その3
コルシカ写真館
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●イル・ルース(Ile Rouse)
人口2800人のこの地へは、コルトから行った。名前の通り、島なのだが(ileは島という意味)、
陸続きで行ける。島の先には灯台があり(ir1)、観光客は、ミニ観光列車(ir2)で行っているようで
あるが、歩いて行ってみる。風が大変強い日で、吹き飛ばされかねないので、途中から引き返す。
カルビーへの道は、当地を通らねばならないので、交通渋滞を引き起こしている。鉄道の駅がある
ので、行ってみる。それ以外は何もしなかったので、この町の全貌は分からない。ここも、大型フェリー
が出入りするのと(ir3)、列車も通るので(tr6)、観光客が多い。


●コルト(Corte)
人口6400人、標高400 mのこの町は、かって、この島の首都であった地だけあって、歴史的にも重要な町で、
アジャクシオからの列車も通っており、観光客も多い。何故、こんな山奥に首都があったかといえば、海岸に
あれば外から攻め落とされるので、山奥が選ばれた。付近には独立戦争の戦場があり、付近の山登りの基点
にもなっている。首都の時代はもっと栄えていたそうである。
 ホテルのあるメインロードの奥に小さい広場があり、そこの中心に、独立運動の父と言われるパスカル・パオリ
(Pascal Paoli)の銅像が立っている(co1)。その先を右手に登っていくと博物館になっているシタデルがある。
そこからの眺めも良かったが(co2)、帰ってから、案内書に必ず出ているシタデルを下から見上げるコルシカを
代表する風景を見ていないことに気づく。見落とした場所も大体わかったので、翌日も行ってみる。入場券
売り場の人が、前日来たことを覚えていてくれ、無料で入れてくれて、その場所も教えてくれたので、そこに行って
写真を撮る(co3)。
鉄道の駅は中心街からは大分離れているから、タクシーを利用することになるようである。駅を見るために、
地図で調べて行ったが、目的の場所にも来ても、見当たらないので、広場に店を広げている花屋のおばさんに
聞いたら、すぐ後ろだと教えてくれた(tr4)。後で、写真を見たら、後ろの壁に駅の表示があり、後ろに入り口が
あるが、ちょっと見ただけでは分からなかった。
駅から、中心街までは、1 kmぐらいあると思うが、山を利用して建てられた家並みが見える(co4)。その頂上に
博物館になっている城が見える。
また、ここには大学もある。土曜の夕方近く見に行ったら、予想通り、人一人居ない(co5)。理系のキャンパス
だから、日本ならこういうことはない。
近郊の観光地
(1)ラマ(Lama)
 コルトの北約45 kmに人口わずか130人のこの村がある。小さな村でありながら、2004年にヨーロッパ文化
遺産村に指定されている。この鷹巣村(co6)には観光案内所もあり行ってみる。村に入るには、傾斜度15度
の道を登らねばならない。ここの一番の目玉は、何時の時代か分からないが古い家で、中に泉がある。
家の中から外を見た写真を撮る(co7)。小さい村なのに、教会もあり、村役場(co8)もある
(mairieは、市役所、村役場)。
車はあるが、ほとんど人影もなければ、観光者も1組に会っただけだった。一番眺めの良い道端には、第1次、
第2次世界大戦のみならず、インドシナ戦争の犠牲者の名前の連ねた塔が立っている(co9)。ここのみならず、
どこの村でも、戦争犠牲者の名前の書いた記念碑が建っている。コルシカは兵隊派遣に関しても差別されて
いたという説もある。
(2)メルー湖(Lac Melu(6月6日(土))
コルトに泊まったのは、どこか適当な山に登ってみたかったためで、具体的には氷河湖のメルー湖に登ることで
あった。結果からいえば、山に登ることより、そこのパーキングの往復の道の往復が大変であった。レストニカ渓谷
沿いの山岳道は、ほとんど舗装がしてあり、その意味では良いのだが、真ん中に白線が引いてあるが両側併せて
1車線しかない(co10)。対向車が来ると、十分車が行き違えるところまで、原則として下りの車が、バックしな
ければならない。車が、何台か連なっていれば、更に悲劇的である。しかも、場所によっては崖っぷちや岩角が
飛び出ている所もある。対向車が来なく、車も連ならないと予想される11時半にコルトを出て、駐車場
(海抜:1375 m, 駐車料5 Euro)には12時45分に着く。土曜のせいかかなり車が駐車している(co11)。
幸い、数台としか行き違わなかったが、バックの苦手な自分には、ましてマニュアルでは気持ちのよいものでは
なかった。一体、7、8月のシーズンはどうなるのだろう。着いた時の気温は、22度で快適であった。登山口の
写真(co12)は、下山時に撮ったが、左手の尾根(コル)のすぐ奥に目的の湖がある。1時頃から登って、2時半
に湖に着く(海抜:1711 m)。普通は1時間のコースをゆっくり登った。子供づれの家族も登っているから(co13)、
