えてくれる(Hw3-3)。この谷には、約50名が住んでいるとのことであるが、住民らしき人影は見なかった。
川を片道で3度ほど渡り(Hw3-4)、最後は、大きな川を渡ってこのツアーを主催している企業が持ち主の土地に入る。この谷の名産品はタロ芋であるが、そう大きい畑ではなかった(Hw3-5)。車で行ける部分はわずかなので、行けないところに大きな畑があるのであろう。タロ芋には、水の中で育つものと、水のあまり無い畑で育つものがあることを教えてもらう。水で育つものは、丁度、山葵のようにきれいな水であることが必要で、谷に落ちてくる遠方に見えるいくつかの滝が、その水の供給源になっている。時々、行き違う車の運転手は、皆か御馴染みで、車を止めてしばらく話し込む。中には、川の中で止めて話すこともある(Hw3-6)。また、馬で来ている団体もあった(Hw3-7)。後で調べたら、馬は、約2.5時間のツアーで1人$85というから、試してみるのも面白いと思う。車は、同じ道を引き返すのでまた、3つの川を渡る。川が増水したときに住民が捕まって渡る金属のロープも見えた。
ツアーは1.5時間弱であった。元に戻り、チップを、ツアー代の1割の$5あげた。1名の案内で採算が合うのであろうか。店を除いてみたが、ポイもないし、特に面白いものは無かった。自分の目でも、ゆっくり見たいので、先ほど通った渓谷入り口の展望台に車で行き、展望台で、下を見た(Hw3-8)。これは、(Hw3-2)の場所とほとんど同じである。東海岸なので、いつも曇っているのかもしれないが、晴れたときは、どういう風景になるのかは、よく分からない。しばらく、見て15時20分に、そこを出る。ツアーに加わらなければ、この光景しか、見られない。本日は、このワイピオ渓谷を見ることだけは、決めていたが、その他は、特に決めていなかった。ここから、どこにも寄らず帰っても、カイルア・コナに着くのは17時30分頃になるので、途中ちょっと立ち寄れる程度の時間しかない。それでも、やや大回りして、北端に近いポロル渓谷展望台を見てから、西海岸に面するプウコホラ・ヘイアウ国立歴史公園に立ち寄り、そこから、海岸線を南下する道で帰ることにする。
途中、パーカー・ランチ・ショッピングセンター&ビジター・センターの前を通ったが、素通りする。途中見晴台があり、車を降りてみたが、曇っていて、特によい眺めでもない。
途中1回展望所で、降りて写真を撮っただけで、ひたすら走り、島の北端に近いポロル谷(Pololu Valley Lookout)に着く(Hw3-9、10)。ワイピオ渓谷から79 kmで、1時間40分経っていた。「切り立った崖が幾重にも海に落ち込む荘厳な光景」とある案1の記述は、当たっている。南国ハワイらしくない、寂しい感じがする。この先、直線で20 km弱の距離のところに、先ほど訪れたワイピオ渓谷があるが、道はない。
そこから、270号を通って南下し、18時30分頃に、プウコホラ・ヘイアウ(Puukohola Heiau)国立歴史公園に着く(Hw3-11)。この写真は18時34分に撮っており、丁度日の入りの時間である。ビジター・センターは閉まっていたので、キャンプをしている公園を20分ぐらい散策して、帰路についた。巨大遺跡は、特に探さなかったので、見ることが、できなかった。なお、ヘイアウというのは古代ハワイ人が建設した聖域のことである。ワイピオ渓谷への道を間違えたのが、影響し、ここはあまり見ることができなかった。ホテルに着いたのは、19時30分を過ぎて、暗かったが、GPSのお陰で、全く心配なく帰れた。

第4日:(3月11日(水))今日はコナに泊まる最後の日で、コナ・コーヒーの購入など、この付近の予定で、まだやり残していることをする。自分はコーヒーをあまり飲まないので、違いが分からないが、コーヒー好きの人で、このコナ・コーヒーが大変好きな人がいて、そのような人へのお土産として、コナに来るときは購入することにしている。案1には、コナ・コーヒー・ベルトと称して、近隣の20件以上のコーヒー農園、リテール・ショップなどの場所の地図が出ている。実際に一帯を通っていても、売店の存在が分かりにくいので、この地図は大変役立つ。
朝、8時30分にホテルを出る。ベイビュー・ファーム(Bayview Farm)にまず行って、購入する(Hw4-1)。ここも、何度か来ていて、畑や焙煎(Hw4-2)の様子を見せてもらったことがある。客が多くないので、見せてくれと頼めば、勝手にどうぞという感じである。
次に近くにあるコナ農協(Kona Pacific Farmer Co.)(Hw4-3、4)で、更に、購入する。この店は、案1には、何故か表記がない。以前に行って、やや遅く閉まっていて、大体の場所の記憶があったので行ってみた。昔、その横に、果物などを売っている野外のテントがあったので、それを目当てで、行ったのだが、今は無いとのことで、がっかりする。そこで、ミラクル・フルーツを、初めて試して、今回もそれが、目当てで行ったのであったが。団体客などのためか、コーヒーに関する展示ポスターがいくつか貼ってある。そのうちの1つに、ハワイ島で採れる果物1覧があって、約150種類も示されていて、 (Hw4-5)、中にミラクル・フルーツもある。これを見たときは、全部食用になる果物かと驚いたが、後で見るとそうでもないらしい。それにしてもすごい。この庭(農場の一部)には、ココアなどいくつかの木が実際に植わっており、説明の表示もある。前日、ワイピオ渓谷で教えてもらった「ノニ(Noni)」の木もあった(Hw4-6)。他日、果物に的を絞ってハワイにまた来たくなった。自分のいる約40分間は、店にも、庭にも誰も客は来なかった。


■ コナ・コーヒー:コナ・コーヒーは、米国で、商業ベースで生産されている唯一のコーヒーで、ホワイトハウスの公式晩餐会で出されるのはこのコーヒーだそうである。
コナ・コーヒーと呼ばれるものは、東西2マイル(3.2 km)南北22マイル(35 km)のコナ・コーヒー・ベルト地帯に生産されるものに限定される。作地面積は最大でも100エーカー(40.5ヘクタール)という小規模で、生産農家が600以上があり、年間2億ポンド(9万トン)の生産で世界の1%程度という。この地の温暖な気候と、酸性度、適度な(非常に少ない)降水量、日中の海風と、夜間の涼しい山風がコーヒー栽培に適している。
コーヒー豆は、普通1つの実に2粒の半円形の豆が入っているが、希に(3-5%)2粒がついて1粒になったものがあり、これをピーベリーといい、コーヒー豆の最上級品とされる。次いで、Extra Fancy, Fancy, No.1, Primoとあるようであるが、PeaberryとExtra Fancyは、値段も変わらず、味もあまり変わらないそうである。今回、3軒に立ち寄ってみた限りでは、PeaberryとExtra Fancyしか見当たらなかった。値段は変わらないがこれに、焙煎の仕方で、Dark RoastとMedium Roastがあり、豆を挽いているかどうかで、BeanとGroundがある。コーヒー通の人は、Darkを好むようだが、一般には、Mediumがよいようである。焙煎しているところを見学させてもらったことがあるが(Hw4-2と同じ)、意外に古典的な装置で、温度と時間は忘れてしまったが、DarkとMediumは、1分ぐらいの違いと記憶する。
収穫からすべて手作業で行われるため、他のコーヒーと比べて高価である。ハワイ島以外では、100%コナ・コーヒーを購入するのは難しい。例えば、オアフ島では10%以上コナ・コーヒーという品が、販売されている。あるネット販売の価格を見たら、8オンス(227 g)が、送料など全て込みでピーベリーが4800円もしている。これは、現地の価格の約3倍である。
米国でコナ・コーヒーの存在が知られるようになったのは、マーク・トゥエイン(Mark Twain; 1866年に滞在)が盛んにコナ・コーヒーについて書いたためと言われている。もともとハワイ諸島にコーヒーが観賞用に紹介されたのは、1813年で、1828-29年ごろに、ホノルルのコーヒーの木から接木でコナに移植された。
コナ・コーヒーに関しては、多くの情報がネットにあるが、例えば、次のURLなどは、現地を訪問する際に役立つ。オーガニック・コーヒー農園についても書かれている。
http://www9.ocn.ne.jp/~alohanop/travelbigislandkona4.htm


