その2
コルシカ写真館
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●アジャクシオ(Ajaccio)
アジャクシオは、コルシカの首府であるが、人口は53,000人であり、空港もそれなりに小さい(aj1)。
ここは、ナポレオン(1769.8.15-1821.5.5)の生まれた土地で、空港(aj2)を初めあちこちにナポレオンを
記念するものがある(Gaulle広場のナポレオンと兄弟:aj3)。ナポレオン博物館に行ったが、中は、
写真禁止なので、外から建物を撮る(aj4)。中の様子は絵はがきを買う。
船で、約20 kmのサンギネール(Sanguinaires)島の見学(計3時間;20 Euro)に参加した(aj5-6)。
約30人が参加していた。コルシカ語でサングィ・ネーリとは、「黒い血潮」という意味で、この辺の
海の色が黒っぽいことから来ている。船は、海水浴場に沿って進む(map3)。島は無人で、海鳥の
繁殖場や住処になっている。島に上陸して、一番高い所(80 m)まで登り、対岸との間に3つの岩礁の
ような小さな島がある(aj6)。その先に、後日、行く本島のパラータ岬の見張り塔(aj9)も見える。島は、
海鳥の繁殖地で、鴎の子であろうか、まだ、人間に対しての警戒心がない(aj7)。帰りの船を待つ間
(aj8)、左手にアジャクシオの街などの見える風景を見る。
帰りの船から、アジャクシオ郊外にある大墓地を見つける(aj10)。予め読んでいた本にその記述が
あったお陰で、すぐ分かる。このような、一つ一つの墓が大きいのは、今まで行った地では、
シシリー島で遠くから見たことがあるので、イタリア近郊の風習なのであろうか。コルシカでは、
ボニファシオ(bo12)や、オルメートでも同様のものがあった。後に、陸から行ってみた(aj11)。
海水浴場とほとんど隣り合わせの一等地にあるので、これまた驚く。この島では、最高に眺めの
良い場所に墓や戦没者の記念碑を配置しているようだ。墓地には、ほとんど人は居なかったが、
チノ・ロッシーの墓はどこにあるのかと2組に聞かれる。1930年代のシャンソン歌手だそうであるが、
日本人が、墓にいるので、熱狂的なファンに違いないと思われ聞かれたらしい。帰国して、ネットで
調べたが、分からなかった。スペリングも聞いておくべきだった。地図(map3)に示したように、
アジャクシオの町から、サンギネール島の対岸まで、海岸線に沿って海水浴場と上記の墓地が
並んでいて、町からバスで行けるので、観光客が多く来ている。その1つには、彫像があり、
いたずら書きもしてある(aj12)。ウイークデーであるが、多くの人が楽しんでいる。フランスらしく、
抱擁しているカップルもいるが、当地では珍しい光景ではない(Marinella海岸; aj13-14)。
一番町に近い海岸は(先方にシタデルの塔が見える;aj15)、歩いて行けるが、郊外の方が開放感が
あるのか、ここは割合空いている。
海岸は遠浅で、波も穏やかで、海の色も美しい。この島の海岸線は1000 kmに及び、
SUNDAY TIMESの選んだヨーロッパのベスト20の海岸のうち、3つがコルシカ島のもので
あるそうで(www.corsica-isula.com/downloads/Corsican_Beaches.pdf#search='corsica beach')、
海水浴場は、無数にあるが、せいぜいシャワー設備があるだけの所がほとんどである。