そう険しくはないが、途中、鎖場や、はしご登るところもある(co14)。静寂な湖畔には、14時半ぐらいに着き、
30分ぐらいいた(co15)。この間、縦走してきたカップルが2組ぐらい通ったが、下から登った人はほとんど降りて
しまっていた。6月なのにまだ、雪が沢山残っていた。帰りも1時間半ぐらいかけて、ゆっくり降りたが、途中、
にわか雨が降った。帰りの車は、時間も遅いので、行き違う車は1台ぐらいであった。


●東海岸(Aleria, Solenzara, Porte-Veccioなど)
アレリアは観光地としてはあまり見るべきものはない。したがって観光客も少なく、南北に伸びる国道の要の地
にあり、東海岸の北端(Cap Corse)から南端(Bonifacio)までの拠点として4泊した。ジェローム-カルコピノ
博物館があり(入場料:2Euro)、近隣で発掘されたものが沢山並んでいるが、素人の自分には、他でも
何度も見てきたギリシャ・ローマ時代のものと同様なので(例えば、ナポリの考古学博物館)、一通り見ただけ
だった(al1-3)。青人男子には尾が付いている一方、若者には付いていない。邪心のある男を動物になぞらえる
決まった手法なのであろうか。今まで気づかなかったが、今度尾の意味を聞いてみたいと思う。西暦紀元前5世紀
のものである表記がある。当然のことながら、ローマ時代の文化の中心にいたことが分かる。近くのローマの都市
(その前はカルタゴの都市)アラリアはまだ発掘中とのことであるが、見学しなかった。こういう文明を見るたびに、
日本は1500年は遅れていたのを再認識する。
南にしばらく行くとソレンツァーラ(Sorenzara)という町がある。エンリコ・マシアスや、日本でも岸洋子が歌った
「想い出のソレンツァーラ」という歌でよく知られているそうである。その少し南に行ったジェノヴァの塔(al4)の見える
海岸(Fauteaの入り江)を見る。泳ぎやすそうな海岸だが、人は少ない(al5)。
更に南に行くと、ポルト・ベッキオ(Porto-Vecchio, 人口:10600人)という東海岸では、一番大きな町がある。
ここは大きな湾内にあり(zo6)、大型船が出入りできるので、マルセーユなどからフェリーが来るので、観光客が
多い。町は混雑していそうなので、中には入らず、他日、入り口のスーパーで、みやげ物などを購入しただけで
あった。ここから、少し離れたパロンバギア(Palombaggia)海岸は、Lonely planetも最も推薦する海岸であり、
Sunday Timesの選んだヨーロッパのベスト20のビーチの1つにも選ばれているので、泳ぐことにして、2時間近く
居た。水温は、寒がりやの自分にも適温であった。ポルト・ヴェッキオからバスの便があるのかどうか分からないが、
水曜なのに多くの、また年齢層も幅広い人が来ている(al6)。人が多く、特に良い海岸とも思えなかった。
次に、更に少し南のFolacca海岸に行ったが、人も多く、風景も含めて同じようなところであった。


●ゾンザ(Zonza)近郊
ゾンザ(人口1800人)の近くに青銅器時代の巨石遺跡があるので、山の中にあるが、そこに3泊して、
海岸地方にも遠征した。海岸からの道は、険しく舗装していないのではないかと思ったので、宿(B&B)
の主にメールで、4輪駆動車を借りる必要があるかと聞いたらその必要はないと言われた。コルトで泊まった後、
ソレンツアーラから山道に入ったが、舗装され見通しは悪いが、2車線あり、見通しの悪い所は、昔の日本流
に警笛を鳴らしながら上って行った。当地にはそういう慣わしが無く、警笛を聞いたことは無かったが、この道路
ではないが、時々スピードを出してカーヴを曲がってくる対向車には有効であった。しばらく行ったら、道を野生
の(?)豚や山羊が塞いでいて、先行の車は、停まって写真を撮っている(zo1)。自分も車を停めてカメラを
持って近づいたら、そこにいたご夫人が、餌を持っているかと聞くので、何のことかと思ったら、餌を持っていたら
豚に襲われ腕を咬まれたから注意しろということであった。山羊は、車に前足をかけて餌をねだっている(zo2)。
通行人が餌をくれることを知って、ここに待機しているらしい。道を急ぐわけでもないので、むしろ歓迎である。
途中、ところどころで険峻な山々が展望できる(zo3)。バべーラ(Bavella)という展望の良いところでは、
「雪の天使」の像があり、願い事や感謝のプレートが張ってある(zo4)。きっと、この辺はスキーができるのであろう。
また、別の日に、ゾンザから、東海岸のポルト・ベッキオに出た際には、途中、オスペダール湖(zo5)や、
展望台があり、そこからは、ポルト・ベッキオ湾がはっきり見える(zo6)。
ゾンザの中心からは2km離れたB&Bには、14時に着き、チェックインした時の温度は20度で、やはり山中
(標高778m)で涼しい。20分ぐらい休んで遺跡の入り口に15時ごろ着く。入場料がいるはずであるが、