近くにあるプウホアヌア・オ・ホナウナウ(Puuhonua O Honaunau)国立歴史公園に行く。現地の言葉は意味が全く分からないので、名前を覚えるのが難しい。入場料は車1台につき、$5で7日間有効である。(個人で入れば1人$3である。)ここは、昔(1819年以前)300年間、タブーを破った人や、敗残兵の「駆け込み寺」であったそうで、たどり着くのが難しかったらしいが、どう難しかったのかは、現在見る限り、陸からも海からも想像できない。近くに海水浴場があり、そちらの方が、ここの入場者より多いくらいであるが、泳ぐには少し冷たく、あまり泳いでいる人はなく、溶岩の上に立っている人が多く、ちょっと不思議な海水浴場風景である(Hw4-7)。米国人観光客と思うが、多くの米国人は海には慣れていないはずなので、立って日光浴するというのもありなのかと思う。何故、わざわざ岩場に、日光浴に来るのであろう。
当地は、キリスト教の宗教改革の際に破壊され、後に、再建されたそうである。家(Hw4-8)、ゲーム(Hw4-9)、カヌーを造る小屋(Hw4-10)、神像(Hw4-11)などがあり、昔のハワイを想像させてくれる。建物で、褌姿のここの職員(Hw4-12)を見て、昔、ここ同じ格好をしたもっと日焼けした人が、カヌー小屋で実演しているのを見学したことを思い出した。この格好は、昔の原住民の衣装と思うが、日本の褌とよく似ていて、これは偶然の一致か、あるいは、日本人移民の影響なのか、民俗学的に面白い。池には亀がいて、子供などが見ていた。ここに、12時45分まで、約1時間10分間、見て廻って、3日前に、場所だけは確かめた店にセビーチェを食べに行くことにする。店までは42 kmあり、1時間ぐらいかかった。
店に入ったのは、14時に近かったが、せいぜい7−8人しか座れないカウンターには、地元の客が2名ぐらいいた。地元の人の昼の溜まり場なのであろう。テーク・アウトもできるようであった。サーフィンをする人に人気があるとのことで、メニューも模ったボード上に書いてある(Hw4-13)。セビーチェ(Hw4-14)と魚のスープとソフトドリンクを注文した。草食人間の自分には美味しかった。マダムの写真を撮っていたら、お客(あるいはご主人?)が、演出してくれた(Hw4-15)。この女性は怖いということをからかうサインなのだろうか。案1(p.83)に載っている一番右の女性の母親であることは、似ているのですぐ分かる。どうして、カイルア・コナから(約8 km)離れたこの店が大きく紹介されているのか聞いたら、この本の編集に関係した人の友人がここで働いていたことがあるためだそうである。それで、日本人が来るのかと聞いたら、たまに、数名で車でカイルア・コナから来るとのことである。店の場所が大変分かりにくかったと言ったら、それは先方もよく承知しているらしく、それをネタにしたステッカーをくれ、面白いので、帰国してから旅行用スーツ・ケースに貼った。”I found the spot! Ceviche Dave’s”と書いてある(Hw4-16’)。
40分近く居て、14時30 分に出て、カイルナ・コアの方向に戻り、買い物も兼ねて先日来たケアウホウ(Keauhou)に行き、展望台から見る。洞窟は(Hw4-17)、ヨーロッパなどであちこち見ているので、行かなかったが、帰ってから調べたら、現在は、ヒッピーなどの立ち入りを防ぐ為にも入れないようになっていることを知る。ここには他にも役立つ情報がいろいろある:  (http://tourguidehawaii.blogspot.com/2008/05/along-kona-coast-hawaiian-kings.html)
また、その元の次のURLは、ハワイ島の観光地について面白い情報を提供してくれる。
http://tourguidehawaii.blogspot.com/ 実際、これまで、あまり注意しなかったが、ハワイ島にも、宿無しのような人はいたので、完全に安全な場所ではないようである。
まだ、コナ・コーヒーの店に寄れると思い、ブルー・スカイ・コーヒー店に行くが、17時前なのに閉まっていたので、明日来ることにして、真向かいにあるキムラ・ラウハラ・ショップ(ギフト店)に立ち寄る(Hw4-18)。この付近は、海岸に並行に、4−5本も道があって、意外に複雑である。ホテルに帰る途中にあるはずのM&K Kona Coffee Farmsを探したが分からなかった。道端に座っていた人に聞いてみたが、要領の得ない無愛想な返事しか返ってこなかった。後で考えて、地元の人ではなく、ヒッピーだったような気がしてきた。ホテルには18時に着く。
夜は、カイルア・コナ地区の日本食レストラン「葉山」に行って、てんぷらなどの日本食を食べた。勘定は、$33.85でカードで支払ったら、チップは予め差し引きましたと言って$6.09差し引かれていた。これは18%に相当する。日本人は、チップを払わない人もいるので、予め向こうで引いてくれるのは、額を考える手間が省けてよいが、特にサービスをしたとも思えないのに18%とは、少し多過ぎると思うが、これが相場なのかもしれない。一般的に言えば、Lonely Planetなどの外国の案内書は、率直に論評してあるが、日本の案内書のレストラン評はよい点だけを書いてあり、悪い点には触れてない傾向がある。ちょうど、日本人の書く推薦状のようなもので、日本人の美徳とも考えられるが。

第5日:(3月12日(木))本日は、3日前に確認したシラカワ・モテルに泊まる日である。まず、朝、9時15分にホテルをチェックアウトして、昨日遅くて閉まっていたコーヒー店の“Blue Sky”に立ち寄り、コナ・コーヒーを購入する(Hw5-1)。この店は近くかと思ったが、ホテルから8 kmもあった。勿論、まだ誰も客はいなかった。しばらく行ってガソリンを入れる。
 3日前に行ったMahalahoa Hwyを南下して、11時20分頃に、道に面して、先日は気づかなかったManuka State Parkという表示が見えたので、入ってみたが、弁当を広げられるような休憩所やトイレもあるが、誰もいないし、車も留まっていない(Hw5-2)。15 分ぐらい休んで、持参の紅茶を飲む。そこを出て8分ぐらいで、先日も立ち寄った溶岩の中のカフク溶岩原展望所で少し休む。ホテルを出てから、約79 km走ったことになる。朝晴れていたのに、ここに来たら黒い雲が垂れている。地域的なものか、時間的な変化か良く分からないが、恐らく、前者であろう。
そこから15 km弱離れたシラカワ・モテルには12時10分に着く。チェックインして、荷物を部屋に下ろし12時50分に出る。昼食は、前に何度か行ったことのあるボルケーノ・センター内のビュフェ・スタイルのものを取ることに、朝出る時から決めていた。13時40分に、センターの入り口に来たが、何と入り口が閉まっていて中に入れない。天気は悪いが、そんな馬鹿なことがあるのかと思って、誰かが来るかと思って5分以上待っていたが、誰も来ない。気がついて、別の入り口があるに違いないと思い、更に行くと、本当の入り口に行き当たりほっとする。先ほどの入り口はGPSが示したもので、GPSは、日ごろ開いてない門でも、一番近い門を示すことにセットされていることを知る。正門では、車に対して入場料$10を支払う。これは10日間有効である。自分は、この日を含めて3日間利用することになる。ボルケーノ・ハウス(Volcano House)に着いたのは、2時をわずかに廻っていた。2時までは開いていると思ってきたが、最初の入り口で戸惑った分だけ2時から過ぎていたが、入り口にいた2人の女性がちょっと相談して、親切にも入れてくれた。チケット代を払って、食べ物を取って食堂に入ったら、座って休憩している人は、まだ何人かいたが、もう誰も食事している人はいなく、多少気まずい気持ちで、食事をした。ビュフェ・スタイル(日本人の命名では、バイキングというが、この語は、スウェーデンでも通じない)の食事は、好きなものだけを実物を見ながら取れるので、自分は好きである。食事の後、目の前に広がるクレーターを見る。1987年に最初に当地を見たときの、その大きさに感動したことは忘れられない。こんなに大きなクレーターは他で見たことがない。本日は、天候が悪く、あまり視界が良くなく、気温は14 ℃であった。
14時45分にそこを出て、左回りの道を通って、トーマス・ジャガー博物館(Thomas Jagger Museum) まで来たら、その先の道路が閉鎖されている(Hw5-3)。天候が悪いので、閉鎖されているのかと思ったが、後から知るが、この道はここで常時、閉鎖されているらしい。先に行くには、入り口から左側の道に入って時計回りで回るべきである。案1にはそんなことは書いてないし、入り口のボルケーノ・センターに立ち寄って、案内図を貰ってこなかったために、それが分からなかった。案1の記述の不完全さにより、実害を被る。明日もチャンスはあるので、ここから、戻ることにして、この博物館に入ってみることにする。入場者はほとんど、数組の日本人の小団体で、天気が悪く、観光者も説明者も気の毒である。以前にも現場で見た女神ペレの髪や涙(Hw5-4)がある。外の景色は、最低の見晴らしとこのときは思ったが、これは、まだまし(Hw5-5)で、2日後はもっとひどかった。近くにある以前に見た記憶のあるガスの噴出し口を見る(Hw5-6)。2日後は、この近くに立ち入るのも禁止されていた。このガス噴出し口を見るたびに、この溶岩流が流れ、雨量も多い東海岸に、日本のような温泉が1つもないのは何故だろうと思う。
ボルケーノ・センターに立ち寄らなかったばかりに、情報不足で、もうこれ以上回れないと錯覚し、16時に、火山公園を出て、シラカワ・モテルに戻る。出口からモテルまでは、1時間15分かかった。気温は19 ℃で、先ほどよりは大分高いが、暖かくはない。まだ明るいので、近くを散歩する。すぐ近くにマーク・トウェイン(Mark Twain)が、1866年に植えたモンキーポッドの木があることを知った(Hw5-7)。実際は、現在のものは、1957年に暴風雨で折れ、その根元から生えたものだそうである。帰国後、過去の写真を調べて、2000年に、ここへコナから家内と来て、Mark Twain Squareと称する庭で軽食を取ったことを知った。当時、こんなに南まで来たという意識もなく、近くにシラカワ・モテルがあることも知らなかった。マーク・トウェインは、「トムソーヤの冒険」の作者としてお馴染みであるが、1866年に31歳、新聞記者のときに、本土でのすさんだ生活を精算してこの地に4ヶ月間滞在して、「ハワイ通信(Letters from Hawaii)」という本を書いているそうである;
http://www.pacificresorts.com/webkawaraban/special/030501/