map3


●ポルト・ポーロ(Porto Pollo)
アジャクシオの空港に近くて、町には遠い海岸線に沿った場所を地図で探して、飛行機の到着、発着日に合わせて、ここに宿をとる。飛行場からは、山道を行くので意外に遠かったが、途中の景色は素晴らしかった。また、泳ぐ暇はなかったが、そこの海岸もすばらしかった(ho1,et7)。
(1)Olmeteの町。他の観光書では、特別な注意も払われていはいが、参考文献(4)では、スケッチまで描いて紹介しているので、わざわざ行った。山中の一筋道の幹線道路(アジャクシオ ?ボニファシオ間)に沿って、道の両側に5階建の建物が立ち並んでいるのが不思議だという。そうと言われなければ気づかなかったと思うが、確かに5階建てぐらいの建物が連なってあり(po1)、それでいて歩いている人は、極めて少ない。しかし、この著者がいうように、幹線道路沿いに建物があるだけではなく、周りにも高低の差のある小道がいくつかある。この写真にあるレストランは、4階でもあり(po2)、別の道から言えば1階である(po3)。(1階、4階というのは日本流で、フランスでは地上階、3階である)この写真には、今回借りた車が写っている。この写真は19時16分に撮っているが、レストランにはまだ誰も客は見えない。
(2)Filitosaの遺跡。今回見た3ヶ所のうちでは、有料で、管理人もいる。土産物屋風のところが入り口で、そこで10 Euro(入場料は5 Euroでパンフレット5 Euro)を払って店の奥から野外に出るようになっている。一番有名なのは、入り口近くにあるもので(po4)、剣も描かれているが、何時の年代のものかは、説明されていない。コルシカの巨石文化は、BC3300年から、青銅器はBC.1800年から、鉄器はBC.700年始まったという記述はある。いろいろな石が残っているが、ファルスのようなものもあるし(po5)、人工のものか、自然なのか分からないが恐竜状のものもあり(po6)、柵などを置いてなく、昔の住居では、昼寝をしている人もいる長閑さである(po7)。ここでは、立ち入り禁止などの縄などはないのが良い。
(3)Cauriaの遺跡。ここの遺跡は、入り口もなく、管理人もおらず入場料も要らない。その分、説明もないので、どこにあるのかも分からない。すぐ分かるところには、Filitosaで見たような単純なものがかたまって立っていた(po8)。更に岩山を上って行ったら、昔の住居があって、子供が遊んでいた(po9)。一番見たかったのは、ドルメンであったが、見つからず、駐車場に戻って来て、見てきたという人に聞いて再度見に行った。やはり、見つけにくいのか、誰もおらず大きさを示すために、背負ってきたリュックを置いたりして写真を撮る(po10)。屈んでは入れるくらいの高さで、コルシカ島唯一のドルメンだそうであり、フォンタナッチャという場所だそうであるが、カウリアとは近く、どこに境界があるのかは分からない。
(4)アジャクシオとポルト・ポーロの間。この間の道は、少なくとも3通りぐらいあり、車で1時間以上かかり、いずれも山を越えるが、海岸寄りを行き、少しわき道に入ると見晴らしの良い高台に出る(Point de Sette Nave; po11)。車では行けない見張り台も遠くに見え、海水浴場のある砂浜も見える。ポルト・ポーロはこの山の向こう側にある。


●カルビー(Calvi)
この地には、ここから船でしか近づけない岩石群の世界遺産を見に行くのが主目的で来たが、船を待つ時間に、シタデルを見る。ここに、コロンブス(1436-1506)が幼少の頃に住んでいた住居跡とその碑があり(ca1)、コロンブスが、1436年に、ここで生まれたとフランス語で書いてあり、名前だけは、イタリア語(?)も併記されている(ca2)。その前の石は、1892年に北米大陸”発見“(1492)の400年を記念していることを示している(ca3)。コロンブスはジェノヴァの生まれと歴史で習ったが、当時は、コルスカはジェノヴァの領土であったので、矛盾は無いことを知る。シタデルに行って、見ていたら、ニースからのフェリーが着く(ca4)。
遊覧船(コロンボライン:40 Euro)は15時に出るが、多くの客が待っている(ca5)。白人ばかりであることが分かる。船では先端に座れたが、揺れることもなく寒くなることもなかった。コルシカの世界遺産はここだけで、正式の名称は、「ジロラッタ岬、ポルト岬、スカンドラ保護区とピアナ・カランシュ」と言われる。奇岩の連続であった(ca6-10)。写真(ca10)の穴の形はコルシカ島の形に似ているのでコルシカ岩と言われる。結局、3時間の遊覧であった。