事務所は閉まっている一方、場内には入れる。説明書が無いので、住居と分かるもの(zo7-8)以外は、
何の目的だか分からぬ巨石もある(zo9)。Lonely Planetなどによれば、CucuruzzuとCaplaと2つに分かれて
いるのだが、連続していてその区分けはよく分からない。住居はBC2000年ぐらいのものらしい。また石が自然の
ものか、人が目的を持って運んだものかも判然としない。説明が一切ないし、どこが終わりなのかも判然としない
ので、もともと入場者は少ないが、途中で戻っていく人が多い。先に進んで行くと、遺跡らしいものが、次々とある。
森の中には12世紀の教会もある(zo10)。更に進んでいったら、道が無くなり森の中に迷い込み、道に戻ろうと
しても分からなくなる。刺のある潅木も多く、長袖のシャツと手袋を用意していて、時間も16時半ぐらいで、
日没までは時間があるが、大きな森(zo11)に迷い込むと大変なことを知っているので、慌てる。先ほどまで、
犬を連れたカプルが、前後して同じ方向に来ていたので、初めて、旅行の際に常時持っている笛を4、5回
吹いてみたが、何も反応は無い。その間も、あちこち歩き廻ってようやく道に出て、その道を辿っていったら、
入口とは違う駐車場近くの閉まった門に出てほっとする。方向が、分からなかったが結局一回りしたことになる。
ここに達したのは17時であり、約30分間迷っていたことになるが、その間は、写真を撮る余裕も無かった。
ヨーロッパでは往々にして、山などでも、自然を保つために、道標などをなるべく置かないようにしているので、
十分注意をする必要があるが、管理されているはずの、山中の遺跡で、こういう危ない目に遭うとは想像して
いなかった。
ゾンザの町でも1回夕食を取ったが、海産物の食べられるレストランは、あまり無かった。入ったレストランの
すぐ横の、町の中心の場所には、第1次大戦の戦死者を刻んだモニュメントが立っていた(zo12)。


●ボニファシオ(Bonifacio)
ほぼ最南端に位置する人口2700人のこの町は、Michelinでも3星がついているので、この島で最も興味深い
場所であることは間違いない。観光客の方が住人より多いようだ。アエリアを基点として、日帰りで行った。
朝から小雨が降っていたが、10時にホテルを出て、ボニファシオには、12時20分に着いた。月曜なのに駐車場
はどこも混んでいて、10分ぐらい待って、偶然、船着場の前の駐車場に入る。遊覧船の看板に客は駐車料が
無料と書いてあるので(bo1)、そこの案内所で切符を買う。実際は、17.5 Euroするところを駐車料として2.5
Euro戻すから、15 Euroで良いといわれる。(実際は、遊覧船を降りてからも計4時間、駐車させていたので、
7 Euroの駐車料を払う。後で聞いて、先方の説明に完全に納得した。要するに、1時間の遊覧時間に相当
する駐車料だけが無料とのことである。)遊覧船は1時20分から丁度1時間乗った。発着所は、入り江の奥に
なっていて(bo9)、主な見物場所は外海に出てからの崖の上の旧市街をみることである。船で入る洞窟は
(bo2-3)、カプリ島の「青の洞窟」を思い出させる。太陽も出ていなかったので、青の洞窟ほどではなかったが、
それでもかなり奇麗であった。海鳥に乗員がパンをちぎってやっている(bo4)。毎回そうしているらしく、鳥もパンが
終わるとすぐ引き上げる。崖は見事に腐食され(bo5)、崖の上にある14世紀のジェノヴァ時代に建てられた
旧市街は廃墟のように立ち並び、しかも、その下の崖は、海に侵食されていて、端の家々は海に突き出して
建っていて(bo6)、なるほどこれは、すごい風景だと思う。船の遊覧が終わってから、今度は、陸上から、崖の上
を歩いてみる。連なる崖は見事である(bo7)。太陽が出ていれば更に壮観であろう。この町を最もよく表す風景
として最も紹介されている図は、建物が海に突き出ていることが分かるアングルからのものであろう(bo8)。崖の上
の旧市街と下とは、ヘアピンカーブの道で繋がっている(bo9-10)。旧市街は海側から見るとゴーストタウンのようで
あるが、中に入ると、細い道に土産物屋が連なっている。建物は4階か5階の高さである。上には洗濯物が干して
ある家もあり、イタリアの風習があることが分かる。崖の上を歩いていたら、大きな墓地を見つける。すでに
アジャクシオなどで知っていたので、驚かなかったが、見晴らしのよい大きな敷地に、家のように大きな墓が並んで
いる。丁度、大雨が降ってきたので、中まで入れる様式の墓(bo11の右から2番目)に入れさせてもらい雨宿りを
する。天井は頭のつかえない高さがある。20-30分入れさせてもらい、出る際は感謝のお祈りをして出る。
ボニファシオは、コルシカ島の事実上の最南端で、イタリア領のサルジニア島が見える(bo12)。ボニファシオに来た
日は、今回の旅行中、最も天気が安定しなかったが、それでも、景色は他では見られないものがあった。