第6日:(3月13日(金))チェックアウトに母屋に行って、ご夫妻と少しおしゃべりをしてから、9時45分に出発する。


■ シラカワ・モテル(その2):泊まる部屋は、個別に建っているコテージになっていて、その前に車を停める(Sh3)。外観は古いが、部屋は、居間(Sh4)、台所(Sh5)、寝室(Sh6)、シャワー・トイレと4つのコンパートに別れていて、4人は、泊まれる。鳥の鳴き声しか聞こえない静けさで快適である。名前を知らないのが残念だが、夜中まで、独特の声で啼き続けて鳥がいて、他の鳥に襲われないのかと思う。庭には、パパイアの実や(Sh7)、奇麗な花が沢山咲いていた。ところで、ここのパパイヤの木は、10 m近くもあるが、後で知ったが、湯浅浩史「植物ごよみ」朝日新聞社、(2004)によれば、幹の内部組織が木質化していないので「木」ではなく「巨大な草」なのだそうである。草としての大きさでは、キリマンジャロのジャイヤント・セネシオと1,2を争うそうである。
モテルを予約した段階では、家内と来るつもりだったので、3クラスあるうちの、真ん中のクラスのKitchenetteを予約した。税を含めて、$73で、チェックインしたときに、$90のトラベラーズチェックを送っていたので、$17のおつりをくれた。今回は、自分1人だけしか来られなかったが、4人の家族で来ても同じ値段なので、大変安価だと思う。近代的なホテルを好む人には、必ずしも推薦できないが、この地域に他に宿泊施設もないし、この島の一番の見所の火山国立公園の入り口まで、1時間強で行けるので、大変便利である。来る前は、周りにホテル類も無いので大変混んでいると想像していた。
ご主人は86歳(Sh8)で、奥さんは85歳で2世だそうであるが、お二人ともお元気そうで、10歳以上は、お若く見える。ご主人は日本語は出来ないが、奥さんは少し日本語ができると言われていた。ご主人は、庭仕事や大工仕事などを行っておられようであることが、物置の道具類から推察できる。案1でその存在を知っていたので、奥さんに棟方志功が当地を訪問した際にお礼に描いてくれた絵2点を頼んで見せてもらう(Sh9)。一つには「大鵬一氣九萬里」と書いてあるのはすぐ分かる。もう1つは、奥さんに聞かれて、3番目の字が何と書いてあるのか分からなかったし、意味も分からなかった。帰国後、ネットで、いろいろな可能性について調べたら「清風妙韻」ということが分かる。この語の正確な意味や、既存の言葉かどうか知らないが、棟方の好きな言葉であったらしく、2006年に棟方版画館で開かれた特別展のテーマが「清風妙韻−心を描く風景画」であったことを知る。棟方は、米国の大学で客員教授として版画を教えていたことがあり、それで、ハワイに立ち寄ったことが分かった。奥さんに、大変高価でしょうと言ったら、皆さんそう言われるが、絶対に売らないつもりだと言われていた。後になって、テレビでお宝探偵団を見ていたら、棟方志功のもう少し大きい絵が800万円と鑑定されていたので、この絵も1点100万円以上はするだろう。
ご主人は86歳といわれるので、それでは、戦争中は大変ご苦労されたでしょうと言ったら、日本人は全員キャンプに収容され、ご主人はバスの運転手として勤めたと言われ、同じ敵国なのにドイツ人はそういう扱いをされなかったと言われた。そういう話は、今まで、何度か、聞いたり読んだりしたが、体験者本人から直接聞いたのは、初めてであった。短い時間であったが、こういう話は、ホテル宿泊では聞けない。真珠湾攻撃を受けたとき、自分たちは祖国から見捨てられ、米国人からはJapと蔑称され、そのこと自体もさぞショックであられたろうし、日本が敗戦になったときも複雑な気持ちになられただろう。今、こうして幸せそうに暮らされているのを拝見して、ほっとする。ご夫婦が何時までもお元気でおられることを願って辞した。今回は様子が分からないで1泊しかしなかったが、もし、次回にハワイに来る機会があったら、数日は泊まりたいと思う。


 9時45分に出発し、近くの何でも売っている店に立ち寄り、日焼け止めと飴などを購入する。この店は、米国、50州のうちでは最南端の店ではないかと想像する(Hw6-1)。この集落ナアレフ(Naalehu)には、小さなガソリンスタンドもある。ナアレフというのは、ハワイ語で、the volcanic ashesという意味で、この町は米国50州で最南端の町(19?3’57’’)であるが、米国領土ではアメリカン・サモアのRose Atrollというところである。
 昨日行った火山国立公園を、今日は、奥まで見るべく、昨日行った道を北上する。途中、ちょっと脇道に入ってプナルウ(Punaluu)黒砂海岸に立ち寄る。大したところではないが、名所なので、大型観光バスが立ち寄って、その観光客がたまたま、海岸にいっぱいいたが、何をしてよいか分からぬようで、その観光客を除けば、誰もいなかいようだった(Hw6-2)。特に、見るべき所でもないように思えた。
10時30分にそこを出て、Pahala Townというところを通り、11時25分にボルケーノ・ビジターセンターに着く。シラカワ・モテルからは、途中黒砂海岸に寄り道したのも含めて64 kmであった。今度は、ビジター・センターに立ち寄って、情報を得てから、行くことにする。今日は、クレーター周遊道路を、昨日、反時計回りで、通行止めに遭って失敗したので、時計回りで行くことにする。
最初にイキ火口の展望台から、火口を見る。小さな白煙が上がっていて、よく見ると数人の人が、クレーターの中をところどころ歩いている。遠方の大きな白煙は、昨日も見たハレマウマウ火口からの煙と思う(Hw6-3)。天気があまり良くないので、全体が霞んで見えるのが残念である。
近くのサーストン・ラバ・チューブ(Thurston Lava Tube)を、ちょっと歩いてみる(Hw6-4)。ここは、以前にも奥まで行ったことを、後になって写真で見て知ったが、この時は気づかなかった。奥までは行かずに更に車で進んで、周遊道路から離れて海の方に南下する道を行く。途中、ケアラコモ(Kealakomo )展望所に7分ぐらい停車して景色を眺める。ここからは、まだ溶岩流が海に流れ込む際の白煙は見えない。
 更に進むと、やがて、白煙が見えてくる。車で行ける最終地点の駐車場に、1時50分に着く(Hw6-5)。ビジター・センターからは、38 km であった。車を停めて、他の人のように、溶岩の上を白煙の方向に歩く。道が溶岩流で塞がってしまったところから、この白煙の上がっているところまでは、地図で見ると、5 km以上はあるし、その場所を見るには、これから、夕方に行く予定の海岸の反対側から見るべきと思い、この写真を撮った場所から引き返す(Hw6-6)。他の人も、それより奥まで歩いている人は、その時は見かけなかった。あまり歩いていないと思うが、時間を忘れて片道1 km強は歩いていたようである。駐車時間を後で見たら、1時間強も留っていた。靴は、このことを予期して、家を出るときから、ハイキング・シューズを履いてきているので、足元は特に問題はなかった。土のある部分には、ここにも、カワラケツメイ(Hw3-3)が、あちこちにあった。1987年の訪問の際には、3人のオアフ島からの日帰りツアーで、実際に海に溶岩流が入るところを見ている。
 駐車場を、丁度15時に出て、元来た道を今度は、途中で休むことなく、ボルケーノ・センターに45分で戻る。帰りは、34 kmであったから、往きは、多少寄り道をしたことになる。
 往きにボルケーノ・センターでは、溶岩流の海に流れ込むのが見える、先ほど見たのとは反対側の海岸の地名は、カラパナ(Kalapana)と言って、夕方17時から22時まで、オープンになっていて、最終の入場は、20時ということを教えてくれた。ゆっくり見ようと思い、まず、ヒロのホテルのチェックインを済ませてからと思い、ホテルに向かう。入り口辺りが多少分かりにくいが、GPSのお陰で、17時にチェックインする。意外に遠く、ボルケーノセンターからは、46 kmあった。
急いで、チェックインして、17時25分にホテルを出る。カラパナの近くになると、道も細く、悪くなって、対向車とすれ違う際には、道端に避けねばならないほどであったが、対向車はほとんどなく、ただ、自分の進む方向に、後方からついてくる車もほとんどなく、それがちょっと気になった。18時30分に駐車する場所を見つけて留まる。ホテルからは1時間もかかっており、また、午後に白煙を見た場所から直線距離にして5-6 kmのところを、そこからホテルに立ち寄らなくても、2時間はかかることを実感して、ちょっと驚く。
カラパナの駐車場はすでに満員に近い。丁度日の入り時刻であったが、曇っていたので、もう辺りは暗くなりかけていた。用意してきたヘッド・ライト、飲み物、食料などをリュックに詰めてすぐ出る。駐車場の付近には、観光客用に、サンドイッチなどを売る店のテントがいくつか出ている。それほど多数の人が見にきていることを意味する。白煙は、駐車場から割合近いところに見える(Hw6-7)。溶岩に、行く道に沿って黄色い蛍光マークがついていて、道は、分かりやすい。しかし、しばらく行くと、向かいから、多くの人が戻ってくる。構わず進んで行ったら、その人たちを急き立てている職員が、風向きが変わったから、今日は、もう立ち入り禁止だから、戻れという。海からの強風だと、有毒ガスで危険なので、今、閉鎖したところだという。見物用に椅子まで持ってきたグループなども仕方なく戻っていく(Hw6-8)。数時間前にビジター・センターでは、17時から22時までいれるというので、それを全く疑わず、風向きのことは考えていなかった。出発前の日程決定の際には、天候を考え、こういうこともあろうかと思い、3日間は、ここに来られるように日程を組んでいたので、まだ、明日、最後に来られる機会があるので、大変残念であったが、戻ることにする。(しかし、結果的には、翌日は、晴れていたが、昼に、ビジター・センターに聞きに行った段階で、風向きが悪く、夜は、立ち入り禁止であることを知り旅行の最大目的を果たせないことになる。)
もうすっかり暗くなった19時15分に、カラパナから撤退し、丁度、1時間でホテルに戻った。ヒロは以前、何回か来たことがあるが、泊まるのは、初めてである。