●バスティア(Bastia)
人口、約38000人を有するコルシカ島第2の都市、バスティアに2度行こうと試みたが、近づくにつれて、道が大渋滞していたので、町に入るのはさぞ大変であろうと思い、残念ながら、結局行けなかった。空港は、ずっと南(空港バスで30分)にあり、そこに、サン・テグジュペリ(Saint-Exupery:「星の王子様」の作者)が大戦中に最後に飛び立った記念碑があることを知っていて、是非見たいと思っていたので見に行く。小さな空港で、記念碑は、空港ビルのすぐ前に、建っていた(ba1)。大岡昇平が、ここの空港を最後にコルシカを離れる際に、見たかったが、 (後に読んだ)「コルシカ紀行」で探しもせず、見つからなかったと書いているのは不思議でならない。この作家は、そう誠実な人で無いことを知り、ちょっとがっかりする。碑には、「1944年7月31日に、飛行士で作家のサン・テグジュペリが、戦争の任務で、最後にここから飛び立ったことを(コルシカは)偲ぶ」と書いてある。空港ビルのガラスには、後ろの光景が反射していて、多くの車が駐車しているが、車を置いて、出かけているのであろう。田舎の空港だけあって、人はほとんどいなく静かである。感慨深く碑を長く見ていた。
 空港を辞して、付近を走っていたら、野原に、多くの車が、駐車していて、また、入って行く車もあるので、入ってみる。移動式の車やテントなどが張ってあり、どうやら、一種の祭りのようである(ba2)。この日は日曜であったから、夏の間、週末にしばしば、開かれているのかもしれない。移動車は大体、子供の遊戯用のものである。テントの中に入ったら、この地方の農家の人たちと思われる人々が農作物を販売している(ba3)。いろいろ買いたいものはあるが、液体であったり重いものは、土産に出来ないので、滞在中に飲むためにCap Corseというワインを購入する。Cap Corseは、バスティアの北にある半島の名前で、この地は、アペルティフのワインが有名であり、実際、コルシカ滞在中、夜に少しずつ飲んだが、大変美味しかった。
 また別の日、このビググリア(Biguglia)潟を一周したいと思い、遠路ゾンザから、来た。空港近くの北側から南の端までの砂州の舗装された道を南下する。右手が潟で左手が海であるが、道から両方見えるわけではなく、むしろ、大体は両方見えない。どちらか、見たいときは、車を停めて、少し、歩かねばならない。潟の方は、荒涼としていて、行ける道もあまりなく全く人影はなく、観光の対象ではない(ba4)。何かの養殖に利用しているようである。海側は、ところどころに別荘があり、海辺には雑草の花の咲き乱れている(et13-14)小道を通って出るが、近くの別荘の人たちであろうか、思い思いに日光浴をしている(ba5)。砂州の入り口付近のMaranaというところの海岸は、かなり人がいたが、それから南は、このような感じの海岸が20 kmに渉って続いている。最近のバスティアからも遠いので、長閑なのが大変良い。この潟は、他日Cap Corseの帰りにも、山の上から展望できた(cc6)。


●カップ・コルス(Cap Corse)
北東に突き出る半島全体の地方をいう。道が一回りできるほど良いのか心配したが、特に難所もなく、最北端の地にも到達することができた。アレリアのホテルから、バスティアを経由して反時計回りで廻る。この地方にジェノヴァ時代の16世紀に建てたタワー85のうち60個が残っている。そのうちの1つを撮る(cc1)。山の上にあるトミノの見晴らしの良いところにも、第1次大戦の戦死者の名前を書いた碑がある(cc2)。半島の北端バルカジオへも車で行ける。そこからは、ジラグリア島がすぐ先に見える(cc3)。半島全体にわたって山が迫っているので、ノンザのちょっと手前で、急斜面にへばりつくように立っている工場があった(cc4)。こんな急斜面に建っている工場は今まで見たことが無い。山崩れは大丈夫なのか。西海岸では、ノンザで車を停めて町を見る。ここでは海岸に上から見て分かるように字が書いてある(cc5)。バスティアに差し掛かる峠の見晴台からはバスティアの潟とそこに突き出た半島がはっきり見える(cc6)。バスティアから、半島一回りは約160 kmであった。観光客も少なく、ドライヴを楽しめた。アレリアには21時前に着いたがまだ明るかった。この時期の日の入りは丁度21時である。