|
||||||||||||||
|
||||||||||||||
●チェファルー(Cefalu)を通って(パレルモへ)(山と海) 本日9月14日(木)は、シチリア島の約200 km離れたパレルモに戻り、1泊して、シチリア島を離れるので、 この島の観光最後の日である。 ホテルを8時23分に出て、そこから16 km離れたティンダリ(Tindari)に寄る。この地を訪れたのは、 泊まったホテルから近いこともあるが、 小森谷慶子、小森谷賢二著「シチリアへ行きたい」新潮社で紹介されていることも理由である。ここには、 BC4世紀にシラクーサのディオニュシオスによって建設されたギリシャ劇場やバジリカ(集会場)などがある。 黒い聖母教会があり、その像にはラテン語で、“Nigra Sun Sed Formosa”と書かれている(Ti1)。後で、 webで調べたら、「私は黒いけれども美しい」という意味らしい。眼下には、妙な形の砂洲がある(Ti2)。 下にオリヴェリ(Oliveri)という鉄道の駅があって、そこから見ると目の前280 mの高さに、このティンダリが そびえているそうである。そこから徒歩で数kmとのことである。1959年度のノーベル賞詩人のサルヴァトーレ ・クワジモド(Salvatore Quasimodo)も「そしてお前の所にたどり着き、登攀(とうはん)の苦痛から一息ついた 」と詠んでいると上記の小森谷慶子氏がwebで紹介されている (http://www.japanitalytravel.com)。 入場料を払って遺跡のある場所に入るが、他には誰も訪問していない。中では発掘調査をしているや工事を している人のみが5-6人いた。 ギリシャ劇場は草が生えていて、コンサートや演劇に使われていないらしい(Ti3)。ここにも、床にモザイク画 があるが、あまり積極的に保存している様子もないのが、ちょっと心配になる。今まで他の場所でも見ていた ウチワサボテンの実がある。 次にチェファルーに11時15分に着く。ティンダリから丁度100 kmであった。車を駐車させて、まず町の後ろに 迫っている山に、ディアナ神殿を見に行く。入り口で入場料を取られる。しばらく登って、下を眺めると良い眺め であるが、海の色が、真っ青というわけではないのはちょっと残念である(Ce1)。妻は疲れたというので、途中 で待っていて、自分だけ登る。本で見ていたBC12世紀に先住民シカニ族が築いた聖域の神殿のところまで 来て、そこから引き返す(Ce2)。その上の山上にスペイン人が築いた城壁があるのだと思うが、そこまでは 遠いようなので諦める。町に下りる。降りた所がガリバルディ広場と呼ばれている。近くのカテドラルを見る。 ビザンツ・モザイクが美しいことで知られている(Ce3)。モンレアーレのドゥオーモのキリスト像と非常によく 似ている。近くの通りからちょっと入ったところに中世の洗濯場がある(Ce4)。 14時45分に、チェファルーを出て、16時にパレルモに帰り、16時に元借りた市内のAVISの事務所で車を 返却する。ボデーを釘でいたずらされたり、後部のバンパーに傷を作ったことを申告したが、保険の中で処理 できるとのことで、ほっとする。7日半借りて、走行距離は1710 kmで、今までの旅行と比べると走行距離は かなり短い。狭い所に見るべきものが詰まっているからであろう。 初日と同様、パレルモのトニックホテルに泊まる。翌日は、空港バスに乗って空港に行ったが、カステル ヌオーヴォ広場のバスの停留場は目印もなくちょっと不安であったので、前にあるホテルのベルボーイに 教えてもらい確認する。空港から11時5分発ローマ行きの便に乗ってシチリア島を離れる。その後、ローマ から、妻は東京に帰り、自分はチュニジアの学会に出席すべくチュニスに向った。 |
||||||||||||||
|
||||||||||||||
★終わりに 歴史と文化遺産に豊富な地であり、またヨーロッパ最大の活火山や、海、島々などの自然にも恵まれ、 車で旅行するのには大変良い規模・気候の場所である。食べ物や飲み物も美味しい。しかし、住みよい所 だけに、また、地中海の要地を占めるので、その歴史を振り返ると、侵略・戦争の連続で、ここに住んでいた 人々は常に、戦争に怯えて暮らしていたのであろうことは、多くの町が、山腹や山上に作られていることから もよく伺える。それも、昔は、負けると、皆殺しにあっていたようである。そして、ここでは、第2次世界大戦に おいても重要な戦闘が行われたのだが、60年以上も経た今日では、その跡さえも、旅行者の目には分から なかった。少なくとも3000年にわたって大戦争を繰り返してきたこの島にとって60年は、短い期間であろうが 長い平和の期間かもしれない。その間に、ここを訪問できたことをあり難く思う。 車の運転が乱暴ではないかと心配したが、特にそのような感じはしなかった。自動車強盗の未遂に遭った 以外は、そう危険も感じなかった。イタリア語が多少ともできれば、また、もう少し、歴史や文化を勉強して 行けば、さらに面白いところであったろうと感じた。有名なマフィアは、予想していたように旅行者には、 まったくその存在すら分からなかった。 なお、これに続くチュニジア訪問記は別途書かせていただく。 |
||||||||||||||
|
||||||||||||||
|