第7日:(3月14日(土)) 8時30 分にホテルを出て(18 °C)、4日前に、コナから間違ってヒロに来てしまった道(19号)を北上し、途中で、わき道(220号)に入ると、正面に時々、雪を被ったマウナ・ケア山が見える。ホテルから30分で、アカカ・フォールズの駐車場に着く。1987年に来たことがあるが、ツアーで連れてきてもらったので、印象が薄く、今回が初めてのような気持ちになる。道はループになっているが、現在は、工事中で、一回りすることはできない。まず、右に進んで、カフナ(Kahuna)滝を見る(Hw7-1)。前には気付かなかったが、川沿いに竹がいっぱい生えている。ほとんど人は来ていない。次に元に戻って、左手に行き、アカカ(Akaka)滝を見る(Hw7-2)。今まで、アイスランドなど、あちこちで滝を見ているので、滝に対する評価は厳しくなっていて、150 mの落差(華厳の滝は落差:97 m)のあるこの滝にもあまり感動しないのは申し訳ない。ごく局部的な虹のようなものが見える。
35分ぐらい居て、9時35分に出る。途中で車を停めて、往きにも見えたマウナ・ケアの写真を撮る(Hw7-3)。頂上にある3機の望遠鏡が見える。
案内書に、タイムスリップした町として紹介があるので、19号に戻った付近にあるホノム(Honomu)の町を20分ぐらい見る。Honganji(本願寺)(Hw7-4)やOdaishisan(お大師さん)(Hw7-5)がある。お大師さんのところには、日本語で、「高野山真言宗米国ハワイ解放区光明山ホノム遍照寺」で書かれている。ヒロに近いとはいえ、こんなに小さな町に2つも寺があって、信者がそんなに多いのか、どうして存続し続けられるのか大変不思議に思う。いずれにせよ、ヒロの付近は、最初の日本からの移民が移って開発した場所なので、今でもその子孫の影響が大きいことを知る。ある食料品店に入ったら(Hw7-6)、棚にいっぱいジャムが並べてあるので、パッションフルーツ(Lilikoi)のものを1つ購入する。後に自宅で食したら美味しかった。店内の写真を撮って後でよく見たら、弁当も売っていたらしく、そのメニューにSpam Musubiというのがある。後で調べたら、ハワイの名物の1つで、たわら型のおむすびに、しょうゆで味付けしたスパムをのせたものだそうで、スパムはポークを缶詰にしたハムのようなソーセージのようなもので、ハワイ通ならよく知っているらしい。この町は、アカカ滝への観光客が立ち寄る場所なのでもあろう。
次に、ヒロの町に戻って、パナエワ熱帯動物園(Panaewa Rainforest Zoo)に、行く。この動物園にホワイトベンガルタイガー(雄)がいるというので、来年はトラ年なので、賀状の写真にすることが主目的である。行ったときは、遠く端の小屋の前にいたが(Hw7-7)、そのうちに陰に隠れてしまったので、他の動物を見に行って戻ってきたら、ネットの近くまで出てきている。ネットが邪魔なので、距離はあるが反対側から撮る(Hw7-8)。何をするのかと、こちらを見ている。こちらを注視するほど他に見物人がいなかった。合計60枚もトラの写真を撮っていた。名前は、ナマステといい、インド語(Alohaに相当)から取っている。不思議なのは、檻の中に、2匹の鶏がいるが、餌の残りなのか共存しているのか分からない。入場は無料であるが、土曜日なのに、あまり観客はいない。トラが出てこないので、1時間10分ここにいた。15時30分が餌をやる時間と書いてあるが、見たくもないので、12時に出る。
次に、そこから8 km離れたマカデミアンナッツ工場を見に行く。前に2度来たことがあるが、いずれも、ツアーで連れてきてもらったので、それが、どの辺りにあるのかという実感が無かったので、今回、自分の目で確かめたかった。2 kmぐらいの真っ直ぐの道の片側には、マカデミアンナッツの木が連なっていて(Hw7-9)その奥の正面に工場が見えてくる。売店とスナックバーがあり、そこでサンドイッチを食べるが、他に誰もいない。時々、数人のグループが来るが、売店に客がいないこともある。土産にナッツを購入する。工場は前に見学したこともあって見なかったが、あの固いナッツの皮を中の実を傷つけなくどのような機械で割るのか、知りたかった。
13時過ぎに出て、1昨日に続いてジャガー・ミュージアムから見えるHalemaumau火口を再度見に行く。しかし、行ってみると1昨日より悪いくらいで、ほとんど霧で見えない。温度は15 °Cで、40分前にいたマカデミアンナッツの工場より10 °Cも低い。20分ぐらい霧が晴れるのを待ってみたが、雲が次々に流れてきて、一向に晴れないので、ビジター・センターに戻る。インフォメーションで、本日のカラパナの状況を確認したら、海からの風が強いので、夕方も立ち入り禁止と知らされる。明日は、もうオアフ島に行くので、これで、今回の旅行で、一番楽しみにしていた溶岩流が海に入り込む夜景を見られないことが決定的になり、大変がっかりする。ボルケーノ・ハウスに行って15分ぐらい大クレーターを見ていたが、曇っていて、はっきりしない。
14時50分に出て、レインボー滝を見に行くことにする。ボルケーノ・センターを出て、10分ぐらいヒロに向かった道の右手に面してアカツカ・オーキッド・ガーデン(Akatsuka Orchid Gardens)があるので立ち寄る。大温室を兼ねたお店の蘭などの花は大変見事である(Hw7-10)。説明には、この花は、Volcano Queenと名付けられていて、ここで、何年にも渡ってこう配を重ねて作った苦心作で、時間と忍耐が、これを“Best of the Best"にしたと書いてある。小グループの団体が次々に立ち寄って、買い物をしていく。ここの、主な売り物は、花や鉢で、客は日本人が多いので、日本に持って行けないので、よく営業が成り立つと思うのだが、店員のうまい誘い言葉で、皆、何がしかの小物を購入しているようである。自分は、買うものが見つからなくて、造花の磁石プレートを買った。案1に出ているモリヤス社長(Hw7-11)も会計をされていた。花などを見ていたら、50分近くも経っていて驚く。
16時35分にレインボー滝駐車場に着く。案1の写真にある滝は、3本に滝が落ちているが、ここに見るのは、左右のものが消えていて、真ん中のものも上側では2つに別れている(Hw7-12)。今は、渇水期なのであろう。落差は、15 mぐらいだそうで、朝見たアカカ滝の約1/10の落差しかないとは思えない。朝9時から11時に、虹が多いそうなので、太陽も出て無いこの時間では見えない。市民の憩いの場所の1つなのであろう。案1には、ヒロ観光のハイライトと書いてあるが、それほどでもない)。15分ぐらい見て、1 kmぐらい上流のボイリング・ポット(Boiling Pots)に行ってみる(Hw7-13)。案1には、全く記述がないが、地4に名所の記号がついているので、存在を知る。こちらの方が、水辺に降りて行け、地元の人には人気があるようである。25分ぐらい見ている。
近くにハワイ大学ヒロ校があるので、校門の前で車を停め、しばらく見る(17時40分頃)(Hw7-14)。明日のオアフ島移動のために、ヒロ空港の下見に行く。空港は町から極めて近く、空港から、ホテルまでは、5 kmで10分もかからない。18時5分にホテルに着く。
夜は、ホテルから、歩いて一番近いレストラン「Nihon(日本)」に行く。19時10分頃に入ったが、土曜のせいか、満員で20分ぐらい待たねばならないが良いかと言われ、他のレストランのことは考えていなかったので、待つことにした。牡蠣とエビのフライ定食を取った。ビールは、当地のメハナ(Mehana)という名前の覚え易いものを注文した。しかしながら、今回のハワイ島滞在中は、意外に気温が低く(大体20 ℃前後)、ビールが大変美味しく感じたことは一度もなかった。客に日本人はほとんど居なかったので、当地でも、外国人にも日本食は大変人気のあることを知る。

第8日:(3月15日(日))今日は、13時3分発の飛行機で、オアフ島に移動するので、あまり遠くには行けない。ホテルの目の前にあるリリウオカラニ庭園(Liliuokalani Garden)などは、最初のハワイ訪問(1987)以来、ツアーの車中からは、2、3度見てはいるが、自分の足で、訪問したことはなかった。
9時45分までに、荷物を車に積んで、チェックアウトしてから、歩いて公園を廻る。まずココナッツ島という橋の架かった島に行く(Hw8-1)。逆光ではあるが、ここからのホテルの眺めもなかなか良いので(Ho2)、ホテルからの、海をバックにしたこの島の眺めは更に良いのであろう。観光客と思われる人々が朝の散歩やジョギングを楽しんでいる。
次に庭園に行く。ここは、日本庭園で、鳥居(Hw8-2)、灯篭、太鼓橋(Hw8-3)などがある。1つの灯篭には、「布哇島ヒロ婦人親交會設立」と書かれ、別の灯篭には「日本人移民百年記念」とあり、同じ灯篭の反対側には、「1968年6月 山口県知事 橋本正之」と記してあるので、1868年、すなわち明治元年にここに移民が渡ったことを知る。後で、ネットで調べたら、「ハワイ移民は明治元年、新政府に無許可のまま在日ハワイ総領事ヴァン・リードによって送り出された「元年者」に始まる。彼らは労働者不足の砂糖工業に就いたが、炎天下での長時間の作業のため苦労を重ねた(http://www.meijimura.com/visit/s40.asp)」。当初は3年ぐらいで、貯金をして帰国するつもりが、貧乏でそれができず、やむを得ず、当地に住み続けることになったらしい。昨日見たレインボー滝のあるワイルク川の畔にあったハワイ移民集会所は、今、明治村にあることも知る。当時はまだ、カメハメハ王家の支配下で、アメリカが、ハワイを併合したのは1898年であるから、移民開始は、それより30年前のことである。太鼓橋は赤い色をして目立つので、過去にここを通った際に、車の中からいつも目にしていたが、側で見るのは、初めてである。絵になる場所なので、素人の方かプロの方か分からないが、日系らしきカメラマンが撮影をしていた(Hw8-4)。昨日行ったレストラン「日本」(Hw8-5)もすぐ近くで、昼間はどういう様相をしているのか見るために前を通って、ホテルに戻る。
ヒロおよびその周辺(昨日見たホノムなど)はこのように日本人に大変ゆかりのある場所であるが、日本人の観光客はほとんど居ない。ここを通る日本人観光客は、大体、オアフ島からの日帰りで、主目的地は、火山国立公園で、この辺りは、素通りしてしまうらしい。現に、自分が2回ここに来たときは、まさにこのスケジュールに従っていた。ヒロがコナに比べて観光受けしないのは、ヒロのコナに比べて約10倍の雨量という天気の悪さであろう(ヒロの雨量は年間3500 mmで、日本の1700 mmの約2倍、コナは、観測所がないのか、はっきりせず出典によって違うが、250 mm程度)。それ故に、わざわざ日本人の移民を受け入れたのであろう。
 10時50分に、ホテルの駐車場を出て、ホテルで教えてもらったガソリンスタンドで満タンにする。スタンドは、11号(Kanoelehua通り)から、Airport Rd.に左折する場所の右手にある。このスタンドも「満タン」というボタンはないので、満タンになる量を見積もって$2という金額設定にしたら、3.0 L(0.794ガロン)入る。11時20分に着き返却する。カローラのオートマで、乗り心地もよく、運転には、問題はなかったが、フロントケースに眼鏡を置き忘れることになってしまった。
オアフ島到着
 オアフ島はハワイ諸島で3番目に大きな島で、面積は、1540 km2で、東京都の約80%で人口は約86万人であり、その。
ほぼ、定刻(13:50)に、オアフ島に着く。飛行機の中で、車のフロント・ケースに予備のケース入りの眼鏡をうかつにも忘れてきたことに気づく。オアフ島のHertzの営業所は、無料のバスに乗って行かねばならない。営業所で、ヒロ空港の営業所に電話をかけてもらい、その旨を述べ、4日間ホノルルのホテルに居るので、送ってもらいたい旨お願いする(送料は、そちらで、番号を知っているクレジットカードから引き落としてくれるように述べる)。Hertzの対応してくれていた女性事務員は、自分の勤務時間が終わったのか、こちらが電話で話している最中にさっさと帰っていくのには、驚く。日本人なら、こうはしないだろう。夜、ホテルに、ヒロのHertzの事務所から電話があり、あったから、ホテルに送ってくれるというので、ちょっと安心したが、結局、4日間の滞在中には、届かず、ホノルルのホテルには、出てくる際に、名刺を渡し、届いたら、日本の自宅に、クレジットカードから送料を引いて送ってほしい旨を述べてきたが、帰国後40日経ったが、送って来ないので、諦めることにした。十分注意をしているつもりが、車の中に、忘れ物をしたことが、お金で解決できるものばかりで幸いだが、これで、3、4度目である。
GPSを借りることにしたが、ここは、ハワイ島とは違ってサービスが悪く、GPSの使い方が分かるかとも聞かれなかった。ハワイ島で、覚えてきたから良かったが、ここで、初めて借りるとすれば、相当、戸惑っただろうと思う。GPSのお陰で、ナビゲーターの家内がいなくても何とかホテルには行き着けた。
この忘れ物トラブルの上に、ホテルの駐車場の入り口を見つけるのに少し手間取ったりしたために、18 km離れたワイキキのホテル(Maile Sky Court)に着いたのは、16時15分にもなっていて、車で、どこかに出かけて行くのは、諦めた。ホテルは、44階建ての44階の16号室で、今まで、地上で、こんなに高いところに泊まるのは初めてである。

第9日:(3月16日(月))
 オアフ島は、ハワイに来るたびに必ず来ているので、今回は5度目で、すでに主な観光地は見ているので、今回は、今まであまり見たことのないものを見ることにする。
 前回、来たときに、オジギソウとカワラケツメイが、雑草として群生していたホオマルヒア(Ho’omaluhia)植物園にまず行く。この島で一番気に入っている場所の1つなので、まず、ここに来た。分かりにくいところにあるが、今回はGPSのお陰で、迷うことなく行ける。ホテルから36 kmで、9時40分に着く。ビジター・センターには、オアフ島の植物園の簡単な一覧がでているパンフレットがあり、日本語版もある(Oh9-1’)。しかし、この他にも、ライアン樹木園とか、セネター・フォン植物園などの名前を聞くが、これらは何故載っていないのかよく分からない。
園内は、大変広く(400エーカー=162ヘクタール;広さを表現する際に、よく東京ドーム何個分という言い方があるが、その場合は建築面積4.6755ヘクタールを基準とし、グランドの面積1.3ヘクタールを基準とはしないそうで、この建築面積の基準で言えば、東京ドーム35個分、東京ディズニーランドの3倍)車で廻るようになっているし、キャンプもできるようになっている。入場料は無料であるが、最寄りのバス停(No. 55のKaneohe または、No. 56のKailua-Kaneohe)から2マイル(3.2 km)もあるそうで、車で、10組ぐらいしかきていない。ほとんどのところで、見渡す限り人がいない。この植物園については、案2には説明があるが、案3には全く記述がない。一番奥の、前にオジギソウとカワラケツメイが雑草として群生していた場所(African Plants区域;こういうのが8区域ある)には、オジギソウが数少なくなって残っていたが、カワラケツメイは、駆除されたのか、見えなかった。近くを探しているときに、「京都山科地区女性連合会」の記念植樹したNoronhia Emargina(ネットで調べたらマダガスカル・オリーブ)があった(Oh9-2)。何故に、この団体が、日本人のほとんど来ないと思われるここに、このマダガスカルの植物を植樹したのか、大変不思議に思う。
 アフリカのコーナーで、太い枝からいきなり硬そうな実が生っている木があるので写真に撮る(Oh9-3)。後で調べたらAfrican Gardeniaという木だと分かる。実の効用は分からない。花はすでに無かったが、黄色い美しい優雅な花で、この実とは対照的である。面白い草花は写真に撮るようにしているが、それの名前が後で分かると、クイズを解いているようで楽しい。
 入り口付近にある植物園のビジター・センターがあるところから左の方向に入っていくと、池がある(Oh9-4)。今回は、自分1人なので、この池を周遊してみることにする。時計回りに回って行ったら、丁度対岸に当たる辺りに砲丸木(Cannonball tree)という木があり、砲丸のような実が生っている(Oh9-5)。後で調べたら、ホウガンボクという言い方と砲丸の木という言い方があることを知る。赤い奇麗な花が咲き、それが、この実になるらしい。頭に当たったら大怪我になるだろうと思う。更に廻って行くと大変急な斜面に出て、金網を挟んでその上に人家が並んでいて、先には進めそうも無い。金網のところどころにある戸の鍵は簡単に開いて道に出たが、誰も人が歩いていないので、先に行く方法が聞けない。そのうち、昼間なのに、若者が集まって2階で、音楽をかけて騒いでいる家を見つけ、下から怒鳴って、道を聞いたら、この先に廻っても、植物園には行けないと聞き、また来た道を戻る。この間1時間近くハイキングをしたことになるが、途中、砲丸木のある当たりでカメラを持った向いから来た人に会っただけだった。この人に、この先に行って一回りできるか聞くべきであった。
 ビジター・センター内に、絵や植物の展示物があるので、それを見て、ちょっと裏に出てみたら、前回は気づかなかったが、オジギソウが雑草として群生している(Oh9-6)。嬉しくなって、同じような写真を30枚も撮っていた。自分1人で見ているのももったいないと思ったので、建物の中を見たら、中国人のような新婚風のカプルがいたので、教えてあげたら、カリホルニアに住んでいる日本人の3世ということであるが、オジギソウ(Mimosa, またはSensitive leaves、ここの職員は前者で呼んでいた)を、全く知らないという。触ると、葉が閉じると言っても、あまり興味を示さない。自分が触って、閉じることを実演したら、しょうがないと思ってか1枚写真を撮ってすぐ立ち去った。オジギソウは、多分子供なら、皆興味を示すと思うが、大人には、興味の無い人もいることを知る。植物園に来ているので、植物に少しは興味があるはずなのだが。以前にも見たことがあるが、さらにその辺を見学したら、先日行ったワイピオ渓谷よりも見事なタロイモもあった。池の周遊も含めて3時間、この植物園にいた。
 次にワヒアワ(Wahi’awa)植物園に行く。ホオマルヒア植物園から48 kmであった。ここも、入場料は無料である。


■ミラクル・フルーツ 入り口で、今回ハワイ島で、見られなかったミラクル・フルーツについて聞いてみる。そこにおられた年配の女性職員2人は、ミラクル・フルーツそのものの存在をご存知ないのに少し驚く。そのやり取りを聞いていた若い男性職員が後ろから出てきて、インターネットのウイキペディアから取った説明書をくれる。後に、日本に帰って、そのウイキペディアを調べたら、多少内容が違う。くれたものは、その場で取ったものか、以前からコピーしていたものかよく分からない。いずれにせよ、知っている職員がいて、助かり、今まで自分でも知らなかったことまで、このパンフレットで知ることができた。日本でも一時テレビなどで紹介されたが、この実を口に含んだ後に、レモンを食べても甘く感じるというものである。以前にハワイ島で、野外の果物売り場で見つけて、他の果物を購入したら、無料でくれて、実際に試したことがある。今回も、是非試したいと思って来たが、ハワイ島では、見つからず、きっとオアフ島の植物園にあるに違いないと期待して来た。
 ミラクルな性質を発揮する本体はミラクリン(miraculin)といい、2006年には筑波大の研究で、レタスの葉1gから40 μが取れて、2 gのレタスからは、ミラクル・フルーツの実1個に相当する量が取れることが分かった。この物質は、ダイエットに有効であることが分かっていたが、がん患者の化学療法を行うと、副作用として金属味(metallic taste)という症状を呈するが、ミラクルフルーツは、それを解消でくるそうである。この男性職員は、そのことを教えてくれたので、このコピーはその時取ったとしても、すでに知識を持っていたものと思われる。教えてもらい感謝している。ミラクリンは、米国では、ダイエット剤としてタブレットで販売しているらしいが、この話を、帰国後、理髪店でしたら、近くの霧島園の温室で、ミラクル・フルーツを栽培していることを教えてくれて、見に行く。その時は、まだ、花が咲く前で、実がなってはいなかったが、日本でも栽培しているところがあることを知る(Oh9-7’; 挿入図は、Hw4-5の中にあるもの)。浜名湖の花博でも、販売していたが1粒が500円もしていた。


 入り口で、園内の説明のパンフレットをもらう。主な木には番号が振ってあり、名前も出ているので分かり易い。名前だけを知っている有名な木が多く、実物を見ることができる。中にタビビトノキ(Traveller’s tree)(Oh9-8、9)というのがある。この木がバショウ科というのも面白い。旅が好きだった芭蕉は、そのことを知って名前を付けたわけではないが、この偶然の一致は面白い。この木の根元を切ると水が出てきて旅人を助けることから、この名前が出たようである。ネットで見られる木よりも、この木は大分大きい。
 長い気根の出ている木がある(Oh9-10)。ベンガルボダイジュであろうか。田中耕次「熱帯植物紀行」誠文堂新光堂(2008)によれば、「ハワイではFicus属の大木とみると何でもかんでもバンヤン・ツリー(Banyan tree)といっているが、バンヤンはベンガルボダイジュのことで…」と書いてあるが、それが正しいと言っているのかどうかは、文脈からはよく分からない。
Tiger Plantという草が花をつけている。葉の模様から名前が出たと思うが、トラに縁のある木なので写真を撮る(Oh9-11)。この花はネットにもほとんどない。1時間40分見ていた。面積はあまり大きくなく十分歩いて回れる大きさであるが、多くの木には名前が示されているので分かりよい。
 植物園を出て、近くに有るロイヤル・バース・ストーンを見に行くことにする。途中にあるワヒアワ・ショッピングセンターにちょっと立ち寄って買い物をする。植物園から3.3 kmで、目的地に到着する。ロイヤル・バース・ストーンは、クカニロコ(Kukaniloko)という名の遺跡として残っている。行き方の説明は、案3にあるが、案2には記述が無いので、誰も来ていないと考えて行ったら、すでに1台の観光バスが来ていて、自分のいる間には、更に2組の日本人の団体が来た。椰子とココナッツの点在する草原に異様に点在するここの石は12世紀のもので、出産のとき母親が正しい姿勢で横たわれば、子供は神に祝福されるとされ、多くのオアフ島の首長はここで生まれたそうである(Oh9-12)。最後に会った日本人の団体は、若い女性ばかりであった。安産の守り神なのかもしれない。誰かが管理しているのか、花束が、あちこちの石の上に置いてある。ここは、人を生贄にした場所でもあるらしい。安産も生贄も神聖というところに共通点があるかもしれないが生々しいところである。そのあたりの説明は、団体の場合は案内人がしてくれるはずだが、自分は、個人で来ているので分からない。団体の人は、近くにドール・パイナップル・パビリオンがあるから、そこへのツアーのついでに立ち寄っているに違いないと想像する。個人できている人はいなかった。
 次に、やはり近く(2.6 km)にあるヒーリング・ストーン(Healing stone:癒しの石)に行く(Oh9-13)。これは、先ほど訪れたワヒアワ植物園と同じカリフォルニア通りに面している。案2,3には記載がないが、地4に記されているので、行って見る。目立たないので、脇まで行っても分からなかったが、ようやく歩いている人に聞いて分かる。全く訪問者もなく、住宅街の一画にあるので分り難い。ネットで後で調べると、もともとは上記のクカニロコにあったが、あまりに多数の巡礼者が多いので、そこの石を守るために、1927年に現在の場所に移動されたそうで、現在はハワイ在住のヒンドゥ教徒の巡礼地だそうである。右側の一番大きな黒い石は、ハワイの神、 Lono(ロノ)と言われ「Pohaku Ho’ola Kino」(身体に健康を与える石)と言われている(Oh9-14)。多くの人が、その石にそれぞれの願いを込めて触った為、今では黒光りしているのだそうである。自分は賽銭を供えてきた。ネットで見ると、このようなハワイの聖地ばかりを廻っている日本人旅行者もいることを知る。この石に触ったら、場所によって温度が違うとか、手をかざしただけで、半日痺れる気が走ったという記述もある。ハワイにもお地蔵様みたいなものがあることを知った。
 案3によれば、近くにあるスコフィ−ルド軍用地の中にコレコレ・パス(Kolekole Pass)という517 mの峠があって、1941年12月7日(日本では8日)真珠湾攻撃の始まる数分前、日本軍の戦闘機が上空を飛んで、「トラ・トラ・トラ」の撮影でも再現されたそうである。この峠には、軍が警戒態勢に無いときには行けると書いてあるが、軍用地に無用で入っていくのも気が引けるし、無用のトラブルを起こす必要もないので止めて、ヒーリング・ストーンを16時45分に出て、ホテルに17時30分に帰る。

第10日: (3月17日(火)) 本日も植物園巡りを続けることにして、9時にホテルを出て、20分でリリウオカラニ植物園に着く。この町の中にあり、案3にも記述がないが、オアフ島植物園一覧(Oh9-1’)を見て、この存在を知って行く。入り口付近にある駐車場は満車で仕方が無いので、少し先の教会に留め、そこに来たご婦人に、植物園に来たが近くに駐車場がないのでどうしたらよいかと聞いたら、教会の人に聞いてみたらと教えてくれたが、それも面倒なので、植物園の駐車場を見ていたら、出て行く人がいるので、あわてて、そこに移動して駐車する。この駐車場は植物園入園者よりも、町に用事があって来た人が主に使っているらしいことが分かる。結局、植物園には9時40分から30分間入園した。 駐車、入場とも無料で、管理事務所もない、東京の街などでも見る公園のやや大きくしたもので、フェンス1つで、隣接する団地の洗濯物まで目前に見え、東京でさえ類のない公園である(Oh10-1)。説明パンフレットでは、ヌアヌ川と滝が園内にあると書いてあるので、もっと、閑静なところを想像していた。滝といえないほどの滝は確かにあるが(Oh10-2)、ハイウエーとも隣接していてハワイの植物園らしくないところが、面白かった。それでも、中で、植木の手入れをしている職人が1人いた。一応、ところどころの木には、名前を書いたプレートもある。入場者は、他に1人、2人といった感じであった。
 10時10分にそこを出て、大分離れたハナウマ・ベイのすぐ先にあるココ・クレーター植物園に向かい10時50分に着く。ここは、文字通りクレーターの中が植物園になっている。案3には、記述があるが、案2にはない。駐車場のすぐ前の入り口から入ったら、馬と馬小屋しかない。たまたま通り合わせた女性の職員に聞いたら、ここは、Stableで、植物園は、隣だと教えてくれた。Stableの意味が分からず、すぐ持参の電子辞書を見たら、馬小屋、厩舎という意味であった。入り口まで戻って、Stableの入り口に比べてごく狭い方の横の入り口から入ると植物園になる。入り口に、小さなofficeがあるが閉まっている。ここも入場無料である。大きなサークルになっていて、反対側から来た人に1度だけ会ったが、他に訪問者には会わなかった。大きなサボテンがあり、その大きさがはっきりするように、カメラをその辺にある木に置き、自分を入れて写真を撮る(Oh10-3)。高さは6 m強あり、これ以上高いサボテンもいっぱいある。1人で、大きなサボテンに囲まれていると、怖い気持ちさえする。
上記、田中耕次氏の「熱帯植物紀行」では、ハワイに関してはほんの一部で、オーストラリア、コスタリカ、インドを含めた東南アジアの熱帯植物を中心したものだが、対象は、植物だけではない。東南アジアを主に扱っているので、日本軍の戦場の跡も多く、ユニークで大変面白い。ハワイの項で、カラカウア通り(ワイキキのメイン通り)のショッピング・センターは人々で賑わう一方、植物園には、若者は勿論、年寄りさえも来てなく現代文明のギャップを感じると憤慨されている。そして、日本の戦後教育などが自然科学や情操教育を疎かにしてきたせいと論じられていて、日本の未来に危機感を覚えられている。ご意見は、大変ユニークで、賛意をもつ部分も多いが、多少、論理には飛躍があることを感じる。ハワイは、米国人観光客が一番多く、米国人も植物園にほとんど来ていないのだから、日本人の問題ではなく、都会志向の現代人共通の趣向の問題ではと思う。自分の行った4つの植物園は、全て無料であったが、ほとんど人が来ていなかった。それにもかかわらず、植物園を維持していくのに多額の税金を使って大切にしているオアフ島の関係者の見識には敬意を表する。尤も、この税金の多くは、観光客が払っているのだろう。日本なら、厚生施設に対する民意でも分かるように、こんな採算の合わないものに多額の税金を投与するとはという意見が大半を占めるに違いない。
 ここを、12時に出て、ポリネシア文化センターに行く。ここは、1993年に、自分が学会に出ている間に、家内だけが、ツアーに参加して、ハワイアンダンスなどを見に行って面白かったと言っていたので、今回、1人なので、行ってみるつもりでいた。行く途中車で走っていたら、カーブを曲がった際に突如としてGPSが下に落ちた。幸い、GPSの機能は壊れなかった。GPSが車体にどのように取り付けられているのか、そのときまで、まったく気にしていなかったが、簡単にビスとナットで留められているのではない。車体から出ている厚さ2 mm程度のアルミニウムと思われる金属板にGPSがしっかり固定されている(Ca6)。前に乗った人が、このGPSの角度を曲げて、金属疲労を起こした結果らしい。ワイキキのHertzの工場からは、大分離れているので、戻って直してもらうわけにもいかず、GPSをダッシュボード・ケースを開けて、そこにはめ込む方法を考えついて、ドライブを続けることにする。遠くなって多少見にくいのと、しっかり固定されていないので、角度が変わったりして、ときどき止まって、調整しなければならなかったが、13時15分ごろに、駐車場に着く(駐車料:$6)。遅い為か、この時間に入場する客はあまりおらず、入り口に立っている説明員の人が、入場券を買う前に、どういうコースがあるか説明してくれる。食事など全てのコースを取るとすれば$95だというので、それを選択する。終わる時間が21時ぐらいになり、ワイキキのホテルまで、1時間はかかるが、GPSがあるお陰で、このときは、遅いのもあまり心配しないで済んだ。
 ここの総面積は、160ヘクタールで、東京ディズニーランドの面積が51ヘクタール(広大な駐車場も含めての広さと思う)なので、ほぼ、3倍の広さである。切符をカードで買うと、地図(日本語、Oh10-4’)をくれて、その中に、催しが行われる時間をペンで記入してくれる。カヌー・ページェントは、14時30分から2ヶ所で行われることを書いてくれる。その意味が良く分からなく、時間も迫っているので、とりあえず、ほぼ5分ごとに無料で乗れるボートに乗って、遠方のカヌー・ページェントの会場に行くことにする。
村と称する出展は、Samoa、Aoteroa、Fiji、Hawaii、Tahiti、Tongaの6地域からのものである。以前は、Marquesasもあり、7つあったが、今は廃止になっている。このうち、Aotearoaというのは、聞いたことがなかったが、マオリ語でニュージーランドのことをいうことを知る。ここで、働いている人は、側に在るモルモン教のブリガム・ヤング大学に学ぶ学生であるという。
 カヌー・ページェント(Pagant of the Long Canoes)は、ディズニーランドのパレードに相当するもので、一番の見ものである。上記6地区ごとに、カヌーで現れ、特有のダンスをゆっくり一周するカヌーの上で、バンド演奏に合わせてダンスを披露するもので、それぞれの地域で違うのが面白い。日ごろ、日本では、ハワイアンとタヒチアンはよく目にすることができるが、他の地域のものは知られていないので見るのは初めてであった。ここでは、3地域のものを示す。各地域ごとに色を変えていて、見ていて奇麗であるが、ショー化されたもので、伝統的な衣装とは違うのであろう。日本から見ていると、ニュージーランドは別として、ハワイとタヒチなどはかなり近いところにあると錯覚を起こすが、例えば、ハワイとタヒチの距離は、ハワイと東京の距離の7割はあるし、ハワイとフィジーの距離は9割ぐらいある。文化が違うのは、当たり前の話だろう。各村で常時、各地域の文化を紹介している(例えば、ボディ・プリント(Oh10-8))他に、プログラム(Oh10-4’)にも載っている予め決まったスケジュールに従って、楽器演奏(Oh10-9)、観客参加型ダンスやファイアー・ダンスなどの催しものをする。いろいろな催しがあったが、トンガの椰子の木のぼりの早さや(Oh10-10)、木を擦るだけで30秒ぐらいで火が起こせる(Oh10-11)など生活に直結したものも面白かった。遠洋航海カヌーのイオセパ号の展示は2008年に始まったらしい(Oh10-12)。日本にも立ち寄ったことがあると言っていたが、そのときのニュースは知らなかった。これらを見るのに忙しく、神殿訪問ツアーなどに参加できなかったし、まともにプログラムも読んでいなかった。もう少し早くから来るべきであった。
 18時からレストランで、ブュフェ方式の食事がある。蟹、生牡蠣や刺身など日本食も豊富にある。最初は空いていたが、やがて日本人の団体が多く入ってくる。家内も夕方近くから来たと言っていたから、多分ワイキキからのツアーで日本人の参加するのは、午後遅く出発するのであろう。
 19時20分から、大シアターで、売り物のホライズン・ショーが始まるので前のほうに座ろうと、早めに行ったが、実は、入場券自体で座席の番号が決まっていた。ショーもなかなか面白かったが(Oh10-13)、やや暗く、動きが早く、焦点の合った写真を撮るのは難しい。ビデオを撮っている人もいたが、これが一番適していると思う。フラッシュを焚かないようにと、英語のみならず、日本語でも再三注意があったが、数は少ないが、守らない人が最後までいる。日本語で注意があるのは、日本人にも守らない人がいるのであろう。フラッシュを焚いても、距離が遠いので、何の効果もないと思うのだが。ショーは、1回の休憩を挟んで、21時近くまで続いた。その休憩中には、特別の券をもっている人にはアイスクリームのサービスがある。家内は、ワイキキからの一番高いツアーに参加したらそのサービスを受けたそうで、また座席も前方に用意されるのだそうである。ツアーで参加した隣の日本人にツアー代を聞いたら、1万円強と言っていたから、往復の交通代も含めれば、当地まで1人できたものと($95)同じぐらいの額であるが、自分は早くから来られて、カヌー・ページェントを見られて良かったといえる。
 終わってすぐ帰ると道が混んでいると思って、自分の写っている写真を購入したり、他の人のものの展示(Oh10-14)を見たりした後、21時20分頃に、ホテルに帰るべく出発する。自分の写真は、入場のすぐ後にカヌーで移動しているときに橋の上から撮られ、その番号を大声で教えてもらっていたのですぐ見つけられる。大きな写真で、$18と高いので、ほとんど売れ残っているが、自分は記念に購入した。
 ポリネシアン・センターを出たときはポツポツと降り出したが、やがて、スコールになり、ワイパーを一番速く動かすが、前がよく見えない。こういう時は、前の車に追いつきテール・ランプを頼りに行くのが一番安全かつ楽なので、安全と思われる範囲である程度スピードを速め前の車にようやく追いつく。その後は比較的楽であったが、今まで、こんな強い雨の中を運転したことはなかった。オアフ島は、特に山岳地方は夜に強い雨が降ることは、前から知っていたが、実際にその中をドライブする怖さを味わった。ホテルに着いたのは、73分後の22時33分で、距離は56 kmであった。案内書類には、車で約70分と書いてあるから、大体、標準的な速度で帰ってきたことを知る。GPSは、暗黒とスコールの2重の障害の中で、この先、道がどうカーブしているかなどを知る上で大変頼りになったが、不安定な位置に置いてあるので(Ca6’)、方向が曲がって画面が見えなくこともあり、時々、方向を調節する必要があった。ホノルルに近づくにしたがって、雨も小降りになったが、ホテルに無事着いたときはほっとした。少し調べて行けばもっと有効に見られたのが残念であった。http://www.pacificresorts.com/hawaii/polynesia/
 入場券は3日間有効とのことであるが、翌日、遠方をわざわざ再訪することもないと考えた。

第11日: (3月18日(水)) 前日、GPS取り付け金属が疲労で、折れてしまったので、Hertzのワイキキの事務所を探して対応をしてもらいに行く。事務所は、ワイキキビーチに近いカラカウア・アーベニュー(Kalakaua Ave)に面したHyatte Reagenホテル内にあることが分かるが、車で行って駐車場が見つからないと悲劇なので、まず、1km強の道を歩いて行く。折れた具合を示すために、デジカメで撮って、そのカメラを持って行く(Ca6’)。ホテルの2階に事務所があって、女性の事務員に写真を示し説明したら、驚きもせず、私を疑いもせず、車を、ガソリンを満タンにして持ってくれば、車を代えてくれると言われ、地下にある小さな車工場の入り口の入り方を教えてくれる。
 車を取りにホテルに帰る途中、ワイキキ・ビーチ(Waikiki Beach)の近くを通るのはこの時しかないので、ちょっと立ち寄って写真を撮る(Oh11-1)。気温は、25 °Cで、泳ぐにはやや寒いが、相変わらず賑わっている。ここは、意外に日本人の割合は少ない。ちょっと外れたとこに行けば、もっと空いた良いビーチがあるのにと思うが、混んだ所が好きな人も多いことが分かる。ホテルがワイキキに密集しているので、やむを得ない点もあろう。
ワイキキの目抜き通りのカラカウア・アベニュー(車の一方通行路)をホテルに車を取りに歩いて戻る。道からは、宿泊しているホテルが高く右手に見える(Oh11-2)。自分の部屋は最上階だが、あの裏側なのだろうと想像する。ビーチに比べて意外と人通りは少ない。途中ガソリンスタンドの位置を確認して、車を工場に持って行き、交換してもらう。事務所に立ち寄ったら先ほどの女性事務員が、今度は、日本語で話しだしたので驚く。2世とのことである。後で、Hertzからのeメールのニュースに、最近、ホノルルの事務所には、日本語のできる職員を配したと書いてあった。
 車を代えてもらってそこを出たのは、13時になっていた。車のトラブルで半日潰したことになる。今まで、あちこちで30回以上車を借りたが、トラブルで車を途中で交換したことは、このワイキキのAVISの営業所で1度だけである。当地で車体のトラブルに遭うのは、借り手が多くて整備が追いつかないのか、車の取り扱いに慣れない人が借りるのか、偶然なのかは分からない。最後に残しておいたフォスター植物園に行けないことになった。
本日は、事実上最後の日なので、アラ・モアナ(Ala Moana)ショッピング・センターで買い物をすることにしていた。ハワイに来ると、初回から毎回ここに来て、サプルメント類を多量に購入する習慣になっている。今回も、いつものLongs Drugsという店で、ビタミン類、カルシウム、メラトニンを計10点購入する。まだ昼食を取っていなかったので、ここの大食堂の中の、日本食レストランで、てんぷら&サーモン定食を食べる($10.29)。ここにメニューの一端を示す(Oh11-3)。少なくともワイキキ界隈なら、日本語だけで十分話は通じる。ここの大衆食堂群はどの店も安く、チップの心配もいらなく昼食には適している。いつも、音楽演奏やダンスの催し物をやっているところでは、オーケストラの演奏をしていた(Oh11-4)。その他、みやげ物などを購入する。
買い物を終えると、もう16時30分になっていたが、ハワイに水着を持参しながら、まだ、海に触れてもいないのは、ちょっともったいないので、カイルア・ビーチ(Kailua beach)に行くことにする。途中63号と83号が交差するあたりで、プラカードを持った数組の人たちが、笑顔で車に盛んに手を振っている。何かNPOの運動かと思ったが、写真(Oh11-5)を後で見たら、どうやら選挙運動らしい。
このビーチは、今までの経験で、一番気に入っているが、案2にも、オアフ島ナンバーワンのビーチ・パークとして推薦されていることを後で知る。よい理由は、この本に挙げられているが、広々としていて余り混んでいないこと、砂浜で遠浅であること、駐車場が広いこと、シャワーなどがあり、監視員(Oh11-6)もいる、近くに買い物をする町があるなど、ビーチとして要求されるほとんど全ての要件を満たしていることである。水着に着替えたが、17時30分になっていて、人々は引きあげつつあり、気温もそう高くないので、膝ぐらいまで浸かっただけで、あとは、砂浜で腰掛けて、景色やカヌーを眺めていた。ここは、カヌーによい場所らしく、沖には、数台のカヌーが走行している。そのうちに、カヌーも次々と上がってきて、川(カエレプル川)沿いにどこかへ運んでいる。車に積むのか、倉庫があるのかは、分からない。大抵のカヌーは数人が乗っていて、熟練者が未熟者に教えているようであったが、女性が1人で、岸に帰ってきて、カヌーを持ち上げて運び去るのには感心した(Oh11-7)。結局、ほぼ日の入り時刻の18時35分に引き上げて、途中で、明日、空港で返却するのに十二分のガソリンを入れてホテルに帰る。本日、途中で車を換えたので、返済時の条件が満タンではなく、3/5だったので、それより多く入れることができた。車交換後、51 km走行した(ワイキキ−アラモアナ−カイルア・ビーチ−ワイキキ)ことになる。

第12日: (3月19日(木)) 7時に起床し、8時50分にホテルをチェックアウトして出る。空港に向かうハイウエーに乗る。空港近くで、GPSに従って右に曲がったが、右に曲がる道が2つあって間違って入ってしまった。ハイウエーというのに2種類あって、ハワイ島の全てとオアフ島のほとんどの、それは一般道と変わらないが、ホノルル付近やワイキキを通るハイウエーというのは、日本のハイウエーと同じで(通行料は無料)、一端入ったら所定の場所でしか降りられない。元に戻ろうと、次の分岐点で下に降りるつもりが、それが、また別のハイウエーにつながっている。パール・ハーバーを越えると山岳地帯に入り、次の降り口がなかなかこないので、空港から大分離れてしまう。一方GPSは目的地を行き過ぎてしまうと作動しなくなる。ハイウエーでは車を停めるわけにもいかない。ようやく次の分岐点に来たが、降りてしまうと、また別のハイウエーに入ってしまう恐れもあるので、止むを得ず、分岐点の本来なら入ってはいけないゼブラ・ゾーンで停めて、GPSを再度、空港にセットする。停めてよかったことは、そこで降りては駄目で、次の分岐点まで行くように指示している。それに従ってさらにずっと遠くまで行き、GPSに従って、空港方向へのハイウエーに戻る。折りしも、朝の通勤ラッシュアワー時間で、空港・ワイキキ方面への道は大変混んでいて、気持ちが焦るがどうしようもない。ようやく、空港に到着する。近くのガソリンスタンドで、ガソリンを入れて、返却したときは、10時7分であった(飛行機の出発予定時刻:11時59分)。ホテルを出てから、本来なら16 kmの道を1時間20分もかかったが、朝、余裕をみて出発してので、出発便に間に合ってほっとする。さらに、Hertzのシャトルバスに乗って、空港に着く。空港からホテルに着いたときの距離(16 km)と比べて、帰りは44 kmも多かったから、約22 kmも空港より遠方に行っていたことになる。GPSが無ければ、更に迷って間に合わなかったかもしれない。いつもは、車を返却する際は、前日に必ず下見して、道を確認するが、今回はGPSがあるからと油断して、励行しなかった。後の教訓として、最後の返却場所は、前日に下見を必ずしておくことと、余裕をもって早めに出発することを得る。
空港内では、土産物を買う余裕があった。荷物検査口から、搭乗口は左方向で、その方向の店では探しているチョコレートを置いてなかったので、戻って右側に行ってみたらあり、日本人乗客もいないので、店は空いていて、サービスよく応対してくれた。
機内では、家内が予約していた隣の席には、ヒロに7年間住んでいて、シンガポールに行く39歳代のアメリカ人が座った。ヒロは住みよいというので、天気はどうかと聞いたら、天気以外は住みよいといっていた。予定どおり、成田には3月20日(金)16時に成田に到着した。ヨーロッパなどに比べてハワイからは近くて楽である。この日は休日で、高速道路で事故があったので、帰宅するには多少時間を要した。